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vol 3 「漢方医学で美しい国、日本を」

医療ガバナンス学会 (2007年2月10日 16:14)


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慶應美塾大学医学部漢方医学講座
渡辺賢治

安部晋三新総理は「美しい国、日本」というキャッチフレーズを打ち出した。この言葉を聞いて、非常に嬉しかった。誤解をしないで欲しい。私自身は安部総理の「美しい国へ」を読んでいないし、政治的なことをここで論じるつもりはなく、ただ「美しい国、日本」という言葉だけを利用させていただく。私自身のことを述べさせていただくと、内科医でありながら何故漢方医学を専門にしているかというと、もちろん患者さんの為には両医学が必要だという思いであるが、国際的活動をしているうちに、漢方医学という日本独特の文化を次世代に受け渡すことで、日本人の誇りを取り戻したいと願うようになったからである。その思いが安部総理の「美しい国、日本」にぴったりと重なったのである。というのもバブルがはじけた後、日本が何となく元気がなく、胸を張って「日本人です」という事が言えなくなっているように思われる。社会もいろいろと病んでおり、勢いがない。特に子供たちは元気がなく、これから日本はどうなるのだろうと案じずにはいられない。何故そのような社会になってしまったのか?自国に誇りを持てないのは何故なのか。いろいろと疑問に思っている時に、自分の専門である漢方医学を通じて何かできるのではないか、と考えるに至った。

うちの研究室には欧米から多くの医師、学生が漢方医学を学びに来る。内科助教授であったり、レジデントであったり、医学生であったり、最近では医学部志望の大学インターンも来るようになった。彼らが口を揃えて「漢方医学は優れた医療体系であり、世界にもっと知られるべきである」というのである。これには正直うれしかった。何故ならばこの文章を書いている私自信が欧米に学ぶばかりで日本発の世界貢献などあり得ないと信じ込んでいたからだ。特に米国から来た医師・医学生は日本に伝来してから1500年もの間、発展してきた医学体系に対して尊敬の念を隠さない。世界がこの医学を望んでいるのなら国際的認知度を高めていく必要があるのではないかと思うようになった。日本のこの伝統医療を見直すことで、自国に対する自信を取り戻し、世界保健への貢献ができるのではないかと思うようになった。

こう書くと「漢方の本場は中国ではないか」、という疑問を抱く方もいらっしゃるであろう。確かに医学そのものの起源は古代中国である「漢」に辿れる。日本に伝来したのは仏教と同じ頃と考えられているが、早くから日本化は始まっている。中国医学と決定的に袂を分かったのは鎖国後の江戸時代である。「漢方医学」という言葉そのものが、江戸期に蘭学が伝来し、それまでの自国の医学を称するために作ったわが国の造語であり、英語で「Kampo Medicine」というのは日本の伝統医学ということになる。

 

日本人はオリジナリティーのない国民性である、とよく言われる。戦前はドイツを手本として、ドイツのオリジナリティーを発展させてそれを応用して安く工業製品を作ったことでドイツから非難され、戦後も米国の模倣ばかりしていると批判を受けてきた。日本人はオリジナリティーがない、というのが世界からの評価であり、日本人もそう信じている風潮がある。

医学の世界でも然りである。医師のマインドとして米国の医学が最も進んでいて、日本はそれに学ばなくてはならない、という意識が強い。戦前はドイツ医学を学んだことは日本の工業と全く同じである。こういうジョークもある。日本人がある大発見をしたが、今まで誰も発表していなかったため、自信がなく発表できなかった。アメリカから同じ結果が発表され、「ああ良かった。自分のやっていたことは正しかった。」と安心するのである。

では日本人は本当にオリジナリティーのない国民なのであろうか?そんなことはない。江戸時代の物つくりの技術は世界に誇れるものであった。江戸の水路は世界一発達していた。からくり人形に見られる江戸の物つくりは世界最高水準にあった。日本人にも知られていないが、万年筆の開発は日本人の手による。1828年、近江の鉄砲鍛冶師である国友藤兵衛が貯墨装置のついた「御懐中筆」を発明。ウォーターマンの実用万年筆発明より56年前のことであった。内部に墨を貯蔵でき、墨乾燥防止用のキャップが付属する等、現在の筆記用具の構造にそのまま当てはまるものであった。しかし、当時はグローバルに特許・販売という視点がなかったので、後にウォーターマンが開発した万年筆を買うことになる。

医学の世界でいうと華岡青洲の全身麻酔手術は日本では有名だが世界にはあまり知られていない。ハーバード大学の図書館にはジャクソンのエーテル麻酔手術の絵が飾られている。1840年が最初の手術であるが、その36年前に日本人が全身麻酔手術を行っている、と言っても信じてもらえなかった。
こんなことも経験している。数年前にオランダライデンで日蘭に関する医学会議があり、参加した。日本の漢方はドイツ人クルムスの解剖書を翻訳した『解體新書』以降、蘭学に押されて漢方が衰退していった、という話をした。ドイツ、オランダの医師から猛烈な批判を受けた。その理由はこうである。「当時の漢方医学は医療としては世界最高水準にあったではないか。確かに解剖学はヨーロッパが進んでいたが、それは単に自然観察の延長にあり、医療に結びついたものではなかった。それも分からずに漢方が衰退するなんて、日本人はなんと愚かなのだろう。」というものであった。私はこの言葉にショックを受けた。何となく欧米は優れていて、東洋は遅れている、という先入観があったのだが、西洋から見ると江戸は医療先進国であったのである。まさに『隣の芝生は青い』という感である。
漢方医学も然りである。日本国内での評価は低い。「エビデンスがない」「科学的でない」など多くの批判がある。しかし何千年の歴史を有するものが、現在の尺度で測れないからといって安易に否定していいものであろうか?

今回の漢方医学ブームも残念ながら欧米から起こったものである。現在NIH内にNCCAM(国立補完・代替医療センター)ができており、研究費予算が150億円程度、それにNCI(国立がん研究所)などの持つ補完・代替医療の研究予算を合算すると約300億円になる。

これらの研究費により、欧米では研究が盛んに行われており、プロテインチップ、ジーンチップ、ファンクショナルMRIなど高度先進技術を用いた研究が数多く行われている。米国のこうした動きに触発され、日本でも漢方医学に対する理解が少しずつ高まってきたが、これも外圧の結果と考えると情けない。それどころか、これだけの研究費をつぎ込んでいる米国の方が漢方医学の先進国になっていく恐れさえある。自国のものでありながら、米国から逆輸入されたら有り難がっ
て使うのであろうか?

欧米での研究の進展ぶりを見ていると、あながち冗談ではなく、現実になりつつあるような気がする。自国の物を過小評価して、海外から評価されて始めて日本で認められる、という構図は何も漢方医学に限ったことでなく、科学技術の分野でもよくあることである。もっと自国のものに対して誇りを持つべきではなかろうか?漢方医学はそうしたものの一つと考える。欧米から逆輸入する前に自国のものとして誇りを持って世界に発信したい。そうした活動を通じて日本は伝統を重んじ、本当に「美しい国」である、というメッセージを次世代に伝えていきたいと願っている。

著者ご略歴

昭和59年 慶應義塾大学医学部卒業後同大学内科学教室研修医
昭和61年 足利赤十字病院内科
昭和63年 慶應義塾大学医学部内科学教室助手
平成2年  東海大学医学部免疫学教室助手
平成3年  米国スタンフォード大学遺伝学教室ならびにSRI分子細胞学教室に留学
平成7年  北里研究所東洋医学総合研究所
現在13年  慶應義塾大学医学部東洋医学講座(現漢方医学講座)助教授
現在に至る。

 

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