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臨時 vol 4 「日本のマスコミは死人に口なしを許すな:パロマ事件に寄せて」

医療ガバナンス学会 (2007年2月25日 16:12)


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千葉大学大学院医学研究院法医学教室
教授 岩瀬博太郎

 
昨今、パロマのガス湯沸かし器事件がマスコミで盛んに報道され、企業の品質管理体制が問われています。はたして、この事件の原因は、企業の品質管理体制だけなのでしょうか。この事件は我が国の監察医制度や司法解剖の問題点を浮き彫りにしたという側面もあります。もし、我が国の監察医制度や司法解剖の体制が整っていたら、多くの死亡は防げた可能性が高いと推測されます。しかしながら、現在のマスコミでは、監察医制度の問題は議論されていません。おそらく、法医学分野の専門性ゆえ、壁が高くなっているためでしょう。パロマガス湯沸かし器事件は企業の品質管理体制の強化に加え、監察医制度や司法解剖の体制が整って初めて、解決したと言えると考えています。

今日の投稿は千葉大学法医学教室 岩瀬博太郎教授です。岩瀬教授は我が国の法医学研究の第一人者で、解剖にCT検査などを取り入れたユニークな試みで知られています。日本の監察医制度や司法解剖の現状を述べ、その見地からパロマ問題も議論しています。

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法医学とは、法律に関わる医学的諸問題を広く取り扱い、これらに対して医学的に公正に判断を下していく学問であるとされており、本来死人とばかり接する学問ではない。そのため、諸外国の法医学は、生きた患者さん(虐待やレイプ被害者など)にも接することも多いようだが、日本の法医学は死人とばかり接しているのが現実だ。それにはいくらかの理由がある。

生きた人が交通事故で鞭打ち症になれば、首が痛むなどの訴えをすることができる。場合によっては、損保会社から治療費を請求することも出来るだろう。しかし、死人は喋ることができない。

作業中に2メートルの高さから転落して死亡した作業員を解剖したことがある。一見すると大した外傷もない死体で、病院に搬送された時に、全身のレントゲン写真とCTを実施し、死因が外傷によらないと判断され、臨床医は状況からも心筋梗塞と診断していた。しかし、警察のほうで、転落直後の死亡であったため、念のため解剖すると、第2頚椎が骨折していたことが判明した。ヘルメットをかぶっていたため、転落の際の頭部打撃時に、頭部に損傷を残さずに頚椎が骨折したのだ。生きている人間であれば、首が痛いと主張もでき、頚部に対しての三次元-CTなどを実施できるが、死人は、首が痛いとは言えないので、臨床診断も誤るのだ。もし、臨床医の診断したように、心筋梗塞での死亡となれば、労災での死亡と認定できずに、遺族など生きている人間に不都合が発生することは明らかだ。このように、死人は喋ることができないが、だからといって、死因診断を誤ると、生き残っている者にとって法的問題が発生する。だから、法医学者が解剖という手段により死人の声も聞く必要性が出てくるのだ。しかし、日本の法医学は、大変貧困な状況にあり、死者の声ばかり聞く羽目になってしまった。しかも、最近はそれすらする余裕がなくなっている状態である。そのため、死者の祟りか、多くの犠牲者が同じ原因で死亡するという事態が続発しつつある。また、医療界においては、遺族の医療不信の増大から、訴訟が増え、医療崩壊が叫ばれるようになっているが、こうした医療崩壊に先行して法医学、死因究明制度の崩壊があったのではないかと思えるふしもある。いくつか例を挙げてみたい。
1. 続発する一酸化炭素中毒死

数十名の方がパロマ社製のガス湯沸かし器のせいで、一酸化炭素中毒で死亡した。しかし、多くの事例は、日本の法医学が発達していれば死なずに済んだ事例であるといえる。例えば、北海道の北見市では、1989年に、遺族が一酸化炭素中毒ではないかと騒いでいるのに、警察が事件性なしということで、司法解剖もせずに心不全と診断したケースがあった。この被害者は、その後パロマの被害者と認定されるのにさえ困難を来たしている。また、1989年の時点で、一酸化炭素中毒と診断されていれば、その後のパロマの事件や、リンナイ製のガス湯沸かし器の事件も予防できた可能性がある。一連の事件で死者が多発したのは、パロマ社の責任だけではない。簡易な初動捜査で犯罪性がないと判断されるものは、充分死因究明されないし、また警察の得た情報が捜査上の秘密として開示されないという日本の死因究明制度の不備と密接な関係がある。
2. 茨城の保険金殺人事件

2000年8月21日に、宇都宮で監禁致死事件が発生した。この件で逮捕され、死刑判決を受けた死刑囚が2006年になって衝撃的な上申書を提出した。2000年8月15日に茨城県城里町で男性の死体が発見された件に関して、自分が殺害したというのだ。当時、警察は、簡易な状況捜査の結果のみから、犯罪性なしとし、司法解剖もせずに、検案した医師から病死との診断を取り付けて捜査から手を引いていた。上申書によれば、この件は、アルコールを多量に飲ませて保険金目当てで殺害したものだった。もし、この件が、司法解剖され、病死ではなく、アルコール中毒での死亡であることが発覚し、どこで飲んだのかや、保険金の掛け金などの調査がされていれば、加害者に対して心理的プレッシャーをかけることで、数日後に発生した監禁致死事件を防げた可能性がある。この事件も、簡易な初動捜査で犯罪性がないと判断されるものは、死因究明されないという日本の死因究明制度の不備により発生した事件といえる。
3. サリチル酸を用いた保険金殺人事件

1998年8月に松戸市の病院に、男性が心肺停止状態で運ばれてきた。病院は、死因が不明であると思ったものの、異状死届出はせずに、死因を急性心不全(病死)と判断していた。その後、男性には多額の保険金が掛けられていることが発覚し、保険会社が民事訴訟をおこしたところ、民事裁判の方で、フィリピン人妻による殺人認定がされた。しかし、この件では血液保管などが充分されておらず、刑事事件としての立件に難航している。また、この男性の前にも、同じフィリピン人妻周囲で男性が変死し、多額の保険金が掛けられていて、そちらも病死とされている。このケースは、日本の医師が異状死届出をしない独特の風土と密接な関係がある。日本では、司法解剖をするインフラも、検視専門の警察官も不足しているため、病院が異状死届出をしても、警察官が真面目に死因調査をしてくれない。その結果、医師は、異状死届出をしてもそれが無駄であることを知っていて、異状死届出率が世界的にも低くなっている。その結果、死因不明の死体であっても死因が調査されないので、病院内外の死亡事例で、薬物を用いた他殺事例が多く見逃される事態に陥っている。
4. 医療事故で解消されない遺族・医療者のストレス

米国型の思考が広まるにつれ、日本国民の権利意識は増大しつつある。医療事故が発生した場合も同様で、従来は遺族が納得していたケースでも、納得しなくなってきている。遺族が医療行為に疑問を持ったとき、亡くなった病院で病理解剖をしてもらうのは客観性に欠くのだが、死因を客観的に調べてもらう機関は、警察以外に存在しない。結果、遺族は警察に泣き付くしかない。しかし、日本の警察はマンパワーがなく、業務上過失致死の疑いの強そうなものだけを捜査対象とし、その他のものは、捜査中として棚上げしてしまうことが多い。また、司法解剖の結果は、捜査情報として開示されず、民事裁判や裁判外紛争処理機関(ADR)で解剖結果等を活用できないため、刑事手続以外の手段での真相究明は妨げられている。さらには、日本では、異状死届出をして、警察が関与すると犯罪として捜査されるという認識があるため、臨床医が医療関連死を異状死として届け出ることには著しい抵抗感がある。このように、現在の貧弱な死因究明制度は、遺族、医療者双方へ、大きなストレスを発生させている。一方、他の先進国においては、異状死届出後の司法解剖は、犯罪捜査の目的ではなく、死因究明のため
に実施されているので、医師に異状死届出のストレスはさほどないという。また、司法解剖の結果は日本より柔軟に開示されるので、刑事手続以外での真相究明も望めば可能となっている。

ざっと列挙してみたが、その他にも、薬物を用いた保険金殺人の見逃しや、労災、事故、流行病等の見逃しは多発しているとされているのが日本の現状だ。

何故こんなことがおきるのだろうか。それは、解剖の執刀医と検視専門の捜査官が少なすぎ、薬毒物の検査拠点が1つも存在しないという状態が、縦割り行政の下で放置されてきたことが最大の原因だ。日本の死因究明におけるキャパシティーの低さは、他の先進国では、諸地域ごとに立派な法医解剖施設が存在するのに対し、日本の各県にはそんな施設は1つも存在しないことを見れば一目瞭然だろう。
日本では、解剖などの医学的検査を実施するインフラがないので、殆どの死因不明事例で死因究明ができないのだ。そのため、初動段階で犯罪性の有無で死体に線引きし、極力解剖しないように運営せざるを得ないのだが、そうした運営では、犯罪も見逃すし、医療事故を含む事故や災害などに対応できなくなってきているのだ。

日本は、死因究明に関して予算化を怠ってきた。大学で実施される司法解剖は文部科学省任せであったが、法人化された現在は、文部科学省が経費を支払う根拠を完全に失った。行政解剖(監察医制度)については、費用負担者を決める法律すらなく、横浜では遺族に費用を負担させているし、東京、大阪、神戸、横浜以外の自治体では、行政解剖を広める気配すらない。今後、死因究明を巡る法整備や予算化がされなければ、法医学者は絶滅し、死者の祟りは益々強くなっていくだろう。

不思議なのは、死因究明制度の不備といった同じ社会的病理から発生する死亡事件が後を絶たず、被害者が続発しているというのに、それについて騒がない日本のマスコミでもある。マスコミが死因究明の現状をあまり報道しないのは、日本人が解剖を嫌いだからという背景があるのかもしれない。しかし、解剖の必要性について充分説明をした場合、遺族の解剖承諾率は8割以上であるとされるし、鹿児島、千葉の変死体解剖率がそれぞれ1%、3%なのに、沖縄、東京の解剖率はそれぞれ12%、18%で、この地域較差を「日本人の解剖嫌い」で説明することは困難だろう。日本人の国民性が他国に比べて解剖嫌いというわけではなく、警察が面倒な解剖を避けている、あるいは、解剖したくてできないから解剖率が低いだけなのだ。仮に百歩譲って日本人が解剖嫌いだとしても、何故解剖の代わりに、CTやMRI、血液検査を導入して、適正な死因診断をしてこなかったのだろうか。よく考えれば、死因究明に関してはおかしな点はいくらでもあるのだが、これまで、国民が、真実を知らずに、考えてこなかっただけだ。それも、マスコミが真実を報道してこなかったためでもある。

生きた患者や犯罪被害者は、自己の正当な権利を主張することができるし、その声を聞いた政治家も動き易いだろう。しかし、死者は喋ることはできない。死者を代弁するのは法医学者かもしれないが、法医学者はもはや絶滅危惧種で、死者の声を代弁することもできなくなっている。マスメディアはこのことを充分認識し、死因究明の現場で起こっている真実をこれまで以上に積極的に伝えていくべきではなかろうか。法医学者が絶滅し、被害者が続発した後に気づくようでは、これから犬死にする国民とその家族があまりに気の毒だ。

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