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臨時 vol 205 「医療事故調査委員会と安全」

医療ガバナンス学会 (2009年8月24日 08:01)


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済生会宇都宮病院・医療制度研究会   中澤堅次

 医療事故調の理念は医療安全だというが、大綱案には、事故による死亡に責任
追及が含まれる。推進する立場は、なぜ医療事故に責任を追求してはいけないの
か、何故当たり前のことに一部の医療者が反発するのかという疑問を投げるが、
今回は医療安全と事故調というテーマで書かせていただき、この問いの答えにな
ることを願う。
■ 人々の願いと結果の不一致
 人の命は尊いと誰もが思い、尊いものが失われるのは避けたいと願う。この願
いは人類共通で歴史や宗教観に大きく影響している、医療の目的はその願いに沿っ
たものであり、死を回避し、生きるための障害を取り除くことを願う。しかし、
死は人の力が及ばない存在であり、老いを止めることも、一度失われた機能を回
復することも難しい。死という現実がある以上、医療の目標は完璧に達成するこ
とは不可能で、期待と結果が一致しないことが医療の特性なのである。人々の願
いはこの不一致が少しでもなくなることであり、医療もこの不一致を一つでも無
くす努力をするが、死の現実は変らず、努力は永遠に繰り返される。近代科学の
進歩で科学技術は目覚しい発展を遂げているが、科学の進歩は人体に応用できて
初めて医療となるのであり、医療の限界がこれにより解き放たれることはない。
■ 医療サービスは個別
 人の命は個別で、ひとつとして同じものは無い。医療サービスは多くのスタッ
フによって行われるが、目的は一つの命のためである。一人一人カルテがあるの
は医療が個別であることを示している。医療事故は期待と結果の不一致の典型で
あり、事故も個別で、一つ一つの命にかかわるものである。医療を受ける人と医
療者の関係は閉鎖的で、基本的に第三者は入れないようになっている。医療行為
は全ての事情を知り行なわれるが、個人の機密保持という大原則があり、政府も
司法もメディアも、一対一の関係には介入しにくい構造になっている。普通に医
療が行われている限り、問題は当事者の間に限定され、第三者は当事者からの届
出がないと問題の存在を知ることが出来ない。
 大綱案は事故を契機に、第三者機関が介入する仕組みだが、医療機関から報告
が上がらなければ機能が発揮できない。条文のほとんどを医療機関からの報告規
定に当て、疑いを含めて報告を義務化し、罰則までつけなければならないのは、
制度の設計が医療本来の特性に合わないからである。
■ 事故の対応における第三者機関のかかわり
 理由はともかく、医療事故の加害者は医療者であり被害者は受療者である。事
故の発生により当事者の信頼関係は危機に陥り、医療側は加害者としての責任を
果たすことが求められる。この場合の責任は、原因を調査し、説明を行い、損害
の認定と補償と、再発の防止を行うことである。目的は被害者に及ぶ被害を最小
限に食い止めることで、この段階に至っても医療の目的は被害者のためであるこ
とに変りはない。
 このタイミングで第三者が介入するとするなら、被害者の救済と、医療者との
間に生じる問題の仲介役である。北欧のように被害者の救済に重きを置けば、無
過失補償制度の導入が選択肢となり、これはすでにデンマークなどで実現してい
る。第三者機関が、対立する両者の問題解決に責任を持つのであれば、介入はス
ムースに行われ、面倒な報告制度も罰則も要らない。
■ 懲罰的な報告制度は再発防止の妨げとなる
 事故の再発防止は、医療側の責任であり、同時に被害者の家族の大切な願いで
ある。このために不一致を感知し、課題として取り上げ、一つ一つつぶしてゆく
ことが医療における改善である。この方法は人体を作りかえることが出来ない医
療の限界によるもので、残念なことだがそれ以外の方法は存在しない。したがっ
て当事者が感知しなければ問題として提起されず、当事者が存在を報告して始め
て改善の検討が始まる。安全対策の活動も、事故や不一致の報告が当事者から出
され、正確に伝わることが欠かせない条件なのである。
 大綱案で新設される医療安全調査委員会は、当事者から距離を置いた善悪の判
定機関として存在し、問題解決に責任をもたず、当事者に報告を求め処分につな
げるだけである。この立場であれば報告は限られ、正確性はなく、したがって、
判断は硬直的で公平性を欠く。罰則を掛ければ見えないところで隠蔽が正当化さ
れ、安全文化は形だけのものになる。大綱案が示す仕組みは、事故調査委員会だ
けでなく、病院の安全活動自体にも支障を来たす。大綱案にはその目的である医
療安全に、最もやってはならないことが書かれている。
■ 責任を追及しないと安全は確保できないと言うのは本当か?
 WHOのガイドラインは当事者の責任を問わないと言っている。日本の大方の見
解は対応が生ぬるいという。私達の病院では個人の責任は問わず、全てに病院が
責任を持つことを前提に、事故の全貌を隠さないで報告してくれと言っている。
これでは正しい対策が出来ないのではないかと最初は考えたが、規律も崩れなかっ
たし、安全の取り組みに進歩が遅れたとは思わない。利点のほうがはるかに大き
い。調査が正確であれば、安全対策も説得力の強いものになり、また被害者の補
償と納得にも大きく貢献している。
 もし、大綱案が現実のものになると、当事者の人権への配慮から突っ込んだ調
査は不可能になる。責任を追及される恐れのある報告を、まだ罪もはっきりしな
いうちから官憲に報告すれば、スタッフは院長に売られたと感じる。当事者とし
ての説明責任も果たせないから被害者の納得は得られず、再発防止もおぼつかな
い。院長は懲役を覚悟し、スタッフの代わりに自分の首を差し出すくらいの覚悟
がないと、被害者とスタッフの信頼をつなぎ組織を存続させることが出来なくな
る。
■ 医療安全は誤りから学ぶが、責任の追及は誤りの存在を否定する。
 医療の安全は”過ちに学ぶ”ことが基本になっている。トヨタの業務改善の手
法に行灯(あんどん)と呼ばれるものがある。生産ラインで不具合を生じたら、
動いている生産ラインを止め、自分の部署にある標識を点灯し、不具合の発生を
全ての部門に告げる。問題を共有して製品の安全性を確保することが目的であり、
不具合の処罰を容易にすることが目的ではない。
 一度始まると取り消しが効かない医療行為では、過ちかどうか分らなくても、
終わった後で不具合を報告し議論の対象にする。良い悪いを言わず、誤りがあっ
たと仮定して議論が進む。容疑が複数あれば、複数の改善策を立てればよく、意
識の高い人ほど誤りの範囲を広く見立てるものである。医療はこの手法で進歩し
てきた。
 責任追及は、疑いのあるものの白黒をはっきりさせることが目的で、あいまい
な判断はゆるされない。罪の確定の精度を上げる為に多大な費用と時間を使い、
反省的な記述は再発防止のためであっても、有罪の証拠として捜査の対象となる。
責任追及の立場は本来そのようなものであり、再発防止の改善とは反対の方向性
を持つものである。
■ 責任追求と事故の公開
 事故の公開は安全対策に大きな力を発揮する。落とし穴の存在を同業者に知ら
せ、防御につなぐ効果がある。公開を一番必要とするのは医療者であり、特に事
故が発生した病院には一層身近な存在で一刻を争う公開もある。
 大綱案が法律になると院内での公開は難しい。良い悪いの問題にすると判断を
誤ったときにスタッフの名誉を回復することが難しいからである。こうして公開
という医療安全に有効な手段の一つが封印される。
 責任を問う目的での公開は見せしめで、意図的な犯罪を思いとどまらせること
を目的とした古典的な刑罰である。医療事故は故意で起こすわけではないから、
犯行を思いとどまると言う感覚はない。事故が起きそうな現場を避け。過ちを公
開しないこと、つまり、危うきに近寄らず、傾いても冠を正さないことが罪を避
ける方法になる。
■ システムエラーと改善
 事故の再発防止を、個人の努力に求めればまた事故は繰り返される。”人間だ
から間違える”、避け得ないヒューマンエラーをシステムエラーと考えて、人間
が失敗しても事故にならない仕組みを作り、人の過ちをカバーするというのが医
療安全の基本的な考え方である。
 大綱案にはシステムエラーについての項目があり、「安全を確保するための措
置の内容が著しく適当でないと認めるとき」とあるがこの文言が何を指すかわか
らない。システムエラーを文字通りシステムの過誤として追及し、指導するとい
うのであれば正しい使い方とはいえない。
■ まとめ
 事故の被害者は、加害者に対して誤りを明らかにし、罪を認め、謝罪と、罪を
償うことを望む。医療者は医療行為の中で避けられない事故の責任を、犯罪とし
て扱われ裁かれることに矛盾を感じる。再発防止の改善は当事者共通の願いであ
り、医の理念の根底をなすものであるが、懲罰的な大綱案の法制化で、定着しつ
つある安全文化が犠牲になる。
 厚生労働省、医師会、一部の学会が、WHOが認めるガイドラインを無視して、
なぜ安全文化に逆行するような効果の無い制度を日本に導入するのか、その意図
が分らない。

 

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