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Vol.106 被災地の”孤独死”を考える

医療ガバナンス学会 (2014年5月7日 06:00)


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南相馬市立総合病院神経内科
小鷹 昌明
2014年5月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


南相馬市の春の明るい話題をお届けしたかったのだが、4月11日の地元新聞(福島民報)から、私たちの危惧していた記事が飛び込んできた。その見出しは、『仮設「孤独死」34人、年々増加、8割が男性』というものだった。

震災後、福島県内の仮設住宅にて誰にも看取られずに死亡した”孤独死”が、これまでに累計34人にのぼることが、県警の調べによって明らかにされた。平成 23年は3人、24年は11人、25年は12人と年々増加し、今年は3月末の時点で(すなわち4ヶ月間で)、もう既に8人になった。
34人の内訳は、男性27人、女性7人で、年代別にみると、60歳代が12人(女性1人)と最も多く、次いで70歳代の8人、80歳以上の8人(女性6 人)、50歳代の4人、30歳代の2人の順で、さらに言うなら、65歳以上の高齢者は24人(女性7人)で、全体の約7割となっている。

さらに4月21日には、以下のような、より具体的な報道が続いた(一部、読みやすいように簡略化)。
―――――
原発事故で避難区域となった南相馬市小高区から同市原町区の仮設住宅に避難していた一人暮らしの女性(71歳)が、仮設住宅内で死亡していたことが19日 にわかった。”孤独死”とみられる。女性の安否は15日間確認されておらず、死後2週間程度、経過していた可能性がある。
女性は、今月1日に仮設住宅の単身者や高齢者を見回るための県の「絆(きずな)職員」の訪問を受けていた。2日以降、絆職員や市社会福祉協議会の生活支援 相談員が複数回訪れたが、応答がなかった。市が16日に女性宅に電話をしてもつながらなかった。同日、警察署員の立ち会いの下で合鍵を使って確認したとこ ろ、亡くなっていた。
市は、「独り暮らし世帯は長期間、留守をするケースが多く、部屋に入り確認するタイミングが難しい。今後は3、4日連絡が取れなかったら確認するような態勢を検討したい」としている。
―――――

震災から3年1ヵ月が経過したが、増え続けている”孤独死”の現状が浮き彫りとなった。福島県内の避難者は、今をもってしても仮設住宅の28,000人を含めて、86,000人にのぼる。
「34」という数字を多いとみるか、少ないとみるかは議論の分かれるところだと思うが、言うまでもなく水面下には、そうした人たちがまだまだたくさんいる。34人というのは、氷山の一角である。

“孤独死”の原因として、震災と原発事故とにおける直接の影響はもちろんだが、それに加えて避難生活を強いられることから発生した地域のコミュニティの弱 体化など、心理社会的問題が大きいということがある。男性は、仮設住宅や借り上げ住宅などにこもり、交流サロンなどに出たがらないことが指摘されていた し、阪神・淡路大震災の経験からも「職を失い、アルコール依存や慢性疾患を抱えたりしているシャイな独り暮らしの中高年男性がもっとも危ない」ということ もわかっていた。
だから、できうる限りの予防対策はしていた。社会福祉協議会と市の『健康づくり課』職員(保健師など)が中心となって仮設住宅の全戸訪問に力を入れたり、 私たち医療者も、研修医やリハビリスタッフなどを連れて仮設住宅の集会所を訪問し、健康講話や体力測定、運動指導などを行ったりした。
また、以前からこのメルマガでお伝えしてきたように、私たち有志者で”HOHP(ホープ)(H=引きこもり・O=お父さん・H=引き寄せ・P=プロジェク ト)”を立ち上げて、『男の木工』教室や『男の料理』教室を開催することで、仮設の住民たちをコミュニティの場に引っ張り出そうとしてきた。しかし、そう した目配りや支援からこぼれ落ちる一定の人たちがいたわけである。

と、ここまで書いてきて、「そんなことを言っても、”孤独死”や”孤立死”は被災地に限ったことではないだろうし、むしろ都会の真ん中でも日常的に起こっ ていることだから、むしろ日本社会の構造上の問題であって、改めてここで述べることでもないのではないか」という気もしてきた。もっと言うなら、「そのよ うな人たちの”孤独死”を、本当の意味で防止できるのか」ということと、さらに辛辣なことを言わせていただけるなら、「”孤独死”を防いで、ではあなたに その人の人生のすべての面倒をみられるのですか?」と問われると、ぐうの音も出ない。
だから、「格差を黙認してきた無縁社会が悪い」とか、「もっと行政が手を差し伸べるべきだ」という論調になり、そういう結論に落ち着かせることで、私は現実から目を背けてきた。きっと多くの人たちもそうなのではないか。
ここに住んでいると、自分の周りに少しでも話しのできる人がいれば、まだ幸せであることを痛感する。原発からもっとも近い病院に勤務してはじめて自覚したことは、人が幸福になるか不幸になるかは、そばにいる人の優しいひと言があるか、ないかにかかっている。

特別なことを言いたいわけではないが、とどのつまり”孤独死”するということは、自死であろうが、いわゆる消極的自殺であろうが、死ぬ以上の生きる意味を 見出せないからである。そして、その生きるサポートが十分行き届かないのは、構造や制度というよりは、身も蓋もない意見だが、彼らを救っていくだけのメ リットがないからである。
貧困問題も障害者問題もすべて、行き着く先は同じである。”弱者”というと、これまたかなりの誤解を受けることになるが、社会のシステムは必要最低限が基 本原理であり、「そうした人たちをどうするか」ということを突き詰めていくと、大部分は家族や仲間とのつながりに頼るということになってしまう。だから、 核家族化によってそういう人が周囲にいなかったり、精神を病んで他人を受け入れることのできなくなった人たちは、簡単に孤立化してしまう。
最終的には、どれほど監視体制を徹底しようが、タブレット端末を用いて被災者の生活状況データを一元管理するシステムを導入して、「誰が、どこで、何を課 題として、どんな状況で生活しているのかを丁寧に把握する」ということに取り組んだとしても、当事者からしてみれば、見てもらっていても具体的な生きる目 標がなければ何にもならないということになる。
見回りを強化して、「3日間連絡が取れなければプライバシーの問題もあるが、部屋に入って安否確認する」ということを実践して、では、最悪の事態を防止し て、水際で食い止めて、いったいその人は、その後の人生をどう過ごせばいいのか。「社会全体でそれを支える」ということが理想ではあるが、果たしてそんな ことが可能なのだろうか。

自殺予防教育では,「つらいときは、人に相談できる勇気を持て」というようなメッセージが強調されている。ホットラインを整備することも確かに重要だろうし、わずかでも救う方法があるなら、そこまでのアクセスのハードルを下げることも大切である。
しかし、「アルコール依存やうつ病など、本当に危険な人には支援が届かない」と打ち明ける保健師もいるし、お宅を個別訪問しても居留守を使われる事例もあ る。そういう人は、本当に人と接触したくないのだろう。”孤独死”というより、”拒絶死”と呼ぶほうがふさわしい気もする。見回ってさえいれば”孤独死” を予防できるわけではない。が、しかし、現場でできることは、見回ることくらいである。

私は何も、「”孤独死”は減らせない」と言っているわけではない。減らす取り組みは、絶対に必要だし、そうした地道な努力を怠るわけにはいかないと思っている。
はじめからわかっていたことかもしれないが、”孤独死”を減らす唯一の方法があるとしたら、それはやはり新たなコミュニティの創出である。「孤独死のキー ワードが”孤立”だとしたら、街の”おせっかい屋さん”を増やすしかない。そして、私の経験のうえから言える孤立への介入、特に男性におけるコミュニティ に必要なことは、1)手作業や頭を使うなど、熱中できる何かを体験できる、2)「やりがい」とかいう曖昧なものではなく、「質の向上」などの具体的な目標 がある、3)それによって「信頼される」とか、「カッコつけられる」など、悦びを味わえる。そして何よりも、4)自分の役割が明確にあり、そこに居場所が ある、ということである。
集まるだけの場や語らいだけの場、与えられるだけの場には、男性はまず来ない。つまり、「おしゃべりをしなくても、自ら動くことができて、そこに居られて、目標となるものが見出せる場」ということである。
男性の関心はさまざまである。多様なオプションを用意する必要がある。世代・男女・地域を越えた場の提供である。
そのために私のできることは、言い続けることである。そして、誰に教わったわけではないが、”木工”や”料理”など気づいたらはじめていた、単純ではある が、わかりやすい活動である。手の届きやすいところから第一歩を踏み出すことである。それが、私がこの土地から教えられた人と接するための確かな教訓であ る。

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