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臨時 vol 77 「新生児の生命と日本医療の未来」

医療ガバナンス学会 (2008年6月6日 10:43)


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    ~周産期医療の崩壊から見た医療再建の道~
      構想日本 政策スタッフ
      東京大学大学院医学系研究科医療倫理学講座 客員研究員
      田口空一郎



ここ数年、「産科医の不足」や「産科施設の分娩取り扱い中止」、また「妊婦のたらい回し」や「産科医の逮捕」といった出産にまつわる医療問題が連日マスメディアをにぎわせている。
今年4月14日に国立成育医療センターを視察した福田総理も、こうした問題を受けて、「来月中に、産科や小児科の勤務医を増やすための具体的な目標、そのための方策を盛り込んだビジョンをとりまとめ、政策にしていきたい」と自らのメルマガで述べ、その財源として来年度一般財源化を予定している道路財源を充てる、と明言していた。
しかしこうした総理の指示があったにも関わらず、また舛添厚労大臣の医師養成数増員の強い意志表明にも関わらず、大臣の諮問機関「安心と希望の医療確保ビジョン」会議での医師養成数増の議論はトーンダウンを見せ、女性医師の活用や医師配分の見直し、医療従事者の間の業務分担の推進といった、既に医療現場が長年にわたり取り組んできたような対策案を示してお茶を濁そうとしている。
もし厚生労働省が、こうしたその場しのぎの議論で事態の収束を図ろうとするならば、出産にまつわる医療、すなわち周産期医療の「崩壊」とまで形容される窮状を打開することは根本的に不可能だろう。はたして総理が明言した「具体的な目標」に基づく対策は出てくるのだろか。
ところでこの周産期医療とはそもそも何であり、そこにはどういった制度的問題あるのだろうか。またその問題の解決のためにはどういった方策がありうるのだろうか。以下、その概要を追いながら、医療制度全般にも及ぶような問題構造を明らかにし、医療再建のためのひとつの方向性を指し示したい。
■周産期医療とは
まず「周産期」とは、正式には胎児の在胎22週以降から出生後7日までの出産前後の期間を指し、その期間の母体および胎児・新生児に対する医療を「周産期医療」と呼んでいる。しかし早産児(低出生体重児、いわゆる未熟児)の救命率の上昇とともに長期入院児が増加し、出生後7日以降の新生児なども医療の対象とするようになったため、大きく「出産前後の母子を対象とする医療」と表現するのが周産期医療の適切な定義といえるだろう。
この周産期医療には、主に分娩や妊婦の管理を行う「産科医療」と、主に早産児および流産児のNICU(新生児集中治療室)等での救命・治療を行う「新生児医療」がともに含まれており、医療が非常に高度専門化した現在では、特に3次周産期センターと呼ばれるような大病院において、両者は不可分な形で相互に連携し、一体的な医療を提供しているといえる。
■産科・新生児科・小児科の違い
こうした周産期医療の問題を理解することの難しさには、第一に、産科医は産婦人科学会に、新生児科医は主に小児科学会にという風に、それぞれが別々の学会に所属していて医療集団としての共同性を欠いている、という点も挙げられるだろうが、より本質的に問題を複雑にしているのは、産科は医療法の定める標榜科として認められており、診療報酬において「産科医」という制度上の身分をもっているのに対して、新生児科にはそれが認められておらず、いわば任意に掲げられる名称に止まっており、「新生児科医」や「新生児医療」の存在そのものの社会的認知を低くしているという問題が指摘できる。
このことは、冒頭に引用した福田総理の発言にもあるように、「新生児科=小児科の一部」という専門家の理解の下で、「産科・小児科の医師不足」という言葉の中に新生児科医不足の問題も含まれていると認識されてしまい、結果として産科と小児科に挟まれた新生児科独自の存在意義とそれ固有の社会的問題が一般社会にまで届きにくくなっている、ということが理解されなければならない。これは単なる名称の問題ではなく、診療報酬上の配置基準などにおいて、医師確保のための制度的な裏づけが新生児科には存在しないということをも意味しているのである。
新生児科医は小児救急などを担っている、いわゆる標榜科としての小児科医とはまた別に、NICU等での高度な専門医療を提供する独自の医療者集団であり、総理がいうように「小児科医」一般を増員しただけでは、各地の自治体で小児医療費の無料化が進む中で、マンパワーの不足した小児救急の現場に医師が回るだけで終わってしまい、NICU等でのより過酷な労働条件の中にある新生児医療にまで医師が回ってきそうもないことは容易に想像がつくことである。
他方、新生児科医とともに周産期医療のもう一方の一翼を担う産科医を増員しただけでも、現在の周産期医療の崩壊は食い止めることができない。なぜなら現在の高度化した周産期医療においては、単に産科医が分娩を扱うことに尽きるのではなく、生命の危険の高い児が生まれた際の新生児科医によるシームレスな救命処置が後方支援として必要不可欠であり、新生児医療を欠いては高度な産科医療の提供もありえないというところまで両者の関係は深まっているのである。こうした連関を理解するには、次に周産期医療提供体制の実態を把握する必要があるだろう。以下にその概略を記そう。
■1次・2次・3次周産期医療施設の区分
わが国の周産期医療施設は、1次・2次・3次といったように、提供される医療のレベルに応じて三つのレベルに区分することができる。まず1次施設とは、街中にある産科クリニックや中小病院などのいわゆるお産施設で、主に正常分娩を担い、妊婦に合併症があった場合や新生児に異常があった際には、2次・3次の施設へと送院されることとなる(「母体搬送」・「新生児搬送」)。
次に2次施設とは、通常の産科医療を提供することができ、かつ中軽度のリスク妊婦や異常新生児であれば対応することができる施設を指す。そしてハイリスク妊婦や重篤な異常新生児については3次施設へ送院されることとなる。また、「2.5次」と呼ばれる地域周産期母子医療センターなどには、異常新生児を専門的に治療するためのNICUが完備している場合もある。
最後の3次施設とは、医療施設の多い都市部を除き、ほぼ一県に一施設が存在する総合周産期母子医療センターのことであり(ただし、山形・岐阜・奈良・佐賀・宮崎の5県には存在していない)、ハイリスク妊婦の受け入れから、その管理・分娩、また2500g以下の低出生体重児から1000gを下回るような超低出生体重児、そして重症新生児仮死その他重篤な疾患をもって生まれてきた児の治療などを行うことのできる高度専門施設を指す。
いわゆる正常分娩が出産の多くを占めているにも関わらずNICU等の高度な新生児医療設備を備えた3次施設が各県に必要である背景には、統計上、出生全体で毎年約9%のハイリスク新生児が生まれているという事実がある。そして日本の新生児医療は、この10年以上の間、世界で最も低い新生児死亡率を維持しつづけ、結果的にわが国の平均寿命世界一の地位を支えてきたということができる。
このように、3次施設とは、いわば地域の周産期医療の最後の砦であり、1次・2次で受け入れや処置の困難なハイリスクの妊婦や新生児がすべて搬送されてくる施設といえるが、たとえば夜間当直医の不足やNICU満床などが理由で受け入れが困難だったような場合には、妊婦は必然的に県外も含む他の3次施設へと搬送されることとなる。
昨年8月に奈良県で起こった、いわゆる「妊婦たらい回し」の出来事は、当の妊婦が定期健診を受けていなかったという問題が背景にあったとはいえ、まさにこうした3次の総合周産期センターが存在しない奈良県という地域で起こったということは大いに記憶されるべきことだろう。
■周産期医療崩壊の背景
3次施設での妊婦の受け入れの困難事例は、しかしこうした3次施設のない地域ばかりで起こっているわけではない。産科医不足などによって1次・2次施設での分娩取り扱い中止や施設の閉鎖・縮小などが相次ぎ、結果として外来も含め3次施設への患者の集中が引き起こり、搬送されて来た妊婦の受け入れが困難という事例が続出しているのである。
加えて2.5次と呼ばれる地域周産期センターには総合周産期センターのように公的な運営補助金等が支給されていないため、赤字経営を余儀なくされた同施設が規模を縮小する事例なども相次いでおり、患者の集中する3次施設の疲弊はよりいっそう深刻の度合いを深めているといえる。このため、県外へ母体搬送される事例は、一般に医師が充足していると考えられている首都圏の東京や神奈川などですら頻繁に起こっており、長野や静岡にまで長距離搬送されるケースも報告されている。
こうした周産期医療崩壊の背景には、上述のような医師不足や1次・2次施設の激減といった原因のほかにも、高齢出産や不妊治療による多胎出産(双子や三つ子など)の増加にともなうハイリスク妊婦・ハイリスク新生児の急増といった医療需要の変化と、そうした変化に体制が追いつくことができないNICUの病床不足という問題があることも無視しえない。
他方、医師不足の問題に関して、わが国は人口1000人当たりの医師数が2人と、OECD加盟30カ国中27位の絶対的な医師不足があることもさることながら、つねに24時間体制の周産期医療施設においては、ただでさえ不足したマンパワーで外来・入院・救急診療や当直まで行うといった明らかに行きすぎた過重労働や安全管理の低さが慢性化している。また、たとえば産科医に対する訴訟件数が100人当たり1.2人と、訴訟リスクも非常に高く、福島県立大野病院事件のように産科医の逮捕事案までが生じるといった問題なども重なって、周産期の医療現場から離職する医師が急増し、離職者が離職者を生むという負のスパイラルが現実のものとなっている。
このままの現状を放置すれば、本来、生命の誕生に関わり、ある意味で最も尊敬されるべき社会的責任をはたしてきた周産期医療の崩壊は阻止することができないだろう。戦後60年掛けて先人が育み大きな成果を上げてきたわが国のこの誇るべき周産期医療を、我々は何としても後続世代に残す責務があるのではないだろうか。
■医療の再建に向けて:生命論と財源論の語れる国へ
しかしこのように崩壊の深刻な周産期医療の再建をはたすためには、冒頭引用したビジョン会議が示した女性医師の活用や医師配分の見直し、医療従事者の業務分担の推進といった付け焼刃の方策ではどうにもならないことは以上の分析からみてご理解いただけるだろう。
女性医師はおろか、男性医師ですら過酷な勤務に耐えかねて周産期医療の現場から立ち去っており、むしろ性別に関わらず誰もが継続的に働けるような労働環境の整備が急務である。また、医療の高度専門化した現在では、医師の配分の見直しによって他科の医師や開業医を周産期医療の現場に急遽連れてきたとしても、彼ら彼女らにできることは殆ど何もないことに気づくだろう。まして医療従事者の業務分担の推進といっても、たとえば、毎年度、人件費も含む社会保障費が2200億円削減される中で、雇用機会を失った休眠看護師が約55万人いるといわれるような現状では、この方策にもまったくリアリティーがないことは明らかである。
我々がもし本腰を入れて、周産期を始めとする医療における労働環境整備と医師配分の見直し、そして医療従事者の業務分担の推進を実行しようとしたならば、医療安全上、超過勤務を来たさないような欧米先進国並みのレベルまで医師・看護師等のマンパワー増員を決断せざるをえないし、そのために必要な財源を確保するため、同じく先進国並みのレベルまで医療費増額を決断せざるをえないであろう(ちなみに現在の日本の医療費はGDP比8%とOECD加盟30カ国中22位である)。
しかし現在の政府のように、社会保障費を単に削減や抑制対象の「コスト」としてしか捉えられないならば、旧来の土木中心の公共事業に比して価値創造的かつ雇用創出にも適した医療福祉サービスの可能性が見逃されるであろうことは火を見るよりも明らかである。
我々はもはや、医療資源は有限の公共財産であり、多様な医療上の選択肢を確保しようとするならば、財源の負担やその調達に関する議論を避けては通れないことを自覚すべきだ。生命の誕生と終わり、そして心身のケアや健康の管理・増進については人手とお金が掛かるのだという当たり前の事実から議論を始めなければならない。
ところで我々は周産期医療に対して、すなわち出産にまつわる死のリスクに対していったいどれくらいの対価を払う用意があるのだろうか。そこで投下する医療費の規模は、救命することのできる妊婦や新生児の範囲に直結する。それはまさに、我々の生と死に対する覚悟や態度を表すひとつの指標ともなるだろう。すなわち財源論と生命論を分けて論じることはできないのである。
医療崩壊の危機が語られる今こそ、我々は生命論から財源論にまたがる幅広い公論を喚起し、医療そして社会保障全般へと繋がる未来へのビジョンと社会構想をぶつけ合い、そして磨き合っていく必要があるのではあるまいか。
構想日本HP http://www.kosonippon.org/
同 医療プロジェクトHP http://www.kosonippon.org/project/list.php?m_category_cd=26
同 政治家アンケート「医療崩壊」http://db.kosonippon.org/question/data.php?id=35#cts
著者ご略歴
田口 空一郎(たぐち くういちろう)
構想日本政策スタッフ・東京大学大学院医学系研究科医療倫理学講座客員研究員
1977年東京生まれ。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻修士課程修了。国会議員公設秘書・政策スタッフを経て、現職。担当は、医療政策を中心とする社会保障。立法府での経験を基に、医療制度全般への政策提言から、立法過程における合意形成の研究など、現場と政策、アカデミズムと制度を繋ぐ政策提言を行う。専門は政治哲学、公共政策論。共訳書に『健康格差と正義』(勁草書房より7月刊行予定)。

 
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