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臨時 vol 162 「医師の職業倫理からみた臓器移植法の改定」

医療ガバナンス学会 (2009年7月11日 15:42)


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                                    健保連 大阪中央病院 平岡諦

1:はじめに。
 「患者の利益を第一とし、患者に危害を加えたり不正を働かない(ヒポクラテ
ス全集『誓い』より)」。
 「医師は患者を決して手段と見るのではなく、常に目的として見なければなり
ません(フーフェラント『医の倫理』より)」。
 「其術を行ふに当ては病者を以って正鵠とすべし。決して弓矢となすことなか
れ(緒方洪庵『扶氏医戒之略』より)」。
 これらの内容は、現在にも通じる、重要な医師の職業倫理である。この職業倫
理を守らないことは、即、患者にたいする人権侵害となる。日本弁護士連合会
(以下、日弁連)は「和田心臓移植」を医師による人権侵害であるととらえた。
「和田心臓移植」がこの職業倫理にたいする倫理違反であると判断したからであ
ろう。
 「和田心臓移植」においては、ドナー・レシピエント双方にたいする人権侵害
であった。現在の臓器移植医療においては、特にドナーにたいする人権侵害、そ
して脳死の取りあつかいについて注意を払わなければならない。
2:「和田心臓移植」と「違法でなければ」。
 「和田の手術の後では、同じやり方で移植を行っても罪にならないという道が
日本でも開かれたのであった。それにもかかわらず、心臓移植手術は行われなかっ
たのだ」(和田壽郎著「神から与えられたメス」メディカルトリビューン 2000
年、146頁より)。
 1970年に「和田心臓移植」が不起訴(無罪判決と同一)となった。しかしその
後も心臓移植は再開されなかった。「違法でないのに」なぜ心臓移植手術を再開
しなかったのか。上の引用文は、和田壽郎医師から他の心臓外科医に対する批判
の言葉である。
 「違法でなければ」という言葉には「非倫理的であっても」という考えが含ま
れている。他の外科医が心臓移植手術を再開しなかった理由は、この「非倫理的
であっても」に同調できなかったからであろう。
 「(非倫理的であっても、)違法でなければ」という言葉には、法律と倫理を
別物とする考え、いいかえれば、「非倫理的な法律の存在」が前提になっている。
しかしながら、社会道徳の現在の常識では「法は最低限の倫理」であり、法は倫
理に含まれる。したがって、「(非倫理的であっても、)違法でなければ」とい
う言葉は詭弁となり、詭弁を使うと社会からの不信をまねく。(蛇足ながら、こ
れは他の業界でも同様である。特に立法権を持つ国会議員が、政治資金規正法に
照らして「違法でない」ことを行動の妥当性に用いるとき、政治資金規正法を改
定できる本人であるだけに、二重に不信をまねくことになる。これが政治不信の
大きな原因である。)
3:移植医のとった方法、「脳死の合法化」:
 「和田心臓移植」以降、心臓移植をはじめ、脳死にかかわる臓器移植は日本で
おこなわれなかった。そこで移植医の考えた方法は「脳死の合法化」である。
 1997年「臓器の移植に関する法律」(現行法)が制定された。法制化の前提と
されたのが、1) 脳死を人の死と捉えることが社会の共通認識には至っていない
こと、2) 脳死状態になったら臓器を他者に提供したいと考える者の意思(自己
決定)を尊重すること、の2点である。そこで「臓器移植に限定して、脳死を人
の死とする」現行法が制定された。すなわち、「脳死の限定的な合法化」が行わ
れたことになる。
 今回、衆議院で可決されたA案では、現行法の制定時に前提とされた1)、2)を
否定して、「脳死を一律に人の死とする」、「本人の自己決定を否定する」法案
である。したがって、これは現行法の改定ではなく、もし成立すれば「脳死の完
全な合法化」を定めた新法である。今回のような決め方でよいのであろうか。
 今回の改定の目的の一つは、子供に対する脳死移植の道を開くことである。そ
のためには、子供に対する「脳死の限定的な合法化」を付け加えることを考える
のが筋道ではなかろうか。
 もしA案が成立して「脳死を一律人の死とする」ことが法律で決められた場合、
医療の進歩で臓器移植が不必要になった時点で、人の死をもとに戻すことは可能
なのだろうか。その時、問題はおこらないのだろうか。
4:「脳死の合法化」による、医師の職業倫理の低迷:
 先にも述べたが、社会道徳の現在の常識では「法は最低限の倫理」である。
「脳死の合法化」によって、医師の職業倫理は最大限でも「遵法」、すなわち
「最低限の倫理の実行」に過ぎなくなる。このことは、「非倫理的ではあるが」
から「最低限の倫理の実行」へ進歩したことにはなるが、職業倫理の努力目標が
「最低限の倫理」に固定されるという退歩でもある。
 現行法は「脳死の限定的な合法化」である。したがって、対象の医師は移植関
係医師に限定されている。もしA案が成立すると、対象の医師は、移植と関係す
る、しないにかかわらず、脳死に関わるすべての医師に拡がることになる。すな
わち「遵法」を最大限の職業倫理とする医師が増加することになる。「最低限の
倫理」を実行する医師の拡がりは、医師全体としての倫理性の低下となることは
あっても、倫理性の向上に働かないことは確かである。
 「脳死の完全な合法化」は、医師全体としての倫理性の低迷をもたらし、その
結果は、さらなる医療不信の増強となっても、決して医療不信の解消にはつなが
らない。すなわち、和田心臓移植がもたらした医療不信に加えて、現在の医療崩
壊を加速させることはあっても、医療再生を促進することにはならない。
5:「和田心臓移植」の職業倫理違反と「自律」。
 1968年8月8日;日本で最初の心臓移植。83日目にレシピエント死亡。
 1969年9月;日弁連は、ドナー・レシピエントに対する医師の人権侵害ととら
えて「心臓移植事件特別委員会」を設置。
 1969年12月;漢方医ら、和田壽郎教授を殺人罪および業務上過失致死罪で告発。
 1970年8月;札幌地検は、不起訴処分に。
 1973年3月;日弁連は、和田壽郎教授宛の警告をおこなう。
 以上が、「和田心臓移植」の概略である。日弁連の行った警告のうち、職業倫
理に関係する主な内容を以下に示す。
 「心臓移植における受給者の適応は、当該心臓移植に関係のない内科医を含む
複数の医師の対診の下に決定すること。」
 「提供者の死の判決は、当該心臓移植手術に関係のない麻酔科医を含む複数の
医師の対診の下にこれを行うこと。」
 対診の倫理性については、その当時に実効性のあった、昭和26年日本医師会定
「医師の倫理」に示されている。その第二 医師の心得、第二章 医師相互間の
義務に次のように記されている。
第2節 必要なる対診は、努めてこれを行うべきである。
第3節 対診には、不誠実と競争心があってはならない。
第13節 患者について、他医からの問い合わせがあった場合には、詳細かつ迅速
に、必要な記録を提供すべきである。
 日弁連の警告は、「和田心臓移植」における「密室性」を「対診」という言葉
を使って糾弾したものであり、和田壽郎医師が犯した職業倫理違反を日本医師会
の「医師の倫理」を使って指摘したものである。日弁連という外部からの指摘を
受けたにもかかわらず、日本の医療界は対応できなかった、あるいはしなかった。
その後も対応していない日本の医療界は「自律」できていないことになる。これ
ら一連の状況により、社会に大きな医療不信を残し、また、法曹界からも信用さ
れていない。その結果が、今日の立ち去り型医療崩壊の底流となり、また、現在
検討中の医療安全調査委員会設置法案(仮称)の法曹界側の意見にも影響を与え
ていると思われるのである。
 そもそも移植医の取った「脳死の合法化」とは、法律により決めてもらうこと、
すなわち「他律」への道である。A案ではその対象となる医師が拡大されること
になり、日本の医療界の「自律」への道をさらに逆行させることになる。
6:問題点:
 1)今回、衆議院で可決されたA案は、現行法制定時の前提を二つとも否定し
ており、「脳死を一律に人の死とする」、「本人の自己決定を否定する」法案で
ある。したがって、これは現行法の改定ではなく、もし成立すれば「脳死の完全
な合法化」を定めた新法である。今回のような決め方でよいのであろうか。
 2)今回の改定の端緒の一つは、子供に対する脳死移植の道を開くことである。
そのためには、子供に対する「脳死の限定的な合法化」を付け加えることを考え
るのが筋道ではないだろうか。
 もしA案が成立して「脳死を一律人の死とする」ことが法律で決められた場合、
医療の進歩で臓器移植が不必要になった時点で、人の死をもとに戻すことは可能
なのだろうか。その時、問題はおこらないのだろうか。
 3)「脳死の完全な合法化」が医師全体としての倫理性の低迷をもたらし、そ
の結果は、さらなる医療不信の増強となっても、決して医療不信の解消にはつな
がらない。すなわち、和田心臓移植がもたらした医療不信に加えて、現在の医療
崩壊を加速させることはあっても、医療再生を促進することにはならない。
 4)そもそも移植医の取った方法、「脳死の合法化」とは、法律により決めて
もらうこと、すなわち「他律」であり、A案は日本の医療界の「自律」(プロフェッ
ショナル・オートノミー)への道をさらに逆行させるものである。
 5)A案は「本人の自己決定を否定」するものであり、現在の日本の医療にお
ける基本概念、インフォームド・コンセントの概念に逆行するものである。
以上、医師の職業倫理からみた臓器移植法の改定、特にA案についての問題点を述べた。
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