医療ガバナンス学会 (2006年11月20日 16:22)
去る10月21日、東大医学部の鉄門記念講堂で第10回へき地・離島救急医療研究会の学術集会が開催された。会長は久留米大学医学部の坂本照夫教授である。
筆者はそこで特別講演の機会をいただいた。専門の救急医の先生方を前にして甚だ僭越ではあったが、長い間ヘリコプターを飛ばす仕事にたずさわってきた経験から、へき地医療におけるヘリコプターの役割を考えることにした。1時間の話を全てここに書く余裕はないが、MRIC編集部から執筆のお誘いを受けたので、結論的なところを記すことにしたい。
三つの提案
厚生労働省の統計を見ると、無医地区は減っているかに見えるが、最近は研修医制度の変更などで、むしろ深刻化しているのが実態ではないだろうか。とりわけ救急医療はへき地最大の悩みになっているらしい。
といって、これを解消するために、全国各地に大病院をつくったり医師や看護師を集めることは現実問題として不可能であろう。ほかにも、さまざまな対策が講じられ、たとえば巡回診療などが行なわれているが、慢性疾患の対策としてはともかく、救急の役には立たない。したがって巡回診療の体制ができて無医地区とはみなされなくなったからといって安心しているわけにはいかない。
では、どうすればいいのか。結論を言ってしまえば、ヘリコプターこそが医療過疎の対策として当面最良の手段になり得るはずである。しかも、きわめて手っとり早く、といっても決して安直に実現できるわけではないが、病院を増設したり、医師を集めたりするのに比べれば、遙かに現実的な解決策になる。このことは救急医の先生方はとうに認識しておられることだが、それ以外の医師やへき地対策に取り組むべき国や自治体の職員、さらには国会議員や自治体議員の皆さんはほとんど気づいていないフシがある。
へき地や離島の医療過疎は、もとより日本だけのものではない。おそらくは世界中の悩みであろう。それに対して、先進的な国ぐにではヘリコプターによって対応し、明らかに大きな成果をあげている。
そこで、ここではへき地の救急医療に関して次のような三つの提案を申し上げたい。
1 15分で初期治療開始
2 メディカル・コントロールの充実と救命救急士の活用
3 無医地区と救命救急センターの全てにヘリコプターの臨時離着陸場の設置
15分で治療着手
人が生命の危険にさらされたとき、一刻も早く処置しなければならないことはいうまでもない。その目安として15分以内という基準は先進諸国でごく普通に行なわれていることである。たとえばドイツは連邦16州がそれぞれに救急法を制定し、その中に一様に初期治療着手までの制限時間を定めている。
たとえば「できれば10分以内、最大15分以内――実施目標95%」「原則として15分を超えてはならない」「原則12分、最大15分」「原則10分――目標95%」「原則14分、へき地17分――目標95%」などの規定である。州によって多少の文言の違いはあるが、めざすところは同じであろう。
これらの規定は何もヘリコプターだけを対象としているわけではない。徒歩でも自転車でもオートバイでも乗用車でも救急車でも、手段は問わない。とにかく15分以内に医師が患者のもとへ駆けつけることを求めているのである。そうした地上手段では間に合わないとき、ヘリコプターは補完的に出動する。こうして2004年のドイツの実績は、15分以内が84%、20分以内94%、25分以内97%であったという。
同じくスイスも、国内のどこへでも15分以内に医師が駆けつける仕組みができている。といって、アルプス山岳地では、ほとんど地上手段は使えない。そのため救急専用のヘリコプターが日本の九州と同じくらいの国土に13機配備され、医師と一緒に昼夜待機している。ご存知スイス・エアレスキューREGAのシステムだが、これで15分以内に医師の初期治療を受けられない地域は、山奥のごく一
部だけになっている。
アメリカもヘリコプターを使って、初期治療15分以内の実現をめざしている。今年9月のヘリコプター救急の実状は全米647ヵ所に拠点を置き、792機が飛んでいた。これによってヘリコプターが15分以内に飛んでゆける地域はアメリカ全土の20%程度だが、人口は75%に達する。ひるがえって日本は、全国10ヵ所のドクターヘリで守護されている面積が30%強、人口は14%しかない。
日本中が手遅れ
無論ヘリコプターを使わなくとも救急車で間に合えばそれでいいのだが、果たして間に合っているのだろうか。去る9月12日の毎日新聞に報じられた救急車搬送の医療格差という記事によれば、救急患者が3次救急機関へ運びこまれるまでの時間は、最も早い東京でも17分、最悪の北海道では100分を超えるという。これは国際医療福祉大学の河口洋行助教授ほかのシミュレーション調査の結果で、記事は北海道と東京の格差が6倍にもなるという趣旨であった。
その点も確かに問題だが、私は最良とされる東京ですら15分を超えている点に問題のありかを感ずる。これでは日本中どこでも、救急患者は手遅れではないか。世界の先進諸国に後れているのはヘリコプターの救急体制ばかりでなく、実は地上の救急体制も後進国だったのである。
この後進性を解消するには、先ず15分以内の治療開始という目標を定め、それを法制化する必要がある。東京ですら17分、地域によっては30分とか1時間もかかっているような事態を、15分という明確な基準を示すことによって、如何なる手段をとってでも解消するように仕向けてゆかねばならない。
それには移動手段の迅速化――すなわちドクターヘリの普及を急ぐ必要がある。逆に15分の法制化によって、ドクターヘリの普及も促進される結果となろう。
17年前の答申実行の時期
他方、ドクターヘリの普及が今のように遅々として進まないようであれば、メディカル・コントロールの必要性をもっと明確に打ち出し、救急救命士の質を高め量を増やし、早急に充実をはかる必要がある。
医師でもないのに医療行為は認められないという考え方は、確かにニセ医者を阻むためには適するが、一方では除細動装置AEDの普及のために、グッドサマリタンといわれる善意の行為も一般の人びとに推奨されている。ましてやプロとしての救急救命士ならば救命治療に限ってでも、相当程度の処置を認めることは欧米諸国で普通に行なわれていることである。
そのうえで、これらのプロフェッショナルを消防防災ヘリコプターで飛ばせば、医師の不足や偏在の問題解消にもつながるであろう。消防防災ヘリコプターは現在、佐賀県と沖縄県を除く全国の都道府県に70機が配備されている。その任務は救急だけではないというのが消防機関の言い分だが、出動件数は火災や調査飛行を加えても、2005年の平均が1機80件に満たない。
あれもこれもと任務を欲張り過ぎて、アブハチ取らずというか三すくみというか、中途半端なままに終わっている。大規模災害などのイザというときは大挙して出動するので普段は遊んでいてもいいといえば、それは一つの見識であろう。しかし、そうならば日常的なヘリコプター救急は全てドクターヘリにまかせるという方針を打ち出す必要がある。一方で救急もやりますなどというから、県当局や県議会が迷って、ドクターヘリは不要などという誤った結論を出すのである。
そこで、救急も我らが任務というからには、現用70機のヘリコプターに救急処置の能力と権限を持った救急救命士をのせて飛びまわるような体制をつくるべきだろう。そうすれば、へき地の救急も大きく改善されるにちがいない。
現に平成元年3月20日、消防審議会の「消防におけるヘリコプターの活用とその整備のあり方に関する答申」では、全国都道府県にヘリコプターを配備する根拠として、わざわざ西ドイツやスイスの先進事例を引き、出動要請から12~15分以内に救急処置を開始することを目標として、ヘリコプター基地から半径50~70km、すなわち救急現場におおむね15分前後で到達可能な体制をつくるのが適当
としている。
この答申から17年余、形だけは整った今、もうそろそろ実行に移すべき時期にきているのではないだろうか。
ジャングルの中の日本
このようにして、ヘリコプターがへき地医療に本格的に飛ぶためには、離着陸場の整備が必要であることはいうまでもない。ヘリコプターは安全の確保ができれば、どこにでも着陸することができる。とりわけ消防防災機やドクターヘリは法律上も、機長の判断で飛行場やヘリポート以外の場所に着陸して構わない。
とはいえ、救命救急センターと無医地区にはあらかじめヘリコプターの離着陸場を設定しておかなければ咄嗟の間に合わない。しかし何も立派なヘリポートをつくる必要はない。たとえば駐車場の一角を想定しておき、いざというときは車をどければいい。へき地の方も河川敷でも農道でも、障害物のないところならばいいだろう。
さらに夜間の救急にそなえて、照明設備を用意する。これも規格さえ合っていれば、移動式の簡易な照明器具を着陸地点の周囲に並べるだけで充分である。何も空港のような特別な立派な設備を考える必要はない。
こうして無医地区に実質的な離着陸が設定され、万一住民の身体に危難が生じたときは15分以内の治療開始をめざしてドクターヘリが飛来する。もしくは救急救命士の乗った消防防災ヘリコプターが飛んでくるようになれば、へき地の医療は大きく改善されることとなろう。
メリーランド州ボルティモアのショック・トラウマ・センターを立ち上げた故R.アダムス・カウリー博士(1917~1991年)は1973年ベトナム戦争たけなわの当時、ヘリコプターで救護された負傷兵の救命効果を見て、その論文の中に「ベトナムのジャングル地帯には道路も救急車も電話も病院も何もなかった。しかし、ヘリコプターを投入しただけで、そうした不備の大半が解消された」と書いている。今の日本はジャングル以下かもしれない。
著者ご略歴
1936年生まれ、1960年東京大学理学部卒業、75年朝日ヘリコプター取締役、83年
朝日航洋代表取締役専務、89年地域航空総合研究所代表取締役所長、2003月5月
退任。
現在、日本ヘリコプタ協会(国際ヘリコプタ学会日本支部)常任理事(元会長)、
(財)日本航空協会評議員、日本航空医療学会監事、NPO救急ヘリ病院ネット
ワーク(HEM-Net)理事。
99年度ドクターヘリ調査検討委員会委員(事務局:内閣官房内政審議室)。