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臨時 vol 99 「医療死亡事故死因究明制度の経緯とそれに対する意見」

医療ガバナンス学会 (2008年7月24日 12:18)


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                 日本医学協会会長 牧野永城



この問題の発生の経緯は明らかではないが、1994年(平成6年)5月に発表された法医学会の「医師法第21条の異常死に関する解釈」に端を発するかに思われる。
●医師法第21条
医師法第21条は「医師は死体または妊娠4カ月以上の死産児を検案して異常を認めたときは24時間以内に警察に届出なければならない。」というもので、その趣旨は「死体に犯罪との関連を疑わせるものがある場合」と解釈され、明治以来長年の間、問題を起こすことなく経緯してきたものである。
医療の安全に関する社会の意識の変化に応じたものであったのか、法医学会では医師法第21条の「異常死」を「外傷の続発症による死亡」などの他に、「診療行為中の予期しない死亡」も含めて「過誤の有無にかかわらず」警察に届け出るべきであると、異常死の定義を拡大解釈して発表した。予期しない外傷の続発症とか、診療中の予期しない死亡などというと、たとえば骨折に由来する脂肪栓塞、手術中の心筋梗塞とか、不測の術後合併症による死亡とか、なども入るのか、現場の立場からは種々の疑問が出てくる。これらまで何故、警察に届けなければならないのか。
しかし、当時はこの見解は医療界にも一般にも特に関心を持たれなかったし、法医学会にはこの法解釈を社会に強制する資格もなく、一学会の意見に過ぎなかった。
●刑事事件としての医療事故の増加
横浜市大病院の手術患者取り違え事件はその約5年後の1999年1月に起こり、社会の医療の安全に関する関心は飛躍的に増大し、リスク管理、安全管理の問題がわが国でも急浮上し、医療事故に関しても、警察に届け出る必要のあるもの無いものの線引きが論ぜられるようになって、日本法医学会の定義が取り沙汰されるようになった。
同じ年の2月には都立広尾病院で整形外科の患者の術後に、看護婦が誤って、点滴にヘパリン生食の代わりにヒビテン消毒液を注入し、患者が死亡したという事件が起こった。死因は明瞭で、学術的論争になるような問題はなかったのだが、病院長が警察に届けなかったという理由で、医師法第21条が適用され、有罪判決を受けたのが問題になった。この種の21条適用は前例がなかったので注目され、21条の解釈、特に検案という言葉の意味などが論議されたのである。
●警察届け出に関する厚生労働省通達
そして2000年5月の国立大学付属病院長会議において、医療事故が原因で死亡した場合は勿論、その判断に迷うような場合でも、速やかに警察に届けるのが望ましいという見解が発表された。しかし、現実にこの問題に火をつけたのは、これを追いかけるようにその3ヵ月後の8月22日に、厚生労働省(以下厚労省)が、委員会が纏めたリスク管理マニュアル作成指針を発表し、事故発生時の対応として、「医療過誤によって死亡または傷害が発生した場合、又はその疑いがある場合には、施設長は速やかに所轄警察署に届け出よ。」という通達を出したことによる。この通達の対象は国立病院に限定されていた。
当時まだ亀田総合病院の診療管理の責にあった筆者はこの通達を知り、その解釈によって生ずる多くの疑問点と混乱を考え、愕然としたが、通達は国立病院に対して行われたものであったので、その前年に発行した病院の勤務医マニュアルに、民間病院として、その時点では束縛されない旨を追加記載した。その中で、「医療手技が犯罪に使われた時は、刑事事件として扱われるのは当然だが、治療という善意の目的で行われた医療行為のミスが、死または大きな後遺症につながった場合、これが直ちに刑事責任に問われるかというと、欧米諸国にその例はないようである。」と指摘している。同時に、「医療ミスを専門職の厳しい目から追求すれば、当該医師の自覚しない判断ミスと、それによる顕在化しないミスも大いにあり得るはず」で、この種の問題は専門家間の調査や討議でしか明らかにできないものだから、医療側が自主的な清浄努力のための制度を持つことが必要である旨記載してある。ただし、他の分野では過失犯も刑事訴追を受けることがあるので、医療だけが過失事故が善意から出発しているからという理由で刑事訴追の免責を受けるという主張は今日では通るまい。
厚労省通達の2001年の4月に、日本外科学会が問題の重大さに気がついて、法医学会の医師法第21条に関する見解に異議を唱え、診療行為中に発生する可能性のある合併症については、報告の必要なしという考えを表明した。
●医療事故報告の公開要求
医療事故関連死の警察届け出の問題はさらに輪を拡げて、医療事故の報告は公表するのが社会的要請であるとし、2001年1月には内閣府情報公開審査会の決定として、その際も、国立医療施設を対象に、医療事故報告は議事録、家族への謝罪文なども含めて開示せよという通達が出された。そして、厚労省はその年の3月に約200の全国国立病院の1年8ヶ月間の医療事故として146件を公表した。この報告には、実害を生じなかったヒヤリハットの事例の範疇から患者の苦情のみのものまで含めたとうたってあり、それにしては、リスク管理の文献や我々の実践経験からみてあまりにも報告数が少なく、実態を反映しているものではないのは明瞭だった。
●福島県立大野病院事件
しかし、この問題がその後医療界に大きな反響を巻き起こしたのは、2004年暮れに起こった福島県立大野病院の帝王切開後の母体死亡例に関して、執刀した医師が、業務上過失致死、及び「異常死」を警察に届けなかったという医師法第21条違反の2つの罪で2006年2月18日に警察に逮捕されたことが契機になっている。この事件はその後異様な進展を見せ、現在も裁判で係争中だが、この場合は、術中の大出血、さらには母体死亡の原因となった癒着性前置胎盤に対してとった執刀医師の判断と処置の適不適が激しい論争の焦点になった。この問題は純医学的なもので、執刀医師は自分の医学的判断と処置には誤りはなかったと現在も信じており、意見を同じくする専門医も多い。医学的判断の領域まで刑事事件として警察が介入するのかという非難が医療側から巻き起こったのである。
●厚労省第2次試案
この逮捕を不当とする医療界の抗議に対して、第3者の医療紛争処理機関が必要だという声が挙がって、2007年3月、厚労省は検討会を立ち上げ、何度かの検討を経て、昨年10月17日にいわゆる第2次試案を発表して、パブリックコメントを募集するに至った。上からの決定として押し付けることなく、一般の声に耳を傾ける行政側の姿勢は新しいものとして評価された。
第2次試案では、この制度のために、司法側と医療側との間に距離を置く第3者の機関として「医療事故調査委員会」を設けること、委員会は、医療従事者、法律関係者、遺族の立場を代表する者等により構成すること、などが提案された。その上、医療機関からの診療関連死の届出を義務化すること、そして届出を怠った場合には何らかのペナルティを科すことができることとする。そして調査の結果、故意または重大な過失と認められた場合には、委員会から警察に連絡し、また行為によっては行政処分にする。また、行政処分、民事紛争及び刑事手続きにおいて委員会の調査報告書を活用できるとしたのである。この発表あたりから「対象を国立の医療機関にする」という言葉は抜けていた。届け出を義務化して怠れば罪を科し、報告書は公表し、重大な過失については刑事手続きに使うことができるとなったら、自発的で正直な情報が出てこなくなるのは目に見えている。正しい情報がなければ正しい医療の反省や討議も成立しないことも自明である。なお、刑事手続きに使うのは「故意や重大な過失」に限るといっても「重大な過失」の定義が不明瞭で、その判断は決して単純ではないことも現場の医療従事者には明らかなことである。
●厚労省第3次試案
この第2次試案の反響は様々で、当初は日本医師会や病院団体の代表等は賛成を表したが、多くの医療団体や臨床学会などの現場の医師には、むしろ上述の理由による反対が非常に多かった。厚労省ではその後も検討会を重ねた結果、第2次試案以降に寄せられた議論を基に作成した「第3次試案」が必要であるということになった。
厚労省は2008年4月3日第3次試案をまとめた。医療事故調査委員会という名称は、言葉を和らげて、「医療安全調査委員会」に替えられた。焦点となっていた捜査機関との関係については、「医師法第21条を改正し、医療安全調査委員会への届け出があった場合には、21条に基づく異常死の届け出を不要とする。」とされたものの、委員会の報告書は「故意や重大な過失などについては捜査機関に通知すること」になっており、刑事処分との連動の仕組みは依然残っていた。第2次試案に比べて、第3次試案では、責任追及ではなく、死亡原因の究明や再発防止、医療安全が主眼であることが強調された。また、届け出範囲が、明らかに誤った医療行為で患者が死亡した場合、医療の適不適は明らかでなくても、行われた医療に関連した死亡で、その死亡が予期されなかったもの、及び遺族から調査依頼のあったものに限定された。また、捜査機関に通知する重大な過失とは標準的な医療行為から著しく逸脱したもの、と説明が加えられた。
しかしいろいろと疑問点が出てくる。第3次試案では、医師は医療安全委員会があればその結論が出るまでは、刑事処分されることはないと誤解する可能性があるが、本年4月22日の国会で警察長の刑事局長が国会答弁しているように、このような委員会ができても、現行の刑事訴訟法では、刑事処分を求める患者や遺族の人々の告訴する権利を封じることはできないという。当然である。司法関係者に言わせれば、厚労省は自分の権限の及ばないところまで踏み込んで、人を惑わしている。告発があれば、取りあえず捜査機関が動いて現状を保存する。捜査機関は捜査のために現状保存するのだから、後は例えば医療安全委員会のような捜査権限のないところに任せて、いつ出るか分からない結果を待つということはあり得ないと明言している。また国会質疑で明らかになったように、厚労省と法務局や警察庁と間にそのようなことを取り決めた文書も存在しないという。
以上のように第3次試案に盛り込まれた医療安全委員会では、我々の危惧する医療事故報告の義務化と刑事告発の連動性の問題は解決されない。また第3次試案の届け出制度は、刑事手続のみならず、民事手続や行政処分にも利用し得るものになっている。これでは医師の責任追及機能が21条よりも拡大されている。そしてペナルティと評価が待つところに、自発的で正直な報告を期待できないことを、我々は現場の医療の安全管理の経験で熟知している。自分に不利な情報の自発的な報告に対しては、むしろ法律が開示要求から保護するというのが国際的な常識に見える。
●医療事故の再発防止と死因究明による責任追及にはそれぞれ独立した別の方法が必要
しかし、それなら医療事故が起こった場合、患者や家族の救済方法は従来のままでよいのか、という重大な問題が残る。患者側がいったい何があったのか、真相を知りたいというときに、手近に解決する手段がなく、やむなく、訴訟に追い込まれていたというのが従来のわが国の実状であろう。その際、訴訟以前に手軽に患者側に立って相談に乗ってくれる窓口があれば、患者側にとって福音であることは間違いない。
今度の第3次試案のパブリックコメント募集で、原則的に試案に賛成した医療団体や個人が少なくなかったのは、試案で提唱する「医療安全調査委員会」に、その機能を期待してのことではないかと思わせる。
しかし、我々が強調したいのは医療事故の予防や再発防止の討議には、隠蔽や修飾のない医療過誤の事例報告に基づく分析と討論が必要で、罰則を伴う死因究明では自己に不利な情報の自発的提供を求めるのが所詮無理であり、両者を同一のシステムで解決できないということである。今度の民主党案は同じ考えに立っているように見える。
医療事故の予防と再発防止の機能は、中央で行政が死亡事故報告を強制して、司法と連動する形を残す限り実効は期待できない。上述の民主党案では再発防止機能は現在の医療評価機構に任せればよいという意見のようだが、つい先日報告された医療評価機構の輸血事故の発表が06,07の2年間で患者の取り違え、手順の誤りなどを含めて全国でたったの10件であったというのを聞けば、とても実態を把握したものでないことはあまりにも明らかである。実態を知らぬ者に予防や再発防止の論議ができるわけがない。この種のいわば医療側の自浄努力というべきものは、個々またはグループとしての医療機関に要求したらよい。その手法は医療監査(Medical Auditing)、同僚審査(Peer Review)などと呼ばれて国際的には目新しいことではない。しかも取り扱う対象は死亡例だけではなく、広範にわたる。このシステムは、例外的な医療機関を別として、組織としてはわが国に存在してなかっただけである。そして、忘れてならないことは、死亡に至らなくても、医療が不適正である事例は決して少なくない。この制度を医療機関内に取り込むことは、強制もできようが、より賢明な方法は医療評価機構が病院の訪問審査において、医療機関の評価項目として取り上げることである。
このほかに独立して、名前は医療安全委員会であれ、医療事故調査委員会であれ、この医療事故の実態調査と再発防止機能を外して、患者側に視点を置いた真相究明、責任追及などの機能に限定した組織があればよい。

 

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