医療ガバナンス学会 (2016年3月15日 06:00)
【はじめに】
震災後5年を経過しようとしている。相双地域以外の福島県内をみると、見慣れてしまった仮設住宅やその存在を示す標識があるだけで、すっかり震災前の生活に戻ったような錯覚に陥る。ニュースで原発の様子や放射線量の数値が示されても、県民の多くは、ほとんど何も感じないのではないだろうか。
しかし、相双地域だけは全く違っている。
朝晩の大渋滞。何でこんなところがと思われる田舎道が、他県ナンバーで溢れかえる。マイクロバスや大型バスが多くの人を乗せて行き交う。作業員や常磐線の振り替え輸送バスだ。相馬市以北と南相馬市の原ノ町駅以南は線路すら繋がっていない。そして至る所の道路を走り回るダンプカー。日本中のダンプカーが集まったのではないかと思うくらいの台数が、1日中田舎道までひしめき合う。沿岸部のかさ上げ工事や相馬福島道路、その他の県道や双葉郡内の道路の復旧のためだ。
薬物乱用防止教室で、管内の小中高校に行けば、未だにプレハブの仮設校舎で勉強する小中高生。プレハブ校舎だけで卒業する子供たちも大勢いる現実を見ると、5年も経過するのに、本当に復興の努力をしているのか疑いたくなる。
そのような現実を、医療と薬事関係の数字で示していくことにする。
【まず人口は!】
震災前の福島県全体の人口は約203万人。平成27年の人口は約192万5千人である。県全体で約10万5千人が減少した。死亡した方々や県外に避難した方々である。
相双地域を見て見ると震災前と比較して、5年後でも約84,000人が減少したままである。詳細な避難者数は示さないが、住民票を持って、復興作業に従事する為に相双地域に入っている方々もおり、人口だけでは避難者数を正確に把握することはできないが、帰還が始まった楢葉町の状況は、震災前の7,700人が976人、帰還して久しい広野町で震災前5,416人が4,323人となっている。
高齢化も激しく進んでいる。人口の構造自体が、ゆがんでいることが人口ピラミッドから見て取れる。10歳未満が13,324人、10代が17,161人、子育て世代の20代が13,920人、30代が19,402人であるのに対し、60代が29,202人、70代が20,408人、80歳以上が18,407人となっている。これは、60歳以上が38.3%、70歳以上が21.8%を占める超高齢化地域であることを示している。
【医療機関】
このような状況の中で、多くの医療機関が避難したままであり、従事者の確保が難しいことから、病院の病床が稼働していない。診療科目によっても、医療の提供が追いつかない状況にある。産科は、1病院と2つの診療所のみで、あるドクターは、ほぼ毎日お産となっており休みがないときく。整形外科は、受付30分でその日の診療可能人数を超える。皮膚科も同様で、常勤医師がいる病院はない。相馬市から、耳鼻咽喉科の診療所が消えた。除染作業員等の電離検診を1日100人までに制限しても、通常業務に支障をきたしている医療機関があるなど、取り上げたらきりが無いほどの問題を抱えている。
さらに、道徳的に問題のある他県作業員が、医療機関や、薬局で問題となっている。自己負担の踏み倒しや嫌がらせ、過剰に薬を求めるなど、警察が仲裁するケースもあると聞く。
相馬地方の稼働している病院で、複数の病院は、従事者不足から病床を閉鎖したままになっている。稼働病院全体の許可病床数1,586床に対し運営病床1,070床で32.5%が再開されていない。稼働している病院(震災前16施設、震災後10施設)の医療従事者数を見ると、医師数は全国からの応援等がある病院のおかげで震災前をやや上まっているが、震災前でさえ人口10万人対で約110人と全国平均の半分だった地域であることからまだまだ不足していることに変わりはない。看護師はもっと深刻な状況で、130数名下回ったままである。特に、新たな看護師の確保が難しく、本年度をみても4月から1月の3四半期で、10数名減少していると聞いている。様々な理由で、震災後がんばってきたベテラン看護師たちが去って行く現実がある。
双葉地域の医科診療所で稼働しているのは10件であるが、広野町の1件、楢葉町の1件と昨年10月にオープンした県立診療所、川内村の国保診療所、浪江町の仮設診療所の5件が一般の診療所である。残りの5件は、広野町保健センター、特別養護老人ホーム等の施設内診療所や原発内の診療所で、一般診療所ではない。歯科は、広野町で1件のみが稼働している。
【薬局・医薬品販売業・毒物劇物販売業】
南相馬市小高区、飯舘村、双葉地域の薬局は、震災後、広野町の1件を除き、31件全てが休止中または廃止している。休止中の薬局の開設者や薬剤師は、一部の大手チェーン薬局を除き、60歳前後の方がほとんどで、帰還する気持ちがあると言っている方はいない。
店舗販売業(医薬品の小売業、いわゆるドラッグストア)については、相馬地域、双葉地域ともに大手も含めて多くが廃止した。震災前42件あった店舗が、震災後19件となった。 居住制限等の無い相馬地域は、人手不足が甚大で、主戦力であるパート従業員の確保がとても難しい。コンビニやファミレス、牛丼チェーンなどの時給は、通常の時間帯でも1,000円以上で募集しているが雇用できず、24時間営業ができない店が多い。
毒物劇物販売業も廃業が目立つ。特に、農業用品目販売業(農薬販売)は、農業が再開されていない地域が多く、商売にならない。JAの各支店も、金融がメイン事業となっている支店が多く、今回の合併(平成28年3月1日に福島県内のJAが再編された。)で廃止された店舗が数多くある。相双地域全体で、57件あった店舗が、現在は23件となっている。
【医薬品等製造業・毒物劇物製造業】
相双地域の産業で大きなものは、東京電力の福島第一、第二原子力発電所(12基)、広野町の東電火力発電所(6基)、南相馬の市東北電力火力発電所、相馬市の東北電力火力発電所と電力関連が際立つが、そのほかでは、医薬品、医療器機、毒物劇物などの化学薬品産業が多くあった。
震災後、大熊町にあった4工場と南相馬市小高区の2工場の医薬品等製造業者は、すべて廃止した。すでに他地域で新たな施設を立ち上げ、事業を再開している。
つまり、福島県内で事業を再開することはない。休止中の大熊町の医療器機の工場(震災前従業員数300名強で、この地域では大きな規模の工場)は、いわき市の新たな施設で再開した。
最も深刻なのは浪江町にあった大手製薬メーカーで、50品目位あった製造品目(ドリンク剤を一日120万本程度製造していた)を、主力製品を4つ程度に絞り、委託製造でブランドを維持しているが、会社のダメージは計り知れないと聞いている。
毒物劇物等化学薬品の製造所は、震災前12件が稼働していたが、3件が廃止し、4件が休止状態である。毒物及び劇物取締法に、休止の手続きはないのだが、現状から業務の再開は不可能な状況が続いている。
【まとめ】
地域の医療については、崩壊の危機が続く。双葉地域は、県立大野病院と双葉厚生病院の統合が浮いたままで、県の決断が必要不可欠なのに、進展しないまま5年が経過する。誰の責任なのかは直接問えないが、この無責任さ、後世に禍根を残すこと必至だと思われる。広野町、楢葉町、川内村を除く5町では、住む人間がいない中で、数万人が毎日行き来し、様々な仕事をしている。救急医療はどうするのか。
復興事業とされるメニーをよく見ると、この地域以外の箱物や事業が多すぎる。その結果、住民の帰還に必要な直接的な事業が後回しになり、結果的に高齢者のみが帰還する。常磐線が相馬から北の亘理町までの仙台方面と、南相馬市原町区から楢葉町の間が分断されたままである。広野町と川内村を除くと、学校が再開していないし、日常生活に必要な物を買うお店がほとんどない。医療も介護も福祉も低レベルをやっと維持する現状で、いつ崩壊するかもわからないこの地域で新たな生活をはじめられるはずがない。
すべてが遅すぎたと過去形で語る日がこないことを心から望む。
http://expres.umin.jp/mric/mric_ogata_photo.pdf