最新記事一覧

臨時 vol 74 「社会システム・デザイン・アプローチによる医療システム・デザイン」2

医療ガバナンス学会 (2009年4月4日 14:16)


■ 関連タグ

横山禎徳

(東大医科学研究所大講堂で2007年11月11日に行った講演に大幅加筆修正)


私の基本的な考えは、必要なお金なら十分つぎ込むことができるような仕組み
を医療の世界に作り出すということです。しかし、これは難しいのが現状です。
今、財務省の松田さんのお話にあったように、日本は巨大な財政赤字をかかえて
いますから、当分、巨大な財政赤字を減らすことに注力しないといけないのです。
従って、国民医療費は「コスト」として削減の対象であることは変わらないでしょ
う。たとえ、税収増があってもその一部を国民医療費に回そうということを考え
てくれるとは全く期待できません。

しかし、よくよく考えてみたら、日本が貧乏なのではなく、日本人は総体とし
て豊かなのですが、日本政府は貧乏だという問題です。日本政府に頼っている限
りは絶対に医療システムにお金が入ってくる良循環は出来ないことは明らかです。
そうではない、すなわち税金に頼らないで医療分野にお金が入ってくる仕組みを
考えようというのが私のデザインの基本的な考えです。後でそのシステム的な解
をお話しますので、上手くいくかどうかは、皆さんでご判断ください。

日本に新たな医療システムが必要であることはすでに明らかであると思います
が、その医療システムは「超高齢化社会経営」という新しい文脈のもとに、おた
がいに連携する「社会システム」群の一部としてデザインすべきです。当たり前
のことですが、日本の社会が現在おかれている状況から独立した医療システムと
いうものはありえません。「超高齢化社会をどうやって経営するのか」は日本が
世界の他の国に先駆けて、現在直面している最重要課題です。これまでのままの
雇用慣行であれば働く人が減っていくのですから、放っておけば辻褄が合わない
社会なのです。それを、何とかうまく乗り切ろうというのが今後、多分、50年位
の日本の重要課題だと思います。その文脈の中の一部として有機的に組み込まれ
た医療システムというのをデザインしていかなければいけません。

図7 http://medg.jp/mt/yokoyama.pdf

まず、現行の医療に存在する多くの悪循環を抽出し、明示します。そして、最
終的には医療費削減ではなく、逆に資金が流入することが良循環を作り出すのだ
という方に発想を転換します。先程の他の講演者の方々のお話をお伺いする限り、
思った以上に大変だということは分かるのですが、どうしても新しい答えに辿り
着かないといけません。議論した結果、資金面での変革はほとんど期待できない
から、現状の少ない資金の制約のなかで皆がもっと努力するということに終わっ
てしまうのではだめで、やはり一番望ましいのは医療システム全体にもっとお金
が入って来るようにあらゆる工夫をすることです。

システムにお金が入ってくるとどのような良循環が生まれるかということを考
えるために、航空業界を例に取ってみましょう。「ビジネス・クラス」の発明が
良循環を生んだのです。1970年代初頭の航空業界というのは最悪の状況でした。
747などのジャンボ機が導入されましたが、集客に自信がなく、ディスカウント
をすることに走り、各社ほとんど赤字の状況で、機材更新のための投資が出来そ
うにありませんでした。従って、飛んでいる飛行機の寿命が30年を超えるという
状況になりそうでした。数年前、某航空会社の30年物の747が空中分解したよう
に、やはり、30年を超えると安全性に問題があります。70年代の航空業界は大変
なことになるという予測でした。ところが、70年代の半ばから後半にかけて航空
業界は「ビジネス・クラス」という画期的なサービスを発明しました。

これは、フル・フェアを払ってくれる企業が相手です。個人のように安く飛び
たいから「ちょっとまけてよ」とはあまり言いません。料金をサービスの質に応
じて定価どおり払ってくれます。航空業はお客が定価どおりに払ってくれれば儲
かります。個人客の多いエコノミー・クラスはほとんどディスカウントしている
から儲からないのです。企業相手であればフル・フェアであるということです。
そこがミソであって、だから「ビジネス・クラス」と言ったわけです。

これは、予想以上に当たって、急速に航空業界は潤いました。そのおかげで最
新鋭機の開発が進みました。すなわち、第四世代の機材と言っていますが、767、
777、747-400、737-700、737-800と続々ボーイング社から出てきました。エアバ
スも最初のA300というのはそうではないのですが、エアバス320、319、330、340
を含めて全部が第四世代の機材です。

皆さんご承知ではないと思いますが、驚くべきことに2000年から今日(2007年
11月)まで先進国のエアラインにおいて第四世代の飛行機での死亡事故はテロ以
外、今の所ゼロです。その位安全性が保たれています。確かに機材破損事故は結
構あります。この間も、先進国かどうかの定義の問題はありますが、台湾の中華
航空の737-800が燃えましたが、あれも死亡者ゼロです。だから、やはりお金が
システムに入ってくると安全性が高まるのだということです。

貧乏人は古い飛行機に乗りなさい、「ビジネス・クラス」の客以上は最新鋭の
飛行機に乗せますということはありません。当たり前のことですが、そういう差
別はできないし、ないのです。747-400というのは非常に安全性の高い機材なの
ですが、ファースト・クラスやビジネス・クラスの客だけではなくエコノミー・
クラスの客も、安売りチケットの客も含めてどんなタイプの客でも皆乗っていま
す。全く同じような意味で、医療システムの中にお金が入って来て、みんなが潤
うという良循環を作り出すことが大事なのです。

医療システムにお金が入るということは結局、年寄りも若者も、貧乏人もお金
持ちも全部含めて皆が得をするのだと発想すべきです。それをどうやって成し遂
げるかということですが、対厚労省的には皆が自己規律を持って無駄遣いしない
仕組みになったのだから、必要なお金であれば使っても良いのではないかという
方向に発想を転換してもらうべきなのでしょう。しかし、財政赤字という環境下
で、あの人達が簡単に発想を転換することは無いということは先程、他の講演者
のお話を聞いていてよく分かりましたので、あまり当てには出来ないかもしれま
せんが、それはそれとして、やはりこれは絶対に無駄遣いをしないぞというよう
に仕組みを作り上げて見せることが必要です。

それから、医療における貧富の格差の是正も潤沢な資金があって初めて可能な
のだということをみんなで納得し合意すべきです。「医療に関しては皆平等であ
るべきで、お金持ちがお金で命を買うことはよくない」という議論があります。
混合診療を認めると「お金持ちが得をし、貧乏人が損をするではないか」という
人が必ずいますが、それは少し飛躍しすぎの議論じゃないかということです。デー
タに基づいていないのです。日本全ての医療行為の中で本当に命に関わるものは
何%なのだということを無視しているのです。

入院患者の統計によると、生命の危険があるというは約6%にすぎませんし、
通院患者は生命に危険がないとすると、ほとんどが命に関係無い医療行為なので
す。いつも命をお金で買っているのではないのです。国民医療費の大半は別に命
に関わりのないところで使われているのであり、この意見は、本当は正しいとは
いえないのです。でも、百歩譲って、そういう面があるとした場合、では、その
代わりとして日本政府はどうしてくれるのかということです。世界にはもっと進
んだ治療法があるのに何故日本では使えないではないのかという疑問があります。
今でも、お金持ちはその国に行って治療は受けられるが、貧乏人はそれが出来な
いというのが現状はおかしいのではないのか。これにはちゃんとした答えが返っ
てきません。

そうではなくて、潤沢な資金が医療システムに入ってくれば本当に貧乏な人は
医療費タダで治療をやってあげることができるのです。すなわち、お金がある人
からたくさん取って、その一部を「医療基金」としてプールし、使うことが出来
れば良いじゃないかという発想の方が、まだ素直ではないかと思います。「貴方
の命を高く買ってください」というと語弊がありますが、「貴方の病気を治療す
る費用の倍を出してくださると貴方と同じ病気だが貧乏な人を一人治療できます。
三倍出してくださるとそれが二人になります」ということではないでしょうか。

それから、多少の時間差は勘弁して欲しいと思います。例えば、人工透析とい
う治療法が出て来た時に、アメリカの人工透析の必要な患者数と人工透析のキャ
パシティにものすごく格差がありました。そのためどういうことをやったのかと
言いますと、ある匿名の委員会で人工透析を受ける人を選んでいたわけです。そ
れはこの人を生かしてこの人を殺すという判断をすることであり、非常に悲しい
ことであったのだけど、別にお金持ちが選ばれたわけではありません。要するに、
「生涯価値がある人」が選ばれたわけです。といっても頭のいい人という意味で
はなく、小さな子供等の扶養家族の多い人というような意味です。そのような時
代を経て今や人工透析は日本だけで2兆円位使う時代が来ているわけです。だか
ら、必要な人は誰でも治療を受けることができるまである程度の時間差というも
のは少し許してもらいたいということです。

すぐに市場メカニズムに走るというのも私は反対です。それは単に現在の状況
を裏返した答であるだけであり、新しい医療を「超高齢化社会経営」の文脈のも
とに組み立てる発想ではないだけでなく、市場メカニズム自体の持っている副作
用をどう押さえ込むかという問題というものがかなりあるからです。まだまだ他
に工夫の余地があるはずだというように考えるべきです。切磋琢磨のためのある
種の競争はあるにしても全面的に市場メカニズムによることなくPayer、
Provider、Patient、すなわち、保険者、医者、患者、それと行政、司法、マス
コミにお互いの関係から自己規律を作り出す良循環を見つけるというのが医療シ
ステム・デザインの目的です。

先程申し上げたように、「超高齢化社会経営」というのは、日本の抱えている
最大のテーマです。放っとけばつじつまが合う形では回らないというのは明らか
です。このままでは日本の財政は回らないというのは、先程、松田さんの数字で
ご覧頂いた通りです。それを、うまく回す方法を見つけ出さないとばいけません。
例えば、65歳で労働人口ではなくなるという定義がおかしいのではないでしょう
か。電車に乗った時、シルバー・シートは老人のために取っておくべき所だとい
うことで座らないようにしたら、私も65歳になりまして、シルバー・シートは私
のためにとってあるのであり、座って良いのだということに気がついて愕然とし
ました。でも、まだ座る気はないぞという気持ちです。例えば、そういう人のた
めに高齢者雇用システムというものが必要なのです。

今の団塊の世代は二人に一人が90歳を過ぎても生きていくということのようで
すから、65歳を超えても働いてもらうのが一番良いのだし、日本人特有の生活の
価値観に基づいたシステムだと思います。というのは、フランス人は本当に引退
することを夢見て生活しています。皆が言う通りです。でも、日本人は引退する
ことを夢見て働いていません。やはり何かの仕事をしていたいのです。それが、
緊張感を作りだし、結果として健康で長生きに繋がります。そういうことを考慮
に入れた日本独自の「高齢者雇用システム」が必要なのです。どんな雇用機会を
高齢者のために作るのかというと、例えば、3日働いて4日休むというようなパター
ンの雇用です。

それだったら二カ所に住んで、別に稼働率の悪い別荘保有の生活ではではなく
て、東京半分、どこかの町に半分という生活をするという人が出てくるでしょう。
それを「二ヶ所居住」と呼んでいます。それを促進する「二ヶ所居住システム」
も必要になります。家を二つ持ち、一人二役の生活になりますから耐久消費財に
関するかぎり消費人口が倍になったようなものです。そのためには、高い新築住
宅ばかりではなくて、既存住宅も安く買いたいということになります。

今、日本の既存住宅の市場というのは15万戸しか売れていない規模なのです。
アメリカは600万戸売れています。なぜこのような差があるかと言いますと、要
するに既存住宅市場を日本政府が育ててこなかったのです。新規需要の「一次市
場」に比べて既存品の流通市場である「二次市場」というものは自然発生的であ
り政府はコントロール出来ないから嫌います。それは分かります。アメリカの銃
器の市場というのは、大体4割が「二次市場」で動いているといわれています。
ですから、コントロールが効きません。そういう面もありますが、自由度の大き
い「二次市場」の発達は経済に厚みを与えてくれます。

日本は非常にコントロール志向の強い政府のおかげでここまで発展して来たの
かもしれないが、ちょっともう勘弁してくれないかということです。官僚が何で
も面倒を見るというパターナリズムから脱しないといけない時期に今来ているわ
けです。そのようなパターナリズムでは育たないものが多いのです。「二次市場」
もそのひとつだといえるでしょう。特に、その最大の市場は既存住宅の流通市場
でしょう。そのような住宅の「二次市場」を組み込んだ「住宅供給システム」は
「超高齢化社会」の消費活動を刺激するものとして必要なのです。

それから、日本人が減るのだったら、外国人にもっと来てもらうことを推進す
べきでしょう。そのためには旅行者という短期滞在者であっても、住んでいる人
であっても、消費してくれるのであったら、どちらも大事なのだと発想すること
です。政府が数年前に作った観光立国の目標は1000万人です。1,000万人という
のは、消費という視点からはほとんど足しになりません。私だったら、5,000万
人にします。そして、中国人をリピーターに仕立て上げる「中国人マイグレーショ
ン・パス・システム」をデザインします。東京とディズニーランドの団体旅行か
ら始まって、小グループの買い物・食事旅行、ゴルフ・スキーと温泉旅行、そし
て、緑豊かな地域での別荘保有まで時間をかけてたどり着けるようにシステムで
す。

世界では、フランスが7,000万人、スペインが5,500万人、アメリカが5,000万
人ですから、中国はもうすでに5,000万人以上の外国人旅行客規模になっていま
す。何で日本は1,000万人や2000万人という中途半端なことを言っているのか
かりません。「消費振興」における短期滞在客の意味合いをほとんど、分かって
いない官僚の人達が組み立てているということです。官僚に新しい仕組みを組み
立てる、すなわちデザインする能力が欠けているのです。だから、このままでは
政府もあまり信用出来ないなということなのです。お上に頼っていても仕方ない
という状況です。

それから、「生活資金を保障するシステム」というものもあります。ここに示
しているだけではなくもっと沢山あるのですが、こういう「社会システム」群が
全部繋がっているのです。それらのシステムのトータルとして「超高齢化社会を
どうやって経営するのか」ということに答えないといけません。そうすると、こ
れは明らかにかなり高度なデザイン能力が必要だなということがお分かりいただ
けるはずです。

では、お役人がこういうことをデザインする能力訓練がされているのかいえば、
されていません。法律を作る訓練はされています。法律を作る前に「制度設計」
ということもやられていることはすでに述べました。しかし、一省庁内の権限の
幅で制度設計するという能力は訓練されているのでしょうが、こういう複雑なシ
ステムを省庁横断的にデザインする能力の訓練はされていません。

優秀な官僚は日本に沢山います。しかし、優秀だったらゴルフはうまいのか、
テニスはうまいのか。そんなことはないのです。何事も練習しなければ上手くな
るわけがありません。今の官僚というのは、こういうシステムをデザインする練
習をしていないのです。それが、いろんな所で歪みとして出て来ています。練習
していないのだからデザインの能力はありません。要するに「社会システム・デ
ザイン」に関するかぎり日本の官僚は「優秀なのに無能」ということです。

これまでの官僚は欧米に先進事例が存在する世界で生きて来ましたし、小さく
間違っても高度成長がその間違いを消してくれるという状況の中にいたので、官
僚の無謬性という神話ができあがったのです。要するに、「インディアン嘘つか
ない。官僚間違わない」と思っているわけです。しかし、そのような時代はすで
に終わっているわけです。

今の時代は、かつてのように欧米に先進事例もないし、日本経済も高度成長期
ではないのですから昔のようには行きません。ではどうするか。自前で試行錯誤
をするしかないのです。「間違ってごめんね。やり直させてくれ」と言えば良い
のです。例えば、住基ネットは400億円を使いましたが、失敗作であるといって
いいでしょう。「ごめん、やり直させてくれ。システムは一発では決まらないの
だ」と言えばいい話です。ですけど、言いません。それが、いろんな問題を起こ
しています。

要するに、官僚機構は消費者に対して「ごめん、間違っていた」と言えません。
いってはいけないのだと思っています。しかし、「ちょっとやり直させてくれ」
ということを言えない限り、「社会システム」であれ、他のシステムであれ、シ
ステム・デザインということは出来ません。新しいシステムは絶対に一発では決
まらないからです。ここが、基本的な思考の転換が必要なところなのです。

医療の話にかえりますと、日本の医療の世界の人たちは現在の国民健康保険の
制度は「世界に冠たる健康保険システム」だといっています。私も本当にそうだ
と思います。少なくとも、制度発足当時はそうであったといえると思います。こ
の制度の構想を始めたのは1955年ですが、その当時の日本は立派な発展途上国だっ
たのです。

当時を振り返ると、日本の就業人口の約44%が農林水産業の従事者だったわけ
です。農業国であったともいえます。1964年に完成した東海道新幹線は、世界銀
行からお金を借りています。発展途上国にお金を貸すのが世界銀行です。すなわ
ち、まだ世界銀行からお金を借りることができるという発展途上国時代に日本の
官僚は健康保険システムというものを作ったのです。その志と構想力は当然、高
く評価されるべきでしょう。

図8 http://medg.jp/mt/yokoyama.pdf

1961年に健康保険システムは実施されたのですが、当時は、お医者さんに安く
診ていただけるだけで涙が出るくらい嬉しくて幸せだという時代でした。当時、
ほとんどが感染症であって完治が可能だし、心と体の両方が病気になっているの
はわかっていても、日本は貧乏国だから両方の治療は贅沢であり、体を治せば心
もついて来るだろうという暗黙の前提でやってきたわけです。でも、今は状況が
まったく違うのだということです。やはり、今は大枠としては慢性病の時代であ
り、完全には治らないのだけど、でも最後まで心と体でバランス良く活動出来る
ようにして欲しいなと患者は思っているわけです。では、今の健康保険システム
が、それに応えるようになっているかと言いますと、そうなっていないというこ
とです。うまく時代変化に対応できていないのです。

ところで、今の時代、「健康は消費」ということをいっても、別に目くじら立
てる方はおられないと思うのです。すでに政府の発行する資料の「サービス消費」
という項目の中に「健康」というものがありますから、政府も健康というものは
サービス消費だと思っているわけです。だけれど、では現実がそのように組み立
てているのかということです。

多くの人は、医療は何か特別なものだと思っています。しかし、考えてみると、
健康というのは高齢者による最大の消費分野であって、1970年代からこれまで常
に消費トレンドの先端にいた団塊の世代が高齢者の仲間入りをするわけですから、
彼等による新たな消費トレンド形成の機会であるというように考えてはいけない
のでしょうか。それによって医療行為が貶められるというものでもないでしょう。

ご存知のように、日本はかなり長い期間、消費が伸びていないのです。バブル
の崩壊後、景気の底を打ったのだけど成長軌道に乗らないのは国内消費が伸び
いからです。日本はほんの最近までGDPに占める輸出の割合というのは9%で、世
界でもアメリカについで二番目に輸出比率の少ない国でした。90%は国内の経済
活動で回っていたのです。巨大な、巨大な、国内中心の経済なのです。その輸出
比率が今、15%まで上がっています。大半は中国への輸出増加なのです。その理
由は、国内消費が伸びていないからなのです。

なぜ国内消費が伸びないのかと言いますと、バブルの崩壊だ、失われた10年だ、
いや15年だと言って騒いでいた時期に静かに起こったのは、日本の人口の半分が
50歳を超えたということです。皆さんは、50歳を超えておられる方もおられると
思いますので、お酒の消費量をお考えになるといいです。ビールの消費のピーク
は50歳です。45歳から50歳が一番消費しています。あとは、ダラダラと落ちて60
歳でポトンと20%位落ちます。ほとんどの消費がそのようなサイクルに入ってい
るから、放っとけば消費が伸びないのです。

また、日本の平均寿命が世界一で、しかもまだ伸びていると非常に誇らしげに
新聞などで書いているのですが、ある意味ではこれは最悪のニュースなのです。
なぜかと言いますと、90歳を超えて貴方のお父さんやお母さんが亡くなると相続
人である貴方はすでに60歳を超えているわけです。相続してもお金を使いません。
その歳ではどうしても買いたいものがもうないからです。最近は、「貯蓄から投
資へ」とか「資産の賢い運用」とか言われて、そうかということで、相続した資
産を使ってアメリカの財務証券やニュージーランド国債など、外国の証券が入っ
た投資信託を買ったりします。これは、私がいうタイプの消費ではありません。
貯めるのではなく消費に使ってもらわないといけません。

消費者の金融行動に関する調査で「何でお金を貯めているのですか?」と聞く
と、多くの人は「老後のため」と答えます。もしくは、「まさかの時のため」と
答えます。私に聞かれても、「老後のため」と言うと思うのですが、「あんたは
もういい老後だから使ったらどうなのか」といわれてもおかしくない歳なのです。
それでも、とりわけ使うあてもないから皆使わないわけです。だから貯まってし
まいます。

実際に、高齢者が今どの位持っているのかと言いますと、よく新聞で1,500兆
円の個人金融資産という話が出ますが、1,500兆円とは別に、非金融資産である
土地、建物、書画、骨董が2,000兆円ほどあるそうです。個人にめちゃくちゃお
金がある国なのです。しかも、60歳以上がその両方の大体7割方を持っているわ
けです。合計で2500兆円あるわけです。個人の借金の大きなものは住宅ローンで
すが、すでに払い終わっています。ということで、実質2000兆円から2500兆円あ
るということになります。ということは、単純に計算しても毎年50兆円以上の相
続が発生しているわけです。今、課税対象になっている額は10数兆円で、1.5兆
円位の相続税を取っています。しかし、実際にはもっと多くの相続が発生し始め
ているはずです。

一方、税務署員というのは相続税のようなストック課税の捕捉能力が弱いので
す。元々難しい上によく訓練されていないからです。それなのに、日本政府は
「小さな政府」というたいした根拠もない馬鹿げた掛け声の下に税務署員が
56,000人いるのを平成12年から平成22年までに10年間で一割、すなわち、5,000
人以上減らしています。本来、人が余っている省庁とそうでない省庁があるはず
ですが、そんなことはお構いなく、国税庁は他省庁と横並びの一律削減なのです。
税務署員が色々やりとりしているサイトがあってそれを見ますと、ストック課税
の捕捉が難しい上に人手不足で十分手が回らず、もう悲鳴を上げています。捕捉
率は落ちていっているはずです。だから、消費税を上げる前に相続税の捕捉率を
上げることをやっていただいた方がよいと思います。どんなに甘く見積もっても、
相続税を含めて税全体で最低5兆円は取りっぱぐれています。

いずれにしても、相続しても使わないという状況を変えないといけません。そ
れは、高齢者に消費したくなるように仕向けることです。ものであればすでに全
部持っています。必要なのはサービス消費です。サービス消費で一番魅力あるの
は、健康・医療に関するサービス消費です。この消費をわざわざ押さえ込むこと
はないのです。受けたい治療は受けられるようにすればいいのです。

「国民医療費」と言いますと、費用、すなわち「コスト」というのが自然は発
想です。当然、「コスト」であればカットすべきなのです。「コスト」を増やそ
うという経営者は一人もいません。「コスト」と言った途端に、ほぼ自動的に削
減と言うわけです。政府も同じ発想です。だから、「国民医療費」という言い方
は、やめたらどうかと思います。「消」という字を一字加えて「国民医療消費」
と言った方が良いのではないかと思います。

消費は何も生産せず、基本的に浪費だからよくないと思っている人がいるので
すが、そんなことはありません。例えば、CO2を削減するためにトヨタは燃費が
飛躍的に優れたプリウスを作っています。プリウスには新しい色々な部品が必要
です。トヨタは新しい部品の消費をするわけです。それを皆さんが買うわけです。

また、先に述べた既存住宅の売買は古い家を壊して作り直す新築より省資源の
はずです。だから、消費は一概に浪費であるとはありません。浪費もあるけど、
良い消費もあります。だから、医療消費というのは良い消費なのだということで
組み立てるべきと思います。そのためには、自己規律があって、患者も無駄な、
そして安易な医療消費行動をしないし、医師も安易、かつ過剰な医療行為をしな
いというような状況へ持っていけば良いではないかと思います。しかし、健康・
医療という「消費」の健全な育成に関する多くのテーマは厚労省の得意分野では
ありません。彼らも、「そうだ、得意ではない」と言うと思います。だから彼等
には任せられないのです。

医療消費とは医療の提供する「価値」を消費すると考えるのです。この「価値」、
あるいはバリューというのは、感覚的にいうと、かかっている人件費の4倍以上
の値段を取ることができるということです。このように、バリューで考えると、
「国民医療消費」100兆円というのは、そんなに非現実的な話ではありません。
そのうち、国が面倒をみなければいけないのは、3分の1強位で抑えるというやり
方もあります。それが、まさにシステム・デザインなのです。システムにお金が
入ってくると色々な応用が出来ます。本当に貧乏な人には高額な医療でも無料と
いうことが出来ます。お金持ちも貧乏人も一律三割自己負担という方が却って不
平等になっているのではないでしょうか。特別な場合、完全無料というのは、実
際に日本に存在しています。原爆の被爆者であれば医療費は完全に無料です。無
料という世界がすでにあるのであり、それをもっと広げてもいいではないかとい
うことです。

(次号に続く)

MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ