医療ガバナンス学会 (2015年10月23日 06:00)
月刊集中9月末日発売号からの転載です。
井上法律事務所 弁護士
井上清成
2015年10月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
2.過誤の有無は問わない
誤った拡大解釈と運用の恐れの筆頭が、改正医療法にいう「医療事故」の定義である。医療過誤があれば必ず「医療事故」として今般の医療事故調査制度の対象となるとか、誤嚥や転倒・転落も原則として「医療事故」となる、などという俗説が存在しているらしい。医師法21条のかつての拡大解釈と同じレベルの俗説である。
既に厚生労働省の「医療事故調査制度の施行に係る検討会」(平成27年3月20日に取りまとめ)において、「医療事故の範囲」が図表のとおりに確定した。「予期しなかった死亡」と「医療に起因した死亡」の交わった部分だけが「制度の対象事案」たる「医療事故の範囲」である。しかも、念のために注意書きが付されているとおり、「過誤の有無は問わない」。
「過誤の有無は問わない」とは、「医療事故であっても医療過誤でない」ものがあると共に、「医療過誤であっても医療事故でない」ものもある、ということを意味している。特に、後者こそがキーであり重要なポイントであろう。
○医療事故の範囲
http://expres.umin.jp/mric/mric20151023.pdf
3.外科手術の例
ハイリスクで一般的に死亡の可能性の高い外科手術は、「医療事故」とされてしまう確率が高いのではないかと思いがちである。しかし、むしろ全く逆であろう。手順さえ踏んでいれば、外科手術こそ「医療事故」とはなりにくい。
ハイリスクで一般的に死亡の可能性の高い外科手術は幾多もあるが、きちんとインフォームドコンセントをして同意書を取得するか、「この患者は死亡することがある」ことを適切に診療録その他の記録に記載しておくならば、むしろ外科手術の術中術後の死亡は「予期していた死亡」と取り扱われるのである。つまり、「医療事故」とはされにくく、ハイリスクな診療科では多く同様な状況が生じるであろう。
このことは、たとえハイリスクな外科手術のどこかの箇所に「医療過誤」が混在していたとしても、何ら異なる結論にはならない。もともと「死亡」自体を「予期していた」のであるから、それがたとえ「過誤」によってもたらされたとしても、「予期していた死亡」であったことは全く同じだからである。
なお、念のために付け加えれば、たとえ「医療事故」ではなかったとしても「医療過誤」であったならば、今般の医療事故調査制度とは切り分けた上で、遺族に謝罪して損害賠償をするなどして誠実な対応をしなければならないのは当然のことであろう。
4.単純過誤の例
麻酔薬の10倍投与や造影剤の用法ミスによる誤投与のようないわゆる単純過誤による死亡であったとしても、場合によれば「予期していた死亡」として取り扱われることもありうる。
医療安全管理をきちんと行っていて、「誤投与」防止対策も適切になされてはいたが、そこには当該医療機関の体制(人・物・金などの医療資源の限界とその中での諸々のリスク管理の優先順位)からして、どうしても残されてしまった「誤投与」のリスクがあった。ただ、そのリスク幅もきちんと計っていた場合において、当該医療従事者も院内研修などを通じてその残されたリスクを知っていた時で、当該患者個人の臨床経過等を踏まえると、当該患者に対してその残されたリスクが発現して、誤投与による死亡に至ることもありうると思っていたケースであったとする。このようなケースでは、単純過誤の誤投与による死亡事例であったとしても、「予期していた死亡」となって「医療事故」ではないとの判断もありうるであろう。
つまり、日頃から医療安全管理を適切に行い続けている医療機関においては、たとえ単純過誤による死亡が生じたとしても、「予期していた死亡」と取り扱える場合もあるのである。そのような医療機関においては、当該単純過誤を契機に、今まで通りに、しかも、より一層の医療安全管理を進めればよい。敢えて特別に事故「調査」をする必要はなく、今までの医療安全活動をより一層頑張ればよいだけなのである。
もちろん、これとは逆に、日頃から医療安全管理を怠っている医療機関においては、単純過誤による死亡はまさに「予期しなかった死亡」であろう。だからこそ、これを契機に「医療事故」として適切に「調査」を行って、医療安全管理のあり方を見直していくべきなのである。