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Vol.274 丸山ワクチン がん免疫療法における歴史の呪縛を考える

医療ガバナンス学会 (2013年11月5日 06:00)


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血液・腫瘍内科医
小林 一彦
2013年11月5日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


2013年9月25日、Merck Serono社は MUC1 抗原特異的がん免疫療法剤の新たな第III相臨床試験(START2 試験)を実施すると発表した。先行するSTART試験の結果を踏まえデザインされた試験であり、がん治療ワクチン療法の開発競争はより激しさを増すことに なるだろう。前稿で日本におけるがん治療ワクチン療法の開発を推進するには本邦の免疫療法が辿った特異な歴史の総括が必要だと述べ望外の反響を頂いた。そ こで本稿では歴史を振り返り我々が免疫療法を行おうとする際に囚われがちな心性について考察したい。
日本における免疫療法は丸山ワクチンに始まる。丸山ワクチンは正式には”丸山結核菌ワクチン”といい、元は皮膚結核の治療用ワクチンとして開発された結核 菌熱水抽出物である。現在のがん治療ワクチンは、T細胞が主要組織適合抗原拘束性に標的を認識する仕組み(1996年Dohertyと Zinkernagel がノーベル医学・生理学賞を受賞)を基礎に構築された主に生理活性ペプチドを用いる治療法であり丸山ワクチンとは全くの別物だ。

丸山千里博士は、19世紀末にローベルト・コッホが発案したツベルクリン・ワクチンを改良し1940年代に丸山ワクチンを作り上げた。抗結核薬が発売されるまでの僅かな期間ではあったが、丸山ワクチンは皮膚結核に対して優秀な治療成績を収めたと言う。
やがて丸山は結核を患うと癌を発病する患者が少ないことに気付き、結核に対する免疫力は癌に対するそれと共通しているのではないかと考えるに至った。確か に1940年代の統計をみれば結核患者にがんは少ない。しかし、それは若くして亡くなる人が多かった当時の結核では、あくまで数字上がんが少なく見えると いうことに過ぎない。しかし天啓を得た丸山は諦めなかった。動物実験による有効性を得られないまま、1964年頃から末期がん患者に対しての投与を開始し たのだ。いくら他に治療法がなくなったからだとしても、結核への投与実績があり安全性が確認されていたからこそ許される行為であった。
症例数が増えるにつれて、効いているのではないかと思わせる症例が散見されるようになった。1965年5月には結腸癌腹膜転移の著効例が報告されている。 主治医の余命宣告に反して12ヶ月以上生存しQOLの大幅な改善を認めた症例で、患者の身内であった河合良成氏(吉田内閣で厚生労働大臣、コマツ製作所会 長、経団連常務理事を歴任)は非常に喜び、氏の強い勧めで丸山ワクチンは世に出る事になった。
1976年、紆余曲折の末ついに丸山ワクチンの薬事承認に必要な臨床試験が完了した。当時、抗腫瘍薬の効果は投与後にがんが縮小したことを証明すれば十分 だった。丸山ワクチンより少し前に申請された免疫療法剤であるピシバニール(溶連菌にペニシリンを添加したもの)やクレスチン(キノコ由来の粉末)の臨床 試験では、腫瘍の縮小が認められるとされ(後に縮小効果は否定された)短期間で承認されている。ところがどういう訳か丸山ワクチンの場合はなかなか審議が 開始されず、しかも漸く審議が開始されたかと思えば、途中で承認基準が変更されてしまった。本薬と偽薬の比較試験を行い、腫瘍縮小効果だけでなく延命効果 を証明せねばならなくなったのだ。丸山ワクチンはこの後から追加された承認基準をクリア出来なかった。
現在から考えれば、3剤いずれも二重盲験での有効性を示せず薬事承認は得られないだろう。しかし当時は、先行する2剤は承認されたのになぜ丸山ワクチンだ け承認されないのか、納得のゆく説明がなされなかった。審査過程が非公開とされたり審査員がライバル薬の開発者だったりしたことも相俟って、不可解な印象 が残ることになり、陰謀論が飛び交うようになったのである。
何者かが政治力によって丸山ワクチンの行く手を不当に阻んでいる。必要なのは科学的根拠ではなく政治的根拠と考えられたのも無理はない。しかし、今にして思えばこのボタンの掛け違えが痛かった。
丸山ワクチンがなかなか承認されないので、東大教授を中心とする”丸山ワクチン患者・家族の会”が署名活動を開始、マスコミの煽動もあり承認遅延問題は国 会で取り上げられるまでになった。丸山ワクチンは、丸山ら当事者の想いをよそに、全国民を巻き込んだ政治問題へと祭り上げられることになってしまったので ある。
1981年、中央薬事審議会は”丸山ワクチンの有効性を確認できない”と最終的な答申をまとめながら、”しかし、これは丸山ワクチンを無効と断定するもの ではない”と但し書きを加えるのを忘れなかった。引き続き有効性を確認するための臨床試験を推奨し、その費用を捻出するため例外的に丸山ワクチンを”有償 臨床試験”として配布することを許可したのだ。これは実質的な承認と言える。科学的には意味のない、しかし政治的には見事な落とし所だった。
以後、丸山ワクチンの開発はさらに迷走してゆく。慶応大学放射線科の活躍により丸山ワクチンが放射線治療下における白血球減少症治療薬 “アンサー20″として薬事承認されるに至ると、アンサー20を使用するために放射線治療を行うという本末顛倒がおきる有様で、丸山ワクチンの周辺からは もはや真摯にがん免疫療法の開発を行おうとする機運が失われていった。

いくら進行期がんの治療が進歩し長期間の延命が得られるようになったとしても、最期には”もう治療法がない”と言わねばならない時がやってくる。
最愛の妻を若くして子宮がんで亡くした夫は、「治療法がないことそれ自体よりも、治療法がないと告げなければならないことの方が辛いのです。自分の中に諦めがあることを、決して彼女に知られたくはなかった」と述べた。
80歳にして膵癌により父を失った娘は、「父が死を恐れていないことは分かっていました。でも、私には死ぬということがどういうことなのかさっぱり分から なかった。分からないのだから、受け入れるも何もないのです。どんな治療でもよいから続けるしかないと思った」と漏らしたことがある。
丸山ワクチンは主にこのような状況で使用され、多くの患者と医師を救ってきたのだろう。腫瘍縮小効果や延命効果を証明することはなかったが、その果たした役割は大きくかけがえのないものがあった。

進行がん治療の現場では、必要性があるから使用することと有用性があるから使用することは全く別の問題だ。必要であっても有効性がなかったり、有効であっ ても必要性がなかったり、それぞれが一致するとは限らない。丸山ワクチンは有効ではなかったが必要であった、と素直に認識し制度的に両立させる方策を探る べきだった。丸山ワクチンの不幸は必要性が高いあまり、当時の制度において必要と有効を半ば意図的に取り違えたことに起因する。
先駆者が免疫療法の開発に関し政治的騒動に巻き込まれ、結果として科学的進歩の機会を失ってしまったことで、後に続く我々は同じ轍を踏むのではないかと臆 病になっている。がん治療ワクチン開発競争が世界的に激化し、がん免疫療法が大きく飛躍する時期に来ている。我々は丸山ワクチンの功罪を認め、歴史の呪縛 から自らを解き放つ必要があるだろう。

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