自分にかかる医療費についての知識を正確にもっているひとは、いったいどの
くらいいるのだろうか。
医療サービスには、洋服や日用品、レストランでの食事とは異なり、値札やお
品書きが明示されていないため、「購入前」にそのサービスに対する値段を知り、
その上で「購入」の可否を判断することが難しい。また、たとえ「購入後」であっ
たとしても、お会計で実際の請求書(兼領収書)を見せられるまでの間に支払い
金額を正確に計算できるひとなど、まずいないであろう。
現場の医者ですら詳細に把握しきれない複雑な診療報酬制度もわかりにくさの
一因であるが、原因はそれだけではない。
そもそも患者さんが受けるサービス内容は、患者さんが自分自身で決定できる
わけではなく、ほとんどの場合は医者の判断により決定される。ちょうど、高級
寿司店でいうところの、「お好み」ではなく「おまかせ」に似ていて、患者さん
(お客さん)は請求書を見て初めて受けたサービスの対価を知ることとなるわけ
だが、お寿司屋さんと違って医療機関では、患者さんが、財布の中身と相談しな
がらサービス内容を取捨選択するということはまずないし、あったとしてもまっ
とうな医療を行うことを前提とするのであれば、それは好ましいこととは言えな
い。
「医療費は一般消費財と違って『支払った』という感覚ではなく『取られた』
という感覚に近い」とよく言われるが、それは自分の希望と必ずしも一致しない
サービスを受けた上に、経験則から言って必ずしも合理的とはいえない価格、つ
まり自分の「内的参照価格」と一致しない金額、そして設定根拠について十分理
解できない金額を「従順に(場合によっては納得のいかないまま、半ば諦めの境
地で)」支払わざるを得ない、という感覚のことを言っているのであろう。
サービスを提供する側(医療提供者側)に圧倒的な情報量の優位性があり、し
かも提供者にとっても受給者にとっても、コストを意識したサービス需給は最優
先事項ではなく、さらに金額設定や内訳が不明確、ということが、患者さんにとっ
ての医療費のわかりにくさに繋がってしまうのだと思われる。
それでも処置や検査、手術にかかるコストは、きっちり説明すればなんとか世
間一般の理解が得られそうであるが、現場の医者でもわかりにくいし、患者さん
に説明を求められてもキチンと説明しづらいのが、「外来管理加算」という代物
だ。
そこで、医師とファイナンシャル・プランナー(FP)双方の視点から、平成2
0年度診療報酬改定によって登場した外来管理加算の算定要件の見直しュいわゆ
る「5分ルール」について少し考えてみたい。
この改定は、あまり世間一般には浸透していないようであるが、実は、医師だ
けでなく、医療サービスを受ける患者さん本人にとっても、非常に不幸なもので
あることがわかる。
そもそも「外来管理加算」とは昭和42年に再診回数の少ない疾患を扱うこと
の多い内科と、再診患者が多く再診料を何度も算定できる診療科との不均衡是正
のために設定された「内科加算」を受け継いで、平成4年に新設されたものであ
る。つまり、「薬の処方や診察をしたあとも一定期間は患者さんの状態について
責任を持って管理しますよ」という責任に対する報酬と言える。
今回の「5分ルール」とは、今までは再診すれば、ある意味「自動的に」算定
されていたこの外来管理加算に算定要件を付け、なるべく算定できないように制
限をかけたものである。
具体的には、医師が診療する際に、処置やリハビリなどを行わず「概ね5分超
の時間をかけて懇切丁寧に説明し診療した場合」に診療所および一般病床200
床未満の病院で算定できる、というものだ。この「5分」とは、患者さんが診察
室に入室してから退室するまでの時間であり、この時間には一貫して医師が行う
問診と身体診察、療養上の指導等は含まれるが、看護師による問診等の時間は含
まれない、とされている。
したがって、この外来管理加算を従来算定していた患者さんについて、今後も
同様に算定を確保しようとするなら、単純計算では1時間に12人以上診療でき
ないことになってしまう。例えば、実質1日6時間診療している診療所があった
として、仮に1日80件の外来管理加算算定があれば、不正請求したと見なされ
てしまう可能性があるわけだ。
このような内容から、本改定への反対意見は当初より多くの医師の間で叫ばれ
ていた。日本医師会により昨年11月に行われたアンケート調査においても現場
医師の約7割が本要件撤廃を求めているという。減収になるということも理由の
一つであるが、「概ね5分」を実際計るという手間、「5分=懇切丁寧な説明」
の根拠に対する疑問、待ち時間が長くなることによる患者さんの不利益など、現
場の実情を全く考慮していない改悪であるとの批判が多い。
毎年2200億円の社会保障費削減をしなければならない一方で、勤務医の病
院離れからくる地域医療の崩壊をなんとかしなければならない、という状況から、
この時間要件をつけることでその算定回数を減らす、つまり診療所の収入を減ら
し、その分を病院勤務医の待遇改善の財源にまわそう、というのが本改定の根拠
らしい。しかし、診療所の経営基盤も決して盤石ではない。実際、本改定により、
診療所の算定回数は前年比39.8%減じ、影響額は当初の厚労省の説明による
「240億円」の5倍近い「1100億円」にも上るとみられている。財源の
「選択と集中」などと言われているが、結局は医療費の上限はいじらず、「楽し
て儲けている開業医」VS「過酷で低賃金の勤務医」という対立構造を作り上げ、
当の医療者間でやりくりを強いるという、開業医にとっても勤務医にとっても極
めて不幸な、医療費削減政策堅持の施策と見られている。
一方、もしFPとして「医療費を節約しましょう」という視点で顧客にアドバイ
スをするなら、なんと言うであろうか?
経済には詳しくても、医療そのものに詳しくないFPであった場合、診療行為の
付加価値の対価としてこの外来管理加算をとらえ、「説明を聞く必要がない場合
は算定しないようにお願いしてみましょう」とか「診察日にはストップウォッチ
を持参して5分以内に診察室を出ましょう」などとアドバイスしてしまうことに
なると思われる。
今のところ医療機関にとっては誠に都合のよいことに、「医療の値段設定」の
複雑さから、従前の外来管理加算についてはもとより、改定された「5分ルール」
についても把握している患者さんなどおそらく一握りであろう。しかし、今後、
診療時間で値段が違うなどと多くの患者さんが知り始めたら、不要な説明など聞
かなければ時間もかからないし、しかも安上がりだなどと評判になってしまった
ら、どうなってしまうのであろうか?現場ではまっとうな医療行為などできなく
なってしまうだろう。仮にこの「5分ルール」が広く国民に知られることになっ
た場合にはどうなるであろうか?実際、昨年12月から今年1月に厚生労働省が
行った「外来管理加算の意義付けの見直しの影響調査」によれば、患者さんの6
割弱が「時間の目安は必要ない」と回答し「通院ごとの懇切丁寧な説明を全項目
希望」する患者さんも12.4%にとどまったとのことである。この調査結果を
見るに、今後もこの制度が続くのであれば、患者さんの医療に対するコスト意識
が高まってくるにつれて、丁寧な説明を自らの意思と判断によって拒否し、投薬
のみを希望するという「安く短時間」の医療を求める受療行動が増えてくること
も十分予想される。以前から、診察を受けると支払いが多くなり、薬の処方だけ
だと安くなると勘違いしている患者さんが結構いらしたが、本改定では実際それ
に近いことになってしまったわけである。もちろん医師法第20条では「無診療
投薬の禁止」となっているため、いわゆる「お薬受診」はできないことになって
はいるのだが、本改定が、特に生活習慣病のように定期的通院治療が必要とされ
る患者さんなどに対して「5分未満の顔見せお薬受診」を誘導することにもなり
かねない。
幸い今のところ現場では本加算算定についての大きなトラブルもなく、メディ
アも大きくこの件を取り上げないため、このような受療行動をとる患者さんはほ
とんどいないが、この現状は医療費に対する世間一般の無知に依存しているとい
う皮肉に他ならないのである。
そもそも「丁寧な診察と十分な説明を受け、計画的な医学管理のもと治療を受
ける」という患者さんの当然の権利に対して、診療の付加価値として加算する制
度自体に違和感を感じる。
別途に加算するのではなく、イニシャルコストとしての基本診療料に、丁寧な
問診、診察、療養上の注意点の指導など、ふつうわれわれが患者さんの診察時に
当たり前のように行っている行為の対価としての管理料を上乗せした額を「再診
料」として設定すべきであろうと考える。そうすれば、「顔見せお薬受診」にも
「丁寧な診察」にもかかる「料金」は同じとなり、「消費者」たる患者さんには、
ゆっくり医師の診察を受けて帰らないと「損」という認識をもってもらえること
になる。
患者さんがコスト面で診療を取捨選択し、自ら必要なサービスのみを要求する
ようになれば、いっとき多少医療費は減少するかもしれないが、健康管理や治療
は成立せず、挙げ句に病気が進行してしまえば、よっぽど多額な医療費がかかっ
てしまう。
長い目で見れば、結局「5分ルール」は医療費削減に寄与しないのではなかろ
うか?
政府は、「国民ひとりひとりの健康増進により生活習慣病を減らし医療費削減
をめざす」と言っていて、そのこと自体は誠にごもっともではあるが、厚労省の
行ってきた医療構造改革の流れをみると、その考え方は「病気になったのは、そ
の個人がさんざん不摂生をしてきたからだ」という「健康自己責任論」に集約さ
れているような気がしてならない。奇しくも先般、某首相が「たらたら飲んで、
食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と述べ
たと記憶しているが、これは単なる偶然なのだろうか?もちろん、何回指導して
も生活習慣が変えられず、一向に検査データが改善しない患者さんもおられるが、
個々の患者さんを取り巻く社会環境に目を向けることなく、ただ「自己責任」と
切り捨ててしまうのは、政府を代表する者の考え方として「いかがなものか」と
思ってしまう。自分の健康維持には自らの努力も重要であるが、そのための環境
整備は公的に保障されるべきだと思う。
衆院選を前に公表されている自民党の重点政策と民主党の医療政策(詳細版)
を比較してみてもわかるように、前者は「それぞれの立場に応じて自ら健康対策
を行うことが重要」との「健康自己責任論」が主体であり、後者は「保健師の採
用拡充や保健師と住民が連携した保健活動の推進」など、あくまで「公衆衛生行
政」を主体に健康管理を位置づけている。
この外来管理加算の時間要件についても、両党ともに現状についての問題点を
指摘してはいるが、民主党は「撤廃」と明言しているのに対し、自民党は「在り
方について検討」として両党のトーンには大きな違いがある。
いよいよ月末は総選挙だが、次期政権主導のもと、医者、患者さん双方のため
にこの診療報酬改定の見直しがなされることを望むとともに、医療現場に精通し、
お金と健康の両方に的確にアドバイスできる「医療系FP」が今後増えてくること
に期待したい。
著者紹介
1968年カナダ国オタワ生まれ。大学病院で一般消化器外科医として診療しつつ
クリニカルパスなど医療現場でのクオリティマネージメントにつき研究中、2004
年大学側の意向を受け退職。以後、「総合臨床医」として「年中無休クリニック」
を中心に地域医療に携わるかたわら、看護師向け書籍の監修など執筆活動を行う。
AFP認定者として医療現場でのミクロな視点から医療経済についても研究中。著
書に「医者とラーメン屋-『本当に満足できる病院』の新常識」(文芸社)。