医療ガバナンス学会 (2006年12月18日 16:21)
福島県立大野病院事件での、産婦人科医逮捕は、医療界に衝撃を与え、異状死問題を再燃させた。今のところ、捜査側からは何も情報が出されないので、逮捕・起訴が妥当であったか否かに関しては、判断のしようがない。しかし、何故逮捕・起訴に至ったのかについての情報を一切非開示としている刑事手続には問題があるだろう。何らかの悪質性があったことが理由で逮捕・起訴したのなら、そうした点に関して、早い段階で情報を出してもらわなければ、善良な医師に不必要な不安を与えることになる。医療者が警察介入に対して抱いている不安は、死因究明における刑事手続が不透明すぎ、真実究明より、犯罪発見に偏重しすぎていることに端を発しているのではないか。
多くの先進国においては、日本と同様、変死事例、異状死事例いずれも、捜査担当者が死体を最初に認知することになっている。しかし、その後の彼らの対処の仕方は日本と異なり、より成熟しているといえる。死因が不明である死体があれば、犯罪性の有無に関わらず、まずは、解剖などの医学的検査によって死因が究明される。その結果、犯罪性がある死体については、刑事手続に回されるが、それ以外の多くの死体については、解剖結果等の情報が柔軟に開示され、事故、流行病の対策や民事での紛争解決に、死因究明から得られた情報が有効に活かされるのである。一方、日本における死因究明制度は、貧弱であると同時に、犯罪発見という目的のみに偏重しすぎている。死因不明な死体が存在しても、初動時の簡易な状況調査で犯罪性がないと判断されてしまえば、ろくに医学的検査が実施されず、根拠なく、心筋梗塞、肺水腫などの病名が死因とされている。北海道の北見市では、パロマ社製のガス湯沸かし器に起因する一酸化炭素中毒死の疑いがあると遺族が指摘しながら、警察が死因を心不全としたため、被害者として認定されなかった件があった。また、多くの毒物を用いた保険金殺人が見逃されていて、数名の被害者を出してからやっと発覚している。日本に真っ当な死因究明制度があれば、こうした事件で死亡した者の何割かは死なずに済んだ可能性がある。日本の刑事司法は、犯罪事例だけを見出して死因究明を行いたいという都合を優先するあまり、犯罪を見逃すというパラドックスに陥っている。また、司法解剖に回ったケースでは、仮にそれが犯罪死とされなくても、捜査情報であるこ
とを盾に情報の開示がされない。そのため、司法解剖となった医療事故事例においては、長引く捜査の間、遺族に謝罪ができないとか、事故対策が取れないなどの問題が起きている。また、流行病対策や、労災対策といった観点は、今の日本の死因究明では完全に切り捨てられている。
法医学会の異状死ガイドラインは、明らかな病死以外の全ての死を異状死とし、広い概念の異状死を届け出ることを推奨している。犯罪発見の端緒として異状死を定義付けているのではなく、国民の安全・安心のために異状死が届け出られることを推奨しているのだ。しかしながら、日本法医学会の掲げるガイドラインが真価を発揮するためには、解剖や捜査・調査に関わる設備や人員の整備が不可欠である。昨年、日本での変死は15万件あり、うち解剖されたものは、監察医制度のない地域(=東京、大阪、横浜、神戸を除く日本の殆どの地域、9000万人が居住)においては4%に過ぎず、残りの死体に関しては、CT等の画像検査も実施されないし、毒物検査も実施されない。つまり、変死事例の96%の死因診断は医学的根拠のないものといえる。1億2000万人の人口に対しては、ヨーロッパの水準では、1000名程度の法医解剖執刀医がいてもおかしくないのだが、実際には約150人の執刀医と、約100台の解剖台しかなく、薬毒物の検査拠点も皆無な現状では、法医学会の異状死ガイドラインは、仏作って魂入れずとなり、荒唐無稽と揶揄されても仕方がない。死後に行う医学的検査を取り巻く設備、人員が未整備のまま放置されたことにより、初動段階で犯罪に関連した死体のみを選別し、それについてのみ検査するという悪しき風潮が定着したといえる。そうした警察の風潮は、医師に伝染して、他の先進国とは比較にならない程低い異状死届出率に結びついている。このような状態では、患者が死亡した場合に、客観的に死因を調べてもらえる機会は殆どない。その結果、遺族は大切な人の死を蔑ろにされたという感情を抱き、医療に対する不信感を増幅させていったのではないだろうか。犯罪発見の目的だけに死体を解剖し、その結果は刑事手続の下で非開示にするという現在の運営方法は、真相の究明とそれによる遺族・医師間の紛争の解決・事故の予防という側面では、有害に作用しているといえる。本来は、法医学研究所を設置するなど、死亡時医学検索を取り巻くインフラを諸外国並に整備した上で、国民の安全・安心のために、犯罪の有無に関わらず、広い概念の異状死が届け出られ、より多くの遺体から様々な教訓を学びとり、そこから得た有益な情報を国民に還元するという運営が求められている。それなしでは、多くの医療事故、交通事故、労災事故などの事故事例や流行病での死亡事例では、遺族や国民の不満・不安は解消されないだろう。
医師に対する刑事罰のあり方も考え直すべきはないか。法の理想からすれば、個人的な恨みは、民事の手続きで果たされるべきではなかろうか。しかし、民事不介入という名目で、死体から得られた情報を民事紛争解決に利用させないという消極的な方法で民事に介入しているのは、刑事司法手続そのものである。大切な人の死を蔑ろにされたという、医療に対する不信感増大の原因は、医師のせいだけではなく、捜査中という名目で、情報を隠蔽してきた刑事司法のせいでもある。そうやって、民事での紛争解決を妨害しておきながら、最近は、医師に対する刑事罰が、個人的な恨みを晴らすために利用され始めそうな雰囲気がある。刑事罰は、本来、それをみせしめとして個人に科することにより、再発予防効果を有すると考えられる時に科されるべきものだろう。明らかな救い様のないミスは別として、産科事故のような医療事故では、個人に対する刑事罰は再発を抑止しない可能性が高い。むしろ、多くの事例では、個人を処罰することより、医療を取り巻くシステムを改善することが再発予防に繋がると思われるが、刑事手続による情報の非開示は、解剖結果や調査結果が、再発予防に利用されることを妨げている。死因究明で得られる死者の情報は、単に刑事罰を科すためだけではなく、そうした事故の再発予防に使われるべきだし、それが法医解剖が本来掲げる理想でもある。
以上、日本の死因究明制度の抱える問題点を記したが、こうした問題を解決するにはどうしたらよいのだろうか。厚生労働省だけに頼っても、解決することはないだろう。まずは、死因究明に関わる刑事司法の体質改善を図ることが必要であると考えられる。そのための具体的方策としては、殺人事件などの犯罪捜査を専門とする各県警の刑事部の下位におかれることで、犯罪発見に偏重している現在の検視部門は、刑事部の下に置かれるのではなく、それと対等な立場である検視局あるいは検視部として改組され、犯罪捜査目的の死因究明ではなく、国民の安全・安心のための死因究明サービスが使命付けられるべきだろう。また、犯罪が疑われる死体だけではなく、死因不明な死体は全て医学的検索を受けるべきなので、より多くの遺体について、法医解剖、CT等画像検査、薬毒物検査が実施できるように、法医学的な解剖・検査を実施する機関が全国に設置されるべきだ。解剖の実施に当たっては、法医学者だけではなく、病理学者の協力は不可欠と考えられる。ただし、解剖の種類に関しては、公益性のために、公費で行い、場合によっては、司法解剖並の強制力をもって行う必要のある解剖とされるべきであ
るので、病理学者が執刀するとしても、明確に法医解剖と定義付けられるべきであるし、それが国際標準でもある。また、従来の司法・行政解剖の区分は、警察が初動段階で「犯罪性の有無」という観点で死体を振り分けることが前提で成り立っている以上、見直されるべきであろう。つまり、従来の複数種類の法医解剖は統合され、統一したプロトコールで実施される包括的な法医解剖という一つの概念にまとめられるべきだと考えられる。さらには、情報の非開示が、医療紛争の解決や、事故対策、遺族対策に悪影響を与えているが、死因究明で得られる死者に関しての貴重な医学的情報は、事故の再発予防にも利用されるべきなので、医療関連死を専門に扱う事故調査機関が設置され、専門医が調査・捜査に関与し、手続は透明化し、情報は遺族や病院などが利用し易いように柔軟に開示すべきであろう。そうした運営の方が、刑事罰を医師に付与するだけの一辺倒な運営より、遺族をはじめ国民にとって有益だし、そうした運営がされるようになって初めて、一人の人間の死が、無駄ではなかったといえる社会が実現するのではなかろうか。
著者ご略歴
平成5年 東京大学医学部医学科卒業、医師免許取得
平成7年 東京大学医学部法医学教室 助手
平成11年 東京大学医学部法医学教室 講師
平成12年 東京大学医学部法医学教室 助教授
平成15年 千葉大学大学院医学研究院法医学講座 教授