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Vol.2 多くの英雄を生んだ東日本大震災の裏を見た内科医

医療ガバナンス学会 (2014年1月7日 06:00)


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~英雄以外の人に閉ざした口を開いてもらうことこそが実は進化を促す

※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。

http://jbpress.ismedia.jp/

相馬中央病院内科医
越智 小枝
2014年1月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


震災の当時、逆境の中で身を挺して患者を守る、様々な英雄が出現しました。しかし一方で、家族の心配や情報の不足など、様々な理由から「英雄にならなかった人々」も大勢います。そのような人々にとっての被災地とはどのようなものだったのでしょうか。

●放射線は「見えない恐怖」だったのか
東京下町→ロンドンと移動してきた私にとって、相馬に入って一番嬉しいことは空気が美味しいこと、星が見えることです。オリオン座が見えるのがやっと、と いうロンドンに比べて、こちらでは住宅地でもほぼ毎日オリオン大星雲とプレアデス星団(すばる)がはっきり見えます。暗くなってから帰宅する楽しみでもあ ります。
「震災直後はもっと綺麗でしたよ」と、当時から勤務されているスタッフに聞きました。「夜が真っ暗でしたから。外に出て『きれいだなぁ』と思ったのを覚えています」
綺麗な空と美味しい空気。その中で放射線汚染、という無味無臭の被災がいったい本当に想像できたのだろうか、と疑問に思いました。

当時相双地区に勤務されていた医師の方々に聞くと、実際のところは放射能との戦いというよりも、より切実かつ物理的な問題だったようです。
「(原発から)30キロが屋内退避になると、50キロ圏には水・食糧・情報、何も入ってこなくなった。情報を持っている公務員が先に避難をした、という噂も流れて不安が飛び火してね。15日の朝に爆発があると病院幹部が完全に浮き足立ったんだ」
この時点で相双地区の人々の情報源はテレビのみでした。しかし相双地区の状況は全くと言っていいほど報道されない。窮状を政府や報道に把握されていない、という不安が50キロ圏内の人々が「見捨てられた」と感じるには十分だったと言います。
「(地震から)3日くらいは何の情報も入りませんでしたね。情報規制、というより、報道にも『圏内に入るな!』っていうかなり強い命令が出ていたんじゃな いですかね。爆発の直前までうるさいくらいだったヘリコプターの音が、爆発当日から一切なくなりました。シーンとして、『あ、何か今日は静かだなー』と 思っていましたから。面白いくらい報道関係は入ってこなかったですよ」
相双地区特有の難しさは、むしろインフラが残っていたことなのかもしれません。目の前に避難をするための足(移動手段)が提示された状態で人・モノ・アシ が入ってこなくなった。そのような状況において、病院スタッフは「取り残された」のではなく、「踏みとどまる」という積極的な選択をしなくてはいけません でした。

●とどまる理由・去る理由
放射線に関する正しい情報さえあれば人々がとどまったのでは、とも言われますが、避難せずにとどまられた方々が、必ずしも放射線に関する知識が高かったわけでもないようです。ある医師は、爆発の後はむしろ開き直った、と言います。
「自分は爆発の瞬間『あ、放射能を浴びたんだったらもう死んだ』と思っていたので、特にそれ以上避難しようとは考えなかったですね。避難する人には避難してもらいました」
一方南相馬のO医師は、逃げるという選択肢はむしろ考えつかなかったと言います。「中には『逃げるかどうか必死で悩んだ』なんて人もいたけど、残っている人は皆あまり逃げる、ということを考えていなかったんじゃないかな」

しかし、皆が良い方向に考えられるわけではありませんし、家庭の事情も様々です。実際の現場はきれいごとではなかった、とS医師は言います。
「一部の認識としては、放射能と言うと『爆発』『死の灰』など、原爆のイメージと第五福竜丸、東海村のイメージなんかがあって、死の灰=即死、というイ メージを持っていたようだ。実際爆発音も聞こえたしね。マスコミなどの不正確な情報も後押しした。実際には山を隔てているのだから、即死するような量を浴 びるはずがない、と思ったが、周りが冷静に聞ける状態ではなくなっていた」
家庭、特に小さなお子さんを持つ方々はその不安が大きかったのではないでしょうか。「実際には申し送りもせずいなくなる医師も多数出たよ。しかしいなく なった医師も精神的におかしくなっていたと思う。院内で自主退避の許可が出るまで『子供をどうするんだ』『逃げないと死ぬ』などのパニックを起こす人もい たよ。自分一人が悪者になるのが嫌で、みんなが逃げれば自分も逃げられる、とわざと不安を煽る人もあったし」

●自分を守るという罪悪感
では、避難せず留まる人が正しく、避難された方が間違っていたのでしょうか?
もちろん普通に考えればそのように言い切ることはできません。しかし問題は、避難されたスタッフの中にそのように考える方が大勢いらしたということです。
「・・・避難していった医者も、かわいそうでしたよ。避難先で鬱になって仕事を休んだ、って聞きました。私たち(残った人)の方が、むしろ居直った分よかったのかもしれませんね」とF医師は語ります。
自分や家族の身を守ろうと避難した人々が、なぜ心に傷を負うのでしょうか。これは多くの医療従事者が「いかなる状況でも患者さんを見捨てるべきではない」という誇りを持っているためだと思います。
集団の幸福のために個を抑える、という文化は日本人の心に深く根ざしています。この文化が震災時の助け合いを生み、人災を最小限に抑えたことは間違いありませんし、そのような文化を私自身日本人として誇りにも思います。

しかしその同じ文化が、患者を「捨て」て放射能から「逃げた」ことを「恥」と考え口をつぐむ人々を生み出しているのではないでしょうか。
震災後のある論文(1)では、広島に住む両親から「戻ってこい」と言われた医師の葛藤を挙げ、”臨床家はリスクのある状況でどこまで患者を優先させるべき なのか?” という、これまでとは異なった医療倫理の命題を掲げています。残念ながら、これまで医師のこのような観点から医療倫理を検討した文献はほとんどありませ ん。

●事業者としての決断
倫理的な面だけでなく、組織という意味でも病院の避難は大変難しい問題です。災害時の病院という組織は、
(1)災害後に需要(顧客)と責任が急増するため、キャパシティを広げなくてはいけない。
(2)事業主が、雇用者に対する責任よりも顧客(患者)に対する責任を優先させることが多い。
という点において、他の事業に比べ非常に特殊です。
一方で、
(3)病院は地域社会の機能から完全に独立した機関ではない
という意味では他の企業と何ら変わることはありません。
(1)に関しては病院の Business Continuity Plan(BCP: 事業継続計画)を立てよう、という動きが起こりつつありますが、(2)や(3)の議論がなされずにBCPを立てても、人と物が不足する事態は変わらないのでは、と懸念します。

例えば相双地区病院の中で、常勤スタッフと外注スタッフに顕著な差が出ました。本社が県外にある外注業者などでは、当然のことながら職員の健康を守る責任 が、派遣先の病院の患者よりも優先されます。原発の後、速やかに病院から撤退しろ、という指示を出したところも多いようです。
「朝の全体会議では全員残る、の判断だったが、2度目の爆発(11時頃)の後、出勤していた外注職員はいつの間にかいなくなった。病院は外注業者に対し命令系統はない。さらに一般の民間企業は50キロ圏まで撤退したこともあり、かなりのスタッフがいなくなった」

南相馬にある幾つかの病院ではこのような話を聞きました。
「電気がなくなり酸素を作れるところがなかったため、一番近い医療酸素の業者を探したら新潟だった。本来週3日補給してもらわないと足りない状態だった が、この業者に、本社から『福島に入るな』と命令が来た・・・スタッフが会社の命令を無視して持ち込んでくれなかったら酸素は切れていたと思う」
このような外注業者とは異なり、病院という組織で見た場合には、逆に責任問題となることから「逃げろ」という指示は出せなかったのだろう、と、管理職にあった病院スタッフは振り返ります。
「本来は3日ダメだったら避難の準備を始めるべきだった。恐らく『勧告』にすると補償の問題などが生じるため、『指示』という曖昧な報道しかされなかった のだろう。しかし恐らく国も、この指示がどれだけのインパクトを与えるか分かっていなかったと思う。結局動ける人、子供などは皆いなくなり、動けない人と 医療従事者・学校関係者が残され、物は入ってこなくなった」

しかし病院は社会から孤立できる機関ではありません。食事、清掃、リネン、安全点検、そして何よりもスタッフが生きるための社会インフラがすべて揃っていなければ機能できないのです。患者を避難させた病院は皆、食料不足を一番の理由として挙げていました。
「まず栄養部、薬、宅配などの会社は全て本部から退避命令が入り、ほとんどの人がいなくなった。解雇されるのを覚悟で残る人もいたけどね。食事は看護師が おにぎりとスープにバリエーションをつけて提供する状態。副院長がトイレ掃除、エレベーターの安全点検は事務職員などがやった」
「それまでは一部に『病院を死守しよう』という意識もあったが、初めに看護師が限界にきた。中等症以上の患者70人に看護師12人では夜眠れない。せめて あと2倍の人数と食料が届けば耐えられたかもしれない。『死守』といってもこのままではむしろ患者が死ぬ。そう思っていた矢先、他の病院から『うちで患者 を受けられる』という電話をもらい、撤退を決定した。転院先? すべて個人のツテで探したよ」

●リーダーの役割
残るか、去るか。情報の混乱した中で、その責任は国でも行政でもなく、個人に課されました。
「職によってはスタッフが半分くらいいなくなりましたね。戻ってきた後も、少しの間いろいろありましたよ。『何で今さら戻ってきたの』という感じで。幸い 短期間でまた元通りになりましたけど、あれが元々の交流のない人同士だったら戻ってきても残れない、と言ってもうなずけます。私も何とかこの問題を発信で きないか考えたんですが、どうしても個人を責める結果になってしまいそうで、できませんでした」
と当時の相双地区の病院の状態を知る医師は語ります。
「避難区域にあった病院に勤務していた旧友なんかはもっとひどいです。私が避難の時のことを聞いても、今でも一切話してくれません」

このように個人には重すぎる荷を負わされたスタッフにとって、たとえ半端な指示だったとしても誰かが決断してくれることが重要でした。院長自らが「自己判 断で退避」という勧告を出した病院の医師は、逃げてもいいと言われることが救いになった、と言います(院長自身は避難されませんでした)。
「院長が『逃げてもいい』と言ってくれた一言は指示の中でも一番輝いている。他の病院は皆その一言を言ってもらえなかったために、避難した人々は皆心の傷を負っていて、戻りたくても戻れなくなってしまった。この病院が早く復旧できたのはあの一言のおかげじゃないかな」

面白いことに、うちの病院ではトップが「全員で残ろう」と呼びかけ、これが逆に救いになったと言います。
「避難区域でもないし『ここは逃げない』って言われましたね。皆が残るんだからいいかな、と思って」
非常に日本人的な考え方ですが、決断を誰かの責任にできる、というだけで、仕事に迷いがなくなったようです。

後から見れば、このお2人の決断は非難しようと思えばいくらでもできます。前者は「患者を見捨てた」と言われるでしょうし、後者は「職員を危険にさらした」と言われるでしょう。どちらのお2人も現場にとどまったにもかかわらず、です。
2つの選択肢のどちらにも100%の正解がなかった場合には、指示を出すものが非難を甘んじて受け、ぶれないこと。それがリーダーシップなのではないか、と思います。

●避難した人々の役割
一方、当時避難という選択をされた人々にも、当時のことを語り継いでいただく、という役割があると思っています。なぜならその人々が決して少数派ではないからです。
今回の震災において「診療の継続か、目の前の患者か」「家族の生命か、患者の生命か」という究極の選択がスタッフの大きな精神的・肉体的負担となりまし た。個人に負担をかけることなくこのような問題をどうしていくか、という議論をオープンにしなければ、次の災害に生かすことはできません。
相双地区のようにコミュニティーの発達した街であったからこそまだ医療は崩壊しませんでしたが、同じことが東京で起きたら、被害は甚大であろうと思います。避難した多数の医療従事者が罪悪感から口をつぐむことは、将来の災害対策に対しては大変なマイナスに働くと思います。

今回私はお聞きしたすべての発言を匿名で書きました。実名でこのような問題を俎上に載せられるのは、経験者ご自身にしかできません。
何があればとどまれたのか?
どの時点で患者の避難を開始すべきであったか?
その後のスタッフへのメンタルサポートは?
次の災害に見えない被災者を出さないため、「英雄」と呼ばれなかった大勢の人々はこのような問題に関し声を上げる必要があるのではないでしょうか。
この問題は医療スタッフの過労問題や、医療ミスをオープンにできない職場環境などとも密接に関連すると思います。災害をテーマにしたこのような議論が広がれば、日本の医療の体質そのものを変えていくきっかけになるかもしれません。

東日本大震災では、医療現場に限らず数多くの英雄が生まれ、世界中で敬意と感動をもって報道されました。しかし英雄たちの存在が多数の非・英雄の声を殺してしまっている現状は否定できません。
際立った個人の采配がなくても機能する災害現場を作ることこそが、防災システムの構築であり平時の人間の使命です。二度と英雄を必要としない。そんな現場を、心より願います。

<参考文献>
(1)Akabayashi A. Must I Stay? The obligations of physicians in proximity to the Fukushima Nuclear Power Plant. Cambridge Quarterly of Healthcare Ethics 2012; 21: 392-395.

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