医療ガバナンス学会 (2015年10月15日 06:00)
星槎大学副学長
細田 満和子
2015年10月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
この夏はフランスの地方小都市ヴィシーを訪ね、ヘルス・ウェルネス・未病について思いを巡らす機会がありました。ヴィシーは、フランスのオーヴェルニュ地方、アリエ県に位置する町で、人口は25,000人です。オーヴェルニュ地方では第4位の人口の小都市で、パリからは電車で3時間の距離にあります。火山性の土地で温泉が湧いていて、16世紀から湯治場として栄え、ナポレオン3 世もここに通ったとのことで、その名を冠した公園や道がある、とても美しい町です。
ヴィシーの一番の特徴は、「Tourisme du Bien-être(ウェルビーイング観光) 」の町として意識的にこのコンセプトでまちづくりをして、それを世界に広めていることです。実際にここには、医師の処方による長期滞在型の温泉治療、美容目的のスパ、化粧品、温泉飲料など、具体的に健康と美を手に入れられるような様々な機会があります。こうしてヴィシーは世界的に「Sante健康」と「Beaute美」の町として知られているのです。
ただこれだけでは、ヴィシーに来るのは温泉治療の必要な高齢者や病気の方、あるいは健康と美容にお金をかけられる一握りの人たちになってしまいます。そこでヴィシーでは、若年層に向けても魅力あるまちづくりをしています。
例えばヴィシーは、語学研修やスポーツの町としても特色を出しています。1964年に、ヴィシー市長とクレルモンフェラン大学が共同でCavilam(カヴィラム)というフランス語を学ぶ学校を創設しました。それ以来、毎年4000人以上の学生が、130カ国―ブラジル、スイス、ドイツ、中国、日本など―から、この小さな町に集まっています。50年間でのべ125,000人以上の学生がこの地で学んできたとのことです。
ここではスポーツの複合施設も整えられています。自転車やジョギングのためのコースも、川沿いに作られています。毎年8月末から9月にかけては、水泳・自転車・競歩の「アイアンマン 鉄人」のレースが行われています。また、ロンドンオリンピックの際は、アメリカの水泳選手が試合前のプレキャンプでヴィシーに練習に来ていたとのことです。実際に、私が到着した日のヴィシーの駅では、この地に合宿に来ていた「スポーツ・エリート青少年団」の一行を見かけました。
◆治療としての温泉利用
ここでは、ヴィシーの温泉利用について紹介したいと思います。フランスのテルマリズム(温泉療法)の伝統的かつ直接的な治療は、原水の飲用ですが、その他にも温泉浴や水治療やマッサージもあります。宮殿のような立派なヴィシー市役所で情報を集めて、温泉浴、灌水、温泉飲用を見てきました。
<飲む温泉>
ヴィシーには30ヶ所を越える噴泉口があり、冷泉もありますが、60℃くらいある噴泉口もあります。利用法は温浴法、灌水もありますが、有名なのは、「温泉飲用」です。町の中に数か所ある施設では、誰でも無料で温泉水をもらえます。
最大の物は、スルス公園にあるアール・デ・スルスHalles des Sourcesと呼ばれる施設です。ここでは、噴泉口が展示され、温度や効能が記されています。また5種類の温泉水も提供されていて、医者の処方箋をもらえば、症状に応じてこれらの水を飲むことができます。それらは、「Célestins」(温度は24.2℃)、「Chomel」(43℃)、「Grande Grille」(39℃)、「Hôpital」(34℃)、「Lucas」(27℃)。例えば「Hôpital」という名の水は、炭酸ガスを多く含むため、少量で胃の蠕動運動が活発になり、消化器系の病気に効果があるとのことです。
この施設では、処方箋をもらっていない訪問者も、Célestinsという名の温泉水を飲むことができます。温泉水の蛇口のところに係の女の子(たいてい二人組)がいて、コップに水を入れて差し出してくれます。自分でペットボトルなど持参すれば、この係の女の子に入れてもらえます。寄付を受けつける缶があるので、そこに志を入れるようになっています。味を見てみたところ、炭酸で少し塩気のある水でした。
アリエ川沿いのケネディ公園にも、セレスタンの原水Source des Célestinsの噴泉口があります。1908年に造られた神殿のような白い建物の奥に、重炭酸塩を含む微炭酸水が湧き出ていて、ここでも自由に温泉を飲むことができます。
<温泉浴>
ヴィシーでは、医師の処方による長期滞在型の温泉療法も盛んです。「Themes de Vichy, Hotel Des Domes」や「Thermes Callou」といった施設では、保険診療で行う温泉療法や水治療や運動療法が行われており、同じ敷地内での宿泊もできます。保険診療で行うためには、21日(3週間)の治療滞在が標準で、5割から3割の自己負担で治療が受けられます。
主な対象疾患は、関節炎やリウマチに関連する痛み、肥満やメタボリック症候群や消化器です。これらの疾患に苦しむ患者は、かかりつけの医者を通して手続きを踏むと、上記の二つの施設で治療が受けられるのです。
「Les Célestins」というホテルは、保険診療は適用されませんが、短期間で効率の良い温泉療法を提供しています。ここの温泉は36度のぬるい温度で水着を着て入るので、日本の温泉とは異なった雰囲気です。お年寄りや病後の方、リハビリをしている方やマダムのような方まで、男女を問わず大勢でゆっくり静かにお湯につかっていました。
「Les Célestins」の壁には、「Bien-être en Evidence(エビデンスに基づいたウェルビーイング)」と大きく書いてありました。科学的根拠に基づいた温泉療法を追及しているのだという自負が伝わってきました。ある調査によれば、関節症患者の50%が温泉療法で「痛みが減少した」、「動きやすくなった」と答えたとのこと。また、3週間の運動、マッサージ、ダイエット食などの複合ケアのプログラムが、肥満解消に効果的だったことも示されているそうです。
◆ヴィシーの歴史
16世紀からすでにヴィシーは温泉保養地として栄えていました。17世紀には、社交界のスター、セヴィニエ侯爵夫人がヴィシーで湯治しました。彼女の重い病が回復に向かった様子を、ヴェルサイユの貴族や王族に伝え、その口コミ宣伝効果で、王族、皇室、セレブの間でもブームになったといいます。
19世紀になると産業革命の進展と共にヴィシーの街も発展し、再開発が行われます。鉄道が引かれ、オペラ劇場、カジノ、公園内のアーケードなど優雅なデザインの豪奢な建物が建てられました。
その後、第二次世界大戦中、ドイツ軍の占領下で1940年から44年までの4年間、ヴィシーはフランスの首都になりました。いわゆる親ドイツのヴィシー政権です。比較的パリに近く、もともと温泉地だったために、ホテルの収容人数が多く(その当時で、フランス国内2位の収容人数)、臨時の官庁や官舎を置くのに都合がよかったからだそうです。これはある意味でフランスの苦い過去で、戦後のフランスの歴代首相もヴィシー政権についての評価を微妙に変えています。ヴィシーでは戦争と市民というテーマについてもいろいろ考えさせられます。ただ、今回の訪問で、こうした歴史を踏まえての再生もヴィシーでは行われているように感じました。
◆日本への示唆―場所文化・ヘルスツーリズム・未病
ヴィシーを眺めて思うのは、自然の恵みの豊かな温泉、町のほとりを流れるアリエ川、美しい歴史的建造物など、この土地の自然や文化や歴史を核として、まちづくりもしているのだということ。街中にある伝統的な美しい建物は、外装は当時のまま残され、内部をリノベーションして店舗や住宅として使っていました。
借り物や真似ではなく、やはり、その「場所」に徹底的にこだわったまちづくりや観光が大切だと改めて思いました。町の郷土歴史家のような人たちが、ウォーキング・ガイド・ツアーを率いていて、ひとつひとつの建物の由来や歴史を紹介してくれましたが、町を誇りに思い愛している気持ちが伝わってきて、訪問者にとっても、ここが特別な町だと感じさせてくれました。ここに、「場所文化」の息づく現場を見たような気がしました。
観光という観点からヴィシーを見る際、スミスとプゾーのヘルスツーリズムの類型が参考になると考えられるので、下記に示します。この分類は、日本の温泉観光地を分析し、今後の可能性や方向性を検討する際にも利用できるのではないかと思いますが、ヴィシーは、ウェルネスと医療の間の幅広い領域で、外からの人々を受け入れる体制を作っていることが分かります。
http://expres.umin.jp/mric/mric_204hosoda.pdf
(Smith, Melanie, and Puczko, Laszlo,2009, p.7を参照し、筆者が翻訳・作成)
ところでこの表でよく出てくる「ウェルネスwellness」とはどのような概念や実践でしょうか。ウェブスターの辞書では、ウェルネスは、積極的に良い健康状態であることを追及する在り方と定義されています。これは、健康で安心で満足できる生活を指す「ウェルビーイングwell-being」と類似概念です。また、ヴィシーのスパの壁に刻まれた、科学的根拠に基づいて追及されると謳った「Bien-être」は、英語では「well-being」のことです。
近年「未病」というコンセプトが注目を浴び、例えば神奈川県では「未病」を元にした健康増進や生活様式の提案をしています。この「未病」も、「ウェルネス」や「ウェルビーイング」ととても近い考え方なのではないかと思います。「未病」概念は、世界の動向を視野に入れつつ、日本らしさを大切にした形で、より良い健康な状態を促すということで、地域住民や外からのお客様をお迎えするという、町づくりや広い意味での観光を考える際、鍵になるのではないかと思いました。
星槎大学は、箱根仙石原、湘南大磯、北海道芦別にキャンパスがあります。箱根と芦別は良質の温泉が湧いていて、湘南大磯は健康目的の海水浴の発祥の地です。それぞれの土地に深く刻まれた歴史があり、温泉や海水など水を利用した治療や健康増進も盛んに行われてきました。これらの場所はまさに、ヘルスツーリズム、健康観光事業が展開されるのに最適な場所なのではないかと思います。
そして、それぞれの町では、ヴィシーのように教育やスポーツ施設を充実させ、若い世代の交流人口を増やそうともしているようです。2004年に星槎大学建学の地となった芦別市、2013年から本部キャンパスになった箱根町は、本学を受け入れることで町の活性化に期待しています。大磯町も、大学だけでなく星槎グループの本部が置かれていて、中学生や高校生など若い世代も通っており、町民の方から町が明るくなったという声も聴いています。未病やスポーツといったテーマで、さらに地域にご協力させていただきたいと考えています。今後の展開が楽しみです。
【参考資料】
・Smith, Melanie, and Puczko, Laszlo,2009, Health and wellness Tourism, Elsevier, Hungary.
・フランス観光開発機構(アトゥー・フランス Atout France)
http://jp.rendezvousenfrance.com/ja/discover/69059