臨時 vol 148 「日本版総合医は漢方を活用すべきである」
はじめに
MRICの臨時vol.133で紹介された「医療における安心・希望確保のための専門医・家庭医(医師後期研修制度)のあり方に関する研究」班会議の記録もしくは研究班ホームページをhttp://medtrain.umin.jp/index.htmlをご覧いただいた方も多いかもしれない。その中には「産婦人科、小児科、救急などは分かるが何故漢方なのだろう」と疑問を持たれた方もいらっしゃるのではなかろうか?そうした方々に何故漢方なのか、という説明責任があると考え、本稿を記す。
本研究班は「安心と希望の医療確保ビジョン」具体化に関する検討会の発展形として発足した。目的はホームページで土屋班長が紹介しているが、「様々な立場の医療者が議論・検討を重ねることにより、医師の教育研修内容、つまり、国民がいかなる人材を望んでいるかという中長期的ビジョンと医療現場の現状を見据えた上で、各診療科の研修、家庭医・総合医の養成、在宅医療の教育、専門性の教育など、具体的な後期臨床研修制度のあり方について喫緊の課題として調査研究を行う」ことである。
班の名前にもあるように専門医・総合医(家庭医)双方について後期研修のあり方を検討するのが目的である。「総合医」に関しては少し用語の混乱があり、家庭医、総合医、プライマリケア医、総合内科医など様々な名称で呼ばれていて統一されていないが、その意味するところは同じである。すなわち地域に根ざし、日常診療の8割を占めるcommon diseaseを高いレベルで診断・治療し、各領域の専門医と連携する。この場合地域の診療所で開業している場合もあるし、病院で総合診療を行うホスピタリストの場合もあろう。
ではどうしてcommon diseaseの診療に漢方が必要なのであろうか?項目を分けて説明させていただきたい。
1.医師の8割が日常診療で漢方を用いている。
明治政府が医制を布いた1968年、数百年にわたってわが国の医学の主流であった漢方に代えて、西洋医術を採用したことで、数ある漢方医の団体は姿を消した。1874年には西洋七科(理科,化学,解剖,生理,病理,薬剤,内外科)を定める新医制が布かれ、1883年には医術開業試験規則および医師免証規則を定めていった。これに対し漢方団体はさまざまな抵抗運動をし、政府議会への請願を行ったが、最終的に漢方医側提出の医師免許改正法案が議会で否決され、そして指導者の相次ぐ逝去に伴い、明治三十五年(一九〇二)には漢医存続運動はまったく終焉してしまう。いわば長い伝統を有する自国の医学である漢方を、富国強兵・脱亜入欧の政策の中で棄て去ったともいえる。
しかしながら漢方は少数ながら綿々と医師・薬剤師が継いできて、1976年に大々的に医療用漢方製剤の登場を見るのである。その後漢方を使用する医師は漸増し、最近の日経メディカルの調査では医師の8割が漢方を日常診療に用いるほど普及している。日経メディカルでは年2回定期的に漢方特集を組んでおり、使用状況超差を定期的に行っているが、大学病院勤務医師、病院勤務医師、開業医師ともにどの分野においても7割以上の医師が用いている。一番多いのは産婦人科であり、9割以上である。最近では大建中湯が外科領域で用いられていることが多く、慶應大学病院の場合大腸がんの術後クリニカルパスに入っているため、外科を回る研修医は全員漢方に触れることになる。
では実際にどの程度の国民が漢方を服薬しているのであろうか?OTC薬は漢方市場の2割を占め、最近ではメタボ対策の和漢箋、ナイシトールといった市販の漢方薬が売上を伸ばしているし、漢方便秘薬などと「漢方」がつかなくてもカコナールやコッコアポSといった商品名で売られている中にも漢方製剤が数多く存在し、その実態の把握はできていない。医療用漢方製剤に関しても実数を把握することは困難であるが、株式会社ツムラから提供していただいた資料では感冒に用いる漢方薬の売り上げから一人5日処方された場合と想定して延べで1700万人が使用していると推察された。その他の疾患を合わせればもっと多いことは言うまでもない。
2.漢方医学教育は整備されつつある
このように漢方は卒後医師が多く使っているが、多くの医師が卒前教育なしで医師になって突然漢方を使い始めていた。それでは困るというので、2001年の文部科学省の医学教育コアカリキュラムには漢方教育が盛り込まれた。その影響で現在は80ある医学部・医科大学すべてに漢方教育が導入されている。今後卒業する医師たちは少なくとも学生時代に漢方に触れてくるのである。
しかしながら急に漢方卒前教育が普及したために、教育制度が整備されていなかった。日本東洋医学会では2002年に『入門漢方医学』を出版した。本教科書は日本東洋医学会が初めて出版したものであるが、学生が学ぶには高度であり、専門医が学ぶには安易である、ということから卒前の学生向けの教科書は内容を絞り2007年に『学生のための漢方医学テキスト』を出版した。
この教科書の目的としては、漢方処方は卒業すれば誰しも使い始めるので、学生のうちは漢方の物の考え方を西洋医学と対比しながら理解することに重点を置き、疾患別各論の治療は最低限の知識に留めたことが特徴である。
さらに日本東洋医学会では学術教育委員会を中心に漢方のFDを全国規模で行っており、その成果は日本医学教育学会にて逐一報告されている。日本医学教育学会では第37回から39回まで漢方医学教育に関するワークショップを行い、40回では一つのセッションとして独立した。標準化教育に向けての努力は現在も続けられている。
もう一つの専門医向けの教科書を現在作成中であり、近々に出版される予定である。ちなみに漢方専門医は専門医制評価・認定機構では多領域に横断的に関連する学会の専門医として認定されている。日本東洋医学会http://www.jsom.or.jp/html/index.htmは創立1950年で、日本医学会の第87分科会であり、現在会員数は8561名(医師7044名)、専門医数は2439名である。
このように卒前、卒後、特に後期研修プログラムについては整備が進んでいるが、実際に漢方を用いている医師数を考えると専門医数2439名は少なすぎる。漢方専門にやらなくても日常診療で漢方をある程度用いている医師のために、認定医制度を新たに設置したので、今後は認定医増えていくことが望ましい。
3.漢方薬の処方実態
上記のように医師の8割が漢方を日常診療に用いており、さらに国民の多くがそれを利用しているが、売上ベースでみると漢方の市場シェアは医療用製剤全体の1.2%にしか過ぎない。要するに漢方を使用する医師が多いといってもファーストチョイスとしてどんどん使う、という状況にないことを表わしている。
一見矛盾するこの数値は、ほとんどの漢方使用が各サブスペシャリティーの領域でごく限定された処方のみしか用いられていない実態を明らかにしている。一部の漢方専門医は、漢方医学的使用法で治療成績を上げているが、ほとんどの医師は「月経困難症には桂枝茯苓丸」といった病名投与である。上述の教育の中で、卒前と専門医教育は充実されつつあるが、漢方使用のマジョリティーを占める総合医たちを対象とした漢方教育が大きく遅れを取っている。8割の医師が漢方を用いている、ということは20万人の医師が漢方を用いているのに、専門医がたった2400名しかいないのである。日本東洋医学会では専門医よりゆるやかな認定医制度を設けたので、もっとこれを利用する医師が増えることが望まれる。
一方で実際には漢方の売り上げは伸びているにも関わらず市場シェアはだんだん低下している、という矛盾した現象もみられる。それは漢方薬という生薬原料を用いているにも関わらず、2年ごとの薬価改定で薬の値段そのものが下がっているからである。実際には中国経済の発展に伴う人件費の高騰、元高基調の為替レード変動などにより原材料費である生薬の価格は年々高騰している。日本の漢方製剤メーカーはこの薬価低下と原料高騰のはざまで漢方を守るために四苦八苦しているのが現状である。漢方薬は高い、というイメージを持たれている方も多いと思うが、実際には漢方製剤は非常に安価である。最も高い漢方製剤である柴苓湯ですら1日薬価として485.1円である。葛根湯はよく用いられる漢方薬であるが1日3包服薬して72.75円である。ちなみにタミフルは1日2カプセル服薬したとして727.4円である。
ファーストチョイスとして用いられたとしても薬剤費が上昇することは考えにくく、むしろ医療費削減に役立つと考えられる。漢方がファーストチョイスになる疾患は多々ある。月経前症候群や更年期障害といった女性医療の分野や、パニック障害や軽度うつなど心療内科分野、また、冷えや腰痛、膝関節痛といった高齢者に多くみられる疼痛に対しても漢方が有効である。何がファーストチョイスになれるかについては整理が必要だが、種々の領域においてもっと積極的に用いられてもいいと考えられる。
4.漢方薬の医療経済的効果
漢方薬の使用により医療費削減が期待されているが、なかなかその実態がつかめていない。一つには上記のようにマーケットベースで1.2%しかシェアがなく、非常にマイナーなので、医療経済全体に及ぼす影響は明らかではない。しかしながらいくつかのエビデンスはあるのでそれらを紹介する。
1)インフルエンザに対する麻黄湯の効果(窪智宏:小児インフルエンザ感染症と麻黄湯Medicament News 2005 Sep 5; 1846: 15.)
2004年1月から5月までに当該施設を受診した38℃以上の発熱を含むインフルエンザ様症状を呈した5ヵ月から13歳までの60症例のうち、インフルエンザ迅速キットにて確認された症例をタミフル単独群、麻黄湯単独群、併用群の3群に分け比較検討した。誰もが併用群が一番いい結果であると予測した研究であったが、解熱までにかかった時間はタミフルが31.9時間であったの対し、併用群21.9時間、麻黄湯単独群17.7時間と麻黄湯単独群が一番効果が高かった。ちなみに麻黄湯は1g当たりの薬価は8.75円で、大人量は1日7.5gである。医療経済的にも単独群が最も安価であることはいうまでもない。
2)かぜ症候群における薬剤費の薬剤疫学および経済学的検討-漢方薬と西洋薬の経済性における比較研究 赤瀬朋秀ら:日東医誌50巻4号, 2000)
本研究は前述のものほど厳密ではない。1997年12月より1998年2月の3ヵ月間にかぜ症候群で調査対象施設を受診し、薬剤を投与され、かつ再診のなかった患者875名を対象として、対象患者を西洋薬治療群、漢方薬治療群、西洋薬漢方薬併用群の3群に分類し、各々のカルテ及び処方せんより薬剤数、投与日数、薬剤費を調査し比較検討したものである。結果は前述の研究と類似している。平均処方日数は西洋薬治療群では6.7日であったの対し、併用群で5.7日、漢方薬単独群で4.0日であった。使用薬剤数はそれぞれ2.9剤、2.7剤、1.2剤で平均薬剤費はそれぞれ203.8円、215.9円、119.6円であった。この数字はまだタミフルが今ほど用いられていない時代である。これをもとに試算した結果、かぜ症候群で漢方薬がファーストチョイスとなることで、年間415億円の経費削減が可能と結論している。
3)療養型病床群における漢方治療導入の医療経済効果(下手公一ら:医療経営情報 No.113, 16-18, 1999)
大病院で急性期を過ごした脳血管障害後遺症で、西洋医学的にはほぼ治療を完了した患者が多く入院している200床の療養型病床群で、食欲不振・易感染症などに対して西洋医学的にはあまり有効な治療がないということで漢方薬を積極的に導入した。その結果、感染症が低下し、一人当たりの単価が減少した。その理由の大きなものは抗生剤であった。その結果1日1人当たりの薬剤費は1394円から741円となり、653円/日/人の節減となった。これを1年間に換算すると全体では653円/日/人×200人×365日= 4,767万円の削減となった。その他精神不隠や意欲低下などの精神症状に有効で患者さんを人間らしく生活させてあげることができた、食欲不振が改善し点滴をすることが少なくなったなどが導入の効果として挙げられている。
4)大腸癌手術における大建中湯投与の入院日数短縮効果について(今津嘉宏ら:Prog. Med. 24, 1398-1400, 2004)
慶應義塾大学病院外科において1997年から2002年 に大腸癌手術が施行された469例を対象に漢方薬大建中湯使用群と非使用群で比較したところ、全体、開腹手術群、内視鏡手術群いずれにおいても大建中湯投与群で在院日数が短縮された。
ここに挙げたのはほんの一例に過ぎないが、漢方の医療経済効果についてはもっともっと研究が進んで然るべきと考える。漢方の研究費は非常に限られたものであり、基礎研究による科学的検証も臨床的なエビデンスや医療経済的研究も遅々として進まないのが現状である。米国では1998年に補完・代替センター(national center of complementary and alternative medicine)http://nccam.nih.gov/ができて以来、研究予算は年々増大し、現在1億2000万ドルほどの年間研究予算を有する。そのほかに、国立がん研究所(national cancer institute)ではoffice of cancer complementary and alternative medicine(OCCAM) http://www.cancer.gov/cam/を1998年に開設し、こちらも1億2000万ドルほどの予算を有しており、この二つを合わせると年間2億4000万ドルほどの予算となる。その中には医療経済的効果の研究も多々あり、日本として見習うべきであろう。
さいごに
以上日本版総合医のあり方が検討されている中で、漢方を活用できれば1)漢方使用そのものにより医療費削減効果が可能 であり、2)効率良い治療により専門医に回す症例が減少し、かつ患者満足度が上がるといったことが期待される。しかしながらそれらを実証していくためには研究環境の整備ならびに研究助成の増額が必要であろう。
最後に余談ではあるが、米国NIHおよびFDAが数ある補完・代替医療の中でも伝統医学をwhole medical systemsとして他のものと区別し、西洋医学と同等に体系だった医学として位置づけた。
こうした世界の動きに、中国、韓国は政府主導で伝統医学の国際戦略を立てているのに対し、残念ながらわが国にはそれがない。まずは政府に専門部局がない。中国の場合、国家中医薬管理局はおよそ70名が働く伝統医学専門の政府機関であり、厚生省にあたる衛生部の傘下にある。こうした機関は日本に存在せず、研究費も限られているために、中国や米国のような大胆な科学的推進ができず、世界の潮流から遅れを取っている。
その一方で、日本の利点も多々ある。前述のように内視鏡手術と漢方の組み合わせなど、単一の医師ライセンスであるが故にできる真の統合医療である。最先端医学に漢方を組み合わせて医療費削減を実現し、新しいスタンダードを構築できるのはわが国だけである。総合医が漢方を活用することで裾野が広がり日本発の医療のグローバルスタンダードを発信してゆくことも夢ではないと考える。