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臨時 vol 73 「社会システム・デザイン・アプローチによる医療システム・デザイン」1

医療ガバナンス学会 (2009年4月3日 14:18)


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横山禎徳

(東大医科学研究所大講堂で2007年11月11日に行った講演に大幅加筆修正)



私は、元々は建築のデザイナーだったのですが、その後、経営コンサルティン
グの世界に30年近く過ごし、多くの企業戦略を立案しました。しごく当然のこと
ですが、戦略は実施しないといけません。従って、企業戦略立案と同時に、その
戦略を実施する体制である組織のデザイナーとして多くの時間を使ってきました。
経営コンサルティングを数年前に卒業して今は、「社会システム・デザイナー」
と自称しています。他にそのように自称している方が日本だけでなく世界にもあ
まりいないようなので、「世界でただ一人の社会システム・デザイナー」と称し
ています。

といっても、依頼される仕事も何もありませんので勝手にデザインをしていま
して、今は誰に頼まれたわけでもなく、医療システム・デザインを東大医科学研
究所の上先生やその仲間の方々、それに医療以外の分野の方々と共に医療という
垣根を超えた形でやってきました。第一ラウンドの作業はほぼ最終段階です。し
かし、全体としてはまだ作業途中ですので、今日は途中経過のご報告でしかあり
ませんが、考え方をご理解いただくにはとてもいい機会だと思っています。

今日お話するのはすでにいろいろな議論が巻き起こっている医療課題というも
のを対症療法的部分解ではなく、「社会システム」として統合的に把握し、具体
的解決策をシステム・デザインとして提案するということです。

では、まず「社会システム」とは何なのかということを定義してみます。続い
て、「社会システム・デザイン」のアプローチをお示しします。一般的に、デザ
インという分野は演繹的でも帰納的でもない上、学問でもないので、アプローチ
とか方法論というものが確立しにくいのですが、長年考えてきたダイナミック・
システムをどうデザインするかという私の方法論をお話しいたします。それから、
今、試みている医療システム・デザインの途中経過をお話しして、最期に、本来、
「社会システム・デザイナー」どんな人達であり、どこにいるべきかということ
をお話ししたいと思います。

医療課題の解決にはいろんな提案があるのですが、「改革のための医療経済学」
(兪 炳匡:著)が指摘しているように、色々な要素が絡み合った複雑系のシス
テムであって厚労省単独で扱える範囲を超えているということを、まずみんな分
かっていることであると思いますが、改めて言わせていただきます。

ご存知のように、国のこれまでの単発的施策の多くはほとんど効果がないか、
最初の想定とは異なり逆効果になっている場合もあります。一方、各方面から提
案されるいろんな個別アイデアも実施すれば副作用がありそうなものが結構たく
さんあります。医療のような複雑な分野は個別アイデアの積み重ねが予定調和的
にうまくいくということはないようであり、トータル・システム的な発想がやは
り必要ではないかと思います。

厚労省が扱えない多様な要素の絡み合っているのが医療課題であるということ
に関していくつかの例を挙げますと、日本社会における死生観というのは近年か
なり変容し、医療に対する期待値とのミスマッチが生じているとか、高齢者の新
しい社会的役割や生活形態がまだ確立していないため、どういう高齢者医療が適
切なのかを決めにくいなどの課題があげられます。また、地域コミュニティでの
人間関係が変化してく中で、医師の位置づけと役割というものがはっきりしなく
なってきています。それから、超高齢化社会に向けて医師への期待値の変化と新
しい育成方法、および個々の医師の達成感とかの問題もあります。もっと大きく
は、国家経済のなかでの医療行為の経済性、およびその担うべき経済効果など全
てが厚労省を超えて統合的に組み立てられ、うまく回っていかないとどこかに歪
みが出て来てしまいます。

現行の医療システムは色々な課題を抱えていることは今、述べたとおりですが、
中でも関係者というか、参加者間にやり取りを通じて自己規律が自然に醸成され
る仕組みが欠落しているのが基本的な問題だと思います。医者、患者、保険者の
三者間に世間一般の自動車や家電、衣料、食品などの市場に見られる売り手と買
い手の間の直接的なやり取りが無いから通常は出来上がるはずの「相場観」とい
うか、価格と価値の相互関係を考えたうえでの妥当な判断と行動というものがな
かなか出来上がって来ません。

しかし、だからといって、医療分野に市場メカニズムを導入すればいいのだと
いうように、「問題の裏返し」を答にしてもいい解決方法になるという予測も難
しいし、保証もできません。「問題の裏返し」ではない、全く新たな答を必要と
しています。それを、政策提言という文章の羅列ではなく、具体的なアクション
を統合した医療システムとして創造し提示するというのが「社会システム・デザ
イン」の基本的な考え方です。

ここで「社会システム」とは、「生活者・消費者への価値を創造し提供をする
仕組み」と定義します。この「価値を創造し提供をする仕組み」は当然予想され
るように、既存の産業分類にとらわれない、すなわち、産業横断的な仕組みであっ
て、その意味はこれまでの日本経済の成長と発展を支えてきた、ある意味では大
成功をおさめた、縦割りの「産業立国」論からははっきりと決別しようというこ
とです。

「医療産業」と「医療システム」とは全く違うものです。「医療産業」という
定義には銀行、保険会社、情報システム会社などは入れないはずです。しかし、
「医療システム」と言ったら医療保険を売っている保険会社も入って来るし、病
院を建てる時に融資をしてもらうとか、資金繰りのための日常資金を借りる銀行
も入って来るのです。それに病院経営に必要な医療情報システムを提供する情報
システム会社も入ります。食事のケータリング会社も入るでしょう。あるいは、
医師や看護士を育てる教育機関も入ります。医療関係の出版社やネットで医療情
報を提供する会社も含まれるべきでしょう。そういう意味で「医療システム」と
いうのは産業横断的な定義なのです。これは、当然、監督する省庁も横断的であ
るべきであって、この面からも厚労省の扱える範囲を完全に超えているのです。

このことは厚労省の当事者だけでなく、広く世間一般に理解されているはずで
す。しかし、実際には厚労省を超えた形で医療を組み立てる動きはそれほど強く
出ていません。今まで通りのやり方で進めているという印象が強いのではないで
しょうか。それを、よく「国益なくて省益」ありという言い方で批判する向きが
あります。しかし、そういう面よりも省庁横断的な課題を誰がどうやって対応す
べきなのかという方法論を現行の行政機構が持っていないのであり、そのことが
大きな問題であると思います。

行政機構が使っている既存の「制度設計」という手法は、一省庁の範囲内での
法律という規制体系を作ることが目的であり、「社会システム」的な産業横断的
な「制度」を「設計」するための手法ではないことが問題なのです。そういう意
味で現在の行政機構は「運営の仕組み」と手法の更新時期に来ているのであろう
と思います。そのような更新のデザインを誰が企てる責任を持っているのかは見
当もつきませんが。

図1 http://medg.jp/mt/yokoyama.pdf

このような「生活者・消費者への価値を創造し提供する仕組み」は技術ロジッ
クだけで決まるのではなくて、それぞれの社会の持っている価値観と絡んでいま
すのでなかなか難しいのです。だからこそ、「社会システム」と呼んでいるので
す。

私は、デザイナーであって、学者ではありませんから、物事をつぶさに観察し、
新たな仮説に基づいてロジカルに組み立てた論文を書くことで評価されるという
形での達成感を求める立場ではありません。それよりも、多くの一般人が理解で
き、やってみようかという気になるような、実際的な行動を誘起し具体的で望ま
しい方向への変化を実現するという視点から定義します。いいかえると、学問と
しての論理的厳密さよりも実践的有効性を優先します。

それから、外国の優れた例をいくら語ってみても、しょせん外国は外国、日本
は日本ですから、日本の過去の歴史を踏まえた上で、現在の状況に適した特殊解
を追求しなければいけません。どんな問題解決の場面においてもよその誰かが作
りだした、特に、外国の誰かが作りだした一般解からスタートするアプローチは、
ほとんどいい成果につながらないのが私の経営コンサルティングを通じての経験
です。自分の置かれている状況に適した特殊解を考え抜いた後、すでに存在して
いる一般解と比べてみて、「うーん、外国はよく考えているな」とか、「私の解
は全然違うが、どっちが優れているのだろうか」というように一般解は使うべき
だと思います。

それから、最近、消費者庁の設立の動きなど消費者に目を向けるようになって
来ましたが、提供者が消費者に関心を持つということでは不十分です。「官」が
持っているこれまでのパターナリズム的感覚から抜けきらないからです。「消費
者からの発想」を耳に心地よさそうな掛け声ではなく具体的に実現することが必
要です。

政治家はすぐに「国民のために・・・」とおっしゃいますが、「国民」という
のはちょっと抽象的で広過ぎます。高齢者も若者も、そして、政治家も官僚も企
業家もみんな入ってしまいます。多くの「国民」が飽き飽きしている政治家のリッ
プ・サービスに終わらせないようにしてほしいのです。抽象的な「国民」ではな
く、色々なタイプのいる消費者のそれぞれに対して具体的な価値提供を実現して
みないとダメなのだということです。だからこそ、生活者や消費者に「価値を届
ける仕組み」に着目するわけです。

これまで日本は「産業立国」というように産業別縦割りでやってきたことはす
でに述べましたが、その対象には何があるのかと言いますと、育成すべき企業や
業界だったのです。すなわち、産業振興と産業保護を目的とした施策が大半だっ
たのです。かつての池田内閣時代の「所得倍増計画」は所得そのものではなく、
産業と企業の急成長を促進する計画であり、それゆえに大成功したように、これ
まではそれでよかったのかもしれません。しかし、今後は発想を切り替える必要
があります。「社会システム」というのは、これらのすでに高度に発達した産業
に横串を通して「生活者・消費者への価値の創造と提供」を目指しています。だ
から、提供者側の都合に関係なく、消費者が良いと言ってくれるかくれないかと
いうのが全ての価値判断であるということです。

誰が考えても、交通システム、産廃処理システム、電力供給システムとは「社
会システム」なのですが、それは技術ロジックでほとんど決まってしまいます。
通信システムもほとんど技術の合理性とロジックで決まってしまいます。インター
ネットというのは、ツリー構造ではなくて、その名のとおりネット構造になって
いますが、通信の安定性、信頼性のためであり、技術からの発想です。従って、
国や文化を超えて世界共通に活用できる普遍性を持っています。しかしながら、
多くの「社会システム」にはその国の社会が持っている固有の価値観も大きく影
響するわけです。

日本の教育システムに関しては、ゆとり教育実施はよくなかったとか、詰め込
み教育はいいとかだめだとかいうように、色々ああだ、こうだと批判しています。
私には「よいゆとり教育」と「わるいゆとり教育」があり、「よい詰め込み教育」
と「わるい詰め込み教育」もあると思いますが、要するに、教育に対する価値観
が違うと教育システムはその影響を受けるのです。安全保障システムや訴訟シス
テムに関しても各国の持っている価値観はかなり違うであろうと思います。そし
て、医療システムは大体真ん中にいます。この分野は、やはり、社会の価値観と
技術ロジックの両方が絡んだ世界であると考えているわけです。

図2 http://medg.jp/mt/yokoyama.pdf

ここで「社会システム・デザイン」のアプローチについて述べてみます。この
アプローチの最大の特徴はダイナミック・デザインというものを目指していると
いうことです。出来たときのままで固まってしまうのではなく、毎年、時間が経
つにつれて変化し、段々と状況が良くなっていくというようにデザインをすると
いうことです。そこが、この「社会システム・デザイン」のミソなのであり、工
夫をしたところです。

世の中の多くの分野のデザインは基本的にスタティックです。すなわち、時間
の経過に関係ないのです。私は以前、建築家でしたけど、建築は「固い」もので
あり、よく言えば安定感があり、自然に形が変わっていくということは絶対にあ
りません。今、私が喋っているこの講堂のある建物はいつ出来たのか分かりませ
ん。多分1920年代か1930年代に出来たと思いますが、その頃からほとんど変わっ
ていないように見えます。当たり前ですが、人が改築、改装などの手を入れない
と変わっていきません。自己変革はしないのが建築です。それを美しく表現した
のが「建築は凍れる音楽である」ということです。

情報システムも同じです。このシステムは「触れなくて目に見えない建築」と
いうのが当たっているのではないでしょうか。目に見えないから分からないので
すが、コンピューターのプログラムというものは硬くて融通の利かないもののよ
うです。翻訳マシンが中々大成功というわけにいかないのは言語の融通無碍さに
コンピューター・プログラムの「硬さ」がうまく対応しきれないからでしょう。
たとえファジーさを組み込んでみても、時間軸と関係ないことは変わりないので
す。情報システムは出来た瞬間から陳腐化を始めるというどうしようもない宿命
にあります。

そのような建築や情報システムとは違って、時間とともに変わっていくものを
デザインしたい、すなわち、自在に変化し、毎年ちょっとずつ良くなっていくも
のの組み立てをしたいのです。そのようなダイナミズムをデザインするアプロー
チとして5つのステップを考えたわけです。

図3 http://medg.jp/mt/yokoyama.pdf

まず悪循環を定義します。現実の世界には毎年ちょっとずつ悪くなっているも
のがあります。それが悪循環と呼ばれるものなのです。世の中のいたるところで
この悪循環が長年、確実に回っていていることに気がついていないことは非常に
多いのです。無意識のまま放置されてきたこの悪循環をまず発見して意識にのぼ
せた上でしっかりと定義し、関係者一同で吟味し、「やっぱりそうだ、そのとお
りだ」と確認し、みんなで納得します。

最近問題になっている産婦人科医や小児科医の場合もそうなのですが、医師の
数が減れば減る程、また減っていくというサイクルに入っているわけです。睡眠
時間を切り詰めて30時間以上ぶっ続けで働かないといけないような過酷な就業
環境にたまりかね、「もう、これではやっていられないよ」ということで辞めて
しまう。そうやって現場の医師が減っていくと、少なくなった医師数でこれまで
と同じ仕事量をこなさないといけないわけで、もっと「やってられない」状況が
来るからまた医師が減っていき、もっと状況は悪くなっていくわけです。そうい
う悪循環に入っているのだということが分かります。

このようにして今まで無意識になっていた悪循環を定義するのが第一ステップ
です。実際は、このような因果関係はもっともっと複雑に色々な要素がからみあっ
ているのですが、コンピューターによる高級なシミュレーションモデルを使って
多くの因果関係を見つける作業をやるよりも、みんながじっくり考えれば思いつ
く範囲内で、出来る限り悪循環を見つけて、それを無意識の状況から意識にのぼ
せてはっきりと定義していこうという考えです。作業を高級化するとその背景に
あるロジックがブラック・ボックスになってしまい、素朴な生活実感から離れて
しまうことは避けた方がいいのです。

それから、悪循環は普通よくやる問題の指摘とその羅列とは違います。因果が
巡って元に帰ってき、て状況がより悪化しているという循環を想像力を駆使して
見つけないといけないのです。いい意味で「風が吹けば桶屋がもうかる」という
ような形で、次の段階はどうなる、その次の段階はどうなると発想していく必要
があります。実際にやってごらんになるとすぐわかりますが、これはこれで結構
な能力訓練が必要です。

図4 http://medg.jp/mt/yokoyama.pdf

これが問題だからといって、それを裏返したらといって優れた答えが出てくる
ことはありえないということはすでに述べました。世の中はそんなに単純ではあ
りません。たとえ、昔はそうであったとしても、現在の世の中は段々と複雑になっ
てきていることは明らかです。そのような時代であるにもかかわらず、中核課題
を定義するとすぐにその裏返しの改善策に走るという、分かりやすいことはある
にしても、拙速主義の行動を避けることが必要です。悪循環をしっかり定義する
ことはそこにかなりの時間を使い、複数の悪循環を見つけ出すという思考を通じ
て、物事の複雑さをより深く具体的に理解するという意味でもあります

先ほどの産婦人科医や小児科医が足らなくなっているという悪循環も、それを
単に裏返して仕事のやり方や患者の行動変化もなく、ただ増員すればいいという
ことが現実的な答えではないことは明らかです。悪循環は簡単に裏返しの答を出
せません。裏返しが答にならないのです。従って、第二ステップとして具体性の
ある良循環をまったく別のところから発想して、ある意味では発明・創造しなく
てはいけません。ここは、創造性を発揮する能力の問題です。これも訓練が必要
ですが、訓練可能です。

図5 http://medg.jp/mt/yokoyama.pdf

この新しく創造した良循環というものは、今、世の中に存在しないわけですか
ら、この循環を「駆動するモーター」、あるいは「エンジン」が必要なわけです。
その「エンジン」が、サブシステムということです。現在存在していない良循環
を新たに作り出し、うまく回転さていくためには少なくとも三つ位の強力な「エ
ンジン」が必要です。このサブシステムの抽出が第三ステップです。

のサブシステムまで定義出来たら、あとは細かい行動ステップのフローを作る
ことですので、コツさえ知っていれば誰がやっても大体同じものが出来ます。そ
のフローを見ても何すればいいのか具体的にイメージがわかないと言う人がいれ
ば、そのフローを何層にももっと細かく分解し、より分かりやすく具体的にして
いくことをすればいいのです。誰がこの行動を起こせと言われたらすぐに取り掛
かることが出来るという所まで深堀していけますから、そのようにしつこく追求
すべきです。

すなわち、サブシステム以下は、ステップごとでとるべき行動の具体性にこだ
わります。誰がやっても間違うこともなく、全く同じように行動できるというと
ころまで具体的につめるわけです。だから、官僚が得意としている法律を作る作
業とは少し違います。

竹中平蔵さんが官僚に法令の文章のテニオハを変えられて骨抜きにされたとおっ
しゃっていますが、「社会システム・デザイン」ではそういうことが起こらない
のです。やるべき具体的な行動が全部書いてあるわけですからやらないわけには
いかないのです。サボタージュはできないのです。これからは、まず、こういう
具体的な行動を規定する作業をやり、その次に、本当に必要な事象に関してのみ
法律を作るというステップにしていただきたいというのが私の希望です。

図6 http://medg.jp/mt/yokoyama.pdf

先程申し上げたように、このようなアプローチはスタティック・デザインでは
ありません。すでに述べたように、建築は、スタティック・デザインですし、情
報システムもスタティック・デザインです。状況は時々刻々変わっていきますか
ら情報システムというのは、出来上がったその日から新たな状況に対応できなく
なり陳腐化を始めます。そういうものなのです。情報システム自身が状況変化に
合わせて自律的に自己変革出来るところまで進歩していないのが実態なのです。
システムとしては大変高級なシステムなのでしょうが、ある意味ではまだまだ非
常に幼稚なシステムです。

自己変革することが出来る複雑系のシステムとは有機体がそうであり、擬似的
な有機体、すなわち、皆さんが住んでいる東京もそうです。都市は人間の作り出
したもっとも複雑なシステムのひとつでしょう。長い時間をかけて作り出したシ
ステムです。都市デザインは7,000年にわたる試行錯誤の歴史があります。

少し難しい話になりますが、システムをツリー構造にデザインしていきますと
必ずフリーズ、すなわち、固まってしまい、変化する状況に反応しないという融
通のきかないことになってしまうのです。従って、東京という大都市はツリー構
造になっていないことはなんとなくお分かりでしょう。「社会システム・デザイ
ン」もツリー構造のアプローチではなく、上位の構造に時間軸を入れるというの
が「良循環」、「悪循環」という考えです。

一般的にデザインというのはエンピリカル(経験的)であり、100年前も今日
も、そして100年後も常に正しいというような、これで決まりだというものはあ
りませんから、ベストなものは求めようもなく、常にベターなものを求めていく
という世界です。「社会システム・デザイン」も同じであり、ベストなシステム
を目指すのではなく、現在抱えている課題に対して現在考えられるベターな解を
求めることは変わりありません。従って、まず、最初に、それぞれの分野の中核
課題からスタートして、このように悪循環がいくつか回っていますからそれを見
つけていくことをやるのです。

例えば住宅供給の課題でしたら、戦後日本政府がやってきた持ち家推進策が時
代に合わなくなっているという問題があります。すでに1970年代には日本人の7
割が持ち家になりましたからその政策の役割も終わっていたのです。しかし、そ
のような状況になってから数十年、ずっと住宅金融公庫に毎年5,000億円以上も
税金から利子補給をしていました。その結果、税金を無駄遣いしただけではなく、
逆に、持ち家推進が持ち家にならない悪循環を作っています。やっと、住宅金融
公庫の機能はもういらないと言って止めることになりました。

寿命の尽きた住宅金融公庫の存在が問題だとしても、その問題を裏返しただけ
の住宅金融公庫の住宅ローン提供を廃止しただけでは、既にいらなかったものが
なくなるだけで何も新しく質の良い住宅が取得しやすくなるわけでもないのです。
そうしたいのであれば、別途、新しい住宅供給の仕組みを工夫し組み込まないと
いけないのです。それがシステムをデザインするということです。

また、住宅金融公庫の住宅ローンがなくなると東京の町並みはすごく美しくな
りますか。当然の事ながら、別に美しくはなりません。東京を美しくしたいとい
うような新しい行動を広く起こすためには全く新しい仕組み、すなわち、システ
ムが必要であり、それもデザインが必要です。

この様な形での「社会システム・デザイン」をご理解いただいたという前提で、
最初に、申し上げた、現在、進めている「医療システム・デザイン」の試みにつ
いてこれからお話ししてみます。

医療の世界における中核課題は、基本的には医師、患者、保険者間が分離され
ているために自己規律ができあがるメカニズムがないということであろうと思い
ます。すなわち、医師が医師の本分としての良い仕事をしているということとは
別に、どういう行動が価格対価値という観点から妥当なのかという、ある種の自
己規律というものが三者間のインタラクション、やり取りを通じて出来上がるシ
ステムにはなっていないと思います。

だから、厚労省は、皆が無規律な浪費をするのではないかと思っています。当
然、歳出を抑えようとします。たしかに、経費を抑え込むことを推進することで、
規律と新たな工夫が生まれるという良循環が出来ることも世の中にはあるのかも
しれません。しかし、日本の医療システムのおかれている現状を理解する限り、
医療費を減らしながら良循環を作れということはほとんど無理というか、矛盾だ
と言っていいと思います。厚労省も新たな良循環を作り出したいと考えて経費削
減をやっているというほどよく考えているわけでもないのでしょう

(次号につづく)

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