医療ガバナンス学会 (2014年9月10日 06:00)
2.南相馬市立総合病院での勤務経験
南相馬市での滞在期間中、病院勤務では私の強みである救急医療分野を担う外来部門で勤務し、休日は、市立病院が行っている健康相談や仮設住宅でのインフルエンザ予防接種へ同行、また相馬野馬追いの救護所勤務も行いました。東京の職場の看護部長は集中看護のスペシャリストであるため、市立病院での講義を依頼したり、私の経験を活用する機会として、市立病院の看護師対象に「急変時の看護」の講義や、中学生の職場体験で救急看護の講義を行いました。
市立病院や南相馬救急隊の方と一緒に、職場体験用のDVDを作成したことも良い思い出です。実際に滞在し、南相馬の環境や歴史的背景、文化を知り、看護師と同じ空間で働き、お互いの強みを尊重した上で、本音で語り合うことにより、信頼関係を構築しながら支援ができたのではないかと思っています。
病院外では、仮設住宅のボランティアやNPOの活動、復興特区事業の見学、復興に従事している方の話をうかがったり、放射線医科学研究所の緊急被ばくセミナーや災害関連の学会に参加しました。病院外での人との出会いから、複雑な状況の中で考え続け、意志の力で楽観主義になるという考え方を学んだことは、私の財産です。
3.原子力災害後の看護師に対する支援
まず、看護師不足を補うことです。市立病院では、看護師不足のため、いまだに1病棟を再開できずにいます。減少したベッド数で、震災後増加した患者の治療に応じるために、短期間の入院で集中的に治療し、退院、そして次の患者を受け入れるという患者、医療者共に負担の大きい医療になっています。そのため震災以降、看護師は過重労働による疲弊の中にいます。
一方で、医師とリハビリセラピストは震災前よりも増加しました。増加の要因は、勤務先の病院が出向を認めること、両者には個人事業主的な要素が強いという共通点があります。看護師は独立している人は少なく、多くは自分が所属している病院との調整や職能団体である日本看護協会の意思決定に従います。そのため被災地で勤務したいという意思があっても、職場を退職しなければならない(出向の形を作ってもらいにくい)、看護師の多くが女性であり、子育てや介護役割を担うことから、家族と離れられないなどの理由もあり、南相馬の看護師不足は解消されない状況です。
次に、メンタルヘルス上の支援です。看護師であっても、放射線に対する不安を持ちながら生活し、震災当時避難した後に戻ってきた看護師は、「逃げた」という罪責感情を抱いています。心身共に疲弊した状況で過剰な罪責感情を持ち続けることは、メンタルヘルス上の問題として顕在化するリスクがあります。
4.今後の南相馬市との関わり
南相馬での勤務と生活からの学びを修士論文にまとめ、看護師への支援の必要性を発信することが、第一の支援と考えています。そして、私の強みである救急看護や、大学院で修得中、看護研究によって、市立病院の看護師とのご縁を大切にさせていただきたいと考えています。
柴田幸子(しばたこうこ)
日本赤十字九州国際看護大学大学院修士課程在学中の2013年5月~2014年3月まで福島県南相馬市立総合病院にて嘱託職員として勤務。
杏林大学医学部付属病院勤務、日本赤十字九州国際看護大学大学院修士課程在学中。救命救急センターに11年勤務。