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Vol.103 京都の医学生が感じた福島の“温度”

医療ガバナンス学会 (2016年5月2日 06:00)


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京都大学医学部医学科
外山尚吾

2016年5月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

私は大阪在住の京大医学部生である。5年前のあの日以降、私はずっと東北と関西との温度差を抱え続けていた。自分が被災地というものにどう向き合っていいか分からない。そう思っていた。だが、相馬中央病院の森田知宏先生が書かれた「相馬井戸端長屋」についてのweb記事(1)を偶然見つけたとき、以前から高齢化や孤独死の問題に興味のあった私は、純粋にその試みをぜひこの目で見てみたいと思い、福島に行くことに決めた。医学生になったことで自分のなかに医療という切り口が新しく生まれ、これまで関わろうともしなかった被災地を訪れるというまでに至ったのだ。

福島には3/21の晩から3/25の朝にかけて滞在していた。その数日間で私が知ったこと・得たものはあまりにも多くあるが、そのなかでも自分のなかで最も収穫だったと思っているのは福島の医療の“温度”を感じたことだ。それは、こちらでweb記事や論文を読んでいるだけでは決して経験し得ないものだった。

最初に訪れたのは南相馬市立総合病院だ。印象的だったのは、及川友好先生が仮設住宅で行っている健康支援講座のお手伝いをさせていただいたときである。少ない人数の単位で高齢者に向けてそういった活動をされていることを事実として一応は知っていた。しかし帰りの車で、及川先生が「仮設住宅の人たちに求められていることが分かるから、医師としてというより人として、この講話を続けている」とおっしゃるのを聞いて、私は胸が熱くなった。震災以降、先生が過ごしてこられた5年間を、その重みを、一端でしかないかもしれないが確かに感じとった。

その後も、澤野豊明先生から除染作業員の健康問題について教えていただいたり、尾崎章彦先生から震災後増加した蜂刺症の話を聞かせいただいたりした。どれも医療単体で考えていればそれで済む問題ではなく、被災地の社会的な要因も複雑に絡み合っていた。考えなければならないことが多すぎて、正直言って私は福島の医療問題について知れば知るほど頭が痛くなっていった。

しかしながら、お話したどの先生方も福島という地で医療に並々ならぬ熱意を注いでおられるのを間近で感じた。このとき既に、私があの日からずっと抱え続けていた“温度差”は姿を消していた。現地を実際に訪れ被災地をこの目で見たことで実感が湧いたということもあったが、それ以上に、一医学生として、彼らの姿に触発され気持ちを揺り動かされたのだ。確かにそこにあるのは福島特有の問題かもしれないが、関西に住みながらも私がその問題を考えそして教訓を得ることは何らおかしいことではなく、寧ろ医学生として震災に向き合う一つの形としてあるべきものだと思うようになった。現場とそこから遠く離れた場所とでリアリティの温度差があるのはある程度仕方がないことだ。だが医療に向き合うという文脈での“温度”には、被災地であるかどうかは関係がない。私も福島の医療問題を考え、そして学び続けなければならない。

最終日は、福島訪問のそもそもの発端となった相馬井戸端長屋を訪れた。おばあちゃん達は、「将来医者になったら、ぜひ相馬に来てね」「でもそんときはもう死んでるかもしんねえよ」とジョークを飛ばしながら私を温かく迎えてくれた。畑に鳥よけをつくった話や公民館で踊りをした話を聞いていると、皆がさながら家族のようで、お互い信頼し合っているのがよく伝わってきた。もし仮設住宅を出たあと井戸端長屋がなければ不安な老後を過ごしていたかもしれないおばあちゃんたちのコミュニティの“ぬくもり”を、最後に私は肌で感じた。それはまさしく、高齢者が高齢者どうしで支え合い、孤独死を防ぐというこれからの日本全体に大切な社会モデルでもあった。私はその光景を目に焼き付け、福島を後にした。

私は今、大阪の自宅でキーボードを叩きこの文章を書いている。相馬から戻ってきて一週間は経った。こちらの日常会話には「除染」や「20km圏内」なんて言葉は現れないし、内部被ばくの検査について考えている人もない。これだけ遠く離れた土地なのだから当り前だ。しかし例えそうであっても、私は福島から持ち帰った“温度”を忘れず、今後の医学生生活を送るのが使命だと思っている。福島の医療に学ぶということは、単に被災地医療を一般化し、未来に起こりうる災害に備えるという意味だけにおさまるものではない。京都の医学生である私が訪れて得たいちばん大きなものは、相馬・南相馬の医師たちが医療に向き合うその真摯な姿勢だった。
とはいえ私は2回生になったばかりの医学生に過ぎず、今すぐに何か医療行為をして社会に貢献できるというわけではない。私に今できるのは、周りの学生に被災地の課題について知ってもらいディスカッションを行うことや、福島で初めて知った言葉や事柄について本や論文でさらに深く学び考えを発展させることである。福島に行ってから勉強に対する意識がかなり変わった。将来私が医療者として現場に立つとき、自分が見てきた姿に恥じないだけの人間にならなければならない。

相馬・南相馬にて、何のつてもなかった私を迎え入れ、懇切丁寧に指導してくださった全ての皆様に感謝を述べ、拙文を締めくくりたいと思う。

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