【輸入ワクチンのリスクを印象付ける「素案」】
厚生労働省が9月6日より僅か一週間の期間を区切って募集した、「新型インフルエンザ
ワクチン(A/H1N1)の接種について(素案)」に関するパブリックコメントが13日に締
め切られた。
この「素案」の記述について、疑問を感じた点がある。
「4.留意事項」の「(1)安全性の確認について」の「イ.輸入ワクチンの承認時の安
全性、有効性の確保について」の中で、輸入ワクチンに使用されている「アジュバント
」と「細胞培養による製造法」について「国内では使用経験のない」とし「国内製品よ
りも未知の要素が大きく、使用等に当たってはより慎重を期すべきとの懸念が専門家か
ら示されている」、としている部分だ。
これには注釈が加えられており、アジュバント使用については「一般的に、副反応の発
生する確率が高いことが指摘されている」、細胞培養については「製造に使用される細
胞に、がん原性は認められないものの、腫瘍原性があるとされており」と、一読すると
「輸入ワクチンには国産ワクチンより高い副作用リスクや腫瘍発生リスクがある」と読
めるような記述がある。
私は、ここで記述されているリスクは、科学・医学という学問レベルでは指摘のあると
ころかもしれないが、実際の医療におけるワクチン接種の是非を判断する際に、文字通
り「リスク」として評価すべき事柄かどうか、疑問を感じている。
少なくても、具体的な「副作用発生が高まる頻度」や「腫瘍発生の可能性」について説
明がないのだから、判断のしようがない。
パブリックコメントは、広く意見を募るためのものであり、様々な立場の国民が意見を
寄せることを念頭においている。
であればこそ、判断に資するための情報は具体的に示すべきであり、「リスク」という
印象だけを与えることは、パブリックコメントを募集する上では適切ではないだろう。
【意見交換会でも指摘された不適切な情報開示】
素案の開示後の9日に開かれた「新型インフルエンザワクチンに関する意見交換会につ
いて」において、岩田健太郎神戸大学大学院教授が「国内生産のワクチンが安全で国外
ワクチンは危険という前提で文章が書かれているけれど、国内だから安全ということは
ない。アジュバントが入っているということが書かれているけれど、アジュバントを入
れた方が本質的に危険というデータは今までの所ない。アジュバントを入れた方が抗体
ができやすいという見方だってある。それから細胞培養は危険だというのも、非常に安
全な季節性のワクチンでも時々は卵アレルギーによるアナフィラキシーが起きることは
あるのだから、細胞培養の場合はそういうリスクはないわけで、良い面と悪い面の両方
を出すのが情報公開の原則。それをせずに輸入ワクチンが危険だとあおるのは不当だ」
と指摘し、田代眞人国立感染症研究所インフルエンザウイルス研究センター長も「それ
がワクチンの安全性に関係するかはともかく、国民にそういった情報は公開されてきて
いない。情報公開のあり方を評価する意見が多かったが、私は公開はよくなかったと考
えている」と発言している。
二人ともこの間の厚生労働省の情報公開のあり方に苦言を呈しているのだから、パブコ
メ募集期間中に「素案」に文言を書き加えることはできないにせよ、寄せられる意見を
より有意義なものにするためにも、厚生労働省は情報を追加して開示するべきであった
。
輸入ワクチンについてリスクを生じる「可能性」の有無だけに言及し、その「程度」に
ついて何ら触れていないことも、田代氏の指摘する「国民にそういった情報は公開され
てきていない」に該当するであろう。
今回、導入が検討されている輸入ワクチンの一つは、そのアジュバントを用いた季節性
インフルエンザワクチンが既に臨床試験で16000例、医療の現場では4000万接種以上の
実績を有しているのだから、その実績と副作用発生状況を公開することができるであろ
うし、細胞培養による危険性も、理論上の数値で構わないので「おおよそ何分の一の確
率で腫瘍を生じることが予測される」等の情報を提供することができるはず。
少なくても、専門家の指摘により当該文章を付記したのだから、その専門家が示した根
拠を明かすことはできる。
逆にそのような情報が提供できないのであれば「根拠となるデータは無い」と情報公開
すればよいし、むしろそのような指摘を素案に盛り込むべきでは無いだろう。
岩田教授が指摘する輸入ワクチンのメリットと思われる情報とあわせて公開することで
、多くの国民がより適切に判断する材料となるし、そのような情報を厚生労働省は提供
しなければならない。
何より、コメントを求める相手に対し、「リスクが高まる」「リスクが指摘されている
」とだけ伝え、その具体的な内容を根拠とともに示さなければ、いたずらに不安を煽る
だけであり、結果として「危険という印象」により判断を狂わされてしまう危険性があ
る。
【論理上のリスク強調が、実際の医療を阻害する】
私が今回の「素案」の記述に拘るのは、細菌性髄膜炎から子どもたちを守るワクチンの
一つ、「ヒブ(Hib)ワクチン」におけるTSE伝播リスクにおいて、その情報提供のあり
方に疑問を抱いていることに由来する。
ヒブワクチンについては理論上のTSE伝播のリスクが指摘されたことにより、「伝播リ
スクがある旨」が注意喚起されている。
その注意書きに触れることにより、「TSE伝播が怖いからヒブワクチンは接種しない」
と判断する保護者や「TSE伝播のリスクがあるのだから、定期接種化は時期尚早」との
立場をとる地方議員も少なくない。
ヒブによる細菌性髄膜炎の罹患リスクは5歳未満人口10万人当たり約9名、うち5%程度
が死亡し、0~25%程度が後遺症を負うと、実際の発症数を基に推計されている。
一方、ヒブワクチンによるTSE伝播は、全世界で1億接種以上の実績を有しながら一例も
確認されておらず、理論上も「このワクチンによる伝達性海綿状脳症のリスクは100億
分の1と計算され、毎年100万人に接種した場合1万年に1人発生するかもし
れないという
程度のリスクである(神谷齊三重県予防接種センター長/独立行政法人国立病院機構三
重病院名誉院長)」とされている。
要は、論理上のTSE伝播リスクとヒブ髄膜炎に罹患し死亡若しくは後遺症を負うリスク
は、まさしく「桁違い」のリスクと見積もられているのだ。
ヒブ髄膜炎を予防するという「医療」にワクチン接種を適応するか否かの判断を行う上
では、TSE伝播リスクはあまりにも「桁の違いすぎるリスク」なのだが、しかしながら
、科学・医学上の「リスクがある」という情報だけを提示してしまっているため、接種
を希望する保護者たちはその程度や根拠となるデータ等の情報にあたる機会がないばか
りか、そのワクチンにより防げる疾病に罹患するリスクとの比較を適切に行なえず、「
論理」上のリスクを必要以上に怖がり、「医療」上の判断を誤る実例を生じている。
【国民に適切な情報公開を】
「素案」が新型インフルエンザワクチンの接種というリスクマネジメントについて示し
たものである以上、パブリックコメントを求めるに当り、その前提となるリスク評価に
ついては適切な情報が提供されなければならない。
「リスクが指摘される」という「定性」の情報だけではなく、どの程度という「定量」
の情報が無ければ、適切なマネジメントを成し得ない。
そのことを重々知り尽くしている厚生官僚や意見を述べられた専門家の方々が練り上げ
た「素案」だからこそ、その記述に疑問を抱かざるを得ない(蛇足ですが、医学や科学
の専門ではない小生にとって、「がん原性は認められないものの、腫瘍原性があるとさ
れており…」のくだりで指摘される危険性はうまく理解できません)。
「脱官僚」を掲げる民主党政権には、しばし「アリバイ作り」と揶揄されるの旧来のパ
ブリックコメントの在り方を、適切な情報公開による国民的議論・合意形成と意見募集
としての真の意味でのパブリックコメントに転換してほしい。