臨時 vol 154 「パリの在宅医療 ―在宅での化学療法の提供」
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東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門
児玉有子
パリにあるHospitalisation A Domicile (HAD:在宅入院連盟;Paris)を訪問し、そこに勤務するダース医師とブラン看護師からお話を伺いましたので、ここに報告いたします。
今回の訪問は、「がん医療における医療と介護の連携のあり方に関する研究」(班長:小松恒彦帝京大学ちば総合医療センター血液内科准教授)の一環として、フランスにおけるがん医療と介護の連携について現地調査を行ったもので、これはその報告の一部になります。
【HADの概要】
HADは小児~終末期および周産期(分娩は除く)の患者に対して在宅で病院と同等の医療を提供している機関で、パリとその近郊をカバーしています。パリの人口は約215万4000人(2005年)ですが、この範囲を成人では17のセクターに、小児では2つのセクターに分けて、訪問看護師の担当を決め活動をしています。一方、産科は全地域を1つのセクターで担当しています。この結果、HAD全体では合計820人の患者の受け入れが可能で、医師は15名、登録訪問看護師は300人、医療行為はできないが身の回りの世話を担当する看護助手が150人働いています。
ちなみに、HAD以外にパリで在宅医療を提供している機関には民間非営利団体のサンテサービスがあり、1200床受け入れています。
【HADを受診する患者の30~40%はがん患者】
HADを受診する患者は多岐にわたります。成人は全ての診療科を扱い、その内容は、抗がん剤治療、在宅ホスピス・ケア、ターミナル・ケア、複雑なガーゼ交換、高齢者のケア、神経疾患等です。一方、小児はがん(特に白血病)および小児糖尿病とその教育を、産科は分娩以外、主に高リスク妊婦の産前産後のケアを担当しています。なかでも注目すべきは、がん患者の化学療法が在宅で普通に実施されていることです。
【HADに働く医師の役割はコーディネート。医師全員が兼業】
HADでは15名の医師が働いています。820床に15人ですから、少数の医師で多くの患者を診ていることになります。このような医療提供が可能になっている理由は、彼らの主な役割が在宅医療のコーディネートに徹しているからです。具体的には、医師は適切な医療行為を適切なタイミングで実施するように在宅看護師に指示し、自分自身で出向くことはあまりないのです。この状況は、日本の在宅医療とは大きく異なります。
では、HADに勤務する医師は、どのようにして自らの医療レベルを維持するのでしょうか。コーディネートしか行わなければ、医療レベルが低下してしまいます。この問題を解決するため、HADでは全医師がHADと他の医療機関を掛け持ちしています。半日はHAD、残りの半日は高度専門化した医療機関に勤務することがHADから義務づけられているのです。ちなみにフランスでは、ほとんどの医師が1つの医療機関専属ではなく、2つ以上の職場を掛け持ちしているそうです。その典型的なパターンは、高度医療機関と地域で開業という形です。
【HADの登録訪問看護師は専従。専門看護師や認定看護師の資格は不要】
一方、HADの看護師は、医師とは異なり専従です。HADの看護師になるために求められるのは、他の病院での勤務経験があることと、何らかの疾患に対する専門的対応ができることです。専門看護師や認定看護師などの、HAD以外の団体が認証している資格は求められていません。つまりHADの採用担当者が採用試験を通じて、ある分野での経験、知識、判断力、技術を兼ね備えていると判断すれば、HADで働くことができるのです。ただし、HADでは採用後に長時間のトレーニングを義務づけており、これを修了した看護師だけが一人で患者宅に出向くことができることになってます。
【在宅化学療法――初回は訪問看護師の立ち会いの下、病院で実施】
今回の視察では、特に在宅化学療法についてのお話を伺いました。
HADがケアしている患者が化学療法を受ける場合、初回治療は入院で行われます。患者が入院したら、まずカテーテルや埋め込み型のポートが留置されます。これは、化学療法の投与経路はカテーテルに限定することが法律で規定されているためです。緊急の化学療法を除き、すべてこの手順で実施されます。
化学療法は、病院の腫瘍専門家により作成された「プリスクリプション」に従います。これは日本のクリティカルパスに相当するもので、治療の全過程を規定します。例えば5コースの予定の化学療法であれば、5コース分が記載された「プリスクリプション」が治療開始時に発行されます。「プリスクリプション」には抗がん剤のレジメンだけでなく、副作用への対処も記載されます。ちなみに在宅化学療法で抗がん剤を投与する場合には、そのルートはカテーテル(ポーターカット)からの持続点滴等に限定され、静脈注射(IV)は禁止されています。さらに、すべての行程が2時間以内に終了するように配慮されます。病院での初回投与で大きなトラブルが発生しなければ、在宅での化学療法に移行します。
病院から在宅治療への移行は、我々が報告した日本の状況と概ね同じでした(Kodama et al., Int J Hematol. 2007 Dec;86(5):418-21.)。ただ、日本とフランスで違っていたのは、HADでは病院での初回抗がん剤投与に訪問看護師が立ち会うことです。日本には退院時共同指導の取り組みはありますが、初回の治療時にベッドサイドに出かけることはあまり見られないのではないでしょうか。このような手順を通じ、訪問看護師と病院のコミュニケーションを円滑するように配慮しているようです。
ところで、フランスではほとんどの抗がん剤が在宅で投与可能ですが、なかには禁止されている薬剤もあります。たとえば、タキソールです。これは、在宅で使用可能な抗がん剤について、公立病院の腫瘍専門医を対象に実施したアンケート調査の結果を反映しています。一方、タキソテールやベルケードなど、毒性の強い薬剤であっても在宅でも使用可能なものもあります。
【在宅化学療法の手順――実施の指示は、関わっているどの医師が出してもよい】
在宅で実施される2コース目以降の化学療法はどうなっているのでしょうか。病院の腫瘍専門医とHADの医師は、「プリスクリプション」を双方向で電子共有できるようになっています。そのため双方の医師ともに、事前の検査データを見て、実施可のサインと実施指示を出すことができます。これは、化学療法のタイミングを逃さず実施するために、処方した腫瘍専門医以外にHADの担当医が化学療法を開始できるように配慮したものです。以前は、各病院ごとの処方箋の形式の違いが共有化の障害となっていたようです。しかし現在では、シミョーという共通ソフトの導入により統一化が進んでいます。
【在宅療法は訪問看護師の手により実施】
在宅化学療法における抗がん剤のミキシングやポートへの刺入・抜去は、訪問看護師の手により実施されています。また、ほとんどのケースでは刺入から抜去まで看護師が立ち会います。2009年1月1日からは、化学療法開始から終了までの2時間、看護師が立ち会うことが法的に義務づけられます。
さらに現在は、患者宅で抗がん剤がミキシングされていますが、2009年1月1日以降は、特定の病院で集中的に抗がん剤を無菌的に調剤しなければならなくなります。パリにおいては、南部にあるジョンシポンピドゥヨーロッパ病院が、HADで扱うすべての抗がん剤の調剤を担当し、宅配業者により冷蔵にて運搬されます。このシステムは24時間稼働可能と言われ、視察に行った際はテスト中でしたが、特に冷蔵搬送について検討しているようでした。このようにフランスにおいても、病院の機能集約化が進みつつあるようです。
【副作用も約束処方に従い看護師が対応】
在宅での化学療法実施後の副作用に対しての薬物療法は、前述の「プリスクリプション」に書かれている内容(約束処方)に沿って、担当看護師の判断で対応しています。同じ薬の投与についても、2回までは看護師の判断で使用してよいことになっています。連続して3回以上使用する場合には、HADに待機している医師に連絡をとり、その指示を仰ぐことになっていますが、「ほとんどが看護師与薬の範囲で対応できている」とのことでした。
【費用】
さて、費用はどうなっているのでしょうか。HADの費用はDRGで一人1日180ユーロまたは280ユーロと定められています。抗がん剤を使用した場合には、これらに薬剤費用が出来高払いされています。
ただ、この180または280ユーロはいずれもHADへ支払われます。したがって、病院の腫瘍専門医が在宅での化学療法に関与しても、今のところ対価は支払われていません。将来的には、ドクターフィーでの対応が考えられていますが、まだ実施の目処がついていないようです。勿論、初回の入院治療の費用は、病院へ支払われます。
一人1日180または280ユーロは、高く感じられるかも知れません。しかしHADのブラウン看護師は、「通院に使用する医療搬送車両の往復代金を考えれば、在宅は高コストではない」と語っていました。ちなみに医療搬送車両の代金はタクシーのような料金体系で、パリ近郊の首都圏では、2008年9月の報酬改訂では最初の5Kmまでが12ユーロ53セント、以降、1Km当たり0.83ユーロとなっています。
【最後に】
フランスにおいても、在宅医療の拡大のための施策が実施されていました。在宅医療の広がり方は日本と似ていて、パリのような都市部は在宅医療システムが確立しつつある一方、地方での普及は十分ではありませんでした。HADの受け入れ可能数を比べても、パリでは820人可能なところ、パリ以外の地域ではわずか30人程度でした。
フランス政府は今後、公的機関による在宅医療サービスを20,000床まで増やし、病院と在宅医療の比を2対1まで高めようとしているようです。さらにHADの運営形態についても、理学療法士や作業療法士などコメディカルが参画しての多機能型を推進しているようです。
以上のように、日本と似ているところが多いフランスの在宅医療ですが、化学療法の実施やその運用システム、さらには病院との連携など、学ぶことも多くありました。
《謝辞》
現地にて日程調整から通訳、その後も種々の情報を提供して頂いております奥田七峰子様(http://naoko.okuda.free.fr)には大変お世話になりました。また、フランスでの調査およびその後のフォローアップをいただいております在フランス日本国大使館一等書記官の岡本利久様。お二人の存在無くしては、これほどまでに充実した視察にはならなかったものと思います。改めまして感謝申し上げます。