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Vol.270 医学生が見たパレスチナ難民@ヨルダン

医療ガバナンス学会 (2014年11月27日 16:10)


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旭川医科大学医学科6年
別所瞭一

2014年11月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

車体に小さな穴が開いた古めかしいマイクロバスに揺られ砂嵐の中を進む。この砂は毎年この時期になると、遥か南西のサハラ砂漠から季節風に乗りやってきて中東に春を告げる。そういえばそんなしこ名の力士が日本にもいたなぁと思い出す。バスターミナルとは名ばかりの屋根付きの一角でバスを降り、市場を通り過ぎて診療所へ向かう。子供たちが「シーニ!(中国人)」と言いながらついてくる。まるでハーメルンの笛吹きだ。何か欲しがっているというそぶりはなく、ただ東洋人が物珍しいのだろう。市場の入り口にある八百屋のおじさんとはすぐ顔見知りになった。「日本から来た」と告げるとコーヒーをご馳走してくれた。カルダモンの香りが強烈なアラビックコーヒーも慣れると味わい深く感じる。「砂糖を入れるか?」と聞かれ、覚えたてのアラビア語で「少しだけ」と答えるとおじさんはやや不服そうな顔をしてティースプーン2杯分の上白糖を小さな紙コップの中に入れた。発音が悪かったわけではないと思うが、当然コーヒーは甘かった。この恰幅の良いおじさんは自分の分には3杯入れていた。彼は去年糖尿病と診断されたそうだ。3軒隣りにある別の八百屋のお兄さんは、「持っていけよ」と言ってたまにキュウリやオレンジをくれる。さすが地中海性気候なだけあって、野菜や果物には事欠かない。診療所の医師に「意外と農作物が豊富でびっくりしました」と言うと彼は答えた。「ヨルダンなんて砂漠じゃないか。私の祖父がエルサレムの近くに持っていた広大な土地はそりゃぁもう肥沃で・・・ユダヤ人が全部持っていきやがった」
そうだった、ここは難民キャンプで、彼は難民を両親に持っている。

政治的な思想と義務感に駆られ中東へ渡った昔の若い日本人のことは知っているが、私はといえば何の変哲もない、野球部に所属する内科医志望の学生である。ただ、数十年にも及ぶ難民としての生活が人々の健康にどのような影響を与えているのか興味があった。念願叶い、5年生の春休みにUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)のインターン生としてアンマン北部にあるバカア難民キャンプで1ヶ月研修する機会を得た。

戦争により多数のパレスチナ人が自らの土地を追われ難民となった。避難生活が長期化するにつれ難民キャンプにはインフラが整備され、各地にあるキャンプは世界有数の人口密度を誇る「町」へと変貌を遂げた。限られた医療資源を最大限に活用するために、診療所を中心としたプライマリヘルスケアが発展した。次第に妊産婦・乳幼児死亡率は周辺諸国よりも低い数値まで改善し、現在は増え続ける生活習慣病、あるいは母子の健康を守り暮らしを豊かにするための家族計画などが主要な課題となっている。

先進国の病気とみなされやすい生活習慣病が難民キャンプで急増しているというのは興味深い出来事だ。例えば、なぜ糖尿病の有病率が年々増加しているのか?パレスチナ難民の生活に直に触れて感じた点を以下にまとめる。(個人的見解)

◇食生活の偏り
食事は安価な炭水化物中心で油をたくさん使用するものが多い上に、お茶やコーヒーには大量の砂糖を投入する。「昔から食べ慣れたものを急に止めるのは難しい」という声が多く聞かれた。

◇運動不足
難民キャンプの中には住居がひしめき合うように乱立し、公共の広場は存在しない。加えて、古いイスラムの教えでは、女性が軽装で他人の前で激しい運動を行うことは好ましくないとされている点も、運動不足を助長させる一因である。

◇精神的ストレス
薄い壁に大家族、さらには混迷を極める隣国の同胞たちの状況や、生活における格差など精神的ストレスを引き起こすような要素が多数存在する。積み重なったストレスも不安定な血糖値の原因の一つだと考えられる。

◇無料の診療
良好な血糖値を維持するためには定期的な服薬が欠かせないが、対価を伴わない診療や簡単に薬が手に入ることが逆に患者の服薬アドヒアランスを下げてしまう側面もあるのではないかと感じた。

◇社会的要因
難民キャンプの失業率は高い。仕事が無い状況は必然的に日中の活動量を減らす。また、ある程度の合併症は診療所において無料で治療できるが、より高度な治療が必要になると都市部の病院に行かなければならず、そこでは一部自己負担が課される。貧困により合併症の治療が十分にできない人たちも存在する。

小さな食堂に昼間からたむろする中年男性や、道端でいびつな形のサッカーボールを蹴る子供たちがいる。ふと、4年生の春に訪れた石巻の仮設住宅群を思い出す。画一的な住宅群、そして活気(life)と沈滞(dullness)がアンバランスに混ざり合った雰囲気が、難民キャンプの風景に仮設住宅群をオーバーラップさせたのかもしれない。難民キャンプも仮設住宅も、健康で能力があり経済的に自立した人々から抜けていき、残されるのは社会的に弱い立場におかれた人が多い気がする。彼らの健康を守るためには、診察し単純な投薬を繰り返すだけではなく、より包括的なケアが求められる。

現在UNRWA保健局長の清田明宏医師を中心にFamily Health Team Approachという新たな診療方法が導入されている。複数の医師・看護師を含む医療チームが一家族すべての健康問題に対して最初の窓口として機能する仕組みであり、糖尿病の父親にとって適切な食事を母親に直接指導することや、避妊や家族計画の重要性に関して父親に十分に説明することが可能になるというメリットが期待される。難民の生活を根本から少しずつ変えていくことを狙ったシステムだ。「現場の最前線である診療所での時間を最大限に充実させることがとても大事なことだ」という清田医師の言葉が強く印象に残っている。

パレスチナ人の同僚に、イスラエルとの関係について尋ねると、彼は次のように答えた。「私たちは当事者だから、いつの時代も憎しみを忘れることは難しい。しかし日本人である君は、様々な情報にアクセスでき、世界中色々な場所に行くことができる。だから君は私たちが抱える問題に対して平等で未来志向な意見を持つことができるんだ。」
日本人である自分が海外の保健医療に対し貢献できることは何なのだろうと研修を通じて考えていたが、この言葉は大きなヒントになった。異なる文化の中で異なる経験を持った人間は、物事に対し独自の視点を持つことができる。新しくユニークなアイディアは革新を産み、別の個性の存在が組織にとって良いアクセントとなり周囲を刺激し、さらなる前進に向けての力になる。

帰国し、旭川の駅に着いた。駅の南側は再開発が進み、背の高いマンションがいくつか建設されている。このマンション群はいずれ高齢者向けの共同住宅になるのでは?という町の噂もある。近い将来、高齢者に十分な医療が届けられなくなり、この区画が「難民キャンプ」と呼ばれることがないように、私たちは挑戦を続けなければならないと思う。

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