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Vol.016 早死のすすめ ~安楽死・尊厳死の法制化で、防ぐ国体の衰え~

医療ガバナンス学会 (2015年1月22日 06:00)


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エッセイスト
一ツ橋二ノ禄

2015年01月22日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


新年早々縁起でもないが、多死社会だそうだ。人口が減り始めたということは、経済成長などできっこないことは誰だってわかる。資金の投入先を変え若い人にチャンスが平等にいきわり、その才能を存分に発揮できる社会を目指さないと、この国の勢いは益々衰える。

しかし、人間はなかなか死がない。いや、死ねない、死なせてくれないといった方がいい。なんとかならんのやろか・・。手っ取り早いのは、老人に早く安らかに死んで頂くしかない。つまり、早死のすすめである。

期せずして、昨年11月に20代の若い米国人女性が安楽死を求めて居住する州を変え、医師により処方された薬を飲んで安楽死したことが話題になった。欧州でも同じようなことがあったと聞く。しかし、日本ではまだ安楽死も尊厳死も法律として認められていない。自殺は罪ではないのに、自殺を助けると罪になる。過去、医師が安楽死・尊厳死に関わった刑事事案では、被告人である医師はすべて有罪になっている。本人や家族が死にたい、死なせてほしいといっているのに、だ。

一方、ある調査によると、国民の実に7割以上が「延命治療を望まない」となっている。つまり、多くが尊厳死を求めている。人工呼吸器や胃瘻などは一旦装着すると容易に外せない。しかし、患者の家族は命が助かるなら、と意味をよく理解しないまま装着・増設に同意してしまう。

私の遠縁は3年前に脳梗塞で倒れて胃瘻を受け、94歳にして今なお肌つやつやのまま横たわって「生きている」が、彼女の元気な頃を知る者は、「本人は死にたいに違いない」とさえ言っている。今、こうした延命治療を受けている患者は数十万人いるとされる。さらにこの「治療」にかかる費用は年間1人当り1,000万円という試算もある。 1万人の延命治療を止めれば1,000億円が浮く計算だ。

そもそも「長寿」や「敬老」を尊ぶ考え方はいつ何処から来たのか。調べてみたら、なんと「敬老の日」は戦後のことで、「こどもの日」や「成人の日」があるのだから「老人の日」も作ろうとなって、老人では失礼だからと昭和30年代に「敬老の日」に改称したそうだ。つまり、お上が押し付けたに等しい。平均寿命が60歳代の頃だから長寿は祝うに値すると考えたのかもしれないが、若い人より老人の方が投票率の高いことを知っていた政治家により作られたと勘繰りたくもなる。

本当に長寿はめでたいものなのか? 私の91歳になる母は昨年脳梗塞を2回発してから認知が進み、毎日のように付き添う娘のことも分からない。あげくに、親身に接してくれる介護士さん達にひどい暴言や暴力をふるう。本人もつらいからだろうが、傍らで見ているだけの私も「これは母ではない」と無力感に苛まれる。正直「早く死んでくれ、死なせてやってくれ」と心の底では思っている。その方が本人や家族、そして世のためであると思うからだ。

そう言えば、この国には「姥捨て」という風習があったではないか。野辺送りや里山といった言葉もこの風習に由来する。あれはその家の食い扶持を減らすのが目的だったのだろうから、国全体の食い扶持が減ってきた今こそ、姥捨ての風習を学んでもいい。現代となっては裏山では問題も多かろうから、こうした「国体を治療」できるのは医師だけだ。

自分の命の行く末を、自分で決める選択権を持ちたい。国は今すぐ全国民に、延命治療受否の選択を義務付ける。加えて、安楽死も病気のみを対象として認める。国民多くの合意と同時に医療者にも相当の覚悟と心のケアが必要になるが、こうしたことを早く法制化して実施しないと、社会システム全体がゆっくりと機能不全になる。最近これをスローバイオレンスというらしい。

にもかかわらず、老人票を1票でも欲しい政治家は「命は地球よりも重い」などと嘯く。「持ったことがあるのか?」と聞いてみたい。私は地球の命の方が心配だ。

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