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臨時 vol 297  『ボストン便り 6回目』「アメリカ社会のふたつの顔」

医療ガバナンス学会 (2009年10月19日 17:37)


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細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー、博士(社会学)


紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年から05年まで日本学術振興会特別研究員。05年から08年までコロンビア大学メイルマン公衆衛生校アソシエイト。08年9月より現職。主著に『「チーム医療」の理念と現実』(日本看護協会出版会)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。

「アメリカ社会のふたつの顔」

しばらくアメリカに暮らしていると、この国にはいろいろな考え方を持つ人がいることを実感します。たとえば公的健康保険をめぐる議論を見ていても、賛成派と反対派が熱く意見を戦わせています。どちらか片方だけをとってみても、世論としても政治力でも資金面でも大きな勢力なので、これこそアメリカなのかと思ってしまいがちですが、もう片方もそれと同じくらいの力を持っているので、アメリカは云々という時はやはりどちらも見る必要があると思います。
ちなみにそれらは政治思想的に大きく分けると、リバータリアニズム(自由至上主義)とコミュニタリアニズム(共同体主義)などといわれたりします。

リバータリアニズム
リバータリアニズムは、他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきだとする考え方で、レッセ・フェール(自由に任せる)を唱え、経済や社会に対する国家や政府の介入を否定もしくは最小限にすることを主張します。そのために大きな政府は必要ないといい、小さな政府を目指しています。
気をつけていただきたいのですが、リバータリアニズムはリベラリズム(自由主義)とは異なります。リベラリズムも個人の自由を尊重する立場を指しますが、同時に社会的公正も志向しています。そしてそのための手段として政府による所得の再分配という仕組みを使います。この再配分によって平等が実現され、社会的公正が達成されると考えるからです。よってリベラリズムは大きな政府といわれることもある福祉国家的という要素を持っています。
リバータリアニズムという政治思想が経済の分野で現れたとき、それは市場原理主義という資本主義の究極の形をとります。それはとりもなおさず1990年代ごろからアメリカが推し進めてきた新自由主義(=新保守主義、ネオリベやネオコンなどといわれているもの)に他なりません。昨今の日本の政権も、福祉を切り詰め、市場開放を標榜してきたわけで、かなり新自由主義の影響を受けているといえるでしょう。
またリバータリアニズムは、個人の自由や自己決定を重んじる個人主義とも親和性を持ちます。生命倫理学のテーマとして尊厳死やデザイナー・ベビーやエンハンスメント(身体能力増強)が挙がり、それが自己決定権をめぐる問題として議論されている点は興味深いところです。

コミュニタリアニズム
一方コミュニタリアニズム(共同体主義)の方は、ひとびとの共同体(コミュニティ)の価値を重んじる政治思想です。コミュニタリアニズムは、リベラリズムや民主主義を否定するものではなく、むしろそうした価値を基礎に持ちながら、リバータリアニズム的思想や新自由主義や個人主義に対抗するものです。ちなみにコミュニタリアニズムは、私的財産の所有を否定するマルクスやエンゲルス流のコミュニズム(共産主義)とは異なります。
コミュニタリアニズムは、1990年代以降の比較的新しい思想ですが、『アメリカの民主主義』でアレクシス・ド・トクヴィル(19世紀のフランスの政治家)が描いた、アメリカ建国当時の自由と平等を掲げる民主主義を源流にしています。人々の関係性が社会を成り立たしめると考える社会学では、こうした価値観こそアメリカを成り立たしめている思想なのだと考えることが多くあります。そして同時に、近年のアメリカではそれが廃れてきてしまっているのではないかという危惧が表明されています。
たとえばロバート・ベラーの『心の習慣:アメリカ個人主義のゆくえ』と『善い社会:道徳的制度論のエコロジー』、リチャード・セネットの『公共性の喪失』、ロバート・パットナムの『孤独なボーリング:米国コミュニティの崩壊と再生』はどれも社会学では話題になった本で邦訳もされていますが、人と人とのつながりが薄れてゆく現代アメリカが批判的に分析されています。ただしこれらの本では、公共性は確かに廃れていく傾向にあるけれど、そうではないコミュニティ再生の動きも一部にあるので、そこに希望が見出せるのではないか、という見通しにも触れられています。現実世界を見渡してみればコミュニタリアニズムは少し分が悪いかもしれないけれど、思想的には期待すべきものであるというアカデミアの主張を感じます。

カテゴリー化の注意点
いずれにしても、こうしてリバータリアニズムやコミュニタリアニズムというようにカテゴリー化することは、あくまでも混沌とした現実世界を分かりやすく解釈しようとモデルを提示しているに過ぎません。実際には、ふたつに分けることができないようオーバーラップしていたり、それ以外にもさまざまなモデルが立てられることがあるでしょう。実際の社会というのはいうまでもなく、もっと複雑で理解することはなかなか困難なものです。それでも、カテゴリー化することによって見えやすくなることもあるので、気配りしながら活用すればよいと思います。
今回は、同じ障害を持つ子どもでありながら、全く異なる考え方の親や社会環境の下では、全く異なる人生を送ることになるという例として、アシュリー療法とマサチューセッツ住宅改造ローン事業についてご紹介し、リバータリアニズムとコミュニタリアニズムという考え方から見てみたいと思います。

アシュリー療法
アシュリーは出生時、特に問題はなかったのですが、精神と身体に重度の障害を持っていました。両親は、彼女を神経学から遺伝学まであらゆる専門医に見せ、伝統的なものから最新の実験的なものまですべての検査をしたのに原因は分かりませんでした。
2004年の初め、アシュリーが6歳半になった時、両親は彼女に思春期の兆候を認めました。両親はこのままアシュリーが

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