医療ガバナンス学会 (2014年12月17日 15:00)
平成26年11月20日 於 福島市アクティブシニアセンター「AOZ(アオウゼ)」
今野 順夫氏主催 第79回ふくしま復興支援フォーラムにおいて報告
いわき麻酔と痛みのクリニック
院長 洪 浩彰
2014年12月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●転
インターンと呼ばれた2年間の無報酬研修制度が、昭和43年、臨床研修制度へ転換。それが平成16年4月、新医師臨床研修制度へと衣替えした。
曖昧な記憶によれば、当時のスローガンは「難解な病気より、風邪を治せる医者を」という感じだったと思う。当時は素直に信じていた。今思えば、風邪を治す薬は現在でも無く、開発できればノーベル賞。しかしながら、厚労省がイエスマンを集めた会議は、3年を待たずにスタートさせた。その結果、風邪を治す医者を増やすどころか、難解な病気を治す医者すら地方から減少した。
その意味がずっと分からないままの私に、とある先輩が教えたくれたこと。それは文科省に厚労省が勝ったこと、だと。確かに医療自体は厚労省。しかしながら実際の権限は大学教授。要するに、大学を支配する文科省が、医療の根っ子を抑えていたのだ。長年、厚労省はおもしろくなかったに違いない。医療の根幹を奪還した厚労省による政策は、大学教授から人事権を奪い去り、地方医療の破綻が始まった。従来、数十人の卒業生が大学で臨床・研究・教育に従事したが、10人に満たない現在の研修医では、医師の派遣はどだい無理な話である。ほとんどの卒業生が、特に都会に向かい、市中病院に散逸した。そもそも人材窮乏に喘いでいた地方病院は、さらなる縮小を余儀なくされている。ここにも地方市民の声は反映されては居ない。
縦割り行政により、大学を含む教育は文科省、医療・介護は厚労省、救急搬送が総務省の管轄であることは、いまさら云うまでも無い。ケガ・急病は、誰かが医院まで運ぶか、あるいは往診が普通であった時代、救急車はそもそも火事場へ駆けつけるものだったようだ。よって救急車は消防署に待機し、管轄も総務省。それがいつのころからか、救急医療と云えば119番となり、使用頻度もうなぎ登り。しかし搬送途中、厚労省管轄では無いため、医療行為は出来ない。それではまずいと平成3年、救急救命士制度が発足した。なれど、所詮厚労省管轄ではないため、彼らはとても中途半端な位置に甘んじている。
さて、その救急医療。全国的な混沌は今も続いている。
そもそも日当直は、夜間休日に入院患者を診るための院内業務である。何も無ければ睡眠は可能で、当然翌日は通常業務に当たる。律令法で定められた宿直(とのい)はまさにそれで、呼び名も意味も変化したが、日当直である以上、院内業務が優先される。急増する交通事故を背景に、さらには内科疾患への対応も求められるようになり、県単位での救急医療体制が構築されてきた。しかし今も尚、日当直と呼ばれる当番制である。よほどの事がない限り、翌日は通常業務。よって実態は36時間勤務。睡魔と闘う36時間。とはいえ寝不足を理由にミスを犯してはならぬ36時間。専門外を診ることも当然と思われており、そこでの診療ミスは裁判で敗訴の憂き目に遭う。我々はこれをとても理不尽に思っている。
こんな実状もある。大学病院で行われる手術。困難症例や高度先進医療のため、どうしても長時間化しやすい。当然夕方の5時を過ぎることも、深夜0時を過ぎることも少なくは無い。けれどその手術を支える看護師。余程でない限り、夕方5時以降は当直体制のみとなる。大抵3人。それでは手術1件しか対応は出来ない。夜間緊急手術もある。その時は医師が看護師の代替となる。養成に多額の税金と時間を要した医師が、看護師の仕事を要求されるのである。なにも大学病院に限らず、市中の総合病院でも同じ事。これではいくら医学部定員を増やしたところで、その果実を得るのはまだまだ、まだまだ先のお話しだろう。
日本では特に、小児科、産科、麻酔科、外科が不足している。一人で多くの患者を診療せざるを得ないため、待合室でインフルエンザにかかる小児。産科医の減少により、里帰り出産が困難なことは既成事実。私の様な麻酔科医も少ないため、外科医が自ら麻酔を行うことも日常茶飯事。これでは欧米並みの術中循環呼吸管理も、術後の疼痛管理も、緩和医療での有効な鎮痛対策もおぼつかない。腫瘍内科医が希な日本では、外科医が抗癌剤を投与している。いくら頑張っても仕事量は尋常では無い。脳卒中を診る神経内科医も足りない。高齢化社会でこれは問題。癌の判定を下す病理医、いわき市には二人しか知らない。術前後の放射線治療に関わる放射線科医は、いわき市には不在。東北大学から通う医師に頼っている。
医療事情は、実はこんなにもお寒いのである。
そこへ追い打ちをかけているものがある。我々の意欲を打ち砕く様々な患者・家族・風潮。診療費不払いを平然と考える。権利意識が強く、要求には長けている。インターネットは全て真実と、こちらのアドバイスを軽視。まるでネットを信仰しているかの如く。予約外来を連絡もなくキャンセル。ホテルなら全額を請求されても文句は言えまい。他の患者に無配慮、モンスターペイシャント化するクレーマー。いきなり治療法の変更を要求する遠方縁者。煽るだけ煽り、無責任なマスコミ。「報道」とは呼べない幼稚なニュース。ただの「放送」である。
さらに裁判,従来の医療裁判。どうしても亡くなられた方へ重きが置かれてきた。大抵は、「適切な医療を施していれば救命できた蓋然性が高い」と。裏を返せば適切な医療でも救命できたとは限らない。現場の人しか分からないことではないか。我々が医療ミスを犯せば訴訟となる。しかし、警察が、検察が、裁判官が、逮捕ミス、公訴ミス、判決ミスをしても、よほどの事がない限り、お咎め無しである。不公平と思うのは私だけだろうか。そこへ福島県立大野病院産科医誤逮捕事件。到底承服しがたい警察・検察の横暴と思う。ただ流れが変わったことも事実。この地裁判決後、判決の行方がいくらか正常化したと感じている。
近年悩ましいバトルが勃発。それは開業医vs.勤務医である。かつては同じ大学医局、同じ総合病院を経由し、先輩後輩の仲。とうぜん夜の街へ繰り出すことも多々。開業医から勤務医への紹介も大変スムース。この関係にも大きな変化が現れた。勤務医の減少、紹介可能病院の減少により、勤務医には過労感。呑みにケーションの減少もあり、時には逢ったことの無い医師へ紹介せざるを得ない。そこに芽生えるのは不信感。診療所では診察不能として紹介しても、勤務医はこの多忙の中、なぜこんな軽症例まで診なければならないのか、という想い。また開業医は、夜間休日に働く勤務医を知ってはいるが、近年の異常なまでの多忙さまでは想像し切れていない。勤務医は勤務医で、開業医に閉口するが、開業医が居なければ外来がパンクする、退院先が無い、などとまでは想像が難しい。
ここにきて、あの東日本大震災・原発爆発事故。小さなお子さんを持つ看護師の多くが市外へ避難した。親戚から避難を強要された方々も。落ち着いて戻ろうとしても、残留し苦労した看護師との間に軋轢が生じ、復帰を断念した看護師も多い。ここに、多大な看護師不足が生じた。同時に、巷には医師がわんさか逃げ出したとのうわさ。現実には医薬分業、そして閉鎖された薬局により、処方したくても出来ない事情もあった。病院は将来ある若手医師を避難させ、年寄りばかり残って対応したが、やはり一斉に逃走したとの悪評は消えなかった。原発爆発事故の影響は現在も続いている。非医学的社会的要請に基づく検査・治療があり、通常診療を圧迫している。また現在の環境放射線値の説明をしても、ほとんど理解を頂けない。チェルノブイリ原発事故後、小児甲状腺癌の増加という医療側の報告は信じて頂いているが、現状なら安心出来るという医師の説明は、まるで信頼され<ていない。
ある意味、医師はブタさんなのかも。「ありがとうございました」という言葉に弱いのである。上手くおだてて持ち上げれば、木に登るのである。なのに、懸命に説明してもなかなか信じて貰えない現実。時には隣人や友人の言葉にも負けてしまう。我々が信頼に足る言動を怠ってきたためであろうか。医師側の猛烈な自省が必要であろう。
●結
さてさて、嘆いてばかりも居られない。課題が多いほど、すべき事は山積している。まず手を付けるべきは新医師臨床研修制度か。それは旧来の医局制度へ戻すこととは異なる。
旧来の医局制度は、教授に権力が集中しすぎており、金銭的にも不透明な部分が多い。しかしその強力な人事権により、医師は過疎地へをも派遣されていた。医局の看板を背に、行動にも自ずと規律が働いていた。
新医師臨床研修制度は、卒業生個人の施設選択の自由度を上げた。その代わり、都市への一局集中、個人主義によるモラルの低下、医学研究者の激減をも招いた。
病院には、企業とは大きく異なる文化が存在する。地方の病院長は従来、大学教授定年後のポストであった。その強力なコネを利用し、医師を確保することが最大の役目。経営は実質、事務長が担う。一方でスタッフ最大の勢力を誇る看護部の存在も大きい。そして我々医師。その病院に赴任した場合でも、医局との縁が濃ければ、心中のボスは実は教授なのである。帰属意識がまるで異なる。開業しても医局と?がっていればなおさら。大学医局の力は大きい。
では肝腎の解決策は如何に。それが無いのである。妙案も妙薬も見当たらない。八方塞がりのまま現在に至る。若手医師の都市集中が進む間、地方医師の平均年齢は徐々に高齢化し、衰退の一途。唯一の答えは考え続けることだろうか。へこたれず諦めず、あがき、もがき続けるだけなのかも知れない。県立大野事件に学ばなければ、適切な医療から、訴訟とならない医療へ、保身的な医療への加速も止まらないだろう。
ここに私案を提示する。それは「新医局制度」である。一般市民をサポーターおよび監視役として、教授をトップとしたピラミッドを再構築するのである。適切な人事および会計を担保するには、とことんまでのディスクロージャー。全てをホームページで詳らかにするのである。独自に進歩させた内部告発制度も求められよう。卒業生には一定期間、大学での研修を義務化する。若手医師は医局の監督下、臨床、研究、教育に携わる。大学でトレーニングを受けた医師のみが市中病院で働くとなれば、相当程度力をつけた医師だけが、臨床の最前線に立てるのである。最後は、皆さん一般市民からの高い関心と強い応援が、医療を強化しよう。賛否両論は織り込み済み。なおのことご意見を頂戴したいのである。自身の老後、お子さんやお孫さんの将来のため、皆さんのお力を頂きたい、そう強く願って止まない。