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臨時 vol 112 「福島県立大野病院事件 判決公判傍聴記」

医療ガバナンス学会 (2008年8月22日 12:04)


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     ~ 控訴させるかどうか、まず勝負だ ~
               ロハス・メディカル発行人 川口恭


 福島は晴れ。福島駅から地裁までの道もこれで最後かと思うと感慨深い。午前9時前に着いたら、門から玄関までの道に、初公判の時をはるかに上回る鈴なりの報道陣。中継車が6台。
抽選券を交付してもらう裏の駐車場へ回ると、既に人で埋め尽くされている。駐車場を通り抜けた裏庭に通される。しかも、後から後から人が続く。斡旋業者らしき人が名簿を持って、並んでいる人に印鑑を押してもらっている。
傍聴券は25枚。並んだのは788人。初めてラミネート加工されてない急造の抽選券が登場した。当然のように抽選に外れる。周囲を見回すと、ふだん傍聴に入っているミニメディアの人たちも全滅したようだ。これはシンポジウムに全力投球するしかないかな、と思ったところで、どこからともなく当たり券が回ってきて、ありがたくいただく。
何となくいつもより慌ただしく法廷へ。法廷入口に20人位の記者が溜まって立っている。何事かと思ったら、どうやら判決を代わる代わるメモするための交代要員らしい。
公判開始。頭録り、加藤医師の入廷を待って、淡々と判決言い渡し開始。
「主文、被告人は無罪」
マスコミの記者たちが、ひっきりなしにバタバタと出入りするので裁判長の言葉がよく聞き取れなかったのと、おそらく彼らがかなり丁寧に報じているはずということで、逐一の報告はしない。全文は『周産期医療の崩壊をくいとめる会』サイトにアップされるはずなので、それを見てほしい。
判決を一言で総括するならば、検察のメンツを最大限に立てつつ、しかし医療者が安心して医療に当たれるようにという強い配慮が込められていると思う。これだけ検察のメンツが立てられたんだから、控訴しないでほしいものだ。控訴しないで、と言えば、周産期医療の崩壊をくいとめる会( <a href=”http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi”>http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi</a> )が署名集めを始めたそうだ。ぜひとも、ご協力いただきたい。
何を指して検察のメンツを最大に立てたと評するかというと、事実認定の部分は、ほぼ検察側の証拠・鑑定に依拠していた。特に検察側の鑑定人に関しては、適格に欠けるとの見方が業界内では一般的だったと思うが、鑑定人としての能力を十分に有していると評価して、弁護側の立てた第一人者たちの意見が、よくて検察側鑑定と相討ち、下手すると認められないということが続いたのだ。任意性を争っていた加藤医師の供述調書も、任意性を認められてしまった。このため、判決理由の朗読の途中で「本当にこんな事実だったのだろうか。これでどうやって無罪になるんだろう」と疑心暗鬼になってしまった。
ただし逆に、「あなた方の言い分とおりに認定しても、無罪ですよ」と検察に対してメッセージを出したとも考えられるのかもしれない。
一般に業務上過失致死が成り立つには、被告人の行為と被害者の死亡との間に「因果関係」があって、被告人がその因果関係を予見することが可能で(予見可能性)、かつ予見した段階で別の手段を選んでいれば違う結果になった可能性がある(回避可能性)と罪が成立するとされている。
この予見可能性については、「医師は、あらゆる可能性を排除しないで治療に当たるのが当然であり、もし有害事象の起きる可能性を予期していないとしたら、それこそヤブ医者だ」という批判がある。また回避可能性に関しても、「後出しジャンケンなら何とでも言える」という批判がある。どちらも至極まっとうな意見であり、要するに刑法と医療は相性が悪いねとしか言いようがない。
今回の判決の画期的なところは、因果関係も予見可能性も回避可能性も全て認め(このため朗読途中で疑心暗鬼になった)、そのうえでさらに医療に関しては行為が相当であるか否かは「単に移行の可能性だけでなく、医学的事柄として検討すべき」と、もう一段ハードルを設けたところにある。
そして医学的事柄として検討した部分は以下のとおりである。
「本件では、一部の文献と臨床上との認識や見解が一致していない。検察の主張は、一部の文献の記述に依拠しているとは認められるが、それを医学的準則として採用することはできない。
医師に行為義務を負わせ、その義務に反した者に刑罰を科する基準となり得る医学的準則は、臨床に携わる医師が当該場面に直面した場合に、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性を具備したものでなければならない。このように解さなければ、医療措置と一部の文献に記載されている内容に齟齬があるような場合、医師は容易かつ迅速に治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらす。また刑罰の科される基準が明確でない。
また、医療行為が身体に対する侵襲を伴うものである以上、患者の生命や身体に対する危険性があることは自明であり、そもそも医療行為の結果を正確に予測することは困難である。医療行為を中止する義務があるとするためには、検察官が、当該行為に危険があるということだけでなく、当該行為を中止しない場合の危険性を具体的に示し、より適切な方法が他にあることを証明しなければならず、このような立証を具体的に行うためには少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠である」
これが、もし判例化すれば、一般的でない論文や臨床上は空文化している教科書などを根拠に刑事訴追される恐れはなくなる。少なくとも萎縮医療に走らなければならない理由は一つ消える。
今は、とりあえず無罪判決が出てよかったと思う。
しかし判決朗読の間、前かがみになりながら裁判長を上目使いにずっと見ていたご遺族の姿が脳裏から消えない。
恨みは確実に残っている。
今回、おそらく関係者の誰もが傷を負った。
その傷を明日へ生かすのか、あるいは旧来の自分たちの世界に閉じこもるのか。司法が、メディアが、そして何より医療界の姿勢が問われている。単に「勝った、勝った」で済ませることのないよう、切に願う。
ここからが正念場だ。
(この傍聴記はロハス・メディカルブログ<a href=”http://lohasmedical.jp”>http://lohasmedical.jp</a> にも掲載されています)

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