特別号 「現場からの医療改革推進協議会」第三回シンポジウム抄録セッション5 患者と医療者の協同医療
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医療再生を目指して 患者と医療者の信頼関係再構築
9日10:00-12:00 患者と医療者の協同医療
田中 祐次(医師, 東大医科学研究所, 院内患者会連絡協議会)
澤田石 順(医師, 鶴巻温泉病院 回復期リハビリテーション病棟専従医)
足立 智和(ジャーナリスト・記者, 丹波新聞)
中村 恵美子(元がん患者・看護師)
橋本 岳(衆議院議員)
「院内患者会」
田中祐次(医師, 東大医科学研究所, 院内患者会連絡協議会)
患者会は、患者や患者家族の集まるコミュニティであり、集まったメンバーの活動目的で大きく次の3つに分類されている。1) Self Help Group (SHG):集まったメンバーがお互いに助け合う自助グループ、 2) Support Group:集まったメンバーがグループ以外の人を助ける、 3) Advocacy and Politic action Group:集まったメンバーが支援活動や制度などを変える活動を行う。日本において患者会という言葉は広く世間に認知されているが、主に患者会主催の講演会や会報により患者に医療情報を提供する Support Group またはAdvocacy and Politic action Groupと考えられている。その理由として、患者会の活動として上記のような活動がメディアにも取り上げられ注目されたからと考えられる。私自身は、Self Help Group の特徴を持つ院内患者会に注目し、院内患者会世話人連絡協議会を2006年に設立し、各院内患者会の世話人を通じて会の設立や運営の補助を行ってきた。それらの院内患者会は定期的に病院内の施設で患者、患者家族そして医療者が顔をあわせ、会話を中心としてコミュニケーションの場となっている。SHGの研究では、会話を聞くよりも会話をするほうが心理面で癒しを得られると報告されている。しかし、SHGが医療の手助けになっているかどうかに関してはまだ十分に立証されていない。SHGは、アルコール中毒、薬物中毒、糖尿病、摂食障害など慢性疾患が多く、がん患者によるSHGはあまり報告されていない。しかし、血液悪性腫瘍患者であっても、院内患者会に参加し、心を癒されたと語る参加者の声を聞くと、血液悪性腫瘍患者にとって院内患者会の意義は高いと感じる。
今回は、血液悪性腫瘍の院内患者会の活動などを報告する。
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『医療破壊』を根絶し、防止しなければならない
澤田石 順(医師, 鶴巻温泉病院 回復期リハビリテーション病棟専従医)
『医療崩壊』は医療現場におけるマンパワーの絶対数不足と医療費抑制政策による公的保険医療の全般的苦境である。私は厚労省が特定の患者の医療権を侵害する行政行為を『医療破壊』と定義するに至った。『医療崩壊』も『医療破壊』も原理主義化した医療費抑制政策の帰結ではあるが、後者は行政的犯罪行為と表現すべき重大な事態だと認識している。
『医療破壊』の始まりは2006年度のリハビリ日数制限であった。治療を日数で制限するという暴挙がもしも癌、高血圧、糖尿病患者等に対してなされたら猛反発のために速やかに撤回されたであろう。同年6月、多田富雄東大名誉教授(脳梗塞後遺症患者)らは44万筆の反対署名を厚労省に提出したものの撤廃には至らなかった。2008年度からは日数制限後のリハビリに回数制限が設けられ、制限を越えたリハビリは自費(選定療養)とされ、加えて後期高齢者に関する差別的診療報酬が導入された。2008年10月から回復期リハビリ病棟の入院料は自宅や有料老人ホーム等(医師が不在のところ)への退院が6割未満だと減額されるに至った(成果主義)。もしも厚労省が胃癌患者の五年生存率7割未満の病院に関しては全胃癌患者への診療報酬を減額すると提案するだけでも社会問題となったことであろう。
現時点で『医療破壊』のターゲットは重度の障害者と高齢者という声をあげることが困難な患者である。医師が必要と認める治療を日数・回数で制限すること、治療の結果により診療報酬を減額すること、年齢を理由に診療行為を制限すること。いずれも患者の医療権を侵害するものであるから、私は前2項に関して差止めを求めて提訴(行政訴訟)し、予定通りの門前払い判決を受けて控訴した。裁判そのものには大きな期待をしていない。肝要なのは『医療破壊』を阻止するための医師と患者・家族の協業としての運動である。これまでの経緯を報告し、『医療破壊』を防止するための法改正を提言する。
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中村 恵美子(元がん患者・看護師)
私は、病院の看護師です。看護師1年目の時、急性リンパ性白血病を発症し、化学療法・骨髄移植を受け自宅療養の後、仕事に復帰しました。
私は、病気になった当初、この仕事に戻ることはきっと難しいのではないか、と思っていました。体力的にも精神的にもそう感じていたのです。しかし、看護師からひとりの患者になり、気づかされたことがたくさんありました。病気を受け入れられるようになった頃、この病気の経験はこれからの私にとって強みではないか、この経験を生かして、仕事に戻りたいと思いました。
仕事に復帰している今、入院中の経験を生かして、という思いに変わりはありません。(しかし、もちろんそれは、あくまで私個人での経験であって、それがすべての患者さんに当てはまるとは思っていません。また、医療者には患者経験が必要である、などということでは全くありません。)その思いを自分なりに大切にして今までやってきたつもりですが、患者の時に私が「こうしたい」と思っていたことは、医療者として個人的に努力しても難しいときもあり、最近、そのことがジレンマとして感じるようになりました。
例えば、ナースコールの話です。コールを受ける側から、押す側になって思いました。コール受けしてくれる看護師さんの対応がどんなに丁寧だったとしても、患者さんって、こんなに遠慮して、いろいろ考えて押しているものなんだな、と。患者の私は思いました。コールを押す前に、看護師さんがふっと来て声かけてくれたら、どんなに気が楽だろうと。現場に復帰した時、それを大事にできたら、と思いました。
しかし、実際のところ、現場に戻り、受け持ち患者さんを何人も抱え、その中に重症患者さんが何人もおられるとその方々に付きっ切りになってしまうことがよくあります。他の患者さんのところに伺うことがどうしても後回しになってしまうのです。ある忙しい準夜の日のこと、他の患者さんのところに行くと点滴が終了しており、心の中で私は「終わっているなら、どうしてコールしてくれなかったんだろう?」とその時思ってしまいました。患者さんが「皆さん、今日は忙しそうだから、なんだか呼ぶのも申し訳なくて。」そう言われ、患者さんにそのような思いをさせてしまったことを反省しました。
今の時点では、どのようにしていったらよいのか、整理ができずいろいろと考えるところですが、本来もっと近づいていてほしい、患者と医療者の間に、見えないけれどきっとたくさんの隙間(←この表現が的確なのかわかりませんが)があるんだと思います。患者・医療者の間だけではなく、本来、人と人との間には隙間は必ずあるはずで、その隙間を埋めるべく、お互いの思いや考えを口に出したり、文章にしたりして表現していくのだと思います。今、NHKでやっている、大河ドラマの「篤姫」の中で、篤姫が、「憶測ではなく、相手に直接聞いてみなければわからぬ。」と言って、相手のところに乗り込み、相手と直接話している姿がよくありますが、この姿に感銘を受けます。本当にそのとおりだと思うのですが、なかなか実践できないことが多いです。
本来は、患者・医療者の関係ではなく、まさしく人と人との関係だと思います。その枠にとらわれすぎてしまうためなのか、固く考えてしまうのかもしれません。でも今、思い返してみても、患者・医療者の関係ではなく、人と人との関係を深く感じたとき、患者であった私は、心から、「この医療者は信頼できる。この人にはなんでも話したい。」と思えたものでした。
何が答え、というものもないのかもしれません。患者さんそれぞれ、医療者それぞれで、求めるものや理想とするものは異なると思います。でも、その中でお互いに、もっと近づこう、相手を知ろう、という思いがあることが、まずは大事ではないかと思います。