臨時 vol 60 「医療のIT化について考える」
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―代務医招聘および医療経済的な観点から―
久美愛厚生病院 産婦人科 野村麻実
■はじめに山あいの小さな町にある当院でも、とうとう時代の波に抗いきれず電子カルテ化への第一歩を踏み出した。オーダリングシステムの導入に向けて日々研修が行われている。断っておくが、筆者は、研修医としての在籍病院ですでに紙カルテからオーダリングに移行した世代である。その後病院を点々とする中で、様々な病院で電子カルテ導入への過渡期に勤務し続けてきた。大学院時代に多くの病院に代務に出向いた際も、すでに電子化されている病院が多く、コンピュータシステム化ということそのものにアレルギー反応を持っているわけではない。電子カルテ化による多くの功罪も体験してきている。最初は慣れなかった電子カルテ化も、慣れてみれば便利と思えることも少なからずあった。同時にシステムダウン時など不便を感じる場面も少なからずあった。しかし最近の医師不足や一般病院の4割超が赤字(福祉医療機構:『病医院の経営分析参考指標(07年度決算分)』)という状況の中では、オーダリング・電子カルテ化といったIT化一連の動きは好ましいものとは思えなくなってきた。そういった観点から医療のIT化の現状について私見を述べたい。■代務医招聘における問題点医療過疎化地域では常勤医の数が減りつつある。残された常勤医が少なくなればなるほど、日常業務の負担に加え、時間的・行動範囲の拘束が慢性的に続く状態となり、医師不足に拍車をかける悪循環は、指摘するまでもない。このような地域では代務医の招聘が出来るかどうかが、常勤医の士気や体力・精神的な支え、ひいては地域医療の存続の鍵となっている。ささやかな息抜きと休日がなければ、僻地での勤務は続けられない。ところが電子カルテやオーダリングは、この代務医招聘の観点からは好ましいことではないことに気づいた。現在、日本の多くの医療機関では、実に様々なコンピュータシステム会社によるそれぞれのオーダリング・電子カルテフォームを導入し、同じ「富士通」であっても病院ごと、値段ごとにシステムが違うといった有様である。比較的簡単な採血指示でさえ、代務の立場になってみれば、「調べたい」項目を探し出すのが大変で時間と手間がかかる。結果を見ることもおぼつかない。点滴指示ともなれば、筋肉注射なのか皮下注射なのかなどの投与方法をはじめ、時間当たりの滴下速度、何時から投与するのか、一日何度投与するのか、入力せねばならないことがたくさんあり、一体何が何だかわからない状態なのに、残念ながらこういったシステムは「入力しなければならない項目」のどれか一つでも抜けているとオーダーできないので、「何を入力していないのか」が判明するまで次の状態に進めない。そのうえ通常の場合、オーダリング作業は普段「医師」のみが行っている。看護師さんに尋ねても、「私達にはわかりません」との返答しかかえってこない。代務医が「専門医」として常勤医と同じ能力を持っていたとしても、常勤医の代わりにはまったくなりえない。かくして外来は行き詰まり、四苦八苦の末、大量の患者さんを待たせるという最悪の事態となる。また夜間の産科当直勤務のみであっても、産婦人科の場合は緊急帝王切開という一刻を争う状態が突発する。速やかにオーダーがかけられないのは致命的ですらある。■認識されていないIT化のストレスところが多くの病院では、常勤医が固定されてしまっているために、独自のコンピュータシステムの弊害が認識されていない。「常勤医さえ慣れてしまえばいい」という観点しか持っていないせいであろう。コンピュータシステムは、巨大な「ローカル院内ルール」であるという観点が病院経営者・運営者には必要なのではないだろうか。代務医招聘のためには、コンピュータシステムを説明でき、夜間緊急時であってもかわりに実行できる常勤医以外の誰かが必要なのである。当院では幸いこのような観点から、オーダリングは(今のところ産婦人科に限って)看護師による入力となっている。今後医療過疎地域では代務医招聘の観点から、IT化に際して考える必要もあるのではないかと考えている。■医療経済上のIT化問題ところで、病院の収益は「医師の指示」によって成り立っていることがようやく理解されてきた。もちろんコメディカルがいなければ院内業務は回らないが、診療報酬そのものは、外来であれ入院であれ、最初に「医師の指示」が必要なのである。つまり医師が単位時間に何人診ることができるかによって外来・入院収益は大きく変わる。入院・手術対象者も患者数に対して一定の割合でしか含まれていないから、よほど紹介率が高くない限り外来数に比例する。医師が数多くいてたくさんの外来患者を見ることが出来る恵まれた病院以外では、数多くの患者を、できるだけその医師の能力に見合った時間でたくさん診断して指示を出していく以外に、利益を生み出す方法はない。医師一人一人の稼働率が病院全体の収益を決めているのだ。しかし多くの病院ではコンピュータシステムによって逆の現象が起きている。オーダリングは医師が行わねばならないと規定され、採血から細菌培養、次回受診予定まで医師が入力する。本来の診察行為に長く時間を取ることは患者さんにとっていい医療となるだろうが、コンピュータの入力のために医師が時間を割くことは、あまり意味があることとは思えない。医療安全上、「医師の入力が必要」と言う人もいるだろう。しかし実際には、2008年の10月に徳島県で、新任のコンピュータ入力に慣れていない医師が「サクシゾン」処方のつもりで、筋弛緩剤「サクシン」を入力してしまったという事件も報告されているし、筆者自身も「バイアスピリン」を入力しようとして「バイアグラ」を入力していた笑えない事件もあった。(産婦人科患者にバイアグラはありえないと薬剤師からの連絡で事なきを得た。)手書きよりも簡単に間違った情報が入ってしまいやすいというコンピュータシステム自体の欠点についても、特に留意する必要がある。システムに慣れていたとしても、時間にせかされている状態では間違いはいつでも起こりうるのだ。誤投薬や誤指示は「誰が入力するか」よりも「二重チェック」や「三重チェック」という、まだるっこしいが確実な方法で行うより他にないだろう。アメリカでは所見のカルテ記載は、医師の口述を医療秘書が筆記なり入力する方式で行われている。日本の医師がコンピュータ相手に格闘している姿は、医療経済的にも非常に非効率的であるといわざるをえない。■終わりに2009年3月9日、日本経済新聞の社説に「レセプト完全電子化を後退させるな」という記事が掲載された。医療の電子化が、「請求事務の効率化や人件費の圧縮を通じ、国民医療費の増大を抑えるのに役立つ」とし、電子化が普及しない理由として「専用のコンピューターシステムを導入するための投資負担が重い、高齢の医師が経営する過疎地の診療所は電子請求の作業に十分に対応できない」とある。しかし人件費を減らせたとしても、医師が病名入力をしている病院では(総合病院の多くでは現在そのような運用が多い)却って医療収入は減少してしまう。また電子化したとしても、そのソフトやフォームが全国統一されているのであれば患者情報の受渡しで利点も感じられるだろうが、現在のところ上記のような状態で各病院同士での互換性はない。医療現場に負担ばかりが増えている状態は、2009年3月11日日本医師会の定例記者会見のとおりである。(http://dl.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20090311_1.pdf)厚生労働省は電子レセプトをなんとか普及させるために、「代行請求」の仕組みを構築すると共に、負担軽減策として、各医療施設に電子媒体への移行のために従事者を雇用してもらい「ふるさと雇用再生特別交付金」を交付する案を提唱しているという。(日本医事新報 2009年3月7日号 p32)残念ながら、現在の医療施設は度重なる診療報酬改悪のために、コンピュータ化できる余力も、余分の人件費を払うほどの体力もない。医療現場にはすでに他業種の雇用まで支えるほどの体力はないということを、まだ厚生労働省が自覚していないのは残念なことである。
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