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臨時 vol 96 「日本心血管インターベンション学会パネルディスカッション報告(下)」

医療ガバナンス学会 (2008年7月17日 12:26)


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             ロハス・メディカル発行人 川口恭

4日に名古屋市で開かれた日本心血管インターベンション学会の「変革期を迎える医療安全への対応 – 崩壊が進む医療の中でいま何が出来るかを考える -」というパネルディスカッション。先週、私を含む前3人の発表内容をご紹介した。今回は後ろ4人。前篇同様、語尾の丁寧語は省き、注釈も加えない。
まず池上直己・慶應大教授。
「事の始めとして、医療における平等というものがある。世論はサービスの格差に反対である。そうすると市場原理で医療サービスは提供できないので、政治が決めることになる。財源をどこかから持ってくるかというと、保険料や税金として強制的に徴収することになる。徴収の仕方は応能負担になる。たとえば料率を一定にすると収入に応じて保険料は変わるけれど受けるサービスは一定である。
ということは、お金が高所得者から低所得者に向かって、青壮年から高齢者に向かって、流れる仕組みになっている。高所得者や青壮年は建前としては平等に賛成しても、本音では強制徴収される保険料を抑えたいと考えている。一方でサービスを平等にするためには、誰が受ける医療についても保険料の範囲・条件・料金を決めることになる。それが診療報酬。規定外のサービスを提供したり追加料金を要求すれば、全額自己負担になるという『混合診療の禁止』がある。
医療におけるお金の出所は国民と患者であり、患者が直接負担する分は少なくなるよう工夫されている。従って保険料が主なものになるのだけれど、給付より負担の大きな高所得者や青壮年の人は保険料が増えることに抵抗する。そうすると保険者は診療報酬を抑制する、とこういう構造がある。日本の公的保険の特徴は、公的保険の原則というものは相互扶助であるが、加入者が互いに助け合って応能負担で連帯するもの、これが病気になる程度によって保険料が異なる民間保険との違い。しかし日本の公的保険というのは職場や地域単位の限定的に組織されている。この間では相互扶助の考え方はあるけれど、職場や地域によって所得や年齢構造が違うので、そういう低所得者や高齢者の多い保険に対して税金から補てんすることが行われている。それから、高所得者や青壮年の多い保険者がそうでない保険者に対して補助するということも行われている。従って医療費の増加に対して、保険料を上げる、税金を上げるという二重の足かせがある。
もし保険料の引き上げが自分たちサービス改善のためという風に意識されるより、高齢者の医療のためと認識されているから反対が多い。税金についてはバブル崩壊後、非常に増やすことは難しくなっている。保険料と税金の関係を見ると、出どころは使用者(会社)、雇用者(サラリーマン)、自営業者の3つしかない。そのお金の流れには税金として流れるものと保険料として流れるものとがある。日本の健康保険は3つに大きく分かれていて、1つは使用者と雇用者の保険料だけで自立している大企業の健康組合や共済組合、次が政管健保で中小企業のためのもの。中小企業の社員は一般に所得が低いので税金で助成してもらっている。最後が自営業者や年金生活者は約半分税金で保険料をみてもらう。これが国保。これだけ複雑な仕組みの上、さらに4月から後期高齢者保険が始まった。保険料として高齢者自身から徴収するのは10%だけで、残りの40%は保険者から取り上げて、あと税金とこういうことになっている。
なぜ税金を問題にするかというと、医療費の半分は保険料から来ている。4分の1は国の税金から来ている。この26%分を定率で負担しているので、それを抑制するには全体を抑制しなきゃいけないという構造になっている。
そこで日本の医療費はどうやって決まっているかというと政治折衝で決まっている。税金における負担割合の26%は国の予算にとっては10%になって、防衛費よりも多い。全体に予算を抑制するには国税の医療費負担額も抑制しなければいけない。そのためには医療費全体も抑制しなければいけない。医療費というのは、点数に何回診療行為を行ったか回数をかければ決まるので、各医療サービスの量は価格が改訂されても基本的に同じ、つまり手術料が上がっても下がっても手術する回数は変わらないので点数を改訂することによって医療費全体をコントロールできる。全体の点数を下げると医療費を抑制できる。全体をどのくらい下げるか上げるかという総枠の決定は首相が閣議で診療報酬の改定率を決めて2年おきの12月に政治的手法で決着している。一方、医療費の中身をどう配分するかっていうのが中医協で決められる。個々の何の点数をどれだけ上げるとか下げるとか決める。
では、なぜ医療費を抑制するかというと、バブル崩壊後の国の財政悪化で。歳入は、企業の利益から取る法人税というのは企業が利益でなかったら取れないので少なくなるし、所得税は景気を浮揚するために減税されているので、歳入が減っている。一方の歳出は景気浮揚のための公共事業で増えている。歳入は減って歳出は増えているために国と地方の借金がGDPの2倍になっている。この借金の増加を止めて2011年より返済を始めようということが至上目標になっている。その目標を達成するうえで社会保障費、とりわけ医療費がターゲットになったわけだ。なぜターゲットになったかといえば、構造的に最も増加額が多いから。一つは高齢化、一つは技術進歩。技術進歩というのは、昔は単純X線だったのがCTスキャンになりMRIになるということは、診断という行為は変わらなくてもかかる医療費が増えている。権利意識の向上というのも影響している。
国民患者の負担は、保険料で取られる分と国・地方の税金として取られる分とに分かれている。医療機関も二つに分かれていて、公立のように補助金が来る医療機関とほとんど来ない私的医療機関とがある。ただし両方とも同じ診療報酬でやる
国の税金が減ってきて、患者負担を上げた、診療報酬を下げた。地方税も減ったので、公立病院への補助金も下げた。1980年代は医療費の伸び率と経済の伸び率が大体パラレルだったから問題なかった。バブルが崩壊すると経済が伸びなくなって医療費の方が若干落ちたとはいえ国の経済より伸びが大きかったから問題になってきた、これが一つ。それから医療費の伸び率と診療報酬の伸び率は非常にパラレルで動いている。診療報酬を下げれば医療費が抑制できていることが分かる。
一口に診療報酬の改定と言っても実は3つあって、まずNETの改定。薬価は通常下がる、診療行為は通常上がるので、下がるものと上がるものと合せていくら。これが政治的なもの。その他に薬価・材料の改定があって、これは市場の取引価格にマージンを乗せたものにされて、マージンの幅が薬は2%、材料は4%。本体部分というのは中医協で交渉するわけ。交渉の際にどの程度のエビデンスがあるかというと、ほとんどなくて、大部分は政治折衝によって決まっている。まさにバランス感覚やマスコミ報道による。その結果、今年度は産科や救急が上がった。エビデンスがあるのは薬価調査や医療経済実態調査。これは、病院の種類によって、どういう種類の病院が儲けが大きくて、どういう種類の病院の儲けが少ないか比べて、たとえば精神科とか療養病床が儲けが大きいようなら、その病院が扱うような医療行為の値段を下げていく。社会診療行為別調査というのはレセプトの調査で、各行為たとえばPTCAが年間何回あるか、そうすると点数を10%下げると医療費全体にどれだけのインパクトがあるか分かる。そういうことを参考にしながら阿吽の呼吸でやっている。
DPCのアリ地獄というのがある。DPCの入院料と言うのは、DPC分類の点数に入院日数をかけたものになるのだが、その点数が入院日数によって変動する。最も短い入院期間Ⅰと次のⅡとでは1日あたりの点数が3割違う。(ⅡとⅢとでは15%違う)。そうすると、病院はできる限りⅠやⅡのうちに退院させようとする。ⅠとかⅡというのは全国のDPC病院の短い方から25パーセンタイルの人が退院した日数がⅠであり、50パーセンタイルの人が退院するとⅡ。みんなが短くしようとすると段々平均も短くなるので、病棟の重症患者が増えて、医師の疲弊も増えて、ますます入院期間が短くなる。これは薬価調整に基づいて薬価が下がるのと同じアリ地獄。
そこで財源を増やせるか。患者負担を増やせるかというと難しい。混合診療も難しい。増税するかっていうと、社会保障費を抑制する基本方針が仮に撤回されたとしても、赤字があることに変わりはないし、後期高齢者医療制度は税金によって半分賄われているので難しいのでないかと思う。保険料を上げる可能性があるかにかけるしか私はないと思う。
今は高齢化というと、2005年に65歳以上が20%で医療費の半分を使っている。2025年になると65歳以上が30%以上に増え、医療費のうち3分の2を使うようになる。その半分は国の税金によって賄われている以上、少々シーリングを徹底したところで、医療費に国の予算が回る可能性は低いと思う。
そこで保険料が上がる可能性がないか。厚労省の行った改革のうちで私が評価できるのは、保険者が都道府県単位に集約されてきた。後期高齢者医療制度も政府管掌健保も。国保も県単位への合併を推進していくと、県による所得水準の格差は国が負担してくれる。しかし県民が受ける医療格差については県民の保険料で負担するということになる。従って、隣県と比べて安かろう悪かろうになった時、保険料を上げようという議論が起きてくる可能性はあると考えている。
ただし障壁もあって、県には保険を運営した実績がないので、知事や県職員の実力を評価していない。後期高齢者医療制度の県が主体を取ることを拒否したために県単位の市町村連合になった。また、県立病院からの撤退など、医療からいかに切り離せるかということばかり考えている。しかし保険者は県単位に集約されているし、医療計画も県単位。政治が悪いのは県民が悪いからで、国政選挙に比べて低い県議選の投票率とオール与党の知事。県レベルで医療を賄うスウェーデンなどでは、医療が最大の争点になっているので変化も期待できるのでないかと思う。
ただし保険料を上げるための条件としては、住民に対して医療を良くするためのものであることを納得させる必要がある。目標を建物などのハードから救急体制の安定化などソフトに転換する必要がある。努力しているというエビデンス、稼働率だったり連携の構築など患者サービスの向上に努力しているというエビデンスを提示する。患者満足度調査というのはつまらないもののようだが、実はエビデンスになって、それが上がっているということが大切。この学会にお願いしたいのはニーズに対して適切に対応しているエビデンスであって、たとえば人口あたりのPTCA実施率が次第に一定に収れんしていくというエビデンスがあれば、ニーズに対して普遍的に対応していることになる」
次に諏訪赤十字病院の大和真史副院長。
「医療崩壊を引き起こした因子の中に『臨床研修の必修化』というのが必ず入ってくる。たとえば日本医師会が行った全国医局への調査でも、医師派遣の中止・休止が4分の3にあって、主たる原因が臨床研修の必修化に伴って引き揚げたからだと挙げられている。医局も弱体化して、そういった医療機関の60%ぐらいが診療科を閉じている。産婦人科なんかの影響が大きいけれど、これは訴訟のリスクなんかもあるだろう。
私どものような長野県のしかも地域で医師派遣が減って都会と格差が広がっているんじゃないかと、問題は医師不足の方にあるんでないかと言われている。たしかにOECDデータでも医師数は非常に少ない方に属している。私たちが卒業した時に比べて医学部定数というのは7%ぐらい減っている。日医総研のワーキングペーパーで見ると、GDPあたりの医療費支出は非常に低く抑えることに成功していてイギリス並み。GDPの多い国々の中では最低ランク。医師数で見ると、GDPあたりの医師数は非常に少なくて、高齢化率と並べてみても高齢化が進んでいるにもかかわらず低いレベルにとどまっていて、対してアメリカは増える方向、イギリスも横ばいだけれど元々もっと多い。
医療費の総枠を抑えるには、細分化の進む中で医師数を抑えることが有効な施策だったのであろう。結果的に高齢化が進んで急速に医療ニーズが増える中で医師が増えてない。臨床研修は医師不足を顕在化させたに過ぎないというのが正しいのでないかと思う。日々診療にあたる方は百も承知と思うが、研修指導が忙しいと言いながら、他にもいっぱい仕事があってコンビニ化という話もあったが、夜に救急外来などをやっていると本当に、家へ帰ってみたら子供の熱が出てたんで連れてきたという人がいて、明日の朝まで待てないのかと訊くと明日は忙しいと言う。そういった需要が増大するのに加えて、高齢化と高度医療化が進んでいるのに、供給の方は研修必修化はあるけれど医局の弱体化、診療科や地域の偏在、また女性医師も頑張ってはおられるけれど子育ての時期はパートになったり家庭に入られたりということで、医学部に女性の占める割合が3割4割なので、医師の稼働力が減ってくる。因子がたくさんあるので必ずしも研修の問題だけではない。
国立大学の医学部長会議の資料に基づいて見ると、大学医局にどれだけ戻って来るか平成14年と18年で比較してみると、地域の格差がかなりあって、医師不足の問題になっている北海道と東北ではかなり減っている。同じ中部地域でも、名古屋・東海地域はあまり減ってないむしろ増えているのだけれど、私のいる長野・中央高地は減っているし、北陸はさらに減っている。同じ地域の中でもかなり違う。診療科別にも違う。形成、麻酔が多いかな、と。なかなか外科に入ってくれない、脳神経外科は希少種になりかけていると思う。人口50万人以上の大都市のある県はそんなに減少率が激しくないのだけれど、長野県も含めてそんなにデカイ都市のない都道府県はかなり減少が激しい。大学医学部長の言っていることだが、僻地地方医療は地方大学が担っていたが、そこに医者が入ってこなくなることで、過疎地の医療のサポート体制が崩壊した、と。緊急声明を出して、やめろと言うのじゃないけれど、大学の医師不足や基礎医学者不足、それから地域の医師不足や偏在を後押ししたんだと言っている。全体の医師の育成過程を見直すことが大切なんでないかと結論づけている。必ずしもこの制度をやめろと言っているわけではない。
それがなぜかというと、たしかに初期研修の医師は必修化と共にガクンと減ったけれど、その後の後期研修の受け入れ数は決して減ってない。これがどうしてなのか。ウチの大学なんかは明らかに2~3割減っているのでどうしてなのかなという気はした。研修医たちの進路相談に乗ってみると、入局というのは彼らにとって重い課題で、専門性を身に付けていきたいとか将来の就職先を色々な時点で考えていきたいという時に病院にいるよりは医局に入った方がいいんじゃないかということを言う。私どもの病院でも後期研修を採っているのだが、勤めてあれやれこれやれと言われるよりは、私は大学から派遣された医者ですと言って自分の診療科領域に籠っていた方が色々守られるような気がするらしい。
そうこうするうちに、あの病院へ行けとかこの病院へ行けとか言われて、動物実験なんかをさせられるようになるとまた不満を言うようになるが、そういう中で大都市の大学病院は東大をはじめ医学部の定員の倍以上の膨大な大学院定数を満たして、たくさんの若手医者を抱えている。それが医者不足の現われとなって出ているのでないか。昔に戻るのがいいかというとそうでもないだろう。医者は自分のコミュニティ、病院、医者仲間、あるいは他の専門職、地域社会との色々なかかわりを持っている。いろいろな社会的要請の中で公共性とか患者さんとの直接のコミュニケーションを取っており、医療に籠っているとは言っても日々コミュニケーションを繰り返しており、同僚とのチーム医療も必要で様々なものとのコミュニケーションをもっている特殊な専門職で、そういう合意形成をしていくプロフェッショナルとして、色々な社会からのものを取り入れながら見直していく必要がある。そういう医師を育てていくように変えていかなければならない。翻ってみると、医学部の教育というのは膨大な医学知識をどう詰め込むかということと、卒後の職業教育をどうやって卒前に持ち込んでくるかということで、かつては医学的知識がどんどん増えていく中で様々な教育方法学で頑張ってきたのだけれど、もうそれには限度があるということで、今はもう医学知識を詰め込むことはあきらめて、いかにその後知識を入れていけるか、魚を食べさせれば一日生きられる、魚の捕り方を教えれば一生生きていける、で、我々は若い医学生さんたちに将来どうしたら医学知識を入れていけるかを教えていくわけだ。過去の医学生の育て方は国家試験が終わってから現業に就くわけだけれど、これが臨床実習が前倒しになって様々な医療行為ができるようになって、たくさん教えるのをあきらめてコアカリキュラムに絞って各大学でやっていたところに臨床研修の必修化がでてきたということで、医学部教育が様々に変わってきているというのが現状。
そういう医学部の変化と卒後研修の変化は、あまりに知識が多すぎて、世の中でも正しいかどうかは別にして医学的情報が氾濫している中で、我々のような専門職の立場が随分と変わってきたのだと思う。どういうことかというと患者さんとのコミュニケ―ションであり、医療職の中でコミュニケーションすると共に患者さん、ご家族、あるいは社会とコミュニケーションを取っていかなければいけない。説明責任を果たさなければいけない。あるいはコラボレーションしていかなきゃいけない。専門職が自分の伝統の中で先輩のやっていたことを引き継いでいくというだけではなくて、周りの広い範囲の人と一緒に仕事をしていかないといけない。当然、専門家の養成の仕方も変わらなくちゃいけない。だから医局制度に戻っていくというのは考えられないというのが感想。
この医師臨床研修制度というのは何のために創設されたのか。昭和40年代後半以来のインターン制度から変わったものが、社会のニーズを考えてどんな専門分野にいくにしても一定のプライマリケアと患者や社会との関わり方を十分に認識した医師を育てようということで、文言としては非常に正しい内容。とりあえず、それを現場で教え込んでいく、あるいは一緒に学んでいくことが我々に求められているかなと考える」
お待たせしましたの小松秀樹・虎の門病院泌尿器科部長。
「医療を再生するにはどうしたらよいのか、しょっちゅう考えている。時間の都合でごく一部だけ触れる。医療の問題の主たる原因は死生観、人が共生するための思想など医療をめぐる考え方の齟齬に行きつくと考えている。今日のキーワードは、「規範と現実」。
まず最初に、規範と現実をめぐる社会システム間の齟齬について述べる。ニクラス・ルーマンという社会学者は社会システムを大きく二つに分けた。規範的予期類型、司法・政治・メディアなどと、認知的予期類型、医療・工学・航空など。規範的予期類型はものごとがうまくいかない時に、その原因を外部に求め、相手を変えようとする。認知的予期類型では、うまくいかないことがあると研究や試行錯誤を繰り返して、自らの知識・技術を進歩させようとするか規範そのものを変更しようとする。違背にあって学習するかしないかが違いとルーマンは述べている。短期的には合意の得やすい規範的予期類型が優位になるけれど、長期的には適応性の高い認知的予期が優位になって社会における存在感を増すということ。
このことは演繹と帰納という言葉でも表現できる。法律家やジャーナリストは、規範から演繹的に物事を判断する。科学者は仮説を証明するために、適切に選択された対象を適切な方法で検討して帰納的に仮説が真かどうかを検証する。科学的真理の表現方法、精度、限界は方法に依存している。ルーマンは、学門がその理論の仮説的性格と真理の暫定的な非誤謬性によって安んじて研究に携われるまで学問研究の真理性は宗教的に規範化されていたと述べている。科学的真理は永遠に正しいわけではなく、このために研究が続いていく。
司法やメディアは科学的真理の暫定的非誤謬性という醒めた見方を共有できないため、黒か白かをむりやり決めようとする。いったん決まると、それが前提になって未来を縛る。さらに規範が適切かどうかを現実からの帰納で検証する方法と習慣を持たない。このために規範が落ち着いたものにならない。
最初の原則論。基本原理を規範ではなく現実認識に置くべきと思う。制度設計は人間の特性と現実を踏まえて実行可能性と結果の有用性を基準に行わなければならない。規範については、正当性の根拠を過去の倫理的規範との論理的整合性ではなく、社会にもたらす結果に基づくべきと思う。このためには当該規範に強制力を持たせる前に、どのようなことが起こり得るのか徹底的にシミュレーションする必要がある。そもそも数百年も続くような丈夫な規範はない。制御を組織化(?)すること自体、信じられない。
原因そのものは医療費。1980年代以降の医療費亡国論による徹底的な医療費抑制策で2005年には日本の対GDP比医療費はOECDでデータのある27カ国の中で22位。医療費と国民の要求が乖離していると思っている。低い医療費がもたらした過酷な労働条件と無茶な要求の規範化が医療現場の士気を奪っている。医療費を抑制したままで、一部の疾患や特定の階層に対する保険診療の制限を行うことは理論的にはあり得る。後期高齢者医療制度や重症者リハビリの切り捨てがこれにあたる。なかなか一般国民には受け入れられない。政治的混乱を現にまねいている。私は、日本の文化度からいくと、医療費はもう少し引き上げざるを得ないと思っている。
昨年の一般会計では、歳出は社会保障費と国債費でそれぞれ4分の1、地方交付税を加えるとほぼ70%。高齢者人口が急速に増えていて、社会保障給付は毎年1兆円増える。公共事業、医療、教育、防衛はそれぞれ数兆円に過ぎず、社会保障費の増加分をこれらの分野の節約で補てんするのは限界に来ている。しかも国債が大量に発行されている。公共事業で何とかならないのかという人たちがいるけれど、これも急速に減っている。減額には産業構造の変革が必要。最近5年間で建設業の就業者は126万人減っている。この減った人々は新しい職業に就かないと生活が成り立たない。これ以上の減額を行うと犠牲者が出る。建築とか運輸は自殺率が極めて高い。犠牲者が多数出るとなれば政治的に無理が生じる。
175兆円に達する特別会計の節約で医療費を捻出できるという意見もあるけれど、全体として日本の国民は負担をしていない。OECD諸国の中で租税負担率は下から4番目。日本より下位のアメリカ、メキシコには一般国民の参加する公的保険制度がない。日本は、あまりにも小さな政府になり過ぎている。給付には負担が必要ということを認識しないといけない。政府が小さすぎるために様々な分野に歪みが生じている。高等教育費用の総額はOECD諸国で下から5番目。しかも公的支出が少なくて5分の3は私費負担。要するに親が負担している。これは日本で貧困が再生産されるようになったことを示している。
医療への支出を増やすためには主財源である保険料を引き上げないといけない。しかし、国保の保険料が払えずに無保険になる人が急増している。そもそも国保の加入者は社会的弱者が多くて財政的に無理がある。保険者間での財政調整には組合健保側から強い抵抗がある。保険料引き上げによって起こる諸問題を租税によって調整せねばならず、増税が必要だと思う。取れるところはどこから取ってもいいと思うが、バランスよくやらないと企業の課税を強化しすぎると産業と職を下手すると国外へ追いやることになる。その意味で確実な財源として、消費税引き上げは避けられないと思う。低所得者に関しては負担が給付より重くなる(?)ので低所得者にとっても有用なことと思う。
次に厚労省改革について述べる。厚労省は実情を認識するための努力を怠っている。また責任回避と組織拡大の性癖を強く持ち、このために実行不可能な規範の網をつくって現場に無理を押しつけている。厚労省の規則を全部ちゃんと守るのはかなり難しいと考えている。
たとえば医療機器。医療機器市場は急速に成長しているけれども、日本のシェアはどんどん下がっている。これは日本では治験段階から完全な本生産設備の整備を求められるなど実質的な国内での開発が極めて困難になっている。ほとんど不可能と言ってもいい。医療機器開発に対する厚労省の立場をある課長補佐は『私どもは国民の安全のために審査するところであり、産業振興育成は経産省の仕事と思っています』と表現した。自分たちの責任を問われないようにするために、医療機器を開発させないと言っているように聞こえる。科学技術戦略推進機構の調査で、企業の医療機器開発への参入意欲が低いことの背景に行政の不許可非承認などの阻害要因を強く感じていることが示されている。似たようなことが国交省にもある。耐震偽装問題に対する過熱報道のために建築基準法が改正され、あまりに厳格なため住宅着工が半減した。多くの建設会社が倒産した。建設費を押し上げたために日本の風力発電は壊滅状態になった。昨年度のGDPを0.3%ぐらい押し下げたとの推計がある。
規範優位の日本の官庁の制度疲労が表れている、一部では限界に来ていると私は考える。日本の官庁が、リスクがあってはならないとの無茶な論理にすり寄り過ぎていると思う。医療政策に大きな影響を与える医系技官の大半は実質的に医師としての経験がない。医療の言語論理体系を理解していない。社会制度についても体系的に学んだわけではなく規範を振り回しすぎるきらいがある。チェックを失った国家機関がどれほどまで有害になりうるのか歴史的視点を持っていない。国交省と同様の危うさがある。
厚労省の果たす役割について徹底的な見直しが必要と思っている。厚労省の動きは壊れたロボットのようにギクシャクしていて触れたものを壊す。官には引き受けるのに適したことと適さないこととがある。現場の医師が何を望んでいるのかを細かく調査して長いスパンで対応するような方策を取らない限り、僻地への医師派遣はできない。これは当該地域の病院の人事権の一部を掌握していないとできないので、官にはできない。その地域における広い合意と調整が必要になる。医師の定員を東京と北海道で同じにして、その違反を糾弾して取り締まることが正しい医療政策とは思わない。厚労省が全国一律に支配するのではなく、それぞれの地域の実情に合わせた対応ができるよう可能なものは地域に任せる、あるいは権限を分けるべきだと思う。
現場から厚労省の行政をチェックできる制度が必要だと思う。チェックのない権力は必ず制度を壊して腐敗する。ある知人の意見。医療問題オンブズマン制度のようなものができれば、社会保険庁問題のようなデタラメはもっと早く気づくはずだとのこと。厚労省の施策を現場からのチェックで現実に即したものにできる。厚労省にとってもクレーマーからの攻撃を直接受けることがなくなる。厚労省がメディアの無茶な論理に同調することを防いで正論を守ることが期待できる。官にはできない公的活動ができれば大きな役割を果たせる。この団体の中心には重要な情報を広く集めて提供する情報に特化した組織が必要になる。厚労省の持っている統計情報や実務情報のようなものを、もっと政策立案に使えるように加工前の状態で専門家が使えるようにすべきと思う。
現場についての認識の甘さは医療行政のシンクタンクとしては致命的。また日本の医療の現状は国家的危機であり、厚労省のみで対応できるようなものではなくなっている。官には官ゆえの限界があり、しがらみが制度の機能を阻害する。医療政策の大方針を立案する、官の限界としがらみから自由な専門家集団が必要とされている。これに関して現在注目していることがある。それは、日本医師会が5年以内に終焉するということ。
公益法人改革によって現在の組織は5年以内に新組織に移行しなければならない。公益社団法人か一般社団法人かを選択する。公を選択するか私を選択するか明確にしなければならない。これは大きなチャンス。公益社団法人は不特定多数の利益の増進を図り、会計を含めて活動が監視でき公平な参加の道が開かれ、社員は平等の権利を有し、特定の個人やグループの恣意によって支配されてはならないと規定されている。代議員制度は法律上取れない。会長選挙も不可能。特定政党への献金は継続できない。日本医師連盟とは併存できない。勤務医を第二身分に置くような制度運用はできない。
公のための医師組織をつくるチャンスと思う。すべての医師を束ねて自らを律し、ひたすら医療を良くする事に徹し、私を主張しない。私を主張するには別の組織をつくればよい。そのような気位の高い組織が必要と考える。これが創設されると、医療をめぐる諸問題の解決が容易になる。
医師の資質向上のためにピアレビュー、適性審査まで踏み込むべきと思う。これをやるためには医療における公、特に院外でやる公的公益活動というのはどういうものかについて大きな議論を起こして、今後の日本医師会に指針を外から与えることをやったらいいと考えている」
最後は黒川衛・全国医師連盟代表。
「最近の風潮で、医療費をお荷物と考える、無駄金と考える風潮があって、とても残念。戦後、かなり長い時間をかけて医療に人材が社会的に投資されたと思う。これだけ医学医療に従事する人間を社会的に投資しておきながら、今、医療崩壊を迎えていることは非常に国にとっては悲観的な話になるが、これだけ投資した医学医療だからこそ、やれることがあるんじゃないか、と少し前向きに話をしてみたい。
前提となる事実を挙げたい。まず日本の医療水準は高い。当たり前だが、WHOの2000年のヘルスリポートとOECDの2007年のリポートによれば、健康指標によって国際比較をする。それから日本は非常に自殺が増えているのだが、増えているのにもかかわらず平均余命が伸びているという事実がある。WHOの方はトータルでジャパン・アズ・ナンバー1。これは私たちが胸を張ってよいことだと思う。
二つ目に日本の医療費は低い。05年の統計で対GDP比8.2%は先進国で最低。ふつう1人あたりのGDPが高いと寿命が伸びていくというパターンがあるのだが、日本は1人あたりGDPが低くなっても寿命が高くなっている。ヨーロッパなどは下水道などが完備されインフラが整備されている。そういったもの以外の医療が充実しているから寿命が延びているとしか解釈できない。1人あたり医療費も少ないわりに寿命が延びている。これもやはりコストパフォーマンスの良い医療によって寿命が延びているのだろうと解釈できる。二つのことから見ても、医療への投資が少ない中でかなり健康指標を上げているんじゃないか。これも誇りに思っていい事実だろう。医療費ということでいうと、たとえば虫垂炎、AIUが1996年に調べた外国を旅行する時の保険の値段から比較してみると、ニューヨークでは200万円近くかかる時に日本は30万円前後、他の国に比べて安い。2005年の資料で比べてもニューヨークあたりでは2日間の入院で200万円。1日100万円で2日間しかおれない。それに対して、東京では7泊35万円。こういう風に、具体的な診療報酬で見ても、10割負担した場合、日本の技術料が低く見積もられている。日本の医療は優れているけれど、医療費を非常に低く抑えていることが分かる。
三番目に医療従事者は怠けているかというと、労働基準法無視が放置されているくらい非常に頑張っている。国立保健医療科学院の平成18年の資料で医師が6600人回答しているもの。勤務医の週間労働時間は、非常勤の医師たちも含めても、分布を調べてみると、平均的な勤務医自体が過労死の労災認定基準に達している。一か月あたり合計100時間を超える時間外労働は立派に過労死危険域だけれども、平均的な勤務医でそこに達している。週7日間を毎日20時間働いている人もいる。医労連の調査で見ると、こちらは1350人くらい。待機・拘束の回数が月11回、実際に呼び出される回数が4.2回。宿直明け勤務がない交代制を取っているのが4.4%。これ以外は宿直明け後も勤務している。連続32時間勤務を7割以上の勤務医が月3回以上行っている。だから決して医師が頑張っていないわけじゃない。
もう一つ。不当判決が続出している。いろいろな判決を読んでみると10中8,9は正当な判決。ところが10個の中に1つでも重過失判決とでも言うべき判決があると、私たちは非常に萎縮する。刑事は年平均15件。その中の4分の3は略式命令。50万円以下の罰金として略式命令で済んでいる。年間5件程度刑事訴訟で争いになっている。それに対して民事訴訟は年間1000件。加古川心筋梗塞3900万円、奈良の心タンポナーデが4900万円、八戸縫合糸が3200万円、神奈川帝王切開が8450万円、亀田テオフィリンが7300万円。これらが実際の不当判決。こういった不当判決が続出している。一般裁判の数自体は毎年14万件から15万件で増えてない。けれど医療裁判は明らかに増えている。近年では年間1000件以上。あともう一つバックグラウンドとして考えておかないといけないのは年間の弁護士の合格者数。ロースクールができて2004、5年あたりから爆発的に増えてきている。だいたい医者の数の10分の1が弁護士の数なんだが、これが何を意味するかということ、いろいろな見方があると思う。診療科別の新規訴訟数も出ている。産婦人科は1000人中12件が毎年訴訟にかかっている。産婦人科医を10年やると8人に1人は訴訟に当たる。同様のことが外科でも起きている。整形も含め、この辺りがハイリスク診療科であることが、この辺りの数字からも分かる。
これらの前提があって、やはり何か運動しなければいけないんじゃないかと思った。私たちが医師包囲網と呼んでいるのは、何も国会で決まったことが医師バッシングになっているのではなくて、総理直轄の経済財政諮問会議、あるいは財務省の財政制度等審議会、それから年次改革要望書というのがアメリカから来ている。こうした外圧や国会の関係しない審議会が直接医療行政を動かしてきているという事実がある。厚労省の医政局は医師職の官製コントロールをめざしている。地域医療支援中央会議、こういったものは地域での大学医学部の自治から地域の官製コントロールへ、弱小医局が解体した時に誰がコントロールするかと言えば今度は官製コントロールをめざしている。総務省の自治財政局は、自治体病院を切り捨てて同時に社会法人化して、社会医療法人債というのが出てくる。社会医療法人債というのは非常に曲者で、これを使って狙われているのは医療法人のM&A。医療法人の再生ビジネスというのは、ここ1、2年で非常に拡大している。病院をM&Aのターゲットにできる。非常に大きなお金が動く。文部科学省高等教育局は医学部に限らず、国立大学法人、地方大学を切り捨てていってる。旧帝大以外の医学部は非常に弱小化が進んでいる。だから私たちは、医療医学というのは頑張ってきているけれど、かなり包囲されていますよというのを自覚しないといけない。これは外に敵がいるだけじゃない。マスコミ、司法も医師バッシングに加わっている。医師組織、医師会や医学会にも封建制がありはしないか。自らの中にも医師を追いやる勢力がいるのでないか。
医療崩壊の5つの要因。医療費抑制政策、劣悪な医療労働環境、不公正な医療報道、医療裁判の低能力これは鑑定医の低能力でもある。医学会の封建制ということで、何か行動しないといけない。私たちは診療環境の改善、医療報道・世論への対処、法的倫理的課題の改善、という3つの最高プロジェクトを持って、なおかつ良質なメディア、市民の協力を得て行動していかないといけないだろう。
諸外国を見ると、たとえば訴訟地獄と呼ばれているアメリカでは法曹グループや新聞社と連合した医師会とは異なる政治団体ができているし、ドイツではワールドカップのさなかに医師の労働組合ができた。これはヨーロッパ最大の医師労働組合で10万人の加盟者を擁している。秩序あるストライキを行っている。お隣の韓国やギリシアなど色々なところで活動が見られている。今までは医師会が戦後日本の保健水準を上げるのに津津浦浦いろいろ役に立ってきたし、医学部教授会や学会の重鎮たちが医学を導いてきたこともたしか。しかし医療崩壊を前にして、新しい解決策を見出しているかというと、この学会は別として、医療崩壊を前にして呆然としている。だから医療再生をめざし、医師と医療の真の社会貢献をめざす第三の道である全国医師連盟をつくった。
少し宣伝になるが、全員投票による役員選出を行った。現在の会員医師が770人。研究医も入れて勤務医がだいたい85%、開業医が15%。運営委員が30人、執行部が7人。まだヒヨコの組織だが、できることが限られているので、先ほどの3つのプロジェクトを行う。6月8日にできたばかりの組織だが、準備委員会の段階を入れると色々な活動をしている。厚労省二次試案への反対声明と国会議員への請願メールを行っている。このメールがだいぶ議員さんたちに効いてきて、超党派議連なんかが出てくるバックグラウンドになっていると私は思っている。怪しい組織ではなくて150人の実名発起人がいる。超党派の組織。今やろうとしていることは、医療費に関して7月に国会議員にアンケートを行う。どういった政治家がどういった意見を持っているか、これを発表していく。あるいは診療環境意識調査も予定している。
1000人の組織を確立して、やがては1万人超の組織をめざしている。何が言いたいかというと、医師と医療の誇りを取り戻したい。日本の医療の力は素晴らしいんだ。WHOのヘルスリポートで見てもそうだが、医学部ブームの中で人材的にも投資されてきた。医療にお金をかければ雇用が確保できる。これは公共事業の1.4倍の雇用能力がある。何より国民が健康になる。医療費は決して無駄金ではない。今は色々な規制あって、日本発の創薬あるいは医療機器がなかなか作りにくい状況だが、日本の技術力は非常に大きい。こういったものを考えると医療費は無駄金ではなくて、外国から創薬を学びに来たり、先ほどの虫垂炎でもそうだが、全額負担しても安くて安全な治療をしに来ることだってあり得る。外貨の獲得もできる。我々の知恵をうまく使えば、患者さんを救うだけでなく、国の力にもなり得る。
一つ私たちのアクションとして大きいのは訴訟不安が現場の医師に大きい。それを消すには、救命活動を刑事訴訟の対象外にする。対象外にするやり方はいろいろあると思う。私たちは刑事免責を求めているが、そうじゃなくて非犯罪化をする、あるいは医療上の重過失致死罪を新設してその適用を厳格化する考え方もある。いずれにしても刑事免責と言う言葉にはこだわらないが、刑事訴追の対象外に、これは医師に限らず自衛隊であろうと警察であろうと、救命活動は刑事訴追の対象外にできないのか、同時に患者家族の救済制度を設立してほしい、特に一家の大黒柱のまさか亡くなると思わなかった患者さんが亡くなった場合には医療過誤があろうがなかろうが家族の悲しみは非常に大きいし経済的にもやっていけない、そういう交通事故的確率的に不幸な結果になった場合はやはり救済制度を医師も協力して設立することによって、やっと刑事訴追の対象外というようなことも許されるんじゃないだろうか。だからこれをセットで訴えていくべきだろうと思う。
これまでは勤務医の労働環境を前面に掲げる組織がなかった。私たちは自分たちの愚痴ばかり言わないで労使紛争が先鋭化しているような場面ではドクターズユニオンの形で告発していく必要があるだろうし、細かいことを言えば、自分たちの身を守る方法を具体的に一歩踏み出そうということ。まず診療環境の一斉調査をしようと思っているが、患者や市民に実態を知ってもらいたい、で病棟なり外来なりに必要な掲示をする。診療契約をしっかりきちっと結ぼう。今の医療がどういう実態か、健康な人は知らないので、その実態を知ってもらう活動は非常に重要。医師の訴訟不安、報道不安を軽減するアクションも必要になってくる。そのためのいくつかのツールも考えている。勤務医の過労を軽減することも大事。いろいろな医療事故の原因になりかねない。過労を軽減するために、ぜひとも診療補助を活用してほしい、場合によってはダブルなんとかを調達したり、無駄な会議を見直してほしい。
それからやはり医事刑事訴訟を見てみると、やはりこれはヒドイというのがある。とんでもない同業による犯罪があるということを勉強しておく必要があるし、そういったものを締め出す医師の自浄機能を発揮する活動が必要だろう」
(この傍聴記はロハス・メディカルブログhttp://lohasmedical.jp にも掲載されています)
 
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