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Vol.238 福島で思い知る「打って反省、打たれて感謝」の金言

医療ガバナンス学会 (2014年10月17日 06:00)


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※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。

http://jbpress.ismedia.jp/

相馬中央病院内科医
越智 小枝

2014年10月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


先日、南相馬市にある市民団体が、「住民の方々に放射線についての正しい知識を持ってもらおう」と、放射線に関する小冊子を発行しました*1。
寄付金集めから校正に至るまで、様々なボランティアにより作成されたもので、どなたにでも無料で配布しているそうです。地元の方々から実際に受けた質問を元にしているため、住民の方々にとって本当に知りたいことが、素人目に見ても分かりやすく書かれています。
地元の方が、地域のためにこのような新しい試みをされることは、コミュニティーの発達と復興を象徴するような喜ばしい活動に見えます。しかしこのような活動は、必ずしも県外の方々に好意的に受け止められるわけではないようです。
「発行が決まった直後から、『被災者は被災者らしくしていろ』なんていう電話をよく受けるのよ」
と、発起人の1人からお聞きしました。「南相馬が安全だなんていう無責任なことを言うな」などという電話も毎日何十件とかかってくるようになった、とのことでした。

◆逆転する被害者

「でもね、これは結構難しい問題なんだよ」
長い間南相馬に支援に入っていらっしゃるK先生によれば、このような批判をされる方々の一部にはそれなりの背景があるそうです。
「例えば、今福島の外に避難している人たちからすれば、『安全な地域だから、と補助金が止められるんじゃないか』という不安もあるようだし」
さらに金銭の問題以上にK先生が心配されるのは、相双地区を「安全だ」と言うことで、現在避難されている方々が精神的に追い詰められるのではないか、ということでした。
当時情報の乏しい中で避難という選択肢を選んだ方々の中には、避難先で辛い目に遭われる方も大勢います。そのような辛い時に「相双は安全だ」という情報を聞くことで、自分たちが取った行動が間違いであった、この苦労が無駄であった、と、二重に批判されているように感じ、追い詰められてしまうのではないか、というのです。

◆多数決の圧力

そこには判断の正誤、という二極化の問題だけでなく、多数決という問題も存在します。葛藤の末に出した結論が「少数派」であると分かった時、あるいは周りの同意を得られなかった時、多くの人がそれを公で声に出すことができなくなってしまうのです。
例えばある小学校では、学校行事をするたびに保護者の方の対立が起きた、とのことです。
「プールを開始すべきかとか、屋外の運動会を行うべきかとか・・・。学校行事は基本的に全員参加ですから、そのたびに『放射線を浴びるから嫌だ』という方と『そんなに怖がっていては子供がかわいそうだ』という方の対立が起き、『どちらでもよい』という方を取り込もうとしていろいろな争いが起きたんです」
当時小学生のお子さんの親御さんであった方からお聞きした話です。
「最近になってパニック状態は落ち着いてきましたが、そうしたら『反対派』だった方々が少数派になってしまい、次第に居づらくなってきてしまって・・・。それで結局は引っ越された、なんて方もいました。本当に無意味な争いだったと思います」
そもそもが正否で語れる問題ではないですし、少数派だからといってその人個人にとっての間違いにはならない。冷静に考えればそのように思えるのではないでしょうか。しかしそこで「少数派」となってしまった多くの方が、公の場ではそれを語れずにいます。
自分の意見が「流行」から外れた結果、誰からも聞かれなくなってしまう。例えば前述の小冊子が脚光を浴びることによって、「南相馬は危険だ」と思う自分たちの心が踏みにじられた、と感じる人が、いらっしゃるかもしれません。
そのようなフラストレーションが匿名の投書やネットへの書き込みへと向かっている可能性は否定できないと思います。

◆相対値に消える声

それだけでなく、際立った不幸だけがクローズアップされた結果、多数の声が無視されてしまう。これもまた、被災地でよく見かける問題です。
今、相双地区に支援に入っているM医師が、震災前後の医療者数の推移を解析しようと頑張っています。いろいろな病院にお話を聞いた中に、印象的なご意見がありました。
「相馬市においても医療スタッフ不足は深刻であり、その問題が南相馬市との比較の中で矮小化されたイメージにならないように配慮してほしい」
1つの問題提起が相対的に小さな声を潰してしまう危険を、鋭くご指摘いただいたコメントでした。
このように被害が相対化された結果、個人の不幸もまた相対的に測られてしまいがちです。
「自分は家族も家も失くしていなくて、いずれ帰れるかもしれない。そうすると、申し訳なくて辛いなんて言えません」
以前、仮設住宅健診の際にお聞きした話です。しかし幸福と同様、喪失による辛さもまたその人だけの唯一のものであり、他者と比較すべきものではありません。
しかし、不幸自慢をしない限りマスコミに声が届かない、というのは、震災3年を経てもまだこの地域の人々が感じていることです。その結果、相対的に小さい多数の声が犠牲になるだけでなく、不幸がアイデンティティと化す人が出てきます。
「復興ではなく不幸を売り」続ける人にとっては、明るいニュースは自分のアイデンティティを崩壊させる出来事でしかありません。もちろんこの事例もまた極端な少数例なのですが、これもまた被災地に蔓延する矛盾の1つです。

◆悪意不在の被害

「福島」を語る人、「福島」を責める人、その多くは、純粋な悪意により発言している人は非常に少ないと思います。被害者と加害者、被災者と加害者が複雑に交錯している、そのことを、私たちはもっと深刻に考えなくてはいけないと思います。
言葉による被害だけではありません。災害後の避難区域設定や、甲状腺スクリーニング、補償金問題や様々な規制・・・。このような活動に関わられた方の1人として、悪意を持って臨んだ人はいなったはずです。
しかしそれでも、それらの行動や発言が、すべての人に有益であったわけではありません。たとえ善意の行動であっても一部の方々への悪影響を与えた、という点において、欠点があり、改める余地がある、ということは論をまちません。

◆「善魔」

ですからむしろ問題なのは、善行が行われた瞬間に完結し、流動しなくなってしまいがちである、という点にあると思います。
遠藤周作のエッセイに、「善魔」という単語があるそうです*3。
「大悪をやるには努力と勇気がいるものだから(中略)・・・小心、臆病もやはり役に立ったわけである。しかし逆に善いこととなると、これは意外と努力なしに感情だけでやれるものだ。しかし(中略)・・・相手にどういう影響を与えているか考えないことが多い」
善い意図は顧みない限り魔となり得る。そういう場面を、私はこの相馬市で繰り返し、繰り返し目にしてきました。だからこそ、災害は常に振り返り、反省し、そして進んでまた振り返らなくてはいけないと思います。
ある行動が絶対的にかつ恒久的に善いことだ、と関係者全員が考えてしまったならば、そこには魔が潜むのは容易なことだからです。
さらに言うならば、善は公に現れる時にはもはや善ではない、という言葉があります。「善行は、それが知られ、公になったとたん、ただの善の為になされるという善の特殊な性格を失うから」*4です。

そのように考えれば、被災地に目に見える有益性をもたらそうとする人。外への発信を試みる人。私を含めたそのような人々は、本質的に善ではあり得ません。それどころかその公開性ゆえに加害者になってしまう危険性を常に抱えているとも言えます。

◆事後評価と後出しジャンケン

特によくあることが、「結果」を反省する、という仮定の中で、限られた情報の中で行われた先達の判断を否定してしまうことだと思います。
反省は流動のために必要ですが、否定は結果重視の思考停止を生み出します。しかしエゴが頭を出した結果、「事後評価」の名の下に正誤や勝ち負けの「あと出しじゃんけん」をしてしまう、ということがままあります。
個人的な話になりますが、先日甲状腺スクリーニングについて書かせていただいた際*5、「後から来た人間があの当時に頑張っていた人々を馬鹿にしている」というご批判をいただきました。
先達への敬意が十分示せていなかったことを深く反省しました。これもまた、個人の意見が先走って思考停止に陥った一例と言えるでしょう。

◆打って反省、打たれて感謝

「打って反省、打たれて感謝」という言葉が、剣道の世界にはあります。私はこの言葉こそが、私たち「善意ある行為者」には必要なのではないかと思っています。
「打たれる」議論を避けないこと、味方が多いほど反省すること。それこそが風評被害に振り回されるこの地域に、正当なリテラシーをもたらすことができる道なのではないでしょうか。
この3年間、相双地区では、地域社会全体のレベルで、「放射能」「災害」という言葉のもとに無用な対立が起きてしまいました。今なお決着はついておらず、いろいろな極論が出続けています。
風評被害という面では非常にストレスのたまる状況ですが、少数意見が淘汰されていかないこの現状自体は非常に大きな可能性を秘めていると思います。
原発災害と風評被害を取り巻く議論が、善意に振り回されないリテラシーの発達という貴重な機会につながるかどうか。相双地区だけではなく、日本全体の今後の課題だと思います。

(1)早野龍吾 監修:南相馬市発 坪倉正治先生のよくわかる放射線教室.ベテランママの会発行, 2014年8月.
(2)http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39407
(3)遠藤周作.「わたしのイエス」
(4)ハンナ・アレント「人間の条件」
(5)http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41510
【略歴】おち さえ 相馬中央病院内科医、MD、MPH、PhD
1993年桜蔭高校卒、1999年東京医科歯科大学医学部卒業。国保旭中央病院などの研修を終え東京医科歯科大学膠原病・リウマチ内科に入局。東京下町の都立墨東病院での臨床経験を通じて公衆衛生に興味を持ち、2011年10月よりインペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院に進学。
留学決定直後に東京で東日本大震災を経験したことから災害公衆衛生に興味を持ち、相馬市の仮設健診などの活動を手伝いつつ世界保健機関(WHO)や英国のPublic Health Englandで研修を積んだ後、2013年11月より相馬中央病院勤務。剣道6段。

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