臨時 vol 101 「医薬品等の安全性確保のためにレセプトデータの有効的な活用を!」
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東京大学大学院医学系研究科臨床試験データ管理学特任准教授
山口拓洋
●はじめに
2006年1月に総務省IT戦略本部より「IT改革戦略」が発表され、医療分野においては、診療報酬請求(レセプト)の完全オンライン化の実現、さらに、厚生労働省によるレセプトデータの学術的・疫学的利用の推進が謳われています。現在、薬害肝炎事件の発生及び被害拡大の経過及び原因等の実態について、多方面からの検証を行い、再発防止のための医薬品行政の見直し等について提言することを目的として、舛添要一大臣のもと2008年6月に厚生労働省医薬食品局に「薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会」が設置され議論がなされているところですが、ここでの議論でもあがっているように、レセプトデータを医薬品等の安全性確保に利用することは極めて重要かつ有効な手段です。一方、2007年7月に厚生労働省保険局に設置された「医療サービスの質の向上等のためのレセプト情報等の活用に関する検討会」において、レセプト情報等を医療サービスの質向上等のためにどう活用すべきか検討されてきましたが、その報告書によると、厚生労働省が今後実施する施策には、医薬品等の安全性確保という観点からはいくつか課題があると言わざるを得ません。
●国を挙げての大規模レセプトデータベースの構築
電子化されるレセプトには、患者の性、年齢、医療機関(薬局)コード、レセプト原本に記載された全傷病コード、全診療行為コード、調剤日及び全ての薬剤コード(調剤レセプト)が含まれています。これらの情報をもとに、2011年度までに大規模なデータベースの構築が進められており(ナショナルデータベース構想)、世界で最大の薬剤使用に関するデータベースが構築されることになります。既に欧米には、保険請求などの大規模なデータベースが何十も存在し、医薬品の使用状況、副作用なども含めた患者の健康状態などがデータ化されていますので、市販後の医薬品に安全性対策に重要な役割を果たしています。一方、日本にはこれまで医薬品等の安全性確保のための大規模データベースは存在しませんでした。医薬品等の安全性に関する懸念を迅速に、科学的かつ効率的に確かめる情報基盤(インフラストラクチャ)の整備が進んでいないのです。実際には、医薬品医療機器総合機構には自発報告に関するデータベースが存在しますが、自発報告制度のみでは医薬品の安全性確保、特に、未知・重篤な副作用の検証には限界があります。自発報告される副作用は、実際に発生した副作用のごく一部にすぎないことが知られていますし、マスコミなどで報道されると、報道された副作用の報告率が大きく跳ね上がることもよく知られています。したがって、自発報告から発生割合を推定することはできません。また、類似の薬と比較して多いのか少ないかの比較もできません。どのような患者さんが何人その薬を使用して、副作用と思われる症状が使用者の何%に発生したのかを調べるには、多数の病院や診療所の処方や検査結果や病名などを統合した大規模データベースが必要です。つまり質の高い大規模データベースが存在してこそ、副作用発現に関する定量的な評価や様々な仮説の検証が可能となるのです。もちろん、各国での医療システムの違いがありますので、欧米のシステムをそのまま日本というわけにはいきませんが、このような背景のもとで、今回のレセプトデータのナショナルデータベース化は日本国民にとって重要な意味合いを持つものです。
●レセプトデータベースを医薬品等の安全性確保に活用する際の課題
しかしながら、今後実際にレセプトデータベースを安全性確保に活用することを考慮した場合に、いくつかの課題があります。
課題1: 重篤な副作用を発生する医薬品を誰が使っているか(使ったか)がわかりません
電子化されたレセプト情報は限りなく連結不可能の匿名化されたデータです。レセプトデータから個人を特定する道があれば、例えば、特定の薬剤の使用により重篤な副作用が発生した場合に、レセプトデータベースを用いて当該の薬剤を使用している患者さんが特定可能ですし、新たな副作用の発生を未然に防げる可能性があります。また、何らかの理由により使用禁止措置がとられた医薬品がその後も不正に処方されている場合に、不適正使用を発見することも可能です。このようなタイムリーな安全性対策(緊急時の対応)は、匿名化されたデータのもとでは実行不可能です。薬害肝炎事件の場合も、病院内に記録が残っていなくても、肝炎の可能性のある人に対して通知し、精査してください、と案内できたの
です。
もちろん、個人情報保護の観点から匿名化は当然必要ですが、しかし十分に注意した上で連結可能性を残しておくことは可能であり、それが重要なのです。
それから、もう一つの問題点は、レセプトデータベースからは、生死などの転帰や保険病名が正確に把握できない可能性がある点です。レセプトには死亡に関する記載欄がありますが、その記載がレセプト査定でどのような役割をはたしているかは不明であるなどの理由から、死亡例についてもその記載欄が正確に記載されていない可能性があり、また、死亡直前にレセプトを発行することが必要な医療行為が行われていない可能性があります。昨年(2007年)に、ロシグリタゾンという糖尿病治療薬が心筋梗塞を増やす可能性が報じられ大きな問題になりました。この報道のあとすぐにアメリカなどの大規模データベースを用いて、ロシグリタゾンを使用後に心筋梗塞を発生・死亡した患者さんが、他の糖尿病治療薬使用後に心筋梗塞を発生・死亡した患者さんより多いかの検討結果がいくつか報告されました。このような調査をする時に、生死が不明であることは致命的です。一番重要なアウトカムである死亡が不明であるのは利用価値が大きく減ずると思われます。また、同様に、保険でカバーされない正常妊娠・正常分娩についても不明です。サリドマイドによる奇形は薬の被害の歴史の中で忘れられない事件ですが、今後、他の薬で奇形発生が問題になったときに、特定の薬を使用したお母さんから生まれた赤ちゃんの何%で問題がおこったかを調べる上で、正常妊娠・分娩がわからないのは大きな問題です。レセプトデータベースから直接これらの情報が得られなくとも、レセプトデータを連結可能にする道を残しておけば、たとえば、十分な倫理審査を受けた上で、死亡統計のデータと連結するとか、出生のデータと連結することなどにより質の高い調査に結びつけることができます。
そのほか、レセプトに記載されている「保険病名」を上手に使うためには十分な審査などを経て、通常は匿名化されている情報に関する「連結」を必要なデータに限って可能として、医療機関内の原データと見比べて検証し、「信頼できる保険病名」と「信頼できない保険病名」を区別することが必要です。欧米(おもにアメリカ)のClaims Database (保険請求のデータベース)に関する研究では、病名自体の信頼性だけではなく、病名と医薬品や検査などをどのように組み合わせると、より信頼できるアウトカム情報を得ることができるかの研究が進んでいますが、このような研究も、必要に応じて通常は匿名化されているデータの連結を許すようにすることができるからにほかなりません。さらに、必要に応じて通常は匿名化されているデータの連結を許すことにより、レセプト情報からえられる数年から十数年前の特定の医薬品の使用者のデータと最近のがん登録データや心血管疾患・その他の疾患の登録データを組み合わせることで、通常は長期間のフォローアップが必要なコホート研究を実施するのに必要な経費の1%以下で、特定の医薬品の使用とアウトカムに関するタイムリーな調査を実施することも可能です。ただし、これらの実現のためには日本では十分確立していない、全国規模のがん登録や疾患登録を進めていくことも重要です。
関連してですが、2007年5月に交付された改正統計法においても、同様の「連結不可能匿名化データ」の問題が生じており、社会医学関連の研究者から懸念の声が上がっています。新統計法下でもし利用が最終的に「連結不可能匿名化データ」のみに限られるとしたら、せっかくの法改正があっても医学や公衆衛生分野での活用は極めて限定的になってしまうからです。理由はもうおわかりでしょう。
課題2: 国以外の主体によるレセプトデータの活用には制限があります。
前述の検討会報告書には、データの利用目的として公益性の確保が必要であることのほか、データの利用にあたっては目的や計画、データの管理方法などを示し個別に審査を受ける必要があると書かれています。もちろん、個人情報保護の問題など、データの利用にあたっては一定のルールは必要だとは思いますが、国民の安全性確保という観点からは利用主体などが著しく制限されることは望ましくなく(この点は前述の薬害肝炎事件の検証委員会でも意見が出されました)、医薬品機構はもとより、アカデミアなどにおいても積極的に利用できるような仕組みができることが望まれます。
以上の課題をどう克服していくかがレセプトデータを医薬品等の安全性対策に有効使用するための大きな鍵を握っています。今後も多くの議論がなされることを期待します。
●結びにかえて
最後になりましたが、「薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会」は医薬食品局にて設置され、一方、今回問題にしたレセプトデータベースは保険局にて検討されているものです。がん登録などは、健康局が担当しています。国民がいかに安心して安全に医薬品等を使用できるかを議論していくうえで、従来からの縦割り性による弊害ははかりしれないと思います。こういった厚生労働省内だけの問題にとどまらず、行政、企業、アカデミア、そして、国民が一致団結してオールジャパンで議論を重ね、医薬品等の安全かつ有効な使用の推進に取り組んでいくことを望みます。
※医薬品等の安全性確保のためのレセプト情報活用につきましては、日本薬剤疫学会のレセプトデータベース特別委員会で議論がなされていますので、ご参照いただければと存じます(同委員会の要望書及び岡本悦司先生の解説など、薬剤疫学 13(1), 2008)。
東京大学薬剤疫学の久保田潔教授からは有益なご意見を多数賜りました。
著者ご略歴
1997年 医薬品医療機器審査センター(現医薬品医療機器総合機構)生物統計担当審査官、1999年 東京大学助手大学院医学系研究科(生物統計学)、2002年 保健学博士(東京大学)、2003年 文部科学省在外研究員にて European Organization for Research and Treatment of Cancer データセンター リサーチフェロー
2007年より現職、東北大学未来医工学治療開発センター検証・情報管理部門客員教授を兼務
専門は医学統計学、医学研究方法論