臨時 vol 62 「医療安全調査委員会は警察の捜査開始と検察の刑事処分を制御できるのか」
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■□ 厚労省第三次試案の法的弱点(その3)□■
井上清成(弁護士)
【1】 組織法・手続法・実体法の欠如
医療安全調査委員会が「重大な過失のある事例その他悪質な事例」を法的にコントロールするためには、組織法・手続法・実体法の整備がなされねばならない。どれか1つが完備されるか、それとも、それぞれ不備ながらも合わせ技でコントロールするか、である。残念ながら、厚労省第三次試案の内容では、どれ1つとして完備したものはない。かと言って、合わせ技でコントロールできるほどのものもないと思う。組織法は欠如しているに等しいし、手続法・実体法の整備は全くなされなかった。つまり、法的にはコントロールできないと評せざるを得ない。
「運用で皆が力を合わせればよいので、とりあえず試行してみてはどうか!」という前向きな意見も有力である。しかし、試行の失敗の確率や、何よりも、失敗した後の原状回復不能なほどの医療現場の荒廃を想像する時、そのリスクは大き過ぎると感ぜざるを得ない。
いずれにしても、それは政策的な決断に委ねられる。とりあえず以下では、3つの法の欠如について検討したい。
【2】 組織法の欠如
(1)医療者の代表
医療安全調査委員会は、医療安全と責任追及の両面で、医療者の生殺与奪の権を握るほどになりかねない機関である。しかし、それほどの権限を有する機関にしては、医療者の代表を選出する法的正当性の契機(法的正当化に重要な要素)が希薄に思う。医療者による選挙か、せめて医療界の諸団体の協議による選出が必要である。
現在の構想では、大臣の諮問機関レベルに過ぎず、妥当ではない。
(2)法律家等の参画
中央委員会・地方委員会・調査チームのいずれにも、法律家やその他の有識者が委員などの正式メンバーとして参画している。しかし、法的評価を行うものではなく医学的判断を行うのであるから、参画する必要はない。
なお、透明性の確保に必要だというのであれば、せいぜいオブザーバーとしての参加で十分であろう。
【3】 手続法の欠如
(1) 地方委員会からの通知
地方委員会からの通知の法的性質が判然としていない。「犯罪事実を申告し犯人の処罰を求める意思表示としての告発ではない」とすると、事実上のもの(答申?)に過ぎず、法的性質を有していないのであろう。
法的性質を有しない通知の有無が、警察や検察を何らかの意味で拘束することはありえない。つまり、うまく機能したとしても、せいぜい慣行というレベルに留まる。ただ、警察や検察との間で何らかの覚書等の文書もないとしたら慣行化すらおぼつかず、警察や検察の裁量に任せるほかないであろう。つまり、将来にわたって、刑事司法が暴走しないようにする歯止めがないのである。
(2) 遺族からの刑事告訴への対応
遺族から警察に刑事告訴があった場合には、警察は捜査に着手しなければならない。当然に警察は「鑑定」が欲しいので、通常は事実上、医療安全調査委員会による調査を勧めるであろう。
ただ、警察の真に欲しいのは、決して委員会の調査報告ではない。調査報告であっても、警察の協力医であっても、患者遺族の協力医であっても、どれでも構わないのである。欲しいのは、しっかりとした「鑑定」であり、信頼の置ける「鑑定」が入手できれば何でも構わない。
こうしてみると、手続法が決定的に欠如していることが明瞭であろう。
【4】 実体法の欠如
(1) 重大な過失
a)具体例―無謀とは?単純ミスは?
「重大な過失」には、無謀な医療と単純ミスが代表例として想定されているものと推測される。しかしながら、厚労省第三次試案も含め、誰もこの具体例を正面から論じようとしない。たとえば、
・クーパーを使えば無謀な医療なのであろうか?
・薬剤取り違えのような単純ミスは、原則として重大な過失なのであろうか?
のような単純な例さえ論じないまま制度を創設しようというのは、議論が余りにも乱暴すぎる。
b)理論―実体法に規定していない法概念?
もともと業務上過失致死罪(刑法211条1項前段)には、「重大な過失」「通常(軽度の)過失」などという区分けはない。この点、制度創設の検討会の座長である前田雅英氏(刑法学者)も、その著書「刑法総論講義(第4版)」(東京大学出版会)265頁で明瞭に述べておられる。「注意義務違反の程度が重大なものを重過失といい通常の過失より重く罰する…。例えば、自招の酩酊による殺害行為等は、重過失致死罪…となる。酒気帯び、スピード違反など安全運転上の基本的事項を無視した無謀な運転に伴う過失も重過失であるが、業務上のものである以上、業務上過失として扱われる。」
(2) 一つの情状としての「重過失」「悪質」
厚労省第三次試案をよく検討して見ると、実は、「重大な過失」も「悪質」も犯罪成立要件(犯罪構成要件)として取り扱っていないようである。「重大な過失」も「悪質」も、一つの情状として位置付けているに過ぎない。「情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)の余地なし」などという意味の情状である。
わかりやすく言うと、「医療安全調査委員会は、医学的評価をした上で、当該事例の情状が悪いと判断した時は、警察に『情状の悪い事例がありました』と通知するのである。そして、その情状の良し悪しの一つの目安が『重大な過失』とか『悪質』とかいうものである。情状に過ぎないので、『重大な過失』とか『悪質』とかを法的に厳密に定義する必要はないし、また、法的に厳密に定義しようとしても実定刑法上の根拠がないからできない。だからこそ、『言葉の問題を正面に出して議論しない』のである。」という次第であろう。
〈終わりに〉
3回にわたり、「医療安全調査委員会が果たして医療者への刑事介入をコントロールできるのかどうか?」を検討した。私見では、「コントロールできない」と結論付けざるをえないように思う。
1、調査報告という名の鑑定による刑事司法のコントロールは、甚だ不安定である。
2、医療安全調査委員会の与えれた権限によっては、警察の捜査開始も検察の刑事処分もコントロールできない。
また、この問題を契機に導入されようとしている改善命令やその他の強化される行政処分は、必然的なものとは思えない。
3、「重大な過失」も「悪質」も犯罪の成否の問題ではなく、情状の問題として位置付けられている。医療安全調査委員会の警察への通知は、一つの情状意見に過ぎない。
委員の選出に関する組織法も、刑事立件に関わる手続法も、医療の特質に即した刑事に関する実体法も、いずれも欠落している。
3回にわたる検討の評価は、上記のとおりである。これらの問題に関し、司法関係者は多くを語っていない。医療者が上記の各問題を検討する際の参考になれば、幸いである。