医療ガバナンス学会 (2014年12月11日 06:00)
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2014年12月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
2014年12月14日(日曜日)
【Session 07】10:30-11:15
看護師と保健師がより魅力ある職業になるために
●看護師不足と次の20年にむけて
児玉有子
看護師はプロフェッショナルと言えるのですか」夏前に研究室に出入りしている臨床実習を終えた理Ⅲ学生から聞かれた。
彼の疑問に応えるには、「看護職自身が高度技能を持つ者として独立して活動する、できることを示すしかない」のだと思う。そして、看護村の言語ではなく周囲に理解される言語で話せる看護職を増やしていかないとどんどん置いて行かれるのだろう。
日本においても看護職は不足している。「夜勤ができる看護師」となるとその不足はより深刻になる。特にこれから高齢化が進む首都圏の看護師不足は1学年の養成定員を5000人以上に増やさないと追いつかない程に深刻である。働く看護師を増やすためにはそれぞれの地域での養成数を増やすしかない。そして、進学するであろう18歳に看護職を選んでもらえるようになることが求められる。
先人たちのおかげで看護師の年間給与はサラリーマンを上回るようになった。もちろん、命を守る職種に相当か。については議論が分かれるだろう。しかし、これからの看護職は「大変さ」を訴えるのではなく、一人で判断でき、命を守る上で欠かせない有能な職業人であることを伝えていかなくては、18歳は目にとめてくれないように思う。
大学化が促進され20年あまりが経過した。大学化により、臨床家、研究者、教育者、政策立案者、政治家それぞれの立場の看護職が増えてきた。そして、様々な職にある看護職者のネットワーク強化が、看護が活躍できる場を広げ、看護を学びはじめる後輩たちのため、プロフェッショナルとして2020年に世界中からの訪問者を迎えるための準備になると考える。
●災害慢性期の健康支援と新米保健師
園田友紀
被災から3年が経過した今年4月、私は保健師として石巻市に入職した。石巻市は2011年3月11日の東日本大震災で石巻漁港に面した市中心部のほぼ全域、北上川流域や沿岸部が津波に襲われ最大の被害を受けた都市である。
震災当日は大学のある三重におり、鹿児島出身という東北とは縁もゆかりもない私が石巻に就職したのは、「同時代を生きる者として、医療者として、この震災に向き合いたい」という向こう見ずな使命感からだった。
だが実際就職して感じるのは、災害慢性期の健康支援の難しさである。
一般に地域における保健活動は地域保健法に基づき策定され、保健師はその主要な担い手とされている。訪問指導、健康相談、健康教育や乳幼児健診など直接的保健サービスの提供、住民の主体的活動の支援などを通じ、生の声に触れ、地域課題を抽出し活動している。
「仮設の壁が薄く隣人に遠慮して、子どもを思い切り遊ばせられない」と乳幼児健診の場で訴える母親、半島部で被災し慣れない地域で仮設住宅暮らしを始め認知症を発症した高齢者。活動拠点の公民館が全壊し、高齢者のグループ活動が失われた地域。
多くの住民が家族形態や住環境の変化を余儀なくされ、今でも震災の影響を受け生活をしている。また応急仮設住宅から復興公営住宅への移転が徐々に進行する現在、高齢者のADLの低下や認知症、孤独死といった環境の変化に伴う健康リスクが予見されている。それら課題に今後対応するのは、外部支援者ではなく地域の保健医療福祉関係者、そして住民である。
石巻には震災を契機に現状を打破しようという勢いを感じる。マタニティから未就学児親子の居場所作りを始めた3児のママ、重症心身障害児の娘と共に避難した経験から地域の災害弱者を繋ぐ取り組みを始めた方。被災地で保健師をする醍醐味は彼らのような住民と共に地域で健康を創造する過程を共有できることであり、新米保健師として石巻から現場の声を届けたいと考える。