医療ガバナンス学会 (2014年12月18日 15:00)
長崎県医師会医療紛争処理委員会
島原市医師会医療紛争担当理事
山崎 裕充
2014年12月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
「同じ刃、同じ傷、同じ血」はドイツの法律家カールによる、外科手術と刃物三昧の傷害罪行為の類似性についての巧みな喩です。行為と結果との間に因果関係があるというだけで処罰されるならば、医療者も無頼漢も同じ傷害罪や殺人罪になります。人の傷害や死に直接かかわることを業務としている医療では、メスの刃が少しだけ滑るというような僅かなミスであっても、容易に患者の死亡という重大な結果を引き起こします。反対にミスが無くても、あるいは注意深く行われた適切な医療であっても、病状によっては重大な結果を回避できないこともあります。刑法の大原則は「犯罪は行為なり」といわれており、どのような目的や意思に基づいて行われた行為なのかが重要とされています。刑法35条の条文は、「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」とあります。つまり、法律や条例で規定してある場合や、医療のような正当業務行為は犯罪として罰せられません。これは考えてみれば当然のことで、医療行為はそれを許す法律がなかったはるか昔から存在しており、何人もそれが犯罪とはならないことを疑うことはありませんでした。このように刑法35条は医療業務については、その行為を国が正当と認めて刑罰を与えないとする約束事であり、したがって、刑法35条は結果に条件を付けずに、「法令又は正当な業務による行為は、結果の如何を問わず、罰しない」と解されます。一方、医療のように業務行為ではない緊急避難行為は、刑法37条1項に、「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危険を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない」と規定されており、業務と業務でない行為との間には、正当行為であっても衡量的条件を付けて区別され、結果が悪ければ罰するという内容になっています。
医療過誤で医療者に問われる刑事責任の殆どは、業務上過失致死傷罪(刑法211条1項前段)です。業務上過失致死傷罪は、自動車人身事故について昭和28年8月21日の福岡高裁判決での初回適用以来、これまで圧倒的多数が交通事故に適用され、昭和46年には拘留や禁錮の実刑が4845人のピークに達しています。我国で、医療過誤に業務上過失致死罪が初めて適用されたのは、交通事故の大量重罪化と時を同じくした昭和47年5月19日付け判決となっています(ちなみに、業務上過失傷害罪の初回適用は昭和51年3月18日付判決)。業務上過失致死傷罪は明治40年に制定された現行刑法典の中にすでに存在していたので、制定されてから65年間もの間、医療事故は民事訴訟の責任の対象になっていても、刑事訴訟の傷害罪の対象にはなっていなかったことになります。この背景には、医療事故についても交通事故と同様に結果の重大性と、遺族の強い被害感情や、マスコミの過剰とも思える報道があり、昭和40年代から過失を責任の要素とするそれまでの考え方が修正され、医療行為そのものが違法性、ないし構成要件該当性の要素として、傷害罪の問題として捉えられるようになっています。現在、通説となっている刑法理論は2段論法になっていて、「?医療行為も傷害行為の実行行為に該当するが、?医師が適切に行う場合は正当行為(刑法35条)として、または相手方の承諾に基づいて違法性が阻却される」となっています。ここでの「相手方の承諾」は、20世紀の後半に登場した生命倫理でいうところのインフォームドコンセント(説明と同意)とは異なった概念です。また、「医師が適切に行う場合」とは、一般に医療水準が基準になるとされています。
民事裁判では、医療事故における医療行為と結果との因果関係の立証が難しいことから、結果予見義務違反と結果回避義務違反の両者が主として問われています。裁判のときには医療事故はすでに起きていますので、後知恵を使って裁判所が予見し回避すべき被害をはっきり見つけ出すことは容易です。このように民事裁判は、「初めから過失ありき」の後知恵バイアスになっており、違法性の根拠は一つの推論、あるいは結果だけから判断される非難可能性(責任)になっています。一方、刑法は人を罰する法律なので、民事裁判よりはるかに厳格な判断基準が必要な筈で、特に医療では、病気の重症度や増悪・進行、患者の年齢(体力)や病気に対する治癒力、患者の持病や合併症の有無など、治療以外にも多くの要因が経時的に複雑でダイナミックに関連しており、自然科学的な観点から因果関係の厳密な証明が求められるべきです。しかし、それらは考慮されることなく、「健康や生命という法的に保護すべき国民の生活利益を不当に侵害した」とする一方的で抽象的な法益侵害説になっています。法益侵害説では、「正当行為は、刑法35条が認める傷害という法益侵害を上回る利益の存在をもたらす行為として違法性が阻却され、この場合の法益侵害を上回る利益とは治癒である」とされています。したがって、法理論では、「この治癒が実現されないときは、刑法35条は適用されない」ことになります。医療では患者に一定の治療結果を保証できないので、治癒が実現できなかったとしても、それが直ちに医師の過失とはなり得ません。また医療者が病気は治癒したと判断しても、その結果が患者側の期待にそわなかった場合や、何らかの不具合が残れば、いつまでたっても治癒は実現されません。現状では、治癒や医療水準は裁判所が作るというおかしなことになっています。
「相手方の承諾」については、「患者の承諾があれば傷害に関する法益が処理されていて法益を保護する必要が無く、したがって、治療における傷害行為の違法性が阻却され、傷害罪は成立しない」と法律家は言います。一方、医師には、「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」とする応召義務(医師法19条1項)が課せられています。患者は診察治療を求めて医療提供施設を訪れ、医師は応召義務により診察治療を行っていますから、診察や治療を受けることは拒否しない意思方向にあると判断され、わざわざ診察治療をさせて欲しいと医師が患者に頼んだり、要求したりすることはありません。また、承諾があるかないかで、傷害行為の構成要件に該当したりしなかったりして違法性が変化するのであれば、考える間もなく一刻を争う救命・救急医療現場で、医療者は治療ができなくなります。結局、「承諾の有無」も「治癒の実現」と同様に患者側の納得次第で、治療の結果に納得した時には「相手方の承諾」の有無は問題にならずに、納得しなかった時にのみ裁判で、「診察治療を承諾しなかった」と主張されているだけだと思われます。
医療には病気による侵害、治療による侵害、法益侵害、そして人権侵害など、もとからあった侵害や、惹き起こされた侵害など多くの侵害が混在しており、法益侵害だけを見ていると他の重要な侵害を見失ってしまいます。医療が進歩した現在でも、不治の病や致死率の高い病はいくらでもあり、「治癒しない」、あるいは、「死亡という結果が生じた場合」に、健康や生命という法益が侵害されて違法になれば、法律は成立しても医療は成立しません。社会生活上不可欠な医療を成立させるためには、刑法35条の「罰しない」という条文は、違法性阻却事由によって正当化が振り分けられるのではなく、医療は、「国民の健康の保持に寄与することを目的とする(医療法1条)」正当業務行為であり、「医療行為による身体の傷害や損失は、法益侵害と見做さない」と解釈すべきと思われます。医療における法による処罰が、法益保護や社会秩序のためにふさわしいのかどうか考え直されるべきでしょう。
医療界は以前から、業務上過失致死傷罪を医療過誤に適用すべきでないと表明してきました。刑法の基本原理である罪刑法定主義では、あらかじめ国民の前に、法律で何が許され何が許されないのかを明確に告知しておくための「明確性の原理」が重要とされています。「正当な業務による行為は、罰しない」と規定されている医療行為の上に、「承諾がない」、「治癒しない」、あるいは、「死亡した」医療行為は違法であるとする法益衡量説が乗っているために、同じ医療行為でありながら、どのような行為が違法であり犯罪となるのか国民にとって分りにくいものになっています。医療過誤における業務上過失致死傷罪の適用は、「明確性の原理」に抵触しており、まさに、憲法のいうところの罪刑法定の原則に関わるものです。
結果が悪かったとき、法律は過失行為を探そうとするだけで、許されるものとしての行為を一切見ようとしなくなります。医療には正当行為を支援する現実的なルールが必要で、「どのような行為が正しくないかを示す」法律規範よりも、「どのような行為が正しいかを示す」倫理規範の方が適しています。倫理規範は、法律のような強い強制力や制裁力はありませんが、自治的に掲げる規定であるため、医療の専門家集団にとっては強い拘束力があります。倫理原則にはインフォームドコンセントを代表とする自律尊重原則や、尊厳原則など多くのものがありますが、治療に関連するものとしては恩恵原則である、「患者の益になることをせよ」、「害に優る益をもたらせ」などがあり、管理や看護に関連の深いものとしては無危害原則である、「患者に危害を与えないこと」、「患者の傍らにあれ」、「患者の秘密を漏らすな」などがあります。これらの原則は、どれも医療においては欠くことのできない本質的に重要なもので、このような倫理義務であれば医療者は逃避的ではなく、患者の健康を向上させるために積極的に取り組むことができます。
医療事故は、過失や過誤といった法的判断ではなく、「計画された医療行動が意図したとおりに達成されなかったこと(医療失敗)」という、倫理的判断や倫理規範の不履行として責任のあり方を考えることができます。各種の倫理原則に立脚して、「医療失敗」は、「治療失敗型」、「管理失敗型」、「医療不作為型」の3つに大別されます。「治療失敗型」は恩恵原則の「害に優る益をもたらせ」の失敗に、そして「管理失敗型」は無危害原則の「患者に害悪や危害を及ぼすべきでない」の失敗にそれぞれ対応しています。医療においては必ずといってよいほど危害と恩恵とは表裏一体として含まれており、状況によっては複数の原則が対立することもあり、倫理的判断は複雑で必ずしも容易ではありません。参考までに、倫理問題を把握し議論を深めていくための作業手順として以下のものを示します。
「医療失敗」
1.治療失敗型……積極的な治療行為実施により、悪しき結果に終わった場合。
それは、検査、診断、処置、麻酔、手術、治療など、医学的な知識や技術や経験を必要とするもの。
2.管理失敗型……治療の前後における管理、看護により、悪しき結果に終わった場合。
それは、患者や患部の取り違え、薬剤の量や種類の間違え、異物遺残、入院中の転倒転落、情報伝達や医療機器の誤操作など、特段の医学的知識を必要としないもの。
3.医療不作為型…応召義務違反により、悪しき結果に終わった場合。
「医療失敗」における医療者の責任のあり方を検討するにあたっては、「医療での過失は犯罪対象としない」と罪刑法定主義により国会で決議して、裁判所から都道府県単位の医療事故補償制度(仮称)といった別の枠組に場所を移した方がよいと思われます。そこには患者側と医療者側の弁護士、医療の専門家、医療倫理の専門家、保険会社の代表などが参加して、適切な金銭的補償による和解が考慮されるべきと考えます。ここでの金銭的補償は、刑事罰や行政罰としての罰金、あるいは民事裁判での賠償といった違法性を前提としたものではなく、また、過失が支払いの前提となっている医師賠償責任保険ではなく、「医療失敗」を前提とする医療補償保険や無過失補償といったものが考えられます。「治療失敗型」では、原則として治療費用の返還や免除が、「管理失敗型」では、原則として被害の補償や慰謝料が提供されるべきと考えます。「医療不作為型」は、医療を遂行しないことにより悪しき結果に終わった場合で、ここだけは医療業務を認可した厚生労働省の責任による行政処分が妥当と思われます。行政処分は裁判における訴訟手続と違って、比較的簡単な手続で実行されますので、医療行政庁による処分権の恣意的行使がなされないように手続の厳格化と、「医療不作為」についての明確な定義と具体的な範囲が示される必要があります。
来年10月から、改正医療法による医療事故調査制度が施行されます。この制度設立の契機となったのは、平成18年の福島県立大野病院事件(無罪判決)で、医師法21条による警察への届出義務違反と、業務上過失致死罪容疑で産婦人科医師が逮捕された事件です。治療における医師の判断や手術法の選択にまで捜査当局が踏み込み、医療現場に大きな不安と混乱を与えました。当時の自民党と厚生労働省が、「警察が医療現場に入ってこないためには何ができるか」の観点から検討されたものが、6年前の「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」です。大綱案では、第三者機関を行政庁が作る公的な医療安全調査委員会にして、医療機関が第三者機関に届け出ることをもって医師法21条による警察への届出を免除するというものでした。しかし、第三者機関がすべての権限を持って医療事故の調査を行い、「重大な過失や、標準的医療からの著しい逸脱」は警察に通知する内容であったことから、「警察通知の範囲が曖昧で受け入れられない」との医療界の強い反対論と、政権交代とも重なり法案の国会提出が見送られました。今回成立した制度は、「警察が医療現場に入ってこないためには何ができるか」という当初の目的は変更され、調査結果を警察や行政に届けるものでなく、再発防止に目的が限定された制度になっています。再発防止こそが医療行政であり、医療事故調査制度に医療者が協力することで行政の目的は達成されるかも知れませんが、反面、再発防止策を含んだ院内調査報告書が公表されれば、大野病院事件がそうであったように、それが刑事司法による捜査の切っ掛けとなることが危惧されます。
重要で本質的な問題は、「医師法21条による警察の医療現場への介入」ではなくて、警察が独自に第三者機関の分析結果や調査報告書を見たり、あるいは、報告書を見た遺族が警察に駆込むことによって、「犯罪事件として刑事司法による医療現場への介入」がなされることにあります。医療のことが解らない捜査当局と、医療の実際と懸離れている法益侵害説によって、何でもない日常診療までもが傷害罪という犯罪になり、治療結果が悪ければいつ刑事被告人になるか分からない状況があります。医療者が犯罪者として刑事訴追されるようであれば、病人を助けたいと医学を志す人はいなくなり、“犯罪リスク”の高い医療分野から医療者は撤退することでしょう。医療事故に刑事裁判や民事裁判はそぐわず、さりとて医療事故調査制度は紛争解決の目的を持ちません。新たな医療事故調査制度では、医療の専門家による自然科学的な観点から原因分析を行い、ご家族やご遺族に丁寧に説明することが求められます。そして、紛争解決のために別枠制度で、医療倫理原則と合理的な根拠に基づいて被害の適切な補償を検討する必要があります。法に頼らない紛争解決システムを構築することが、これからの医療界の重要な課題と思われます。