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臨時 vol 244 ドラッグラグの本当の理由:日本の薬の値段は高いのか?

医療ガバナンス学会 (2009年9月13日 12:34)


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東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム 社会連携研究部門
特任准教授
上 昌広
※本論文は村上龍氏が主宰するJMMにて配信されたものです。
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/title22_1.html

先月の配信では、グリベックという抗がん剤に関する患者の費用負担の問題を取り扱いました。その際にも書きましたが、この問題の本質は、財政上の理由から患者の自己負担割合をどんどん引き上げる一方で、その自己負担に限度額を設ける高額療養費還付制度には抜本的な手を入れてこなかった政治や行政の不作為にあると思われます。しかしながら、グリベックをはじめとする高額な薬が増えてきたことが、この高額療養費還付制度の問題点を顕在化させていることもまた事実です。果たして、日本の薬の値段はどのようにきめられているのでしょうか? そして、その値段は高すぎるのでしょうか?

【薬の開発はより専門的でニッチな領域へ】
高血圧や糖尿病をはじめとする多くのメジャーな疾病領域の薬は、「ほぼ開発し尽くされて、多くは既にある薬のマイナーチェンジ」という状況になってしまったと言っても過言ではありません。このため、薬の開発はどんどん、がんや難病などのより専門的でニッチな疾病領域へとシフトしています。先月の配信でも書きましたとおり、こうした領域は患者数も少なくあまり儲からないため、大手製薬企業は従来あまり関心を示してこなかったのですが、近年では大手もこうした領域に積極的に手を延ばさざるを得なくなってきました。その結果、グリベックをはじめとする効き目の鋭い革新的な薬が次々に生み出されています。

【薬の開発コストの上昇と値段の高い薬の誕生】
がんや難病などの疾病領域では、病気に関わる特定の分子を狙い撃ちすることによって病気を抑える「分子標的治療薬」が花形となっています。分子標的薬の候補物質の多くは自然界に存在するものではなく、高度な予測の下に合成されるものであり、近年ではバイオテクノロジーなどの最新技術を使って作りだされる抗体分子も多くなっています。
新薬完成までの難易度は飛躍的に高くなっており、開発の成功確率(一つの候補物質が新薬として承認される確率)は急速に低下し、開発に要する期間も伸び続けているとの報告があります。こうしたことを受けて、一つの新薬を開発するのに必要な平均コストはうなぎ上りになっており、10年前と比較すると4倍程度、5年前と比較しても1.5倍程度まで上昇しているようです。
その一方で、こうしたニッチな疾病領域は患者数が少なく、どれほど画期的な新薬でもそれほど数が売れるわけではありません。このため、製薬企業としては、こうした疾病領域の新薬についてはそれなりに高い値段がつけられないと開発コストが回収できないわけです。これはある程度やむを得ないことかもしれません。

【日本の薬の値段はどうやって決まるのか?】
ちなみに、我が国では、製薬企業が勝手に薬の値段を設定できるわけではありません。厚労省の機関である中央社会保険医療協議会(中医協)で、一種の「公定価格」として定められるのです。この公定価格(薬価)の決め方には、非常に複雑で細かなルールが定められていて、その全てを解説することはとてもできませんが、大ざっぱには、
1) 既によく似た薬(類似薬)が市場にある場合には、その類似薬の薬価
2) 類似薬がない場合には、その薬のコスト(製造原価、販管費、流通経費など)
のどちらかをベースにして、それに各種の調整を加えて決定されると言ってよいでしょう。この「調整」の過程では、海外(米・英・仏・独の4ヶ国)におけるその薬の価格と比べて、極端に高くなったり安くなったりしないような調整も行われますので、少なくとも当初の薬価が海外における価格の倍を超えたり半分を割り込んだりするのは、極めて例外的なケースだと言えます。

【日本では薬の値段は必ず下がっていく】
このようにして新しい薬の最初の薬価が定められるわけですが、その後この薬価は2年に一度(次回は2010年4月)、実際に医療機関や薬局がその薬を購入した価格を調査した実勢価格をベースにした見直しが行われます。これが薬価改定です。薬価改定の仕方にもさまざまなルールがあるわけですが、非常に特徴的なのが、「薬価は必ず引き下げられる」という点です。欧米では、医療機関や患者からの評価が高い薬は、徐々に値段が上がっていくのが普通なのですが、日本では購入側である医療機関等の価格交渉力が極めて強いこともあって、例外なく値段が下がっていきます。そして、近年の診療報酬の削減が医療機関の経営を圧迫し、薬を購入する際の値切り圧力をさらに強めていることは言うまでもありません。その結果、日本の新薬(特許期間内の薬)の価格は、平均するとOECD諸国の中で最も低い水準となってしまっているのが現状です。

【日本の医薬品市場はぬるま湯体質?】
その一方、日本の医薬品市場が欧米と比べて特殊なのは、新薬の特許が切れた後に他のメーカーから発売される、いわゆる後発品があまりにも普及していないことです。「後発品の品質(先発品との同等性)が必ずしも十分でない」「欧米では後発品の値段は先発品の2~4割程度なのに、日本では7割程度とあまりお得感がない」「そもそも国民性としてブランド志向が強いのではないか」など、さまざまな理由が挙げられていますが、全て当たっているのだろうと思います。
いずれにせよ、日本の市場では、新薬メーカーは特許が切れた後でも、それほど売り上げダウンを気にせずに済んだわけです。つまり、新薬メーカーにとっての日本市場とは、「特許期間内の値段がとても安いので、最初の段階ではあまりうまみはないけれど、特許が切れてもずるずると長く稼げる生ぬるい市場」なわけです。「次々に新薬を出して、その特許期間中に開発費用を回収しなければ経営が成り立たない」という強いインセンティブが働かないので、日本の中堅製薬企業の中には、長い間画期的な新薬を開発できていないにもかかわらず、順調にビジネスを継続しているところも数多くあります。

【ドラッグラグの本当の理由】
それでは、日本の大手製薬企業、あるいは外資系製薬企業は、日本市場でどのような行動を取るでしょうか。既に述べたとおり、近年薬の開発の成功確率はどんどん悪くなっています。「何としてでも早く発売して特許期間中に稼がなければ」という強いインセンティブがないのであれば、敢えて欧米と同時に開発に着手して失敗のリスクを負うよりも、「欧米で先に開発に着手して治験(実際に人に投与する試験)の成功まで確認してから、日本で開発を始めればいいや」と考えるのが普通でしょう。
日本での新薬の発売が欧米より大きく遅れてしまう、いわゆる「ドラッグラグ」の問題では、一般に、「日本の承認審査は時間がかかるから」「日本では臨床治験に積極的な医療機関が少なく治験に時間がかかるから」といった原因が挙げられることが多く、もちろんそれはそれで正しいわけですが、日本の薬価の仕組みや市場の特殊性に起因する「製薬企業の日本での開発着手の遅れ」も実は大きな原因の一つなのです。製薬企業の「日本での開発は後回し」の傾向は、何も外資系に限った話ではありません。日本最大、世界でも17位の製薬企業である武田薬品工業は、今年7月、研究開発の本部機能を日本から米国に移転してしまいました。このままでは、「日本の製薬会社が作った世界最新の薬を、日本の患者は使うことができない」といった皮肉な状況になりかねません。

【新しい薬価制度導入の必要性】
こうした状況を改善するためには、「日本市場において、新薬を中心とする製薬企業は次々に新薬を開発して市場に投入できなければ経営が成り立たない」という状態を作ることが重要です。それには、「特許期間中に開発コストが回収できるような新薬の薬価設定」というアメと、「特許が切れたら確実に後発品に置き換わる仕組み」というムチの両方で対応する必要があります。
こうした課題認識の下、現在、先にふれた厚労省の中医協で、「革新的な新薬の薬価は、後発品発売までの間は引き下げずに維持し、その後の後発品の発売に合わせてそれまで維持した分の薬価を一括して引き下げる」というメリハリの大きい新しい薬価の仕組みが検討されています。この仕組みの導入により、革新的な新薬を開発できる製薬企業は継続的に新薬を開発して発売することに血眼になるでしょうし、それができない製薬企業は一気に苦境に立たされることになります。吸収・合併などの業界再編が一気に加速されることも十分に考えられます。
ただ少なくとも、革新的新薬を待ち望む患者、ドラッグラグに苦しめられている患者にとっては、状況改善の糸口になる可能性を秘めた改革だろうと思われます。診療側、支払側といった立場を問わず大方の中医協委員が一定の理解を示す中、日本医師会代表の藤原、中川両委員だけは強硬な反対姿勢を崩しておらず、改革が進められるかどうかは正に正念場となっているようですが、今後の中医協の審議の行方を注意深く見守っていきたいと考えています。

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