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Vol.066 ひらた中央病院の東日本大震災後の取り組み(2) ~内部被ばく検査を開始したわけ~

医療ガバナンス学会 (2016年3月12日 06:00)


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医療法人誠励会 ひらた中央病院
事務長 二瓶正彦

2016年3月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

今回は、当院がなぜ他の病院に先立ち内部被ばく検査器(ホールボディーカウンター:WBC)を導入し、どのように検査を行ってきたか。その取り組みを紹介したいと思います。

震災直後、我々の病院では双葉郡の高齢者171名を受け入れました。
(ひらた中央病院の東日本大震災後の取り組み(1)参照: http://medg.jp/mt/?p=6313)

職員の懸命の働きやボランテイアの方々の協力もあり、避難者の方々は2ヶ月後には何とか落ちついた生活を取り戻しつつありました。2011年5月には避難した高齢者の家族の方々も、当院に避難して入院していることを知ったのでしょう、見舞いに訪れるようになりました。見舞いに訪れた家族は、久しぶりの再会に抱き合って「すぐに迎えに来なくでごめんね」、そして手を握ったままずっと「みんな元気だから心配しないで」「またみんなで会いにくるからね」と話したりとお互いが無事だったことを喜びあっていました。

避難先から見舞いに訪れた家族と避難の状況を話していると、一様に内部被ばくが心配という話を聞くようになりました。家族と再会した喜びがある一方で、「私たちはいつ検査をしてもらえるのかわかりません。」、一緒に見舞いに訪れた子供を考えると「今後、子どもに放射線の影響あるのかどうかわからないのが心配でなりません。」と涙ながらに訴えてくる家族が多かったのです。

2011年6月からは千葉県の放射線医学総合研究所と茨城県の日本原子力開発機構でホールボディカンターによる内部被ばく検査が計画的避難区域や双葉郡の子どもや妊婦を抽出して検査が始まっていました。しかしそれ以外の区域の方々が検査を受ける方法はその当時無く、何とかしなければいけないと感じました。

理事長に避難者の困惑した状況を報告すると、すぐに「内部被ばく検査できる体制を作るように」と指示があり、6月に我々は動き出しはじめました。この当時、県内にWBCは数台ありましたが機器自体が放射能に汚染されたいたため検査できる機関がありませんでした。幸い我々は、避難者を受け入れしたことで県民の要望を直接聞くことができ、検査体制を早く作れるよう動き始めることが出来たのです。

自分たちは避難せず双葉郡の高齢者に対応していた職員、そしてその家族のためにも、当院で内部被ばく検査ができる体制を何としても作らなければいけないと必死でした。最初は血液検査や尿検査でできないかと思い調べていましたが、体内に存在する放射性物質を体外から測定できる機器(WBC)があることを知りました。立ったまま2分間測定する機器と4分間座って機器があり、測定の精度などその当時は分かりません、私たちは立ったまま測定する機器の方が一人でも多くの県民を測定できるのではないかと思い、立ったまま測定する機器(現在のファストスキャン)を選びました。もちろん費用の問題はありました。しかし、避難者を受け入れた分、診療報酬請求が認められました。理事長は地元出身で常に住民のためにできることは何かと考えていました。その診療報酬を県民のために使うと決めておられ、決断は非常に早かったのです。

双葉郡の高齢者を受け入れた時も大変でしたが、WBC検査を開始してからも想像超えて大変なことが続きました。購入決断から3ヶ月後の9月には機器が届き、子供を優先して検査するために18歳以下は検査費用を無料で10月17日から検査が始まりました。本来であれば福島県から補助を受けて県民からは費用をいただかないようにすべきでしたが、1日でも早くWBC検査を開始したかったので補助の申請を度外視しました。地元新聞、テレビ放送があり、毎日予約の電話が朝から夕まで鳴りっぱなしでした。毎日500件以上の電話が入り、当初は3名で対応していましたが、電話対応だけでも手が回らず、一時は7名で対応した時もありました。対応した職員は「みなさん、早く検査して欲しい一心です。

内部被ばく検査ができることになって良かった」と声を枯らしながら検査開始を楽しみ待っていました。双葉郡の住民を優先して検査を始めると県内の各自治体からも検査をして欲しいとの連絡が入り、すべて希望に応えるため、翌年の2012年5月まで週末も休みなく検査を続けました。福島県内59市町村の中で、当院と協定を締結した市町村は29、県外も4つの自治体が住民全員を対象に検査を始めました。週末も関係なく、日曜日の多い時には200名を超える方を検査した日もありました。スタッフも職種関係なく、受付・案内係り・検査をローテーションで行いました。あの時は県民のためにWBC検査をしなければいけないと休まず検査を続けました。不平は出ませんでした。とある避難者は当院で初めてご飯を食べた時に泣きながら、「よかった、温かいご飯をもう食べられないと思っていた。」と言っていました。多くの方々は命がけで当院に避難し、見舞いに訪れる家族もこの先どうなってしまうか不安だらけで何をしていいのか全くわからないような状況でした。そんな避難生活をスタッフも肌で感じていたからだと思います。

私たちは知識のない中での検査を開始したため、県民からの質問にどう答えればいいのかわからず、孤軍奮闘していました。ある自治体からは、検査を受けた住民全員にWBC検査を受けた当日に結果を説明してほしいと希望があり、放射線技師をはじめ4名体制で、WBC検査室になるべく近い診察室・当直室・相談室のうち、その日空いている部屋でWBC結果を説明したこともあります。残念ながら、一部の県民からは「あなたたちは東電の回し者か、民間の病院がこんなに早く機器を入れて検査できるはずがない」「検査して問題ないと言うだけだろう」と寂しい電話が入ったこともありました。多くの県民にはストレスがたまり、物事を冷静に判断することができない状況だったのだろうと思います。

夜中までWBC検査をするようになったきっかけは除染作業員の検査のためでした。WBC検査が開始から1ヶ月が経った2011年11月には除染のため、各ゼネコンの先行部隊がWBC検査をしないと除染現場に入れないとのことで当院に依頼が入りました。それも1,000人単位でした。その当時、子どもたちや双葉郡の避難を余儀なくされた住民を優先して検査をしていたので、最初は断るしかないと思っていましたが、除染も進まなければ福島の復興・帰還も遅れてしまいます。全体会議で職員からは「週末も休まずWBC検査のために出勤しているのに、これ以上どうやって受け入れするんですか?」との質問もありました。でも、日中は子どもたちの検査、夕方以降は除染作業員の検査を開始しました。夜10時すぎまで除染作業員の検査をした日もあり、1日300人以上検査を続けたことを覚えています。
そんな状況を越えて、検査開始から6ヶ月半後の平成24年4月には除染作業員を除く14,111人の結果を公表することができたのです。
(医療法人誠励会ホームページ:http://www.fukkousien-zaidan.net/reserch/index.html)

そこには、東大の早野龍五先生、坪倉正治先生、福島医大の宮崎真先生のご協力がありました。第一回目の公表では、福島に住むにあたって、食品や水、空中飛散物等からの新たな内部被ばくのリスクは少ないことを伝え、有意検出者の2回目の検査で体内の内部汚染量が減少していることも報告できたのです。
(続く)

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