医療ガバナンス学会 (2013年11月20日 06:00)
私は今年の7月、大学5年の夏休みを利用して、昨年よりシカゴ大学で医学部教授・個別化医療センター副センター―長を務められる中村祐輔先生を尋ねに伺いました。
もともと外科医であった中村先生は、遺伝子研究の第一人者でもあり日本のヒトゲノム計画を率いたほか、国立がん研究センター研究所所長、内閣官房医療イノ ベーション推進室室長を務められました。そのような日本の医療界を代表する実績を持つ中村先生は、がんペプチドワクチンを開発する環境を求めて、東大での 教授職や政府の要職までもを投げ打って、昨年ここシカゴ大学に研究の拠点を移されました。がんペプチドワクチン(以下、ペプチドワクチン)は、がんに対し て、従来のような細胞毒性を持つ抗がん剤とは違い、がん特異的なペプチド抗原を投与することでT細胞免疫系を活性化し抗腫瘍効果を発揮します。その効果と 副作用の少なさが期待され、外科手術、抗がん剤、放射線治療の標準療法に続く第4の治療法として世界的に期待を集めているものです。国内でも、つい先日進 行した膵臓がんに対するペプチドワクチン「サバイビン2B」の治験が、札幌医科大と東大医科研で始まったというニュースが流れました。
今回この研究室にお邪魔させて頂いたのは、この最先端の研究の現場を一度見てみたいという単純な興味によるものでした。
Nakamura Labはシカゴ大学の広大なキャンパスのやや西の端、Knapp Center of Biological Researchという研究棟にあります。13階もあるKnapp Centerはまるで渋谷のオフィスビルのような綺麗さで、このような施設が一個人の寄付でドンと建ってしまうというところに、アメリカ人の慈善精神を感 じます。
さて、到着したのは良いものの、キャンパスを散策でもしてしばらく時間を潰さねばなりません。出発時に、いざ中村先生にお会いするということであまりに緊 張してしまい、約束の一時間も前に到着してしまったのです。というのは、医学部とはいえ私はただの学生です。これまでの学生生活は東大応援部に身を捧げて 来ました。六大学野球をはじめ東大のあらゆる試合の応援に熱中し、研究はおろか、勉強もまともにやったことはありません。始まったばかりの病院実習にすら 右往左往するような私は、きっと中村先生の邪魔にしかならないでしょう。そんな私がダメもとで、訪問をお願いする旨のメールを送ったところ、なんと快く承 諾してことには、はじめ何かの間違いではないかと驚いてしまいました。
いよいよお会いできるのかと緊張して臨んだものの、実際お会いした中村先生は、なんと素朴で穏やかな方ではありませんか。部屋に到着するや、私がろくに挨拶できないうちにフリーザーからおもむろにコーラを出し、私に振舞ってくれます。
Nakamura Labには20人近くの研究員がいます。ですが、驚いたことに、日本人はほんの数人で、あとは中国や韓国をはじめ外国出身の方々ばかり。しかもみな日本語 は喋れません。今後も何人もの研究員が各国から来るということです。日本から研究員が新入する予定は、その時点では皆無でした。
何台もの最新型DNAシークエンサーをはじめ、数々の高価な機器がNakamura Lab専用に設置され、大きな実験室がいくつも割り当てられていました。それらを合わせると、広さだけでも東大の一つの研究室の4倍から5倍はあったでしょうか。
Nakamura Labの研究はペプチドワクチンの実用に直結する研究をしていました。がん組織の遺伝子を解析し、特異的なターゲットを見つけだします。一方で、何十万もの化合物を一気にスクリーニングし、腫瘍に効果のある物質を薬に結びつける研究もなされていました。
研究に関して無知である私に対する、中村先生や、研究員の方々の指導は熱心そのもの。訪問期間中、みっちり研究について教え込まれ、実際に多くの実験を手伝わせて頂きました。
訪問最終日の晩には、大学近辺のイタリア料理店で、先生方が食事会を開いて下さいました。そこで聞いたのは、中村先生の、ペプチドワクチンの開発を通じて患者を救いたいという使命感、そして、日本の医療の将来に対する想いでした。
「患者を治すことだけを考えないと医療というものは務まらないんだよ。」
拠点をシカゴに置きながらも、中村先生を駆り立てるものの根幹にあったのは、他でもない日本の医療を良くしたいという想いだったということを、私はその時に初めて知りました。
私は、今回の経験を通じて、研究よりももっと重要なことを学びました。それは、アカデミアの世界で、国境を感じてはならないということです。
中村先生が海外に進出したのは、自分の能力を最大限発揮できる環境を求めた結果です。そして今、先駆的な研究に携わる好機を求めて世界中から中村先生の下に人が集まって来ているという現状を、私はシカゴで目の当たりにして来ました。
文献も医療機器も国際標準化されている中、世の中にインパクトをもたらす業績を挙げるには、国の垣根を越えた交流はもはや必要条件だと思います。そして、 海外にチャンスを見出した時、世界の舞台で勝負できる為の十分条件は、そのチャンスをものにする為にリスクを感じない行動力に過ぎないのだと、この一連の 経験を通じて痛感しました。
今の時点で、私は医者としての専門の方向は何も決められていません。今後勉強を深めてゆく中で決めていければと思っています。ただ、その専門が何であれ、 将来自分の能力を鍛え発揮できる場が海外にあると感じれば、その時はためらうことなくそこへ身を投じるつもりです。この夏の経験を通じて、私はそう決意す ることができました。
最後に、この度シカゴを訪問するにあたって、お世話になった中村先生、ラボのスタッフの方々、そして学生の身分でこの貴重な経験を得に渡米するという贅沢を許してくれた両親に感謝申し上げます。
【略歴】岡崎幸治(おかざき こうじ)
第65代東京大学応援部主将。熊本大学附属中学、灘高校を経て東京大学医学部入学。現在5年生。