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臨時 vol 155 「医療改革:経済学の知見を今活かすとき」

医療ガバナンス学会 (2008年10月31日 10:24)


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                 東京大学経済学研究科
                 松井彰彦
 医療、教育、福祉の三分野は、その必要性にもかかわらず経済学の知見が生かされていない代表的分野と言ってよい。本稿では、医療に焦点を絞り、一経済学徒の私見を述べることとしたい。
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 いよいよ風邪をひきやすい季節。小児科のある病院では、鼻をすする子供たちをよく見かけるようになってきた。小児科をはじめ、医療現場が冬の時代に入ったといわれる。人口当たり医師数やGDPに占める医療費の割合は先進国で最下位クラスにもかかわらず、極めて低い診察料負担のおかげで一人当たりの受診回数は突出して多く、乳幼児死亡率も最も低い部類に属するという。これを支えているのが、医師たちの身を削るような超過労働である。加えて、近年増えてきた医療訴訟。少子化の影響があるとはいえ、激務に加えて、リスクを伴う産婦人科や、診療報酬が少ない小児科の休止がここ数年他の診療科を引き離している。もはや医師不足は過疎地だけの問題ではなくなりつつある。何をどう変えれば医師不足を解消できるのであろうか。
 「日本全体で見た医師不足は、『急性期医療を担う医師が実際の急性期医療に割く時間を十分にとれない危機』と見なしてよい」と述べるのは、慶応義塾大学教授の田中滋氏(東洋経済2007年11月3日号)である。「書類の記入や患者に対する説明に費やす時間が大幅に増えている。…補助人員を手当てできるような報酬の導入とともに、大病院の外来の初期診療は、地元の開業医も交代で分担する仕組みを普及させるべきである」。田中氏の主張は医師全体の不足というよりは、大病院に所属する勤務医、その中でも一部の診療科に属する医師の不足を指摘したものといえよう。医師の絶対数というよりその配置に問題ありというわけである。一橋大学教授の井伊雅子氏は、東京23区の多くが小児医療費の窓口負担をゼロにしていることを挙げ、「小児医療はただでさえ人手不足なのに、…必要以上の受診を招いている」とし、肝心の急性期医療に医師の手が回らないことを危惧する。
 患者やその家族に対する説明は必要であるが、「最近、医療現場にもクレーマーが増えている」と嘆くのは医師で作家の久坂部羊氏(中央公論2007年12月号)である。同氏は、一般の人は、「つい医療は安全で当たり前だと思ってしまう。一方、医療者は、医療が決して安全ではなく、偶然に左右されるものだと知っている。ここに…温度差が生じる」とその原因を述べる。そのギャップがときとして医療訴訟を惹起する。民事の新受件数で見ると、ここ2年ほどは前年を下回ったとはいえ、平成元年の350件程度から昨年の900件超と、訴訟件数は大幅に増加し、刑事事件と相俟って医師の萎縮効果を招いている。刑事告発について、賛否両論を載せ、その是非をわれわれに問いかける論壇誌も見られる。医師の自浄作用を担保したうえでの話になるが、「闇の中にあった医療事故の一部がようやく表面に出始めた」とする元福岡高検検事長の飯田英男氏(2007年論座12月号)さえも認めるように、「刑事処分の行使を必要最小限にとどめるべき」であろう。
 医療に関わる問題は、専門性が高いゆえに一般の人間にはなかなか理解しづらい。その結果、「白い巨塔」問題が発生するかと思えば、それを防ごうとする風潮に便乗する理不尽なクレームも発生しやすい。このような状況下ではいわゆる市場理論が説く市場メカニズムは有効に機能しないことが経験的にも理論的にも指摘されてきた。
 この問題を、経済学では情報の非対称性と呼び、様々な研究が蓄積されてきた。たとえば、金の卵と金メッキの卵を持っている売り手がいるとしよう。この二つを見分ける力が買い手の側になければ、たとえ、買い手が金の卵をほしがっていて、売り手が金の卵を持っていたとしても取引が成立しない。売り手が必死に金の卵であると証明しようとすればするほど、買い手はだまされるのではないかと疑心暗鬼になり、結局うまく取引ができないのである。
 このような状況を打開するために、いくつかの方策が採られることがある。中古車の市場であれば、日本では中古車ディーラーが発達し、かれらは目利きであって、中古車の質を見分けることが可能である。個々の中古車の売り手は評判など気にしないが、ディーラーは、沢山の自動車を取引するので、評判が落ちないよう品質管理に傾注する。買い手はディーラーの評判を見るだけで、あとは中古車の品質はある程度ディーラーを信用して購入することになるのである。
 医療の問題になぞらえるならば、患者教育が極めて重要なものとなるであろう。前述の久坂部氏の言うように、リスクに関する教育がきちんとなされるだけでも、大きな改善が見られるであろう。この教育は、医療機関のみに押し付けるのではなく、中等高等教育機関における、不確実な現象への対処という形での教育が必要となってくるかもしれない。
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 医師の数や一部の診療科で診療報酬を増やすための施策も先立つものがなければ話が始まらない。税と社会保障の一体設計を唱える声もある。「高所得者に恩恵が偏りばらまき政策になりがち」な現在の所得控除を「税額控除に変えるとともに、控除できない低所得者層には還付・給付を行う」必要があるという。これに対し、東京大学教授の大沢真理氏(世界12月号)は、税と社会保障を分離する「『三つの福祉政府体系』の樹立を提唱」する。実現可能か否かはともかく、「逆進性を解消して社会保障収入の調達力を高める」方向は検討に値する。
 経済原則に従えば、ある診療科の報酬があまりにも低く抑えられれば、その科を志望する医師は不足する。医師にモラルを求めると言っても同じ人間、限度がある。理念はともかく、正当に評価されない診療科は志望者もなく、つぎつぎと廃止されてしまう恐れがある。日経新聞(2008年10月24日付)によれば、医師の側からも、「医療機関や病床の役割分担を巡っては『計画経済のような統制は難しい』(東大医科学研究所の上昌広特任准教授)との指摘がある」という。政府による統制ではなく、診療報酬や役割分担に適度な柔軟性をもたせることを検討すべき時期に来ているのではないだろうか。診療報酬の見直し作業が進んでいるものの、それは統制価格の変更に他ならない。社会主義国の崩壊を引き合いに出すまでもなく、統制価格のみでシステムが機能することはあり得ない。
 診療報酬の自由化の話を
すると、必ず出てくるのが、金持ちを優遇するのか、といった批判である。これは、医療費控除やバウチャー支給などの方策で改善すべき問題であり、価格統制を正当化する理由にはならない。
 医療、教育、福祉の三分野は、その必要性にもかかわらず経済学の知見が生かされていない代表的分野と言ってよい。統制経済の弊害によって疲弊した現場が崩壊する前に、なすべきことは数多く残されている。チャーチルではないが、民主主義同様、市場制度は最悪の制度かもしれない。しかし、そこには、これまでに考えられてきた様々な制度を除いては、という但書きがつくのではないだろうか。福祉と経済の関連については稿を改めて議論したい。
 注:本論は2007年11月25日付けの日経新聞朝刊「経済論壇から」の小生の原稿を加筆修正したものです。内容に関するすべての責任は筆者にあります。
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