医療ガバナンス学会 (2014年10月23日 06:00)
「混合診療の原則禁止」と「ドラッグ・ラグ」に苦しめられている多くの難病患者たち(とその主治医)がいます。この苦しみを取り除く新たな仕組みが曲がりなりにも出来そうです。それが「患者申出療養(仮称)」(2014年6月24日閣議決定)です。そのキッカケは、清郷伸人氏が敗訴した最高裁判決(2011年10月25日)に付された、判事たちの意見でしょう。この新しい仕組みが「金儲けの手段」にならないよう、施行までに検討される運営の在り方に注視する必要があります。
混合診療の原則禁止:
混合診療とは保険診療と保険外診療の併用(厚労省Hpより)のことです。混合診療をすると、保険診療に対する「保険診療報酬と患者の一部負担金」および保険外診療に対する「患者負担金(差額徴収)」の両者が、医療機関の収入となりそうですが、そうではありません。混合診療が原則禁止されているからです。
その昔(医師に「お任せの医療」の時代)、情報格差を利用して患者に不適切な保険外診療を受けさせ、「差額徴収」を行って儲けようとする悪徳医師が現れました。そして、このような悪徳医師が患者に医学的、経済的な損害を与えるのを防ぐため、出てきたのが「混合診療の原則禁止」という政策です。併用可能な保険外診療を「例外」として限定することにより、混合診療を「原則」禁止としたのです。それが1984年の健康保険法の改定における特定療養費制度の設定、およびそれに伴う保険医療機関及び保険医・療養担当規則(いわゆる療担)の改定です。特定療養費制度とは、「保険医療機関などが患者から保険適用外の医療に係わる金額の支払いを受けることが出来る場合を、厚生労働大臣が定める高度先進医療又は選定医療に限る」ということです。現行法(2006年改定)では、特定療養費制度が保険外併用療養費制度に、高度先進医療が評価療養(保険導入のための評価を行うもの)に変わっていますが考え方は同じです。評価療養には高度先進医療のほかに、保険導入に向けた治験中の薬剤等が含まれています。
ドラッグ・ラグ問題:
時代が移り情報化社会(患者の「自己決定の医療」の時代)になると、医療の進歩も相まって、保険診療に限界を感じた患者は保険外診療を世界中に探し求めるようになりました。次のように思うようになったからです。
「普通の病気は保険診療で十分であり、もっと良い治療があったとしても知らなくても、あるいは受けなくてもさほど問題ではない。しかし重篤な病気になったら別である。保険治療で助からないこともある。患者も医者も必死であらゆる治療法を探る。日本で認められていなくても欧米で効果があると聞くと試してみたくなる。このとき、通常の安全性の問題は視界から消える」(清郷伸人著「混合診療を解禁せよ―違憲の医療制度」、ごま書房、2006, p.61)。「本来は保険で薬を使えるようになるのが一番いい。しかし、いつ死ぬかわからない状態で、保険が適用されるまで待てない患者が多くいる」(同、p.33)。「どのような制度、法でも遵守義務があるという意見に対しては、法律でも緊急避難行動は許されている、生死の分かれ目を前にしたがん治療ではそういうケースもあると私は考えます」(同、p.13)。
このような切羽詰まった患者にとって、「保険導入のための評価を行う」評価療養では、評価に時間がかかって間に合わないのです。これがドラッグ・ラグ問題と呼ばれるものです。悪徳医師から患者を守るための政策が切羽詰まった患者を苦しめる政策に、転化してしまったのです。
清郷伸人氏が裁判で引き出したもの:
清郷氏は腎がんに対し、保険診療であるインターフェロン療法を受けていました(清郷伸人著「官僚国家vsがん患者;患者本位の医療制度を求めて」、蕗書房、2012より)。これが効かなくなったため、主治医との相談の下、同じ病院でインターフェロン療法に加えてLAK療法を受けることになりました。LAK療法は保険外診療(すなわち患者負担の自由診療)です。これがマスコミで報じられるところとなり、「混合診療の原則禁止」によりインターフェロン療法もすべて自費で受けざるを得なくなりました。国は「混合診療の原則禁止」により保険診療に対する保険給付を一切行わないと主張しているからです(その主張の根拠になっている不可分一体論については後述します)。経済的負担が大きすぎるため、清郷氏はしかたなくLAK療法を断念することになりました。そこで清郷氏はこの政策に問題あり(保険料を支払ってきた国民が、保険外診療の併用で、保険給付が一切打ち切られるという問題)として裁判を起こしました。最高裁まで闘いましたが敗訴しました。敗訴しましたが、その判決文には5人中、4人の裁判官の意見が付くという異例の判決文となったのです。その意見とは次のようなものです(清郷伸人著「患者本位の医療制度を求めて-官僚国家 vs がん患者」蕗書房、2012, p.193~195)。
「医療技術や新薬の開発は目覚ましく、外国で承認されたそれらの早期使用(下線は平岡、以下同様。ドラッグ・ラグ問題に対する意見で有ることを示しています)は既存の治療から見放された患者の切望するところであり、それらが評価療養の対象となるよう制度のいっそう適切に運用されることが望まれる(田原判事)」。「先進医療が定められた手続きによって、その有効性の検証が適正、迅速に行われ、評価療養に取り入れられることが肝要である(岡部判事)」。「患者側の医療ニーズは高く、保険外診療の有効性も考えられることから、混合診療問題の穏当な解決へのレールである評価療養のさらなる迅速で柔軟な制度運営が期待される(大谷判事)」。「公的医療平等論は昭和59年の法改正前から国の制度論を支えていた哲学と見られ、自由診療を保険制度と関連づけることを極力避けようとする傾向から、評価療養の認定対象はきわめて限定されると考えられる。さらに原告の主張は保険診療を受けて、保険給付がある者とLAK療法を受けたばかりに否定される者があるのは不当だというもので、まさにこの仕組みの『手段としての目的との間の合理的な関連性』に係わるものである。旧法および現行法では、制度を運用する基準がいかなるものであるかが明らかでないという疑問は解消されない(寺田判事)」。
前3者の意見で共通している指摘が、現行の評価療養ではドラッグ・ラグ問題が解決されない、それが解決できるように評価療養を見直しなさいという指摘です。最後の寺田判事の意見に見られる「手段としての目的との間の合理的な関連性」とは次のことを指摘しています。「混合療法の原則禁止」という政策、その例外とされた保険外併用療養費制度、その中の評価療養という手段は、全体として悪徳医師から患者を守る目的で設けられました。しかしこの裁判では本来の目的とは異なり、国が裁判に負けないためという目的のために用いられました。結果として患者の医療ニーズを抑制することになったのです。国は不合理な関連性(不可分一体論の項で詳述します)を主張して患者の医療ニーズを抑制してはいけない、そのようなことが二度と起こらないように評価療養を見直しなさいという指摘です。これらの指摘から導き出されたのが、つぎに示す「患者申出療養(仮称)」でしょう。
「患者申出療養(仮称)」:
その内容は次のようになっています。
「困難な病気と闘う患者からの申出を起点として、国内未承認医薬品等の使用や国内承認済みの医薬品等の適応外使用などを迅速に保険外併用療養として使用できるよう、保険外併用療養費制度の中に、新たな仕組みとして、「患者申出療養(仮称)」を創設し、患者の治療の選択肢を拡大する。」(平成26年6月24日閣議決定)
考えられている実施体制は次のようになっています。患者から臨床研究中核病院への申出を起点とし、臨床研究中核病院での実施計画の作成(将来の保険収載に向けて、治験などに進むための判断ができること)と国への申請、国における実施内容の確認(申請から原則6週間での国の判断)で、受診できるようにするという流れです。また、臨床研究中核病院の認定により、患者に身近な医療機関(協力医療機関)で最初から受診できるような申請体制が考えられています。
今後の問題点は、この新しい仕組みを「金儲けの手段」とさせないことです。それには「将来の保険収載に向けて、治験などに進むための判断」をする時期(判断をするために必要な治療症例数になるだろうと思います)を前もって決めておく必要があります。そうでなければ、いつまでも治験に進まず、保険収載されず、保険外診療のままになって、「課に設けの手段」になる恐れがあります。また、保険外診療部分の全額自己負担「額」の決め方も注視する必要があります。
清郷氏が一人で闘った壮絶な裁判闘争、敗訴とはなったが患者の必死の訴え、それが最高裁判事の多数意見となり、行政を動かして「患者申出療養(仮称)」に結実しようとしているのだと思います。清郷氏の闘いを無駄にしないためにも、真に患者のための仕組みとなるよう注視する必要があります。
不可分一体論:
国が主張した「不合理な関連性」とは混合診療における不可分一体論です。国は裁判で次のように主張しました。保険診療と保険外診療を併用すると、両者は不可分一体であるから全体として保険外診療となる。だから混合診療では保険診療に対する保険給付は有りえないという論理です。これが患者にとっての「混合診療の原則禁止」の意味だと国は主張したのです。そこでインターフェロン療法(保険診療)を受けていた清郷氏が、LAK療法(保険外診療)を併用したことによりインターフェロン療法に対する保険給付が受けられなくなったのです。
「混合療法の原則禁止」という政策、その例外とされた保険外併用療養費制度、その中の評価療養という手段、その一つに先進医療があります。厚労省Hpによると、先進医療「部分」は全額自己負担、そして通常の治療と共通する「部分(診察、検査、投薬、入院料)」は保険給付と、分類しています。この考えでは、保険診療であるインターフェロン療法でも共通する部分(診察、検査、投薬、入院料)とそれ以外の部分(インターフェロンという薬剤部分)とに分離可能だということになります(診療報酬がそれぞれに点数を決めて支払われることから、これは当然のことです)。つぎにインターフェロン療法とLAK療法の併用を考えてみましょう。それぞれが、共通部分とそれ以外の部分に分離可能だと言うことになります。すなわち、経済的には、共通部分はあるが、少なくとも一部は可分・別体であるということです。
「混合療法の原則禁止」という政策の基礎とした国の主張が不可分一体論です。しかし、その政策の一部である先進医療には、少なくとも一部は「可分・別体」であることを国は示しています。この矛盾は次のように説明できます。
A診療には有効性aとともに有害性aが伴います。B診療には有効性bとともに有害性bが伴います。これを併用するとどうなるでしょうか。患者は有効性aと有効性bだけでなく、併用療法による効果(相乗効果)cをも期待して受けることでしょう。一方、有害性もaとbだけでなく、相乗効果による有害性cが起きる可能性があります。AとB診療の療法では、有効性においても有害性においても、相乗効果があり得るので不可分一体論が成立します。しかし、診療報酬あるいは保険給付から考えると、少なくとも一部は可分・別体となります。たとえばインターフェロン療法(保険診療)とLAK療法(保険外診療)の併用を考えると、インターフェロンという薬剤については少なくとも点数の確定は可能だということです。
清郷氏は裁判で、国の不可分一体論に対して「完全な可分・別体論」を主張しています。上述のように「完全な可分・別体論」は間違っています。そのため国の不可分一体論を論破できず敗訴になったと考えられます。なお、日米経済界の求める規制改革も「完全な可分・別体論」を採用している限り、「混合療法の原則禁止」という政策を解消させることはできないでしょう。
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