医療ガバナンス学会 (2009年9月1日 06:52)
私が2006年3月東京地裁に「私の混合診療における保険受給権の地位確認」という内容
の訴状を提出して以来、見つめ、対峙してきた霞が関の官僚の隠されていた姿というものが、
最近の新型インフルエンザ対策騒動で顕わになってきたように思う。そして、がん患者で国を
訴えた行政裁判の原告である私は、そういう官僚に対し政治家としての本来の役割を果たす
べく孤軍奮闘する初めての大臣としての舛添厚労大臣を見ている。
本稿は、官僚の歪んだ考えに基づく一方的な情報によって、私の一審判決に対し控訴を決
めたと思われる舛添大臣に、私の訴訟の本質的な意味を明らかにし、保身と面子にこだわる
官僚の抵抗を排してでも、控訴を取り下げてもらうべく発表するものである。
2.新型インフルエンザ対策騒動に見る官僚の問題
(1)国民主権という哲学なき官僚の迷走
私は新型インフルエンザ対策などまったく専門外の一市民である。しかし、医師や公衆衛生
の専門家の発言は注視している。「4月28日、WHOは新型インフルエンザのパンデミック警報
レベルをフェーズ4に引き上げた。以降、厚労省は空港等で大規模な検疫を開始するととも
に都道府県や医療機関に多くの通知や事務連絡を驚異的なスピードで出し続けた。しかしそ
の指示は現場の実態と乖離していたため医療現場は大混乱に陥った。厚労省は医療現場の
箸の上げ下ろしまで指示しているが、その準備、実施のための物資、予算は出さなかった。
それは戦闘命令だけ出して食料も武器も補給せず、多くの兵を無駄死にさせた旧日本陸軍
の参謀本部を彷彿とさせる。厚労省に求められる役割とは現場の医師の判断を封じ込めるこ
とではなく、医療機関が新型インフルエンザに対応できるだけの予算・人員・物資を供給するこ
とである。国民への情報開示、伝達にも予算は必要である。さらに議論すべきことは厚労省
の隠蔽体質である。5月25日の参議院予算委員会で、民主党の議員が参考人として招致し
た現役検疫官の出席を厚労省の行政官が邪魔をするという常識では考えられないことが起こ
った。厚労省は国会が行政を監視するというシビリアン・コントロールを逸脱する組織となった。
自衛隊では決してありえないことであろう。このような医療行政の背後には、医系技官という
官僚の存在がある。わが国の医療行政は、医師が尊重すべき科学的正しさや良心ではなく、
官僚の面子や思惑にあまりにも翻弄されすぎている。このままでは今秋の再流行でまた同じ
ような迷走劇が繰り返される恐れがある。」(6月8日上昌広東大医科研准教授)
医系技官の問題は、同じ医系技官で昨年3月新設された厚労大臣政策室政策官の村重直子
氏がこう述べている。「医系技官は大卒後すぐ見学程度の研修で入省し、終身雇用を前提に
2年ごとに部署をローテーションする。どの分野にも素人で、法律もわからない。憲法感覚すら
ないから平気で人権侵害の政策を立案する。こういうかれらが厚労省内部で行政をリードして
いる。国民が非常に不幸だと思う。新型インフル騒動にしても、外国の情報を調べようともしな
いで、結果が使い物にならない調査の命令や朝令暮改の通知を乱発して医療機関を疲弊させ
ている。本末転倒で、何のために税金を使って対策をしているのかまったくわかっていない。国
民としては心底恐ろしい。」(8月27日ロハスメディカル)
(2)舛添厚労大臣による改革
村重直子氏が立ち上げに参画した大臣政策室(今年7月までは厚労省改革準備室)は、舛添
大臣の意向を受けて新設された厚労省改革の司令塔である。昨年、医師不足を厚労省に認
めさせた「検討会」の土屋委員(国立がんセンター中央病院長)らは官僚が選ぶ通例を破り、
大臣が選出したものである。今年7月には医系技官の指定ポストだった医政局長に事務官を
就任させた。これは前代未聞の人事で、幹部に与えた衝撃は計り知れないそうである。そして
8月の新型インフルエンザ再流行で、ワクチンの問題が議論されているが、舛添大臣がワク
チンに関するメーカーと医療機関の免責と無過失補償に言及したことは、特筆に値すると多く
の関係者が述べている。今まで官僚は薬害を恐れるあまりワクチンの副作用の問題をひた隠
しにしてきた。このためワクチンの訴訟リスクが高くなり、外国のワクチンメーカーにとって日
本は突出してリスクの高い国となった。これが日本におけるドラッグ・ラグ、ワクチン・ラグの主
な原因である。その意味で舛添大臣の発言は、ワクチンのメリットとリスクを冷静にオープンに
議論できる一歩となるのである。
3. 私のいわゆる「混合診療裁判」の控訴について
このような最近の舛添大臣の世論の後押しがあるとはいえ無人の野を行くがごとき果敢な
言動を見て、私は一審判決後、大臣が控訴を決めたのは、医系技官ら官僚が面子と思惑にこ
だわって一方的な情報を大臣に吹き込んだ結果ではないかという疑念を持った。
判決文をよく読むと、国は全面的に敗訴したわけではないことがわかる。私の主張は、私の
混合診療において保険診療への保険受給権の確認を求めるというものであり、判決は、保険
受給権を奪う法的根拠はなく、したがって受給権は認められるというものである。国の法的根
拠についての主張は全面的に退けられたが、混合診療の是非については別の問題であり、
それについては判断しないと明確に書いてある。国は混合診療については敗訴しているわけ
ではないのである。ところが大臣は控訴決定を発表したとき、「医療なら何でもいいというもので
はない。混合診療には反対の考えである」とコメントしている。明らかに私の訴訟を混合診療
の是非の問題と思い込んでいるところが見てとれる。多忙な大臣に誰が私の訴訟そして判決
をレクチャーしたかは歴然である。判決に対して冷静に向き合えば、国は控訴ではなく、混合
診療禁止が本当に正しいと信じるなら保険受給権を剥奪できるよう法的根拠を立法すべき
なのである。
第一、私の勝訴判決だけで混合診療が可能にならないことは官僚がよく知っているはずであ
る。「保険医療機関及び保険医療養担当規則」で混合診療は禁じられており、それに違反する
と医師・医療機関は保険指定が停止されるのである。
ではなぜ官僚は、それを承知の上で、判決を混合診療解禁容認と決めつけ、控訴へと国を
誘導したのであろうか。以前難病の患者団体がやむを得ぬ混合診療で併用する保険診療に
給付を認めてほしいと厚労省に陳情にいったとき、高官は混合診療を禁ずるという健康保険
法の第一義解釈権はわれわれにある、文句があるなら提訴しろといったそうである。ここに問
題は凝縮されている。わが国では、法律の解釈は立法府ではなく、官僚が行うのである。提訴
しろといった背景には、司法さえ官僚の解釈に従うという自信がある。わが国では議員は選挙
を向いて立法は官僚に任せてきたのである。立法の大半は行政立法である。したがって普通
の法治国家のような三権分立は、形はともかく実質はかなりいい加減である。むしろ共産国
家に近い強度の官治国家といっていい。官僚は法律に厳格に基づいて行政権を行使すると
いう面倒なことをしなくとも、自分たちで作った法律をできるだけ恣意的に解釈し、通知や通達
によって運用することで権力を揮うことができたのである。控訴へと駆け込んだ理由は、こ
のようなDNAを持つ医系技官ら官僚にとって判決は、かれらの面子をつぶす決して容認でき
ないものだったに違いないと思われるのである。しかし敗戦国の日本が先進国に効率的に追
いつくためには、それしかなかったともいえようが、時代は大きく変わったのである。変化に対
応できない旧態依然たる権力は国民の不幸でしかない。
転移がん患者である私が生存を賭けたLAK治療という保険外治療を受けただけで、保険料
をキチンと払った被保険者である私のインターフェロンなど保険診療に対する保険受給権を
簡単に奪うなどという非人道な権力行為をどうしたら思いつくのか不思議だったが、村重氏の
「医系技官は憲法感覚すらないから平気で人権侵害の政策を立案する」という指摘で納得で
きた。私は保険受給権剥奪という政策で、選んだ治療を阻害されるという生存権、等しく保険
料を支払った被保険者間の平等権、強制徴収された保険料の対価としての財産権という憲法
で保障された基本的人権を侵害されていると改めて指摘しておく。
舛添大臣に9月29日判決を迎える控訴審において、一刻も早く控訴を取り下げるよう勧告
する。大臣に控訴を訴えた官僚たちは、故意に一方的な情報を操作し、訴訟と判決の本質
を隠蔽して伝えたと思われるからである。それは自分たちの面子と思惑にとらわれたもので、
決して国民を思ってのものではない。エイズや肝炎など薬害の歴史が正直に物語っている通り
である。
清郷伸人ホームページ http://www.kongoshinryo.net