最新記事一覧

臨時 vol 120 「福島県立大野病院事件地裁判決についての感想」

医療ガバナンス学会 (2008年9月3日 11:57)


■ 関連タグ


~「医療水準論」の新展開と影響~
竹内 治(法務博士)
 
1、「医療水準論」について
 (1)「為すべきことを為した者は、生じた結果について非難されるべきではない」、逆に言えば、「為すべきことを為さなかった者は、生じた結果について非難されるべき」という理屈は、ごく常識的なものと言える。
 過失とは、結果を予見でき、回避することもできたのに、不注意にもこれを予見せず、または回避しなかったことを言う。これを極端に解釈すると、およそ危険性のある行為は一切許されず、危険な行為をして結果が生じたなら常にその責任を負わされるということになってしまい、不都合である。そこで、「為すべきことを為した」と評価できる場合、過失を否定するという解釈論を採るのが正当である。
 では、何をもって「為すべきことを為した」と評価するのか。過失犯の成否には、常にこの解釈の微妙さがつきまとう。そして、この微妙な解釈論の医療裁判バージョンが「医療水準論」である。
 (2)本判決は、医師の注意義務違反を「医療水準」(本判決に曰く『刑罰を科す基準となり得る医学的準則』)に照らして判断するものであり、民事、刑事を通じて従来から採られてきた枠組みどおりのものということができる。
 本判決の特徴は、「医療水準」を『当該科目の臨床に携わる医師が、当該場面に直面した場合に、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の、一般性あるいは通有性を具備したもの』と具体化した点にある。
 本判決の示したこの「医療水準」は、医療者からも、法律家からも、そして患者、一般国民からも、「理解可能」なラインを示しているのではないか。
 (3)「医療水準論」には、「あるべき医療」を想定し、その実践を医師の法的責任と把握して医師に高度の注意義務を課していくものから、具体的場面において個々の医師にいかなる行為を期待できるかを現実的に検証して非難可能性を問疑していくものまで、グラデーションがある。このグラデーションはつまり、「為すべきを為した」とはどのような意味なのかについての見解の差異であり、さらにいえば、個々の医師に対してどれくらいの期待をしているか、期待の大きさの差異でもある。
 判例上も「医療水準」をめぐって変遷があることは、周知の事実である。
 例えば、ペルカミンS事件の最高裁判決(麻酔剤注入後の血圧測定について能書きには2分間隔で為すべき旨が記載されているところ、「一般開業医の常識」に従い5分間隔で測定した医師の責任が問われた民事事件。最高裁平成8年1月23日第三小法廷判決)は『医療水準は、医師の注意義務の基準となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない』と述べる。医療慣行は平均的医師が現に行っている方法をいい、その実現については合理的な期待が可能といえよう。よって、これに足りない医療行為を行い結果を生じさせた医師がいる場合に「為すべきを為さなかった」と評価し、これを満たす医療を提供している医師について「為すべきを為した」と評価することは、ひとまず穏当な結論を導くように思える。しかし最高裁判所はこれを是とせず、より高度の注意義務を医師に求めている。医療水準を医療慣行よりも高度のところに求める本最高裁判決によれば、医師は常に現状に留まることなく、新知識を求めて研鑽を深める(法的な)義務(=「あるべき医療」の実践)があることになり、これを怠ったと評価される場合、「為すべきを為さなかった」として(法的な)非難を受けることになる。
 他方で、本判決(福島県立大野病院事件地裁判決)は、個別具体的事情に照らし、当該医師に現実的にどの程度の非難可能性があるかを問疑するものであり、法的責任をそこに制限している。その結果、「医療慣行」を重視する前掲の判旨が導かれているわけである。
 (4)本判決が「医療慣行」に引き寄せた「医療水準」を判断基準とした理由として、まず本判決が刑事事件に対する判決であったということがある。本判決が前掲引用部分に続いて、『なぜなら、このように解さなければ、臨床現場で行われている医療措置と一部の医学書に記載されている内容に齟齬があるような場合に、臨床に携わる医師において、容易かつ迅速に治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらすことになるし、刑罰が科せられる基準が不明確となって、明確性の原則が損なわれることになるからである』と述べていることからも、この点は明白である。
 民事事件と刑事事件とで裁判所の判断基準に差異が生じるのは、損害賠償請求権(民事事件の結論としてその存否が確定される)と刑罰(刑事事件の結論として国家の刑罰権の存否が確定される)とでは、趣旨目的が異なるためである。すなわち、損害賠償請求権の存否は、すでに生じた損害を誰が負担すべきなのか、という利益考量の問題であるのに対して、刑罰は、社会防衛の観点から被告人に制裁を科す必要性があるのか、という問題である。刑罰権の発動は謙抑的にされるのが原則であるため、民事事件と比べて刑事事件の方が責任を肯定しにくい理論構成が取られる。
(5)刑事責任を医療者に対する現実的な非難可能性に則して判断する手法、言い換えれば、医療水準をより現実的に、「医療慣行」に引き寄せて設定する手法は、地裁レベルの刑事判決において既に顕著である。
 例えば、東京女子医大の人工心肺装置に関する事件について東京地裁平成17年11月30日刑事第15部判決(記録の改竄に関する判断ではなく、装置の操作についての業務上過失致死罪に関する判示)は、『医療事故における医師の遵守すべき注意義務は,当該医師を取り巻く種々の診療条件等を前提に,事故当時の臨床医療の一般水準に従って具体的に判断されなければならない』とした上で、結果予見可能性を支える人証の供述を、『事後的な判断に立って,いわば結果論的に被告人のとった措置を不適切であったと評するものにほかならないから,このような○○の供述をもって,本件事故当時の臨床医療の一般水準として,本件手術の際に用いられた人工心肺の操作に当たる者が,人工心肺回路内に発生した水滴等によりガスフィルターが閉塞する危険性があることを予見することが可能であったと断定することはできない』として退け、無罪判決を出している。
 (6)では、本判決の「射程」は刑事事件に限られるものなのか。
 民事事件においては、最高裁平成7年6月9日第二小法廷(未熟児網膜症に関する姫路赤十字病院の事件)が示した『新規の治療法に関する知見が当該医療機関と類似の特性を備えた医療機関に相当程度普及しており、当該医療機関において右知見を有することを期待することが相当と認められる場合には、特段の事情が存しない限り、右知見は右医療機関にとっての医療水準であるというべきである』との医療水準論が、現在においても判例を支配している。この医療水準は、医療者に絶えず最新の医学的知見に習熟していることを求める厳しいものであり、「あるべき医療」の実施を医療者の法的義務と把握する方向性を示したものと評価できる。
 「あるべき医療」の追究が医療者の義務であること自体は、否定しないとしても、それを法的責任としてよいかは別の問題である。少なくとも「あるべき医療」は、特定の有害事象に関わった特定の医療者の法的責任追及により実現されるものではない。裁判所は民事事件における「事実認定」が必ずしも「あるべき医療」の実現に貢献するものでないことを自覚し、医療者の責任追及につき、これを法的責任追及に留める謙抑性を持つべきである。
 姫路赤十字病院事件の最高裁判例の出た十余年前と比べ、医療を取り巻く状況も大きく変化している。民事訴訟における医療水準論について結果論を廃する方向で再検討していく機運は生じている。今後の最高裁の医療民事訴訟に注目する必要がある。
2、医療水準論と証明との関係について
 (1)本判決の医療水準論は、医学文献や鑑定に対する評価にも影響を及ぼしている。検察官の医学書や特定の鑑定に基づく医学的準則の主張について『これらが医師らに広く認識され、その医学的準則に則した臨床例が多く存在するといった点に関する立証はされていない』として容れなかったことが端的にそれを示す。
 (2)「あるべき医療」という想定上の観念を医療水準の指標とする場合、証明命題も抽象化し、医学論文の掲載状況や「権威ある医学有識者」の鑑定、意見書が重視されることになる。しかし、本判決の示した医療水準論の下では、より現実的な非難可能性を示す必要があり、その結果、具体的な臨床例、臨床医の証言が重視されていくことになる。
 証明すべきが実際に患者と向き合った医療者においてどのような認識を持っていたか、持ち得たか、という点に収斂されるため、医学的知見の存在という観念論よりも、その実例、普及の実際の状況ということに裁判所の関心が向くのである。証明命題がより具体的な事実に傾斜する結果、一つの論文、一つの鑑定が決定的な証明力を発揮することは少なくなり、多くの臨床例の積み重ねにより裁判官を説得する作業が必要となる。
 (3)その意味では、医療水準が行為規範としては機能しにくくなった側面があることを指摘することができる。すなわち、医療水準には「為すべきを為したか」という点についての事後的評価の指標となる評価規範としての側面と、その後の類似事例に対する「このレベルの医療を提供しさえすれば免責される」との指標を示す行為規範としての側面があるわけであるが、特定の医学文献や、いわゆるガイドラインに依拠した裁判例が示す医療水準は行為規範としての意義が極めて明白になるのに対し、多数の臨床例の積み重ねと、これに対する裁判官の総合的な評価からなる裁判例は、明確な行為規範を示すとは限らない。
 本判決は、刑罰規範の明確性を重視し、評価規範としての医療水準を現実の医師の視点に軸をおいて判断していこうとするものなのであるが、その結果として、行為規範としての医療水準は不明確にしてしまうおそれがある。医療者に対して「為すべきことを為せばよい」とのメッセージを発した点は医療者に好意的に受け取られているが、裁判において「為すべきことを為した」との評価を実際に受けるために何を為せばよいのか、その点は本判決の医療水準論により明確にされたわけではない。
3、医師法違反の点について
 (1)医師法21条をめぐっては、1:異状死体とは何か? 2:明確性原則との関係 3:黙秘権との関係 4:「検案」の意義 5:届け出義務の主体 6:24時間制限の妥当性などと多くの論点がある。本判決は、1について、『法医学的にみて、普通と異なる状態で死亡していると認められる状態であることを意味すると解されるから、診療中の患者が、診療を受けている当該疾病によって死亡したような場合は、そもそも同条にいう異状の要件を欠くというべきである』とした。
 医師法21条の異状死体の意義について正面から論じた判例というものは多くはない。最近、都立広尾病院の事件でこの点が取り上げられ注目された。第一審判決は1の論点について『医師法二一条の規定は、死体に異状が認められる場合には犯罪の痕跡をとどめている場合があり得るので、所轄警察署に届出をさせ捜査官をして犯罪の発見、捜査、証拠保全などを容易にさせるためのものであるから、診療中の入院患者であっても診療中の傷病以外の原因で死亡した疑いのある異状が認められるときは、死体を検案した医師は医師法二一条の届け出をしなければならないものと解するのが相当』として、「診療中の傷病以外の原因で死亡したならば異状死体に当たる」との判断を示している。これは、福島県立大野病院の事件の上記判旨と表裏の関係にある判示である。
 (2)本判決の『法医学的にみて、普通と異なる状態で死亡していると認められる状態』との文言が、どの範囲を指すのか、具体的にはあまり明らかにされていない。その意味で、本判決は、本件事案について個別的な判断をしたのみで、医師法21条の範囲について積極的な定義付けを試みなかったものと評価できる。
 しかし、過失のない医療的措置に起因して死亡結果が生じた場合が異状死に当たらないとの消極的定義の医療者へ与える影響は大きいものであろう。
 医療者が届出義務の存否について迷う典型的な例として、患者が合併症により死亡した場合がある。本判決が届出義務の対象から合併症の場合を除外する趣旨なら、医療者にとって義務の範囲は非常にクリアになり、また、相当に制限され負担が小さくなると考えられる。しかし、本判決が合併症について判断していると考えるのは早計であろう。
 そもそも合併症とは何か、どの範囲が合併症であり、また、合併症でないのか、といった点については医学的にも議論の余地がある点である。そして、合併症という言葉は、未だ医学用語から法律用語に「翻訳」されていない。本判決は医療者の行った医療行為の過失の有無をメルクマールとしており、「合併症」という概念を採用していない。しばしば医療者の口から「これは『合併症』であり『ミス』ではない」という発言を聞くが、「合併症だから法的過失がない」という理論は少なくとも判例上採用されていないことに留意すべきである。
 (3)医療過誤により患者が死亡した場合に、これを届出義務の対象とするかについては、それが黙秘権侵害とならないか(3の論点)という問題の他、具体的事案が医療過誤に当たるのか、つまり法的な「過失」のある場合なのかという点を、法律の素人である医療者が判断しなければならないという、重大な問題がある(2の論点)。「過失」の有無が、本稿の前半で述べたように様々な事実の積み重ねと裁判官の評価によって決せられるものである以上、それを事前に、非法律家が判断するのは不可能であり、医師法21条は行為規範としてはほとんど機能していないというべきである。
 解決策としては、異状死体をきちんと定義付けることが考えられるが、裁判所は事案の判断に必要な限りで断片的な定義を示すのみで、積極的な定義づけを行なう姿勢を示していない。この点については、立法に待つしかないのであろうか。医療事故調をめぐる議論の中で医師法21条の意義も重要な論点として取り上げられており、その議論を十分に熟成させる必要がある。
 (4)医師法21条による届出が実務上、どのように機能しているかという点についても疑問がある。届出が捜査の端緒になることに立法者が期待しているとの事実は裁判所の判示にも認められていることなのだが、実際に届出が捜査の端緒として機能するのはごくまれで、届出を受けた警察署の対応は緩慢であるのが一般的な傾向である(例えば、病院と患者が和解をしているような場合、なお警察が逮捕に動くことはこれまでほとんど考えられなかった(その意味で、今回の大野病院をめぐる警察署の動き方はまさに奇異である)。)
 思うに、捜査機関のそのような緩慢さには、21条が行為規範として機能していない結果として、医療者はリスクを回避するため不安を感じたら届出をするしかないという現実があり、そのために、届出がされる事案の多くが捜査を要しないようなケースになっている、という背景があるのではないか。21条の届出義務の根拠を社会防衛のための捜査の端緒確保とするならば、それにふさわしい定義を21条の文言に与える必要がある。届出義務の範囲を広くするほど、届出されるケースのほとんどが「白」として捜査を要しないこととなり、届出が形式的なものとなっていく。21条を空文化させないためにも、21条の照準を十分に絞っていく必要があろう。
以上
MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ