最新記事一覧

Vol.189 国立国際医療センターにおける造影剤事件の判決を受けて研修医として考えること

医療ガバナンス学会 (2015年9月24日 06:00)


■ 関連タグ

この文章は2015年8月23日に「現代ビジネス」に掲載された「現役医師が考える 薬品誤投与で患者死亡 なぜ研修医だけが責任を取らねばならなかったのか(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44875)」に加筆したものです。

南相馬市立総合病院
山本佳奈

2015年9月24日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


禁錮1年、執行猶予3年。昨年の4月、国立国際医療研究センター病院にてウログラフィンを誤投与し女性を死亡させた後期研修医に判決が確定した。
亡くなった女性とそのご家族の方々のことを思うと心が痛む。亡くなった女性には心からご冥福をお祈りしたい。

しかし、業務上過失致死容疑で書類送検され、執行猶予付きの禁固刑を言い渡された研修医の気持ちを考えると、他人事とは思えずいたたまれなくなる。同じ研修医として、今回の医療事故について思ったこと、考えたことを書きたいと思う。

今回の医療事故は、日本屈指の臨床研修指定病院である国立国際医療研究センターで起きた。約460人の医師が働き、68億円の運営交付金(平成25年度)を受け取っている、我が国で最も恵まれた病院の一つだったことを特に強調したい。

そんなトップレベルの臨床研修病院で起きた医療事故において最も問題だと思うのは、起きた医療事故に対する対応だ。不思議なことに、院長や部長が責任追及されたという話は全く聞かない。造影剤を誤投与した研修医一人だけが刑事罰に問われた。医療事故を起こしたのは研修医なのだから、その責任は研修医が取りなさいということだった。

一般的に、臨床研修指定病院では中心静脈穿刺や髄液注射といった処置は研修医の仕事だ。他にもたくさんの処置を行う。最前線に立つのは研修医だ。常に執行役にならねばならざるを得ない。もちろん指導医のもとで行っているが、時に事故を起こしてしまう。そして、運が悪いと死亡事故に至ってしまう。

医師としての人生を35年としよう。いったい医師人生の中でどれくらいの割合で医療訴訟に合うのだろうか。平成25年度の医事関係訴訟事件(地裁)の診療科目別既済件数と平成24年12月31日現在の医師数によると、3.7人に1人の外科医、5.3人に1人の産婦人科医、9.7人に1人の内科医が医療訴訟に合うことになる。

これでは、医療訴訟の多い診療科に進む医師は減ってしまうだろう。私は産婦人医を目指している。けれども、5.3人に1人の産婦人科医が医療訴訟に合うという事実を知ってしまった今、少なからず悩んでしまうのは否めない。小松秀樹医師は著書「医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か」の中で、「医療は合理性の上に成立している。医療を求めるときだけ医師の合理性を認め、都合が悪くなると非合理で攻め立てるとなれば、医師はやってられない」と述べている。

では、どうすればいいのだろうか。私は、現場に即した議論をすべきだと思う。医療現場では事故は日常茶飯事だ。日本医療機能評価機構の発表によると、2014年の医療事故報告件数は3194件と、2005年の調査開始以降最高の件数だった。医療事故の内訳の一部を抜粋してみると、薬剤の静脈注射で死亡したのが4件、末梢静脈点滴で死亡したのが1件、中心静脈注射で障害残存の可能性が高いのが1件、内服で死亡したのが1件だった。

医師になってまだ5ヶ月しか経っていない私だが、ヒヤッとした経験をいくつか経験した。これは「ヒヤリハット」と呼ばれる。事故には至らなかったものの、適切な処理が行われないと事故になる可能性がある事象のことを指す「インシデント」と同義語だ。インシデントのごく一部が事故につながるのだ。

私が経験したヒヤリハットの一つに、薬の投与量の記載間違いがある。「mg」と書かねばならないところを、「g」と書いていた。単位を間違えただけだったが、このまま投与してしまっていたら取り返しのつかないことになっていたことは想像に難くない。幸いにも、薬剤師の方から投与量が違っているのではないかと忠告を受け、投与量を間違わずに済んだ。

薬を処方する患者さんを間違えそうになったこともある。この時は、自分自身で処方が正しいかを再度確認した際に気がつくことができたので、間違えた処方を出さずに済んだ。
さらに、患者さんを退院させる際、上司への報告がうまく出来なかったことが原因で現場を混乱させたこともある。この時も、幸いなことにチェック体制がちゃんと機能していたため、医療事故には至らずに済んだ。

医療事故の最大の特徴は、うっかりミスが死亡事故に直結してしまうことだ。インシデントで終わるか、死亡事故になるかは運の要素が強い。死亡事故を起こしてしまった研修医と私の間に本質的な差はないのだ。

では、飲酒やスピード違反といった原因の特定しやすい交通事故はどうだろうか。
警察庁交通局の「平成26年中の交通事故の発生状況」によると、飲酒という過失の有無における交通事故件数における死亡事故件数の割合は、飲酒有りが5.46%、飲酒無しが0.63%だった。次いで、速度違反における交通事故件数における死亡事故件数の割合を見てみると、危険認知速度が10km/時間以下だと0.14%、20km/時間超〜30km/時間だと0.40%、50km/時間超〜60km/時間だと4.29%だ。運転速度が上がるにつれて割合は高くなっている。

このように、飲酒やスピード違反が原因の交通事故は、過失の重大性と結果の重大性は比例している。うっかりミスが死亡事故に繋がってしまう医療事故とは、対照的だ。
「運転免許書を取得したとしても、車の運転に自信がなければ車の運転は別にしなくてもいい。少しずつ練習して運転に慣れていくことが可能だ。一方、医師免許は取得すれば、医師として働くことが求められる。研修医が手段を選ぶことは出来ない。常に最前線に立たざるを得ない。」と京都大学腫瘍生物学教授であり血液内科医でもある小川誠司氏は言う。まさに、医療事故と交通事故は対照的であることを述べていると言えるのではないだろうか。

そもそも、医療はいわば故障している状態の患者を対象としている。そのため、予測が非常に困難な状態のものを扱わざるを得ない。正常状態といえる機械を扱う航空機システムのような産業システムとは大きく異なっている。また、機械は操縦や操作をするのに必要な情報が最初から与えられているが、患者はほとんど情報のない状態から正しく判断するために必要な情報を収集しなければならない。だからこそ、機械を扱う産業システムと人間を扱う医療システムにすんなりと適応することは一筋縄ではいかないのだろう。

医療事故は日本だけが抱える問題ではない。世界中が抱える問題であり、医療事故を無くそうと悪戦苦闘してきた。
医療現場で働いているのはみな人間だ。そもそもミスは、医療現場に限ったものではない。新入社員ならば、どんな会社でも経験する。「To err is Human(過つのは人の常)」という諺がある。人間はミスを減らすように努力することは出来ても、ミスを犯さないということなどあり得ない。

だからこそ、多くの国は、人間は「間違える」という特性を持つということを前提として、誤りが被害につながらないような人間中心の医療システムを構築し、エラーを報告し分析することで医療の安全を高めようとしてきた。河野龍太郎氏も著書「医療におけるヒューマンエラー」の中で、「人間中心のシステム設計を実践すると、ヒューマンエラーが起こりにくいだけでなく、働きやすいので人間の本来持っている能力が十二分に発揮できるようになる」と述べている。

今我々に必要なのは、人は生老病死する生き物であることを受け入れること、そして医療事故が起きてしまった際の社会の信頼を得るための責任の取り方、及び医療事故の再発防止に関する具体的な議論なのではないだろうか。このような議論は、患者を守ることに繋がるだけでなく我々のような研修医にとっても有り難い。今こそ、国民的な議論がなされることを私は切に願いたい。

<参考文献>
医療崩壊 「立ち去り型サボタージュ」とは何か 小松秀樹 朝日新聞出版社
医療におけるヒューマンエラー  河野龍太郎  医学書院

<経歴>
山本佳奈
医師。滋賀県出身。私立四天王寺高校卒業。2015年3月滋賀医科大学卒業、医師免許取得。2015年4月より福島県の南相馬市立総合病院に勤務。

MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ