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Vol.214 南相馬市からの新たなモチベーション

医療ガバナンス学会 (2014年9月22日 06:00)


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南相馬市立総合病院 神経内科
小鷹昌明

2014年9月22日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


医療支援者たちは、いま大きな転換期を迎えている。
この1年間で、福島の多くの事実が風化した。現地にいれば、原発事故に関する報道を毎日耳(目)にするが、県外の多くの地域ではニュースにすらならない。多くの爪痕を残しているとはいえ、震災などなかったような日常が繰り返されるようになった。ときどき「除染だ」、「補償だ」という言葉を聞くことはあるが、住民たちは“被災者”ではあるが“被害者”でいることからそろそろ脱却し、それなりの自覚を持って前に進もうとしている。少しずつではあるが、着実に復興は進んでいる。
ここに帰還した人や、外からやって来てこの土地に移り住んだ人の多くは、「地元だから」とか、「応援したいから」という理由もさることながら、「放射線というものと向き合ってこの地で生きていく」と決めたからここにいるである。
そうしたなかにおいても支援者たちの葛藤は徐々に膨らんでいる。多くの支援者が撤退するなかで、いま、その意味を再考する時期にきている。
「まだまだ行き届かない人々のために、いつ終わるかもわからない復興支援を、どのような形で展開していったらいいのか?」、ということと、「新たな事業を展開するのではなく、地元に近い人間として、医療を生業としながら、この街とどう折り合っていけばいいのか?」ということへのバランス取りで、私たち医療者は揺れている。

改めて言うことではないかもしれないが、いまの私たちにできることを整理してみると、まずひとつは県外の人と地元住民とをつなぐという役割がある。現地に残っている支援者たちは、「復興に協力したい」とか、「現地が大変だから」ということよりも、「被災地の未来の姿がどうなっていくのか」ということの方に強い関心を寄せている。最初は、漠然と「自分でも役に立てるのではないか」と思って来たのだが、支援活動を行いながら、未来の(具体的には20年後の)日本を先取りした経験になると感じているからなのである。

これから求められることは、「いまからでも被災地で何かをしたい」とか、「いま、この時期からが自分らの出番だ」という県外の人たちと上手に連携し、共に行動して何かを創りあげていくことである。付加的には、被災地を通してお互いを知り、そのご縁を大切にすることである。そして、関わってくれた人や団体、企業の人たちに「南相馬を訪れて良かった」とか、「人生が少し豊かになった」とか、そういうことを感じてもらい、同じ意識を共有することの悦びを再発見してもらいたいということである。
そして何よりも、一個人が多くの人々や団体や企業とつながることで、行政や政治に頼らなくとも新しいシステム(産業・経済・文化・教育など)や未来を生み出すことのできる可能性のあることが、いまの南相馬市の最大の、そして決して他では味わえないインセンティブなのである。繰り返すが、「人と人とをつなぎ、企画し、それを推進できる醍醐味を味わえる」、これが被災地における私たち支援者の、先に述べた、特に前者での「行き届かない人々のために、復興支援をどのような形で展開していったらいいのか?」という問いに対するやるべき方向性のような気がする。

それには、「地元でもない」、「よそ者でもない」という目線で街を俯瞰的に、また客観的に眺めることである。
支援だけを目的に来た人間は、既に「被災地としての支援の時期は過ぎた」ということを理由に去って行った。これからこの地で、いわゆる“応援”に来た人間が生きていくには、矛盾するようなことを言うようだが、周りから何かしらの形で支援されなければならない。つまり、地元の人から支持されなければならないということである。その際に重要なことは、月並みかもしれないが、“創造性のあるフットワーク”である。できない理由を冷静に10個並べることではなく、無謀であったとしても、できる可能性を1つでも述べることである。
現実を度外視して、夢や希望を屈託なく語ることであり、「“仮設住宅1日宿泊体験”、“仮設住宅別荘計画”、“『相馬野馬追』武者・騎乗体験”、“福島第一原発作業員との合同コンパ”、“福島第一原発観光地化計画”などで人を集める」というアイディアを、実現不可能であったとしても出し続けることが重要である。当たり前のことを言うようだが、そういう未来を見据える地元以外の人間がいることが、この街に人を呼び寄せるひとつの方法である。
今年も、初期臨床研修医2名がマッチングした。若い医師が来てくれたり、全国から学生や医療者が研修や実習と称して集ってくれたりしている。ここを訪れた理由を問うと、「被災地という未知な場所で、先輩たちが楽しそうに医療をやっているから」という返答が多く聞かれる。つまり、私たち先人たちが有意義にここで暮らすことが重要なのである。新規参入者がこの地で、やりがいを持って楽しく生活することが、すなわち支援にもなるし、人を呼び込む最大の効果となるのである。
この南相馬市の未来はどうなっていくのか? 都会にいれば想像さえできないと思うが、ここにいると否が応でも社会の成り立ちというものを考える。それが良いことかどうかは別にしても、とても貴重な体験だと感じている。

「地元に近い人間として、医療を生業としながらこの街をどう楽しんでいけばいいのか?」という、後者の問いに対しては、何度も何度も伝えてきたことだが、“相馬野馬追”に出続けることだと思っている。
“野馬追”出陣の準備を続けていくなかで、気づいたことがひとつある。それは、「物事を始めるきっかけは、己の利益を考えるものだけれど、それを持続させ、結果を出すための原動力(というよりは、“忍耐力”と言った方がいいのかもしれないが)は、結構周囲の人のためだ」ということである。
はじめた当初の「恰好良さそうだから」とか、「馬にまたがることができれば気持ちがいい」とかいう動機が、「指導してくれる厩舎の方たちの期待に何としても応えたい」とか、「地元や遠方から応援してくれている人たちのために」という理由に変化し、その力の方が、何倍も何倍も士気を維持できるということである。
ついでに言うと“野馬追”でやるべきことは、戦国時代からの変わらぬ伝習を守り、再現することである。鎧兜で身を固め、太刀を帯び、先祖伝来の旗を翻し、貝の音に合わせて馬を乗りこなせば、普段と違う自分がそこにいる。地震や津波や原発とは関係のない、昔からの自身を立ち上げることができる。「地に足が着く」というか、「あるべき原点に立ち返る」というか、もっと言うなら、単純に「血がたぎる」というような感覚に浸れるのである。
再度強調するが、“野馬追”の魅力を一言で言い表すなら、「いつもの自分ではない自分に変わることができる」ということである。

関係ない話かもしれないが、私はここへ来てからというもの、自分がどんどんシンプルになっていった。まずは、物欲がほとんどなくなった。大学病院時代には散々買っていた洋服や靴といったものの購入がぱったり止み、余計な外食や飲酒もめっきり減った。テレビというものもほとんど見なくなり、電気料金も極端に減った。娯楽にお金をつぎ込むこともなくなった。お金は、市民活動をするなかでの必要物品の購入と書籍代に限定するようになった(そのための交際費は少し増えた)。
1日の診療を終えて家路へと急ぎ、家族と(あるいは独りで)食事をして風呂に入って寝る。翌日はまた、朝起きて乗馬を楽しみ、着替えて職場に行く。市民活動を行っていれば、知らない誰かと巡り会う機会を得ることができて、それがまた適度な緊張感を生む。それがこの街での活動の成り立ちであり、当たり前のことだが、私は、そういうベーシックな仕組みを有するこの土地を、「信頼できるようになった」という言い方は幾分意味不明だが、何となく前提条件として受容できるようになった。
かつての自分からは想像もできないほど柔和になり、肩の力も抜けて現実を素直に受け入れていくようになった。そうして、私はこの街に溶け込んでいったような気がする。

乗馬は、“野馬追”が終わった後も続けている(ちなみに、無料で)。今日までに通算134鞍となった。昨年の9月からはじめたので、平均すれば3日に1鞍以上の割合で練習していることになる。朝の1時間の使い方としては、とても満ち足りたものである。何度も壁に当たるが、何よりも自分のスキルアップが、充実さをさらに加速させる。やはり、何事にも言えることかもしれないが、継続させるには、その活動のなかで「自分が成長できている」ということへの実感が大切である。復興支援活動もきっとそうであろう。
いまの南相馬市には、地道だが、企画を立て、実際にそれを推進したい連中が残っている。そして、地元にもともとある文化と触れ合いながら、楽しく暮らそうとしている。新たなフェーズへと向かっていくなかで、南相馬市は、さらに興味深い街へと発展していくであろう。

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