臨時 vol 70 「地域医療と医師教育の崩壊を尻目に進む厚労官僚の思惑」
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―厚労省が臨床研修制度改定のパブコメ募集中
東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門
上 昌広
今回の記事は村上龍氏が編集長を務めるJMM (Japan Mail Media) 3月25日発行
の記事をMRIC用に改訂し転載させていただきました。
去る3月19日、厚労省が臨床研修制度改定に関するパブコメ募集を開始しました。期限は4月17日までです。http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1010&BID=495080601&OBJCD=100495&GROUP=【 一番の問題は、国民の不在 】私はこれまで、平成16年度に導入された新臨床研修制度について問題を指摘し、同時に、今回の改定方針にも異議を唱えてきました(2月25日号・3月11日号)。特に今回の改定は、今年2月5日、森喜朗元総理や宮路和明議員が率いる自民党議員連盟「臨床研修制度を考える会」(昨年9月発足)から、昨今の医療崩壊の現実と、それが新制度に端を発しているのではないかという疑問を突きつけられ、厚労省がようやく重い腰を上げたものです。しかしながら、それでもなお、問題が解決へ向かっているとは思えません。特に恐ろしいのは、研修医一人ひとりの「居住、移転及び職業選択の自由」に国家が介入しようかという重大な問題について、結局、全て厚労省の独断で決めようとしていることです。過言を恐れず言うならば、まるで徴兵制を実現しようという、国家の根幹を揺るがす事態にも関わらず、選挙によって選ばれ、国民の信託を受けた国会では、まともに議論されていないのです。ちなみに自民党議員連盟「臨床研修制度を考える会」は国会の組織ではないので国会審議ではありません。しかも、彼らが打ち出した提言内容は、厚労省が取りまとめた「臨床研修制度のあり方等に関する検討会」「医道審議会医師分科会医師臨床研修部会」と同じでした。そして結局、森元総理が当初打ち出した「2年を1年に短縮する」方針は、「必修科目を12ヶ月とする」こととし、2年の官僚の規制権限は維持する方針へと、骨抜きにされたように見えます。自民党議員と厚労官僚の間で、一体どんな取り引きが行われたのか……真相は藪の中です。いずれにしても、国会で審議されていなくても厚労省の理屈に従えば、きっと「審議会で議論した」と言うのでしょう。しかし、審議会メンバーの人事権を官僚が握り、審議会が官僚の隠れ蓑となっていることは公然の秘密です。審議会を傍聴した医学生は、医療専門サイトであるソネットエムスリーのインタビューに次のように答えています。「配布資料には、医師の計画配置の記載があるものの、検討会では議論にはならなかった。それなのに、会議後の報道陣による厚労省担当者への取材では、この計画配置に質問が集中。検討会ではなく、このやり取りで物事が決まるのかと、びっくりした」。「審議会でも、検討会と同じ議論が繰り返され、都道府県別の上限についてはほとんど議論されていない」以下、新臨床研修制度導入の経緯について、これまでに指摘してきた問題点をもう一度確認したうえで、最後にパブコメ募集中である厚労省案の問題点を指摘し、提言を行いたいと思います。【 地域医療と医師教育は本来、”車の両輪” 】厚労省としては、昨今の地域医療の崩壊を受け、研修医の強制配置でこれに対応しようとしている――これが今回の臨床研修制度改定の趣旨であると厚労官僚は説明しています。こうした方針は、あたかも地域医療と従来の医師教育が二律背反してきたかのような印象を国民に与えています。しかし本当にそうでしょうか?実は、平成16年の新臨床研修制度導入までは、地域医療と医師教育の2つは相互に補完し合うものとして、良循環を保っていました。医師教育の目的は、地域医療を支え、引っ張ることができる人材を育てることであり、それによって地域医療の維持と進歩が可能でした。そして同時に、地域の多様な現場を循環して地域医療に携わり、多様な患者・家族の多様なニーズに応えること自体が、生涯にわたる医師教育の不可欠な要素として機能してきたのです。そのようにして良い教育を受けた医師が地域を循環すれば、国民は良い医療を受けることができます。つまりこれまで、医療者の願いと地域住民の願いとは、同じ方向へ向かって車の両輪のように支え合って進んできたのです。ところが、平成16年に導入された新臨床研修制度によって、地域医療の崩壊に拍車がかかることとなりました。なぜそのような制度を新たに導入する必要があったのでしょうか。そこにはもうひとつ、地域医療や医師教育とは別の思惑が存在したのではないか――これについては前2回の配信でもお話したとおりです。新制度導入の背景には、医療費削減と総合医導入、「財団法人医療研修推進財団」新設と天下りポスト拡大など、厚労官僚の思惑が見え隠れしているのです。新制度導入によって何が起きたか、具体的な内容を振り返っていきましょう。【 屋根瓦方式の崩壊が、地域医療も医師教育もだめにした 】これまでの日本の医師教育では「屋根瓦方式」が大きな役割を果たしてきました。医師教育には、知識や論理的な思考プロセスの伝授とともに技術の伝承という職人のような側面があるため、工房や徒弟制度のような、技術の伝承に適した仕組みが発達したわけです。トップが中堅医師を教え、中堅医師が3年目医師を教え、3年目医師が1年目医師を教え、1年目医師が医学生を教えるというような層の厚い体制の中で、人と人とのつながりが培われます。若いうちから「同じ釜の飯を食った」大勢の先輩や仲間たちと信頼を築くことが、若手医師の教育に必要なことはもちろん、生涯にわたって医師として生きていく礎となるのです。平成16年の新臨床研修制度導入まで、厚労官僚の医療費削減や医師養成数削減という政策による悪条件を突き付けられながらも、なんとか地域医療を支えることができたのは、若いうちに屋根瓦方式で教育を受けた医師が、様々な地域の病院・診療所を循環していたからと言えるでしょう。すなわち、屋根瓦方式で多くの医師との信頼関係が築かれていればこそ、あらゆる地域・環境で医療に携わる中でも、生涯にわたって互いに戒め合い、支え合い、医師としてのモラルも維持することができ、患者さんの紹介もスムーズにできたのです。ところが厚労省は、前述の医政局長通知(医政発0612004号)でも「屋根瓦方式」を謳いながら、実際にはその仕組みを破壊してきました。平成16年の新臨床研修制度以降、文科省の管轄である大学病院以外に、厚労官僚が指定する臨床研修病院を増やしたため、500床未満の比較的小規模な病院で研修する医師が870人から1807人に急増しました。これは、屋根瓦方式での教育を受けられない医師が増えたことを示唆しています。(本来は、病床数ではなく医師数を指標として病院の規模を見たいところですが、厚労省は医師数のデータを十分に開示していません。それでも医療法の規定により、病床数と医師数は相関しますので、病床規模によって大まかな推論はできます。ただし、小規模でも大勢の人と人とのつながりを大切に良い教育をしている病院もあるでしょうから、数字のみによる解釈には注意が必要です。)屋根瓦方式の破壊は、医師教育にも、地域医療にも大きな打撃を与えました。医師教育の点では、先輩・後輩・同僚の手厚い支え合いと信頼に裏打ちされた教育体制がない状況に置かれた医師たちが、患者の生命に直結するハイリスク分野を選ばない傾向となりました。3月11日号でもお示ししたとおり、厚労省調査によれば新規入会者数が、日本外科学会では1204人から818人へ、日本産婦人科学会では415人から358人へ、日本耳鼻咽喉科学会では256人から179人へと減少しています。地域医療へのダメージにも直結しました。上述のとおり、大勢の先輩や仲間たちとの信頼関係に支えられていた遠方地域での診療が難しくなり、医師が各地を循環することが困難になったためです。屋根瓦方式を破壊した厚労省は、平成19年5月から「緊急医師確保対策」と称して医師派遣を行ってきましたが、わずか9人の実績しかありません。全国津々浦々の地域医療を支えることを考えれば、9人では、焼け石に水と言わざるを得ません。【 専門家教育の箸の上げ下ろしまで国家介入 】さらに、平成16年から導入された新臨床研修制度では、厚労省が定めた詳細かつプライマリケア偏重の到達目標を達成しなければなりません。例えば、「診療録(退院時サマリーを含む。)をPOS(Problem Oriented System)に従って記載し管理できる」「診療ガイドラインやクリティカルパスを理解し活用できる」「(厚労官僚が定めた)A疾患については入院患者を受け持ち、診断、検査、治療方針について症例レポートを提出すること」といった具合です。加えて、「どの診療科を何ヶ月ローテートすること」と詳細に決められています(1年目に内科6ヶ月、外科3ヶ月、救急3ヶ月、2年目に小児科1ヶ月、産婦人科1ヶ月、精神科1ヶ月、地域保健・医療1ヶ月。よって、現行制度では自由に選択できるのは2年目の8ヶ月のみですが、厚労省は今回、これをわずかに延長して12ヶ月とすることを「弾力化」と称し、今回の制度改正の目玉のひとつとしています)。このように一般化して文字にしてみると、到達目標や決められたローテートも、「医師として当たり前」に見えるかもしれません。しかし、現場の実態はあまりにも多様です。それぞれの地域によって、病院によって、診療科によって、患者によって、家族によって、医師に求められる対応は異なるため、医師としての能力とは、これらの多様なニーズに合わせて柔軟に対応できる能力と言っても過言ではありません。厚労官僚が全国一律に定めた文言で線引きできるものではなく、先進国の中で、専門家教育にこれほど国家が介入している国を知りません。なかでも、臨床研修制度導入のために、厚労省は「財団法人医療研修推進財団」を設立し、複数の”渡り”の官僚が理事として天下っていることは、既にお話ししたとおりです。もちろん、医師としての質を担保する一定の基準は必要でしょう。多様な患者ニーズに応えるためには、全国一律のルールで縛るのではなく、現場の一人一人の専門家判断に委ねるしかないからです。だからこそ医学部入学、卒業試験、医師国家試験、医師免許取得等のハードルを越えてきた専門家を医師としています。専門家でない厚労官僚が、医師教育にどこまで介入するのか。これは、厚労官僚の焼け太りを国民がどこまで許すのか、という問題でもあります。実際、プライマリケアは”すべての”医師が身につけなければならないという理屈で導入されましたが、本当に”すべての”医師への教育が目的ならば、卒前の大学医学部での教育を充実させるのが筋です。となれば、卒後の新臨床研修制度設立も、財団設立も、天下りポスト拡大も必要なかったはずです。しかし、卒前の大学教育を充実したところで、文科省の権限となり、厚労官僚の権限拡大にはならなりません。プライマリケア偏重の理屈の中には、端から霞が関の都合が組み込まれていたというわけです。また、仮に百歩譲って、平成16年から強制されているプライマリケア偏重の到達目標がこのまま続いたとしても、それに加えて「どの診療科を何ヶ月ローテートするか」まで、国家が決めるべきではありません。新制度では、1ヶ月ごとに異動させることを厚労省が決めたことで、医師として生きるために必要な人間関係を断ち切ってしまった。今回の改定にあたり、その代償がいかに大きいかに目を向けるべきでしょう。具体的には、到達目標を達成するためにどの診療科を何ヶ月ローテートするのがベストかは、地域、病院、診療科ごとに多様であり、現場の実情をよく知る医療者が考えるのが最適ではないでしょうか。そしてそれを十分に情報開示し、医学生の選択によって評価する必要があるのではないでしょうか。同様に臨床研修病院の指定基準についても、厚労官僚が詳細に決めていますが、屋根瓦方式の教育体制・診療体制が実現しているか否かという観点を忘れてはなりません。ただし、それは単純に人数だけで線引きできるものでもありません。だからこそ厚労官僚が全国一律に決めるのではなく、これについても十分な情報開示によって住民や医学生による選択を受ける必要があると考えます。【 そして厚労官僚は徴兵権限を獲得 】平成16年の新制度では、全医学生と病院の集団お見合いのような「マッチング」という方法も取り入れられ、厚労省がすべての医学生の就職先を決めるようになりました。これが、医師として生きるために必要な人間関係を築くことさらに難しくしています。そこへ加え、先日打ち出された研修医の強制配置の方針です。この方針では、全国の募集定員を削減し、さらに都道府県別と病院別の定員を厚労省が決めることになります。厚労省側の「大学病院などの定員枠を優遇する」という説明に則した報道も見受けられますが、厚労省案をよく読めば、大学病院も定員を削減されることがわかります。計算の仕方としては、各病院の過去の受け入れ実績(研修医数)まで一旦削減したうえで、医師派遣等の実績を勘案して最大10人まで上乗せします。ですから例えば、もともと90人の定員枠を持っていた大学病院に実際50人の研修医しかいない場合、定員枠は50人まで減らされたうえで、最大60人まで優遇するということです。つまり、定員枠は当初の90人から60人へ削減されることになるのです。大学病院から研修医を引きはがそうという厚労官僚の思惑を、ここにも垣間見ることができます。ところで、研修医を強制配置したとして、医師同士の先輩や仲間との信頼関係が実現するでしょうか? 今回の改定で医師偏在が解消すると考えている医師はわずか3.6%にとどまっています(ソネットエムスリー調査)。また、研修医の人間関係構築という点だけでなく、病院の教育努力に問題が生じることも、以前に指摘したとおりです。募集定員枠と実際の人数が同じになれば、病院は努力せずとも研修医と補助金を確保できます。そうして、ますます教育の努力を怠る悪循環が生まれることでしょう。さらに病院側としては、厚労官僚のニーズに応えるようにならざるを得ません。すなわち厚労官僚は、都道府県別・病院別の定員を決めることと引き換えに、都道府県や大学病院・医療法人への天下りポスト拡大を望むと考えら得るからです。ますます地域医療や医師教育の要請からはかけ離れた利権構造が出来上がることになります。このように、箸の上げ下ろしまで規制することによって屋根瓦方式を破壊してきた厚労官僚は、その背後で強大な権限を獲得してきました。規制強化によって地域医療も医師教育も危機に陥ったのなら、その規制を撤廃するのが筋というものです。にもかかわらず、今度は「居住、移転及び職業選択の自由」を制限するという憲法違反すれすれの規制まで実現させようとしているわけです。医療費削減、医師養成数削減、臨床研修制度導入など、医療崩壊させている失策の責任を取るどころか、その付けを若手医師に押し付け、さらに強大な”徴兵”権限まで手に入れようとしているのです。【 厚労省案への提言 】以上を踏まえ、現在パブリックコメント募集中の厚労省案に対して、次のような提言をしたいと思います。◆0◆ 全体について本来、地域医療を支えることと医師教育の目的は、矛盾するものではなく、互いに補完しあって良循環を形成するはずです。良い教育を受けた医師が地域を循環すれば、国民は良い医療を受けることができます。ところが、厚労官僚の国家介入により、医師として生きるために生涯必要となる先輩や仲間との信頼関係が断ち切られてきました。さらなる規制強化によって地域医療や医師教育が再興するとは考えられません。信頼関係を構築できるような仕組みを、現場の医療者主導で築いていく必要があります。一方、厚労官僚の役割は、医療崩壊させてきた規制を撤廃し、各病院、各地域での創意工夫を実現可能とするよう、必要な財源措置をすることにあるはずです。◆1◆ 研修プログラムについて臨床研修を修了するためには、厚労省が定めた詳細な到達目標のクリアに加えて、どの診療科を何ヶ月という箸の上げ下ろしまで決められるため、現場の多様性に合った多様な研修プログラムを組むことができません。短期間で現場を強制的に変わる現制度は、医師として生きるために必要な人間関係の構築をも困難にします。各地域の実情を知らない厚労官僚が一律に決めるのではなく、個々の現場をよく知る医療者が考え、各地域に密着したプログラムを作るのが最適でしょう。そしてそれを十分に情報開示し、医学生による選択によって評価するほうが、住民にとっても望ましいと言えるでしょう。◆2◆ 臨床研修病院の指定基準について上述のように、詳細な到達目標が決められており、研修医は皆これをクリアしますので、ことさらパブコメに提示されている(1)~(5)の「救急医療を提供していること」といった指定基準まで決める必要はありません。むしろ、詳細を決めることによる弊害のほうが大きいと考えられます。厚労省が医政局長通知(医政発0612004)で述べているとおり、「屋根瓦方式」の教育体制・診療体制が整っているかどうか、という観点を忘れてはなりません。医師には、技術を伝承する職人のような側面もあり、若いうちから「同じ釜の飯を食」いながら、先輩や仲間との信頼関係を築くのが重要です。医学生が研修先を選ぶ際は、各病院・各診療科に一定数以上の医師数や研修医数等がいることがひとつの目安にはなりますが、人間関係の実情等については単純に人数だけで線引きできません。数字のみを基準に厚労官僚が全国一律に決めれば、実態にそぐわないケースが出てくると懸念されます。そこでまず、医師数他のデータをはじめ様々な情報を医学生や地域住民に対して開示した上で、双方向の多様なコミュニケーションの機会を十分に確保すべきでしょう。信頼関係の有無といった可視化不能な情報は、その現場に関与する(または将来するであろう)人々によるコミュニティによる評価を要するからです。その過程を経て、医師・医学生が納得の上で選択できるようにする必要があるのではないでしょうか。◆3◆ 計画配置について平成16年の新制度から、「マッチング」が取り入れられ、厚労省が医学生の研修先を決めるようになったことも、医師として生きるために必要な人間関係の構築を難しくした要因です。そこへさらに研修医を強制配置したところで事態が改善するものではなく、その状況では地域医療にも医師教育にも未来はありません。のみならず病院の教育への努力という点でも、計画配置には大きな問題があります。募集定員枠と実際の人数が同じになれば、病院は努力せずとも研修医と補助金を確保でき、教育の努力をしなくなります。しかも、ますます地域のニーズから離れ、厚労官僚のニーズに応えるようにならざるを得ません。厚労官僚は、都道府県別・病院別の定員増加と引き換えに、都道府県や大学病院・医療法人への天下りポストの拡大などを目論むでしょう。地域医療や医師教育とは全く異なるニーズによって利権構造が出来上がるのを、医療者も地域住民も、指をくわえて眺めているだけになりかねません。厚労官僚が医学生の研修先の選択に介入すべきではないことをここに強調します。こうした提言が、厚労省の対応にどれだけ反映されるのか、今後も厳しいウォッチを続けていく所存です。そして何より、国民の皆様にもぜひとも声を厚労省へ届けていただきたいと思います。国民から多くの声が寄せられたときに、厚労省がどう動くのか。そこにこそ彼らの真価を問うことができると考えるからです。