医療ガバナンス学会 (2016年5月13日 06:00)
※この原稿はJBPRESSからの転載です。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46623
吉野 ゆりえ
2016年5月13日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
せっかくの自分の誕生日だというのに、私は病院のベッドの上にいました。それも、お世話になっているがん専門病院ではなく、とある病院の循環器科の病棟にいたのです。
それはいったいなぜだったのでしょうか?
私は、希少がんである「肉腫(サルコーマ)」の患者です。おかげさまで、昨年の2月に「10年生存」を達成することができました。とはいうものの、これまでの11年間に19度の手術と6度の放射線治療、5クールの殺細胞性の抗がん剤治療を受けました。
●分子標的薬に挑戦
そして今年に入り、抗がん剤の一種である分子標的薬にも挑戦しています。
このように、私は「がん」の闘病を続けながら、東京大学大学院経済学研究科の松井彰彦教授の「社会的障害の経済理論・実証研究」(REASE)の研究班のメンバーとして、がんの長期療養者の当事者研究をさせていただいています。
肉腫(サルコーマ)は概して抗がん剤が効きにくいこともあり(小児の肉腫にはよく効くものが多い)、私が初めて「殺細胞性」の抗がん剤に挑戦したのは、がんに罹患してから10年を経た昨年の6月のことでした。
右肺の腫瘍が大きくなり、右肺が無気肺(肺に空気が入らない状態になること)になったことが、一番の理由でした。そして、当初からの予定であった5クール目の投与を終了したのが、9月の終わりの頃でした。
それから、それなりに体調の良い10月と11月を過ごしました。しかし、12月に入ると体調が悪化し、まずは6度目の放射線治療を2週間ほど受けました。そして、年末年始のお正月休みを返上して修士論文の執筆に励み、おかげさまで今年の1月半ばに書き上げることができました
そこで、1月後半から、新たに「分子標的薬」の抗がん剤に挑戦したのです。
この「分子標的薬」は、入院や通院をしながらの点滴による投与ではなく、毎日自宅で服用するだけでいいので手軽でした。しかし、吐き気や倦怠感などの副作用のコントロールが難しかったように思います。
食欲もなくなり、体重もかなり落ちてしまいました。そして、肝機能の数値が悪くなったことにより、結局この分子標的薬の服用は中断せざるを得なくなってしまったのです。
また、肺の腫瘍を原因とする咳のために肋骨が何本か折れたり、息苦しさも増してきました。
●抗がん剤の副作用で呼吸困難
すると2月の半ばに、この息苦しさの原因が、以前からの肺の腫瘍が原因なだけではなく、昨年6月から9月にかけて投与した殺細胞性の抗がん剤アドリアマイシンの副作用による薬剤性心筋症だということが判明しました。
これによる心不全で呼吸困難の状態だったのです。
アドリアマイシンに心毒性(心臓に悪影響を及ぼす毒性)があることは知っていましたが、投与した量も範囲内で少なく、まさかこんなことになろうとは自分自身では思ってもいませんでした。
これに対して、お世話になっているがん専門病院では、まずは降圧剤が処方されただけでした。それゆえ一向に良くならず、それから2週間ほどして再度病院に伺った際は、一人で立つことも歩くこともできない状態になっていました。
その日は友人に車イスを押してもらって、やっとのことで検査を回りました。それでも追加で利尿剤を処方されただけで、私は自宅へと帰されました。
このような状態であっても主治医が私を入院させなかった理由は、「ベッドに空きがないから」ということと、「この病院に入院してできることは、栄養補給のための点滴だけ」だからとのことでした。
主治医の指示は「自宅で休養をしていてください」とのことでした。
がん専門病院が「がん」の専門なのは、私ももちろん理解をしています。しかしながら、あの一人で立つことも歩くこともできない呼吸困難の状態で病院に来ている患者を目の前にして、そのまま帰宅させるというのはいかがなものでしょうか?
その病院で治療ができないのであれば、近くの循環器科のある病院や知り合いの循環器科の医師へ、電話を一本かけるなりつなぐことはできなかったのでしょうか?
●病院間の連携はなぜできないのか
それも、「がん」の治療のために投与した抗がん剤の副作用による心筋症なのです。なので、このようなことは私だけではなく誰にでも起こります。そして、これまでにも起こっており、今後もかなりの確率で起こり得るのです。
「がん」専門病院であっても、否、「がん」専門病院だからこそ、この循環器に関する対策を考えなければならないのではないでしょうか?
実は、苦しさが限界に達していた私は、結局その日の夕方、職場である研究室の友人たちによってER(救急救命室)のある病院へ運ばれ、そのまま緊急入院となったのでした。
このような背景があって、冒頭に書いたように、私は今年の自分の誕生日を、緊急入院をした病院の循環器科の病棟のベッドの上で迎えた次第です。
米国では、すでに「cardio-oncology(腫瘍循環器学)」が進んでいると聞きます。日本でも最近では、がん専門病院と循環器専門病院や総合病院が提携を始めているようです。
しかし、研究には良しとしても、提携している病院間に距離があったりして、現実には臨床に生かされていないのが実情のようです。
「具合が悪くなって病院に来るのは、私の外来の曜日にしてもらえるかな?」
先日、主治医にそう言われました。しかし病状は、患者自身が時と場合を選ぶことなどできません。
医療者には、もっと患者目線でものを考えていただき、今回の私の場合のように、自分の病院で治療ができないのであれば、治療可能な他の病院や医師に早急につないでいただくなどの対応を切に希望します。
また患者自身も、自分の身に起こり得ることを想定して、例えば、緊急の場合に24時間365日受け入れていただける病院や医師を確保しておくなど、自分自身の医療環境について今一度顧みる時間を持つべきであると、今痛感しています。