医療ガバナンス学会 (2009年9月26日 09:03)
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「DHMO」と呼ばれる化学物質があり、その化合物の主な性質は次の通り。
・重篤な熱傷の原因となりうる。
・多くの素材の腐食を進行させる。
・末期がん患者の悪性腫瘍から検出される。
しかし、その危険性に反してDHMOは身の回りで用いられている。一例として
・工業用の溶媒、冷却材として用いられる
・原子力発電所で用いられる
・発泡スチロールの製造に用いられる
・防虫剤に用いられる。洗浄した後もDHMOは農作物に残留している。
・各種のジャンク・フードや、その他の食品に添加されている。
このDHMOという化合物の、家庭内での使用を禁止する法的規制を実施すべきか。
Yes / No
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ここまでお読みになり、この話の「結末」が見えた方はいらっしゃいますでしょうか。殆どの方は「結末」に気づかれないと思います。私も気づきませんでした。
結末:
DHMOは、Dihydrogen Monoxideの略。すなわち、「一酸化二水素」のことでした。要するに水(H2O)のことですね。
実はこれ、米国の有名なジョークで、90年に考案され、97年に中学生による調査によって米国で有名になったそうです(wikipediaより)。極端な環境保護運動などを揶揄するときなどに使われるそうです。
このジョークが示している教訓は、「事実だけを述べたとしても、表現方法によっては聞き手を誤ったほうに誘導することが出来る」ということでしょうか。
~世間の関心を集める、新型インフルエンザとワクチン~
さて、ここからが本題です。
最近、新型インフルエンザに対する世間の注目が高まっています。特に、ワクチンに関する事柄(たとえば、いつから接種できるのか、費用はどれくらいか、ワクチンの副作用は、ワクチンの効果は、など)が9月中の関心事であったように感じます。確かに、ワクチンは予防の手段の1つですので、私もワクチン接種に関心があります。
~厚労省による、ワクチン接種へのパブコメ募集~
さて、そのような中、対策に取り組んでいる厚生労働省がワクチンに関しての「パブリックコメント」を募集していました。
パブリックコメント(以下、パブコメ)とは、
「行政が何らかの規則を制定し、または事業を行う際に、国民から広く意見を募り、集まった意見を規制や事業に反映させ、より良い行政サービスを実施する仕組み」
のことです。
大まかな手順としては、
1. まず行政が実施しようとしていることに関して、行政自らが素案を提示します。
2. 提示された素案を読み、素案に対して意見がある国民は、意見をパブコメとして行政に送ります(送付する期間や送付方法は行政から事前に提示されます)。
3. 締め切り後、集まったパブコメを行政が読み、素案の修正などを行います。
つまり、パブコメを送る際には、素案が極めて重要なものとなってきます。当然ですが、素案とまったく関係のないことを書いても意味がありません(たとえば、ワクチン接種に関するパブコメで「年金記録問題に不満がある」「ダム工事凍結に賛成」などと書く、など)。
素案を読んで、素案に対して意見を書くのがパブコメの目的・方法と言えるでしょう。
~提示された「不可解な」素案~
さて、その重要な素案を読んでみました。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1030&btnDownload=yes&hdnSeqno=0000056355
すると、気になる点を見つけました。
6ページ
4.留意事項
(1)安全性の確認について
イ.輸入ワクチンの承認時の安全性、有効性の確保について
には以下のように書かれています(一部を抜粋)。
(前略)
輸入ワクチンについては、
1 現時点では国内外での使用経験・実績(臨床試験を除く。)がないこと
2 国内では使用経験のないアジュバント(免疫補助剤)(*)が使用されていること
3 国内では使用経験のない細胞株を用いた細胞培養(*)による製造法が用いられているものがあること
4 投与経路が筋肉内であること
5 小児に対しては容量が異なること
など、国内ワクチンとは異なる。有効性については、ある程度期待されると判断される。一方、わが国で大規模に接種した場合の安全性に関しては、国内製品よりも未知の要素が大きく、その使用等に当たっては、より慎重を期すべきとの懸念も専門家から示されている。
* アジュバント(免疫補助剤):ワクチンと混合して投与することにより、目的とする免疫応答を増強する物質。これにより、同じワクチン量でもより多くの者への接種が可能となる。一般的に、副反応の発生する確率が高いことが指摘されている
* 細胞培養:ワクチンの製造方法の一種。鶏卵による培養よりも、生産効率は高いとされるが、インフルエンザワクチンではこれまで世界で広く使用されるには至っていない。また、一部の海外のワクチンについては、製造に使用される細胞に、がん原性は認められないものの、腫瘍原性があるとされており、使用等にあたっては、特に慎重を期すべきとの懸念も専門家から示されている。
(以下略)
この部分を読むと、「輸入ワクチンは極めて危険で、おまけに効くかどうかも分からない。」という印象を受けます。しかし、立ち止まって一文ずつよく読んでみると、不思議な点がいくつか見当たります。
>1 現時点では国内外での使用経験・実績(臨床試験を除く。)がないこと
これは輸入ワクチンに限ったことではなく、国産ワクチンも同様に現時点では使用経験・実績がありません(何せ「新型」インフルエンザのワクチンですので「使用経験・実績」が存在するはずがありません)。しかし、同素案の国産ワクチンに関する部分には同様の記述は出てきません。つまり「国内ワクチンとは異なる」わけではないので記述自体は誤りであると考えられます。
>2 国内では使用経験のないアジュバント(免疫補助剤)(*)が使用されていること
なお、ご丁寧にアジュバントに注まで付いていて、注では
>一般的に、副反応の発生する確率が高いことが指摘されている
と言っています。
さて、立ち止まってじっくり読んでみましょう。
>2 国内では使用経験のないアジュバント(免疫補助剤)(*)が使用されていること
この文は、「輸入する特定のワクチンに添加されている、特定のアジュバントに対しての安全面での懸念」、と解釈されます。
それに対して
>一般的に、副反応の発生する確率が高いことが指摘されている
こっちは、「一般的に」とあるように、アジュバントという添加物の一般的な性質に関して、「誰か」が指摘した、と解釈できます。
しかし、「一般的に」に注意して読まないと、この注が「今回輸入するワクチンに入っているアジュバントは副作用が出やすい」という風に読めてしまう恐れがあります。斜め読みは危険ですね。
例)
Aさんはドイツ人(*)です。
* ドイツ人:ドイツ人は一般的にまじめで職人気質の人が多い。
質問:Aさんはまじめで職人気質な人ですか?
さて、ここからは記載内容に関して見ていきます。
確かに国産ワクチンにはアジュバントが使われていません。その意味では記述自体は「正しい」でしょう。しかし、国内で使用されていないからといって安全性に問題がある、と言えるのでしょうか。なお諸外国では同じアジュバントが添加されたワクチンの大規模な治験が既に行われていて、安全性が確認されています。
「国内で使われていない」添加物だから危険、と言いたいのならば危険性の根拠を提示すべきであり、もし提示できないのであれば、単なる非関税障壁ではないでしょうか。
根拠を提示せず「国内にないものは危険だから輸入しない」、という主張が通るのであれば、コカコーラやハーゲンダッツ(これらの食べ物は日本には元々なかったものです)を外国から最初に輸入した会社は「テロリスト」と言えるでしょう。私はよく食べていますが、現在これらの食品による健康被害は(私に限れば)発生していません。
>3 国内では使用経験のない細胞株を用いた細胞培養(*)による製造法が用いられているものがあること
こちらにも、丁寧に注が付いていて
>また、一部の海外のワクチンについては、製造に使用される細胞に、がん原性は認められないものの、腫瘍原性があるとされており、使用等にあたっては、特に慎重を期すべきとの懸念も専門家から示されている。
これだけ見ると、細胞培養で作られたワクチンは非常に恐ろしいものに感じられます。
しかし、先ほどの例と同じく、注の「腫瘍原性」は「一部のワクチン」で確認されたものです。これも斜め読みすると間違えやすいですね。
例)
Bさんはお医者さん(*)です。
* お医者さん:今日の新聞に、ある医者の犯罪が記事に載っていました。
質問:Bさんは犯罪者ですか?
ここからは内容を見ていきます。
文中に出てきた、「細胞培養」とは何でしょうか。
グーグル先生で調べてみましたところ、細胞培養によるワクチンとは
遺伝子組換え(簡単に言うと、設計図の「改造」)を行った動物由来の細胞により、抗原(たとえて言うなら「練習用の標的」)を作る製法により製造されたワクチン
を指すそうです。
もし、この製法が「危険」と言うのであれば、同様の製法を用いて製造されるインシュリン(現在では、インシュリンは遺伝子を組み替えた大腸菌に作ってもらっています)も危険であると言えるでしょう。この記述にも根拠の提示が必要なのではないでしょうか。懸念を示した「専門家」に根拠を聞きに行けば教えてもらえるのでしょうか。
~素案をもとにしたパブコメの結果~
さて、このように不可思議な点が素案中にはいくつか出てきました。このような「不思議」な素案を元にパブコメを募集しているわけです。
さて、どのような意見が寄せられたか気になるところですが、厚労省による集計結果が出ていました(新型インフルエンザワクチンに関する意見交換会で資料配布)。それを見てみますと
・輸入ワクチンの安全が不明確
・子どもには国産ワクチンを接種してほしい
・ワクチン輸入に反対
という意見があったそうです。これらの意見が寄せられたのは当然です。なぜなら素案に「輸入ワクチンは怖いですよ」と書いてあるのですから。
~要望~
その1:意見を言うときは根拠を出す
私は、「輸入ワクチンは安全ですよ」と言うつもりは全くありません。また、輸入ワクチンが安全か危険か私には分かりません。ただ、「危険ですよ」と言うのであれば根拠を示すべきである、と考えます(もちろん?安全ですよ?と言う際にも同様に根拠が必要だと考えます)。
その2:判断材料ください
国産・輸入問わず、ワクチンには副作用が一定の確率で発生してしまいます。つまりワクチンはノーリスクな予防法ではないわけです。リスクが少しでもあるのであれば、ワクチンによるリスクとベネフィットを比較考量するために、
・ワクチンによる予防効果
・ワクチンの副作用とその頻度
・新型インフルエンザ自体の危険性
これらの情報が提示されなければ、ワクチンを打つべきか打たざるべきか考えることは出来ません(たとえば、仮に新型インフルエンザ自体の致死率が極めて低いのであれば、ワクチン接種は不要で、感染したらただ家で寝てれば良いわけです)。
それらの情報を素案中に提示することなく、根拠を示さず「輸入ワクチンは危険ですよ」と書いて国民から意見を求める。これでは、悪徳商法となんら変わらないのではないでしょうか。
その3:厚生労働省の任務
厚生労働省は、「国民生活の保障」に寄与するため「公衆衛生の向上及び増進」を図ることを任務とする(厚生労働省設置法より引用)そうです。そうであれば、考える際に必要な情報を素案中で開示した上でパブコメを求めたほうが、任務をより円滑に遂行できると私は思いますが、如何でしょうか。
その4:医系技官の役割
医系技官(医師免許をもつ、医学・医療に関する専門的能力を背景とした技術系行政官。医系技官の募集ページより引用)の募集ページには以下のように書かれています
http://www.mhlw.go.jp/general/saiyo/kyokucho.html
(前略)
私たち医系技官も、そのような臨床医と同様に、皆様の人生すなわち我が国の未来に対峙し、 科学的根拠に基づき長期的かつ総合的な観点から、より良い未来を創ろうと様々な施策立案等に力を注いでいます。
(後略)
このワクチン接種の素案を書いたのが医系技官の職員の方なのか、それ以外の職種の職員の方なのかは不明ですが、医学教育を受けた専門職の行政官として科学的根拠に基づいた素案を書くべき、もしくは別の職種の方が書いたのであれば、専門職の職員として素案の文面の訂正を行うべきだったのではないでしょうか。
~おまけ~
最後に、おまけとして、1つのジョークを紹介します。
DHMOと似た話で、「パンは危険な食べ物」という話があるそうです。
米国での統計調査の結果により、以下の事実が判明した。
・犯罪者の98%はパンを食べている。
・パンを日常的に食べて育った子供の約半数は、テストが平均点以下である。
・暴力的犯罪の90%は、パンを食べてから24時間以内に起きている。
・パンは中毒症状を引き起こす。被験者に最初はパンと水を与え、後に水だけを与える実験をすると、2日もしないうちにパンを異常にほしがる。
・新生児にパンを与えると、のどをつまらせて苦しがる。
・18世紀、どの家も各自でパンを焼いていた頃、平均寿命は50歳だった。
・パンを食べるアメリカ人のほとんどは、重大な科学的事実と無意味な統計の区別がつかない。