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Vol.40 日本医師会参与・手塚一男弁護士の「医師とプロフェッショナル・オートノミー」の問題点

医療ガバナンス学会 (2014年2月18日 06:00)


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健保連大阪中央病院
顧問 平岡 諦
2014年2月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


日本医師会(日医)のホームページにある「医の倫理の基礎知識」、その「基礎的事項No.6」が、本稿で問題にする手塚弁護士(またもや弁護士!)による「医師とプロフェッショナル・オートノミー」です。
拙稿「医療倫理から見た日本医師会の良くなった点、いまだ悪い点」(MRIC Vol.654, 2012.11)においては、世界医師会(WMA)ジュネーブ宣言(1948)に関する日医の問題点を主に述べました。その時点で掲載されていなかった (あるいは気づかなかった)手塚弁護士の「医師とプロフェッショナル・オートノミー」についての問題点を本稿で述べます。ジュネーブ宣言についての問題点 が、マドリッド宣言(2009)についての問題点となっているようです。そして、日本の医療を「自律」と反対の、官僚統制強化(他律)の方向に導こうとし ています。それが、前稿(「専門職の自律、実は徴医制」MRIC. Vol.314. 2013.12、および「マドリッド宣言のお粗末な理解を基礎とした日本学術会議の報告書」MRIC.8. 2014.1.15)で述べた問題点です。
前稿(「日本医師会は医の倫理を弁護士(法律家)に任せてはいけない」MRIC Vol.496 & 497, 2012.5、および「日本医師会に関与する弁護士の内部矛盾」MRIC Vol.130, 2013.5)で述べたように、日医に関与する弁護士(法律家)が日医の在り方をダメにしてきました。そして、これからの日本の医療を官僚統制強化の方向 に導こうとしています。
はじめに、WMAがなぜこの言葉(professional autonomy)を使っているか、その理由を述べます。つぎに、手塚弁護士の文章の問題点を述べます。

(1)WMAのprofessional autonomyとは:
「第三者(国や企業)の意向が、医師を介して、医療問題になる(時に患者の人権問題となる)」ことが多くなりました。「医療の社会化」です。WMAは次の ように述べています。■Medicine is today, than ever before, a social rather than a strictly individual activity. 今日の医療は、かつてないほど、厳密に個人的というよりも社会的な活動となっています(WMA Medical Ethics Manual 2005, p.65)。■

「医療の社会化」に世界が気づいたのはナチのホロコーストを経験したからです。法や命令という国の意向が、医師を介して、大量虐殺という(患者の)人権問 題をひき起こしたからです。遵法を旨とする医師たちは、「悪法でも法、だから守っただけ」という弁明(「悪法問題」)にも拘わらず、「人道に反する 罪;Crime against humanity」によって死刑も言い渡されました。医師には、「悪法には不服従」という倫理性が求められたのです(もちろん、悪法であることを見抜く能 力も求められています)。WMAは次のように述べています。■The Hippocratic tradition of medical ethics has little guidance to offer with regard to relationships with society. To supplement this tradition, present-day medical ethics addresses the issues that arise beyond the individual patient-physician relationship and provides criteria and processes for dealing with these issues. ヒポクラテスの誓いなどの伝統的な医の倫理は、社会との関係については、ほとんど参考になりません。この伝統的倫理を補完するために、今日の医の倫理は、 個々の患者・医師関係を超えて生じる問題に焦点を当て、これらの問題に対処するための基準と手順を示しています(同上、p65)。■
今回のバルサルタン論文不正問題は、患者の人権に直接関わることが無さそうで良かったのですが、日本の臨床研究への国際的な不信感や、医療費の高騰など、 社会との関係が問題となっています。「第三者(製薬企業)の意向が、(主任研究者という)医師を介して、医療問題となった」例と言えます。

戦後、このホロコーストに多くのまじめな医師が関与していた反省の下、WMAは「医療の社会化」、すなわち「第三者の意向」に対応できる医の倫理を形成し てきました。「患者の人権を擁護する」ための医の倫理です。その第一がジュネーブ宣言(1948)です。個々の医師が宣誓する形式で、特にその強い意志を 第10項の「even under threat」に込めています。■I will not use my medical knowledge to violate human rights and civil liberties, even under threat. 私は、たとえ脅迫の下であっても、人権や国民の自由を犯すために、自分の医学的知識を利用することはしない。■

「第三者の意向」が強い時、個々の医師だけでは弱いものです。そのような医師を支える「医師会の在り方」を示したのがマドリッド宣言です。WMAはそのよ うな「医師会の在り方」をProfessional autonomy(医師会としての自律;平岡訳)と呼んでいます。患者の人権を守ろうとする個々の医師を支援する、そのための医師会の在り方です。それが マドリッド宣言(2009)の前文ある次の文章です。主語に当たる部分が「医師会の在り方」、目的語に当たる部分が「個々の医師の在り方」を示し、「医師 会の在り方」が「個々の医師の在り方」を「enhance and assure;強化し、確実にする」と述べています。■The collective action by the medical profession seeking for the benefit of patients, in assuming responsibility for implementing a system of professionally-led regulation will enhance and assure the individual physician’s right to treat patients without interference, based on his or her best clinical judgment.  患者の利益を第一に考えている医師集団としての行動は、「自浄システム」の設立の責任を果たす中で、個々の医師が外部からの干渉を受けずに、自らの最良と 思われる判断に基づいて患者の治療を行うことのできる権利を、強化し、確実なものとするだろう。■

WMAの「第三者の意向」に対応できる医の倫理をまとめると次のようになります。「個々の医師の在り方」としては、「外部からの干渉を受けずに (independence)、自らの最良と思われる判断に基づいて(self-regulation)患者の治療をおこなうこと」、すなわち「患者第 一」の医療行為が求められています。「医師会の在り方」としては、「患者の利益を第一に考える医師会」であることを宣言し(independence、こ れが「個々の医師の在り方」をenhanceすることになります)、そして「自浄システム(相互評価のシステム)を構築すること(self- regulation、これが「個々の医師の在り方」が「患者第一」を守っているかどうかをassureすることになります)」が求められているのです。
このような「個々の医師の在り方」、「医師会の在り方」はカントの自律(autonomy)の概念に相当します。そこでWMAはそれぞれの在り方を clinical autonomy(個々の医師としての自律)、professional autonomy(医師会としての自律)と呼んでいるのです。「clinical」は「臨床現場の」、「professional」は「the medical professionのprofession」を意味しています。なお、「個々の医師の在り方」としては特にindependenceが重要であるので、 clinical autonomyよりclinical independenceを同義語として多用しています。WMAはさらにpatient autonomy(患者としての自律)を加えて、「患者の人権擁護」のための医の倫理を作ってきたのです。

(2)手塚弁護士の文章の問題点;「マドリッド宣言の意図的な言い換え」:
片仮名の「プロフェッショナル・オートノミー」という言葉は日医の造語です。そしてこれまでは「診療上の独立性」の同義語として使ってきました。すなわ ち、「個々の医師の在り方」として用いてきました。その例が次の文章です。 ■医師には診療上の数々の裁量権が認められているが、特に不当な外部からの干 渉を受けずに患者の最大の利益を第一として診療に従事する必要があり、このような診療上の独立性、プロフェッショナル・オートノミーは社会的に容認されて いるといえる(森岡恭彦・日医参与、「医の倫理の基礎知識」基本的事項No.5)■

「診療上の独立性」はWMAのclinical independenceの訳でしょう。そして、その内容はWMAのclinical independenceと同じです。WMAは次のように述べています。■the individual physician’s right to treat patients without interference, based on his or her best clinical judgment (注;rightと述べているのは、社会的に容認されていることを意味します)■ これはジュネーブ宣言の第10項■I will not use my medical knowledge to violate human rights and civil liberties, under even threat.■の言い換えにすぎません。森岡参与が「不当な外部からの干渉を受けずに患者の最大の利益を第一として診療に従事する必要」を述べられたこ とは素晴らしいことです。しかし、日医としてはいまだにジュネーブ宣言の第10項を闇に葬っています(例えば、折田雄一・日医参与、「医の倫理の基礎知 識」基本的事項No.1。前稿で論じました)。これは森岡参与の考えと日医の考えとの矛盾を示していることになります。
森岡参与の使う「プロフェッショナル・オートノミー」と違って、WMAのprofessional autonomy(医師会としての自律)は「医師会の在り方」を示す言葉です。日医の造った「プロフェッショナル・オートノミー」をWMAと同じ「医師会 の在り方」に始めて用いたのが、ここで問題にしている手塚参与の文章です。次のように述べています。■ 本稿で問題にする「プロフェッショナル・オートノ ミー」は、(中略)より具体的には(中略)団体としての活動に関わるところが大きい。■ 「プロフェッショナル・オートノミー」が、「より具体的には団体 としての活動に関わるところが大きい」こと、すなわち「医師会の在り方」を示す言葉であることを始めて日医が認めたことになります。手塚弁護士は、さらに 次のように述べています。■「プロフェッショナル・オートノミー」という言葉の中の「オートノミー」が、カントの言う「自律」(オートノミー)に由来する ことは否定し難いことと思われる。■ これは、日医の考えをWMAのそれに近づけるための一歩前進です。ここまでは手塚弁護士の良い点です。
手塚弁護士の問題はここからです。「プロフェッショナル・オートノミー」の内容を、WMAのprofessional autonomyとはまったく異なる内容に「変換」していることです。その「変換」は、「オートノミー」の意味を「一般的な日常用語として」の「自律」の 意味に解釈することによって行われています。「カントのいう『自律』(オートノミー)に由来することは否定しがたい」と述べながら、文章の中では「一般的 な日常用語としての自律」として用いています。これは手塚参与の「意図的な変換」だと言っていいでしょう(そうでなければ、手塚参与の無理解、無能と言う ことになってしまいます)。「一般的な日常用語」だけに、その「意図」が見抜きにくいのです。次に詳しく述べます。

手塚参与の問題点は、次の個所に集約されています。■プロフェッショナル・オートノミーの中心的要素は医師専門職としての自律であり、その自律とは、ごく 簡単に言えば(1)患者診療に関して政府や行政機関等の外部による規制(他律)を受けないという自由を意味すると共に、(2)患者診療に関して、自ら実効 性のある自己規律のシステムを構築しそれに従って行動していくという積極的義務を伴った自由をも意味している。■
まず、手塚参与は「プロフェッショナル・オートノミーの中心的要素は医師専門職としての自律である」と述べています。同じような言い回しがWMAの旧マド リッド宣言(1987)の第1項で出てきます。訳は手塚参与の文章中のものです(手塚参与はこの言い回しを使ったのでしょう)。■The central element of professional autonomy is the assurance that individual physicians have the freedom to exercise their professional judgment in the care and treatment of their patients. プロフェッショナル・オートノミーの中心的要素は、患者診療に関して自らの職業的判断を自由に行使できるという保証である。■ 「中心的要素」は「何のた めに自律が必要か」、「何のために他律を受けない自由が必要か」を示しています。この内容はマドリッド宣言(2009)(上述の前文)に引き継がれていま す。一方、手塚参与の文章は「プロフェッショナル・オートノミー」の内容をまったく示していません。「プロフェッショナル・オートノミーの中心的要素」か ら「中心的要素」を強引に引き去っています。「意図的な変換」を行っていると言えるでしょう。
手塚参与の文章の根本問題は「何のために自律が必要か」、「何のために他律を受けない自由が必要か」が抜けている点です。森岡参与の文章にある「患者の最 大の利益を第一として診療に従事する必要」が抜けているのです。「患者第一」を考えて診療に従事する医師の集まりが医師会です。そのために「自律」が必要 なのです。「プロフェッショナル・オートノミー」の中心的要素は「患者の最大の利益を第一として診療に従事する必要」でなければなりません。これが手塚弁 護士の考えからは抜け去っているのです。おそらく意図的に抜き去っているのでしょう。
次に、手塚参与は「自律とは、ごく簡単に言えば」として、次の2点を挙げています。「(1)患者診療に関して政府や行政機関等の外部による規制(他律)を 受けないという自由を意味すると共に、(2)患者診療に関して、自ら実効性のある自己規律のシステムを構築しそれに従って行動していくという積極的義務を 伴った自由をも意味している」。まとめると次のようになります。「自分の行為を主体的に規制すること、外部からの支配や制御から脱して、自身の立てた規範 に従って行動すること」となります。この「まとめ」の文章は手塚参与が「一般的な日常用語としての自律の意味」として述べているものです。■「プロフェッ ショナル・オートノミー」という言葉の中の「オートノミー」が、カントの言う「自律」(オートノミー)に由来することは否定し難いことと思われる。■と 言っている手塚参与が、ここでは「一般用語としての自律」に置き換えて説明しているのです。手塚参与の「意図的な変換」と言わざるを得ません。

「一般用語としての自律」と「カントの言う自律」との違いはどこにあるのでしょうか。それは、「独立(自立);independence」の有無です。上 述のように「一般用語としての自律」は「自分の行為を主体的に規制すること」、すなわち「self-regulation」のみが必要です。一方、「カン トの言う自律」は「独立(自立);independence」と「理性的意志;self-regulation」が必要です。
■カントにおける意志の自律は、意志が道徳法則以外のいかなるものからも独立していて、意志が自己自身の純粋な理性的意志に基づいて、道徳法則を自らの意 志の格率として採用することである。(有福孝岳、善意志の倫理学「カントを学ぶ人のために」世界思想社、2012, p.181-2)■ これは手塚参与が引用している文章です。「道徳法則を自らの意志の格率として採用する」ことが「意志の自律」であると言っています。 そのために「独立;independence」が必要であり、「理性的意志;self-regulation」が必要であると言っているのです。
手塚参与はさらに「independence;自立(独立)」を語らず、「self-regulation;自己規制」を強調して、「自律」をほぼ「自主的な規制;self-regulation」と「意図的な変換」を行っていくようになります。

上述のような、日医に関与する弁護士の「意図的な変換」による解釈、考えが、日本学術会議の報告書にも貫徹されていきます。「マドリッド宣言のお粗末な理 解を基礎とした日本学術会議の報告書」(MRIC.8. 2014.1.15)で述べたように、参考文献として挙げられた、マドリッド宣言の翻訳では、その第8項で、「self-regulation」が突然に 「自律」と訳されているのです。そして、「自律」から完全に「自立(independence)」を削除し、自律すなわち懲罰(処罰)システムに置き変え て、「徴医制」をこれからの医療界のあるべき姿として報告しているのです。
「たかが医の倫理、されど医の倫理」です。時代遅れで世界の非常識となっている「日医の医の倫理」、それを支える「日医に関与する弁護士(法律家)たち」、彼らに「医の倫理」を任せてはいけないのです。

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