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Vol.047 “避難指示・解除・準備区域”から:5回目の3.11を迎えて

医療ガバナンス学会 (2015年3月11日 06:00)


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南相馬市立総合病院・神経内科
小鷹昌明

2015年03月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


20キロ圏内の、もと“警戒区域”が揺れている。
南相馬市小高区は、原発事故の直後から警戒区域に指定された。2年前に“避難指示解除準備区域”へと改められ、帰還準備のために立ち入りができるようになったが、宿泊することは許されていない。全住民約13,000人が、いまだに避難生活を続けている。
ここへきてやっと、2016年4月の完全帰還を目指して除染作業やインフラ整備がはじめられ、民間やNPOや有志団体など、個人レベルにおいても小規模ながら取り組みが開始された。東京オリンピックの準備もいいが、まさに復興のフロントラインであり、いまもっとも注目されているエリアである。

日本の未来を考えれば、とても重要なことだし、加速させるべきことなのだが、遠距離で避難を続けている住民の中には不安を口にするものがいる。
すなわち、「皆で楽しいことを始めるのはいいが、オレらが帰った頃には居場所がなくなっているのではないか。つまらないことだけど、そういうことも避難している人たちは心配しているんだよ」と。
「帰還する覚悟を持った人間が戻ればいいだけだ」と断じてしまえば済むことなのかもしれないが、これが南相馬以外で避難生活を送っている人たちの心情であり、言うならば、自分の街に負い目を感じながら過ごしている人たちが、一部にはいるということである。
遠方に避難していて、通って来られない住民にとっての唯一の情報は、テレビと新聞である。
「帰ってくる人たちのために皆で頑張っている。だから堂々と帰ってきな。居場所作って待っているから」と前向きな声を聞くこともあるが、ことはそう単純なものでもない。すなわち、若者たちのなかにも避難したものと、地元に残ったものとの溝があるように、子供たちもそれが原因のイジメがあり、「せっかく帰ってきたのに、また避難していった」という話も聞く。
こういう分断は必ずあるのではないか。被災地では再編成が必要なのだが、それを邪魔しているのが整合性の欠如というか、村社会である。
地元を復興させようとして奮闘している人たちのなかに、後から入り込むことなどできない。「“ただいま! 留守番ありがとう”、“お帰り! 待っていたよ”の気持ちさえあれば」と言うが、さまざまな感情の渦巻く被災地で、そんなに上手くいくだろうか。私のように流れてきた人間にはけっして理解できない、田舎ゆえの根深い問題が横たわっている。

帰還を選択している人たちは、「どういう形にせよ私たちの生まれ育った故郷だから」と言う。「ここにいると周りの謙遜から逃れることができて楽なの」と語る。
先祖代々のこの地にこだわる人たちがいる。そういう人たちは、汚染されたからといって簡単に土地と結びついた心が離れるわけではない。頭では理解していても魂が許さない。いろいろなことが、予算と制度のなかだけで片付けられていく。それを“救済”とか“支援”とか言って済ませようとする。
“原発事故”という不条理で理不尽な扱いを受けた人々がここに戻らないということは、見えない何かに与したことになる。ここを捨てれば、自分が自分でなくなる。それは、絶対に認められない。己であり続けるためには、ここに戻るしかない。そう叫んでいるようだった。

「4年も経って、まだ原発なのですか?」、「除染など少しずつ進んでいるのではないですか?」、「戻りたいと言っているのなら、戻ればいいじゃないですか」、「いまさら何を言いたいのですか?」、県外の人々は問う。
なぜ私は、被災現場について語り続けたいと思うのか。確かに自分は、ただの医者である。ここで3年間生活しているとはいえ、被災地で使えるような専門性もなければ、放射線に関しても聞きかじりの知識しかない。復興に対しては何の取っかかりもなく、無力で、問題の周辺をうろついているだけである。
私も、なぜ20キロ圏内に頻繁に出入りしているのかを問われると、正直首をかしげてしまう。でもなぜか、小高区への帰還を望んでいる人たちからは、「先生のように、何もわからないのに来る人間も必要だ」と言われる。私のような地元の人間でない方が、かえって受け入れられやすいのか。
陽だまりの中で平和に暮らしてきた私を、もうひとりの自分が責め立てる。実は、こんな私だって、せめて被災地住民と同じ気持ちでいたい。現地に住み、自分の目で、耳で、肌で、感覚で現状を体感し、喜び、笑い、悲しみ、それを世の中に発信したい。勘違いでも自己満足でも、そうすることが街の再生につながり、ひとりの人間にとっても安心につながるのだということを。

ある出版関係の人から「南相馬市のことを見ている人なんて、都会にはほとんどいません。ましてや、エッセイや本にしても売れません」と、はっきり言われた。だから私は、ムキになっているのかもしれない。確かに、原発のことを語る時期は過ぎた。だから、一千有余年の歴史と、そこで暮らす人たちの息遣いにも目を向け、伝えたくなるような事実はないかと小高区の人たちと出会い、メッセージを引き出す。しかし、その場で語られることの多くは、純粋で素朴な「帰りたい」という当たり前の気持ちだけである。特別な感情では、けっしてない。
私は、福島の悲哀を追い求めているだけなのか。自分にできる何かをずっと探しているだけで、自らを育てたいだけではないのか。そう考えると、被災地の現状を伝えることに、一体どんな意味が含まれているというのか。
ただ、私がこうすることで、少なくともこの道を進めば人と出会うことができる。独りの人間として自己を立ち上げ、維持しようとする個人を見据えることができる。そして、人間をよく知れば、立場や意見は違えど、人を憎まなくなる。きっと、それだけで十分なのだろう。多くを求めること自体が、間違っているのだ。
そうだ、私のやろうとしていることは支援ではない。支援は善意だ。善意は正義だ。正義は正しいのが当たり前で、私が目指すものは正しさではない。ありのままのこの世界での暮らしである。

人生というのは、時としてとても過酷なものだが、でもその一方で、純粋に楽しいと言えるようなものも少なからず存在する。たとえば山の稜線を歩く、馬の手入れや『相馬野馬追』などの伝統行事に参加する、仲間と木工製作や料理教室、エッセイ教室を開催する。自分としては、そのような些細な喜びにもっと高い価値を見出し、限定された人たちだからこそ触れ合う意義深さを感じながら、小高を見届けることで自身の道を見つけていきたい。
「多くの物を失った場所」が「多くの物を生み出す場所」へと変化しつつあるこの地において、同じ年代を生きたものとして。

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