医療ガバナンス学会 (2014年9月20日 15:00)
インターネットのサーチエンジンで「HPVワクチン」と「効果」を入力して検索すると、前述の厚労省の資料に続いて以下の論文に行き当たる[24]。
―打出喜義・小林真理子・浜六郎・別府宏圀:「HPV ワクチンの効果と害」―
https://tip-online.org/pdf_free/2013_04free.pdf#search=’HPV%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3+%E5%8A%B9%E6%9E%9C’ 詳細は割愛するが、この論文の結論は以下の通りである(26頁参照)。
―子宮頸がんによる死亡率を低下させる最大効果に対する重篤害反応の頻度は、海外で3.5 倍から約10 倍、日本では6~9 倍(ガーダシル)ないし17~23倍(サーバリックス)と推定された。(中略)子宮頸がんを減少させる効果とのバランスを考慮しただけでも、はるかに害が大きく、報告漏れを考慮すると害の大きさは想像を絶するものであり、即刻HPV ワクチンの接種は中止すべきである。―
上記コメントの根拠はこの論文の表8「子宮頸がん死亡率とHPV ワクチンによる重篤害反応の比較」(24頁)に示されている。それによると上記ワクチンによって減らせる子宮頸がん死亡者数は人口10万人当たり1.2~1.5人に過ぎないのに、ガーダシルおよびサーバリックスによる重篤な害反応がそれぞれ9~11人、26~29人に発生することから、はるかに有害性が高いというものである。
しかし著者らは初歩的な誤りを犯している。子宮頸がんによる人口10万人当たりの死亡率(世界標準人口調整)として掲げている2.1~2.6人という数字も、ワクチンによって予防可能としている1.2~1.5人というのも、いずれも1年間のみの死亡率であり、生涯のリスクはその数十倍になる。
先ほどのトムルジェノビック氏とショー氏による別の論文にも同様の誤りがみられる[25]。論文の55頁に以下の記述がみられる。
―米国では子宮頸癌による現在の年齢標準化死亡者数[10 万人あたり1.7 例]が、ガーダシル接種に起因する重篤な副作用の報告数[10 万出荷あたり4.3 例、ワクチン有害事象報告制度(VAERS)]より2.5 分の1 も低い。―
おそらく前者の論文は後者の論法を踏襲したのだろうが、同じ轍を踏んでいることになる。また同じくHPVワクチンに対して反対運動を展開している薬害オンブズパーソンのウェブサイト「子宮頸がんワクチンに関する本当のQ&A」にも以下の記述がみられる[26]。
―日本は、子宮頸がんによる死亡率が人口10万人あたり4.2人(厚生労働省2011年人口動態統計)と少ないうえ、がん検診や適切な治療を行うことでほとんど死亡率をゼロにできる医療システムをもっています。従って、日本には、このワクチンを推奨する前提が揃っているとはいえません。―
ワクチン接種は通常6ヶ月間に3回おこなえば、翌年からは受ける必要がない。しかし日本人女性の人生はその1年で終わるわけではなく、むしろ世界一長寿である(平成24年現在の平均寿命86歳)。したがって生涯にわたるワクチンの効果と接種後の副反応とを比較しなければならない。
国立がん研究センターのがん情報サービスによれば、子宮頸がんの生涯罹患率は76人に1人、生涯死亡率は332人に1人と推計されている[27]。これを人口10万人当たりに換算すると、生涯罹患率は約1300人、生涯死亡率は約300人となる。既述のごとく頸がんと体がんとに区別されていない「子宮がん」としての届け出件数も多いので、実際にはさらに多いことになる。ワクチンで予防できるのがその半数であったとしても、ガーダシルおよびサーバリックス投与後の重大な有害事象(因果関係不明のものを含む)のそれぞれ60~70倍、20~25倍の数の女性が子宮頸がん発症を免れ、それぞれ14~16倍、5~6倍の女性の命が守られることになる。すなわちリスクとメリットのバランスは完全に逆転し、ワクチンのもたらす恩恵は副反応のリスクをはるかに上回る。ワクチンの有効期間が不確定であることを考慮に入れてもこのリスク・メリット比が逆転することはないだろう。
現在、子宮頸がん発症のピーク年齢は30代後半から40代であり、決して他のがんのように高齢者の病気ではない[27]。晩婚化で平均初産年齢が30歳以上となっている日本の現状を思えば、子宮摘出を余儀なくされるかもしれない30代での頸癌発症は手術で命が助かればそれでよしとできるものではない。さらに既述のごとく若年者のがんほどワクチンで予防可能なHPV16/18型の関与が大きいのである。
長年診療に従事してきた産婦人科医は頸がんで子宮を失った女性、命までも奪われた女性と幾度となく接してきた経験がある。それが決してまれな病気ではなく女性の健康にとって目の前に迫る重大な脅威であることをわれわれはしばしば痛感してきた。それだけにこのような誤解あるいは曲解に基づくワクチン不要論がネット上に出回っていて多くの人の目にとまることを憂慮している。
私は以前にインターネット上でこの子宮頸がんによる死亡率の解釈の誤りについて論文の著者らと議論を交わしたことがある。その時点では彼らはいったん自らの計算ミスを認めた。しかしその後明確に訂正された様子もなく上記論文が公開され続けているのは残念なことである。
検診とワクチン
きちんと子宮頸がん検診を受けていればワクチンは必要ないという意見を新聞・雑誌でもネット上でもよく見かける。確かに子宮頸がんは細胞診による検診によって早期に発見されれば治りやすいがんである。また前がん病変やごく早期のがんでは病変部だけを切除すれば子宮を残すこともできる。しかし日本における頸がん検診受診率は対象人口の20%台に長らくとどまっている。過去20年間、わが国では全年齢においても20~30代の若年女性においても子宮頸がんによる死亡数は減っていないどころかむしろ増加している[15]。このような状況にあるのは先進工業国の中では日本だけである。まずは検診受診率の向上に寄与する実効性の高い施策が求められる。現在まで無料クーポン券(受診券)配布などが試みられてきたが、あまり成果が上がっていない。女性が受診しやすいような環境整備や受診による具体的なインセンティブの設定が必要かもしれない。
しかし検診のみで子宮頸がんの発症やそれによる死亡を防止することには限界がある。検診受診率がすでに80%に達している英国でも若年女性の頸がんによる死亡率はこの10年間さほど減少していない[28]。そのため英国では積極的にワクチン接種を進めており、2012~13年にかけて12~13歳の女児の86%が3回のワクチン接種を完了したことが報告されている[29]。
検診の有効性は確立されているとはいえ、その精度には限界があり、実際には検診で異常なしと判定された女性に翌年進行がんが発見されることもある。たとえ検診によって発見された前がん病変に対して子宮頸部の部分切除(円錐切除術など)をおこなうことで子宮を温存できたとしても、妊娠時には流産・早産のリスクがいくぶん高くなる。さらに前がん病変の切除手術を受けた女性はその後も生涯にわたって子宮頸がん発症やそれによる死亡のリスクが一般女性よりも高いことが報告されている[30]。つまり予防に勝る治療はないのである。従ってワクチンによる発がん予防(一次予防)と検診による早期発見治療(二次予防)とを上手に組み合わせて女性の子宮と命を守っていくことが望ましい。
利益相反について
HPVワクチンに反対する人々はワクチン接種を推奨している医師や団体へのワクチン会社からの資金提供やワクチン会社の政界へのロビー活動などを問題視している。しかし大学あるいは病院に勤務している医師・医学者は日常的な診療や教育・研究をこなした上で、臨床試験に参加して試験計画についての審議から患者への説明、効果や副反応の評価、データの解析・成績公表などの業務に携わっている。それに要する時間と費用・労力・専門的知識や技能を考慮すれば、しかるべき報酬が支払われるのは社会的妥当性がある。また臨床研究や社会への啓発活動を進めるにあたって企業からの寄付を募らないと必要な経費を捻出することが困難な事情もある。「産学共同」という言葉もあり、それ自体は違法ではない。もっとも高血圧治療薬ディオバンに関する臨床研究の論文不正問題などもあり、医師と製薬会社との利害関係(あるいは利益相反)については明朗であることが求められ、また医学研究や学術論文の公正性についても厳格な審査が望まれる。
一方、先ほどのトムルジェノビック氏やショー氏らはHPVワクチンに限らずワクチン全般に対して否定的な内容の論文を次々と発表し続けているが、彼らは“the Dwoskin, Lotus and Katlyn Fox Family Foundations”という財団から資金提供を受けている(既述の論文2編の本文末尾に記載されている)。この団体は反ワクチン活動家のClaire Dwoskin氏が代表を務めており、彼女は2010年にワクチン接種を啓発する内容の米国のテレビ番組に対してこのような抗議メールを送っている[31]。
“(前略)Vaccines are a holocaust of poison on our children’s brains and immune systems. Shame on you all. ”―ワクチンは子供たちの脳と免疫系を毒するホロコースト(大量虐殺)だ、恥を知れ!―
もちろん米国でも日本でも思想言論の自由は保障されている。しかしこの発言はジェンナー以来200年以上に及ぶ予防接種の歴史と実績を否定するものである。ワクチンの危険性を主張する学者(そう呼んでよければ)の中にはこのように常軌を逸した過激な活動家たちから資金提供を受けている人々がいることも知っておいていただきたい。
おわりに
HPVワクチンを定期予防接種に組み入れてから数年経過したオーストラリアや北欧では若年女性における前がん病変予防効果がすでに報告され始めている。現在の日本における低接種率の状況がこのまま10~20年間続き、将来諸外国において実際に子宮頸がんの減少が確認されてから改めて接種を勧奨したとしても、すでにHPVの持続感染をきたした女性にはワクチンは無効である。その場合、ワクチン接種で守れるはずの女性の命(年間1000~1500人)に無策のまま費やした年数を掛け合わせると、将来1~3万人にも及ぶ女性の命がみすみす失われる計算になる。それは東日本大震災の犠牲者数にも匹敵する膨大な数である。
国政や地方行政に携わる方々、世論に大きな影響力をもつメディアの方々、そしてワクチン接種対象年齢の方々やその保護者のみなさまには、ワクチンの副反応のリスクだけではなく子宮頸がんの脅威や期待されるワクチンの効果についても、まずは信頼に値する情報をしっかりと収集した上で意思決定をおこなっていただきたい。くれぐれも科学的根拠に基づかないネット情報や意図的にワクチンのリスクを強調して恐怖をあおる団体のキャンペーンに惑わされて判断を誤ることがないように願っている。もちろんわれわれ産婦人科医としても今後さらに正確で分かりやすい情報を積極的に提供していきたい。
筆者には開示すべき利益相反はありません。学会場のランチョンセミナーで配られた弁当とボールペンを除けばワクチン会社からも反ワクチン団体からも一切の利益供与を受けていません。
引用文献・関連ウェブサイト
[24] 打出喜義, 小林真理子, 浜六郎, 別府宏圀. HPV ワクチンの効果と害. 正しい治療と薬の情報. 2013. 28(2):17-27.
https://tip-online.org/pdf_free/2013_04free.pdf#search=’HPV%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3+%E5%8A%B9%E6%9E%9C’
[25] Tomljenovic L, Shaw CA. ヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチン政策とエビデンスに基づく医療-両者は相容れないのか? 正しい治療と薬の情報. 2013. 28(4): 52-67. 【原文:Human papillomavirus (HPV) vaccine policy and evidence-based medicine: Are they at odds? Ann Med 2011. 45(2):182-93.】http://tip-online.org/pdf_free/2013_08free.pdf
[26] 薬害オンブズパースン会議(2014年改訂):「子宮頸がんワクチンに関する本当のQ&A」 http://www.yakugai.gr.jp/cc_vaccine_qa/
[27] 国立がん研究センターがん対策情報センター:がん情報サービス「最新がん統計」
http://ganjoho.jp/public/statistics/pub/statistics01.html
[28] Cancer Research UK. Cervical cancer mortality statistics. Figure 2.3: Cervical cancer (C54), European age-standardised mortality rates, by age, females, UK, 1971-2011. http://www.cancerresearchuk.org/cancer-info/cancerstats/types/cervix/mortality/uk-cervical-cancer-mortality-statistics
[29] Public Health England. HPV vaccination programme coverage and effectiveness evaluated. Health Protection Report. 2013. 7(50).
http://webarchive.nationalarchives.gov.uk/20140714084352/http://www.hpa.org.uk/hpr/archives/2013/news5013.htm
[30] Strander B, Hällgren J, Sparén P. Effect of ageing on cervical or vaginal cancer in Swedish women previously treated for cervical intraepithelial neoplasia grade 3: population based cohort study of long term incidence and mortality. BMJ 2014; 348 doi: http://dx.doi.org/10.1136/bmj.f7361
http://www.bmj.com/content/348/bmj.f7361?view=long&pmid=24423603
[31] John Stossel’s Blog: “Holocaust of Poison”? http://www.foxbusiness.com/on-air/stossel/blog/2010/10/30/holocaust-of-poison